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第二章 遺跡とスライム

17アンデッドと奏でる夜想曲3

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 後方から聞こえたダニーさんの苦悶くもんの声に動揺した僕は、手元が狂って剣の腹を敵の横っ面に叩き込むしかできなかった。一応は吹っ飛ばしたけど無力化する絶好の機会だったのを逃した。
 でも優先すべきはダニーさんの安全だ。
 焦って振り返ると、彼は鍛えられたその体躯からなる膂力りょりょくのおかげか、人外の女アンデッド相手に何とか鉄パイプで応戦していた。
 けど確実に押されている。
 因みに、鉄パイプはダニーさんのかつての相棒だって。釘バッドは予備の相棒だって。舎弟は自警団の皆さんだったって。へえ~。今はもう往年のやんちゃ度は薄れてるけど、そんな荒くれた過去がねえ……。

「ミルカ、こいつを頼む!」

 敵とダニーさんとの距離が近いのでミルカの魔法を向けるのは危険だ。
 なので僕が相手取っていた男アンデッドを彼女に任せ駆け出すと、今にもダニーさんに噛みつかんばかりの新手ゾンビの横っちょにタ~ックル。

「うおりゃあああっ」

 腐った内蔵なのか骨なのかがグシャッた嫌な音と感触を肩と上腕に感じつつ、素早く身構える。そいつはもんどり打って地面を転がってった。
 ……服に凄まじい腐臭の素の何かがくっ付いたのは敢えて考えない。人間の嗅覚は疲労しやすいからすぐに何も感じなくなるさ、ハハ、ハハハ……。だかしかあ~しこれで距離は稼いだ。

「ミルカ!」
「ええ任せて!」

 この状況を予測済みなミルカが即座に火球を生み出し始末を付けてくれた。
 先に任せた方はもうすっかり灰だ。
 魔法に関しては超人的強さだよね。ホント頼りにしてます!

「ありがとミルカ!」

 今回は食人ドラゴンやダークトレントよりは断然弱いけど、好き勝手動いて点在しているから面倒臭い。総数が十以下だからまだマシだけど、これが三十も四十もいたらかなり手こずったと思う。
 あと何体だっけ? ダニーさんは五、六体って言ってたからこれでトータル五体目の討伐だ。
 もう一体はいるのかいないのか。
 とは言え、赤白四発の花火分は倒したから一先ずここは安心かな。

「大丈夫ですかダニーさん!」

 尻餅をつく彼へと手を差し伸べる。顔色も悪く、息を荒くしているもののダニーさんは無傷そうだ。

「あ……ああ、ありがとうな。暗がりからいきなり出て来たから反応が遅れてしまってな。おそらくこの街のどこかにもう一体いるはずだ、まだ気を抜かな……――アル君後ろだ!」
「え?」

 ダニーさんが驚愕と恐怖に引きった顔で僕の背後を訴える。肩越しにそいつが見えた。
 六体目。おそらくはこいつが最後だろう。
 ダニーさんを逃がすために突き飛ばし即座に振り返れば、狡猾こうかつにも僕に忍び寄っていた新手で最後の女アンデッドは目と鼻の先に居た。

 うわこれ冗談抜きに噛みつかれるやつじゃないいい!?

 跳びかかられて地面に押し倒され背中を強打。
 衝撃に息が詰まった。

「――ッ」
「アル君!」

 もろに地べたで聞いているせいかダニーさんの叫びも遠い。
 僕に覆い被さるようにしてにばあああ~っと、ただれて歪な唇を吊り上げる魔物女。
 鼻が曲がりそうな腐臭は言わずもがなだけど、粘ついた唇の奥から吐き出される息が異次元臭過ぎてマジで気絶するレベルだよッ。
 けどこんな所で意識を手放すなんてそれこそ死亡フラグしか立たない。
 差し迫る明確な脅威に、感情が戦慄せんりつで塗り込められていく。
 あり得ない顎関節がくかんせつの可動域、大きく開かれる赤黒いあぎと。
 頬に傷んだざんばらな頭髪が掛かった。
 放心状態にも似た思考の停滞の中、やめろ、来るな、と叫びたいのに声にならない。
 え、これホントに、死ぬ?

 ああチクショーこれだから魔物は相容れない倒すべき人類の敵――――……突然目の奥が、いや瞳が熱くなった。

 僕の攻撃的な思考にそうじゃないとでも訴えるように。

 しかもこの時僕は確かに自らの意思で思考していた。

 ああ、どうして、こんな事に……。

 なのに、全く意図しない感情が溢れ、あたかも自分の心が発したようにそう思考した。
 深い深い絶望と悲しみの果てに感情が麻痺した、酷く空虚で億劫な気持ちを我が事みたいに感じていた。

 同時に脳裏に浮かぶのは真っ赤な光景。

 踏み荒らされた草原に広がる夥しい数の魔物らしきもの達の死体。

 なるほど、赤は血の色か。

 魔物の血は赤い方が少ないとか、死んだ魔物が魔宝石に変じていない不可解さには気付かずに、僕はまるでその光景に没入して現実のように感じていた。

「おおお、おおおおっ」

 その時だ、正気に引き戻してくれたのは皮肉にもアンデッドだった。
 気付けば直前まで白目だった女アンデッドは、ぐるりと眼球を回して魔物特有の赤い瞳を見せている。しかも何故か隙だらけだったろう僕に噛みついてすらいなかった。
 どこか不可解そうにしているその真紅を見ていたら、湧き上がってくるものがあった。

 ああ、何だ、まだ生きて――――……。

「――グァッ!?」

 惰性で動いているようなゾンビ系アンデッドに果たして明確な理性があるのかどうかは知らない。
 けど、目を瞠ったまま何も考えず伸ばしていた僕の指先が触れる直前、魔物は驚いたように痙攣けいれんした。
 僕は僕でようやくハッとまた我に返って自分でも信じられずに何度も瞬いた。

 今、抱いたのは、安堵だった。

 それに、今僕はどんな顔をした?
 表情筋の動かし方が僕の認識通りなら、僕は今……自らの意思で微笑んだ。

 頭の中が混乱中で、愕然としてただただアンデッドを見据えた。

 他方、アンデッドは鼻先三寸の位置で何を思ったのかようよう僕の顔を見つめている。
 至近で目が合ったまま停止して、一秒、二秒、三秒。

 ――ポッ!!

 そんなオノマトペが聞こえた気がした。
 でも、ポッ?
 僕から離れよろよろと後退する敵影に、こっちはこっちで半身を起こしへたり込みながらも困惑するしかない。

「ええと、助かった……?」
「アル君何ともないか!? 身を挺して助けてくれて本当にありがとうな!」

 ダニーさんからガシッと太い両腕で抱き締められて一瞬息が詰まったけど、彼の方にも別段大きな怪我もなさそうで良かった。

「アル!」
「怪我はないのっ!?」

 ジャックとミルカも駆け寄ってきた。
 ジャックは何とか女型アンデッドを撃破したらしい。
 その頬を流れた涙の跡からして、泣く泣くか。よくやったジャック!
 これで君も一つ大人になった!

「怪我はないよ。あのアンデッド何故か途中で攻撃をやめたんだよね」
「攻撃をやめた?」
「強者への防衛本能かしら?」
「うーん、僕が不味そうに見えたとか……?」
「そんなわけないわ! すごく食べたい……って何でもない何でもない何でもなーいっ!」

 ブンブンと首を高速で横に振るミルカの食い気味返答にジャックが酷く噎せ、ダニーさんは「お?」と一度眉を軽く上げてからフッと訳知り顔でニヒルに笑んだ。そんな表情も様になるなあダニーさん。
 っていうか、え、何なの? 今のって単に僕へのミルカのフォローでしょ?

「コホン、ね、ねえこの際だし浄化魔法使ってみてもいいかしら。上手くいくかはわからないけど」

 敵と僕達との距離を考慮してだろう、頬を少し赤くしたミルカが味方に安全安心の浄化魔法を提案した。

「もっち。それなら巻き添え食って火傷する心配はないよな」
「アハハ、ジャックは一緒に浄化されそうだけど」
「心の友よどういう意味かな!?」

 この場の誰も異論はない。
 そういうわけで任せると、ミルカは早速浄化魔法を発動させた。
 杖の先に浮かんだのは白い幾何学円。
 女型アンデッドは、本当にさっきまでの攻撃性はどこへ行ったのか、浄化の光を前にしても抵抗すらせず茫洋とした目でこっちを見つめてくる。

「なあ、あのアンデッド、アルばっか見てるよな」
「やっぱりそう思う? まだ獲物としてロックオンされてるのかも」
「獲物……――そうか! ある意味獲物か。なるほどアルに惚れたんだな!」
「ええ? そんなバカな」
「でもあのうっとり顔見るとフォーリンラブだろ」
「うっとり……してるかなあ?」

「――へええー、あの女アルに惚れたの?」

 ここで、ミルカが背筋の寒くなるような据わった目つきでアンデッドを見つめた。
 急降下したように一段と声も低く平坦だ。
 僕とジャックが内心おののいていると、彼女はどうしてか薄らと笑みを浮かべた。

「ごめんなさいやっぱりあまり得意じゃないから、浄化なんて生温いことはやめて炎でさっさと滅するわね!」

 杖の先からフッと浄化魔法陣が消えたかと思えば、次には別の魔法陣が現れた。
 ドロドロとした溶岩のように赤黒く、不穏で禍々しい光をまとっている。
 うっ……、大きいし随分と広範囲に影響がありそうな魔法陣だけど。
 何かそれすごくヤバくない、ミルカ? ねえ?
 ミルカを窺えば、何かをブツブツ言っている。

「……灰にしてやる灰にしてやる灰にしてやる灰にしてやる」

 ひいっ怖いっ!

「ああああミルカストップストップスト~ップ! このままやっぱり浄化で行こうよ! 一度どんな感じか見てみたいし! ね? ねっ!?」

 直感が警鐘を鳴らし、大いに焦って止めると寸での所で魔法はキャンセルされた。
 冷や汗を滲ませる僕を、ミルカは珍しく無表情にじっと見る。

「どうして?」

 小首を傾げてのその不思議そうな顔ッ、そこがもう何か怖いからッッ。

「アル、お前の双肩にこの街の全てが懸かってる。ミルカは今焼きもぢッ」
「ジャック!?」

 無言のミルカがジャックのみぞおぢ……じゃない鳩尾みぞおちを杖でド突いて、ジャックはパッタリと倒れ昇天した。

「いやいやいや倒す相手が違うって言うか、え……な、何?」

 ミルカは続・無言の凝視。
 何かしないといけない空気がひしひしと伝わって来る。
 でもどうしよ……。何すれば……。

「ええと……」

 ……………………に、にこっ!

 と何となく微笑んでみた。さっきアンデッドにやったのと同じく。

「……わかった」
「え!?」

 これでいいの!? 何がわかったのかよくわからないけど、とりあえず良かった。

 アンデッドとはまた一味違った変顔で白目をく親友に気付け薬を嗅がせている間に、ミルカは浄化魔法を再度展開させる。
 ジャックを何とか覚醒させると、ダニーさんが僕をまた抱擁し、労うように背中を叩いてきた。

「街を恐怖からよくぞ救ってくれた!」

 とは言いつつも、彼はどこか恐々とミルカを見ていた。
 恐怖から救うって……アンデッドの件だけじゃないように思うのは、考え過ぎかな~ハハハハ……。




 初めて見る浄化魔法は何とも幻想的で、魔を滅する白光に全身を包まれ消えゆくアンデッドは蛍の化身のようだった。だってまるで人間みたいに姿が綺麗になってるし、人間だったら間違いなく美少女認定だ。

「へえ、驚いた。すごくきれいだね。嫌がってぎゃああっとか断末魔でも上げるかと思ってたけど」
「俺もそう思ってた」
「浄化って実は魔物の心理状態にもよるみたい。たぶんこのアンデッドは改心したんじゃないかしら」
「改心か、そりゃ魂消たまげたな。魔物もそういう面があるのか」

 感動する僕とジャックの横では、ダニーさんが感心してあごを撫でさすった。
 一方、アンデッドは僕だけに視線を注ぎながら、

「――あなた様をずっとお慕いしています」

 なんて言った。
 ウソぉ!? 喋れるの!?
 純粋に驚きはあったけど、雰囲気の良さも相まっての突然の告白に、何となく僕は照れてはにかむ。

「えーと、ありがとう、って言えばいいのかな?」

 どうやら正解だったみたいだ。彼女は思い残す事はないとばかりに爽やかに微笑んで、天に昇った。
 僕は感慨深いものを感じてしばらく夜空を見上げていた。
 静かな夜の通りに蛍火の残滓ざんしが消えていく。
 うん、悪くない。こんな倒し方もあるんだ。
 そっと靴を残して去るお姫様みたいに、藍色の宝石が一つ、その場には残された。
 えっ藍色!? 普通アンデッドなのに案外いい魔宝石だしこれっ! 他の五体は山吹色だったのにどうして? まさか改心したから?
 皆も不思議そうにしていたけど、誰もその謎はわからなかった。まあ、真相は不明なものの、何となく納得できるものがあるっちゃある。心って大事だ。

「ふう、これで一件落着だね。ところでさ、ジャック、僕は人生初告白されてしまったよ」
「だから惚れられてるって言っただろ」
「あははでもさ、あれって浄化の副作用で錯乱してただけだよね」
「お前さ……本気で言ってる?」

 ジャックがどこか途方に暮れたような目を向けてくる。
 そこには何に対してか、同情的な色があった。

「何よーッどさくさまぎれにうなああー!」
「おうおう、若いうちは思う存分やんちゃしろよ~」

 僕達の横ではミルカが何故かまたもや荒れ出し、ダニーさんは場違いにも微笑ましい視線を送ってくれている。
 とりあえずアンデッドは片付いた。

「くくっ、残すは奴らのみだね」
「ああ、だな」

 僕とジャックはまるで悪辣あくらつな魔王のような冷笑を浮かべた。




 ダニーさんが花火を上げて召集を掛けると、程なく街のあちこちに班で分かれて散っていた自警団の皆が集まった。

「いや~屋根の上から見させてもらったけど、ミルカちゃんの魔法は壮観だね! アル君とジャック君も若いのに随分度胸はあるし」

 大通りで鶏肉を投げ落とした、娘が僕達と同じ年頃だという優面やさおもてのおじさんが陽気に笑っている。
 笑うと目が無くなるどことなく有難~い顔を見ていると、昔ダニーさんとやんちゃしていたようには全く見えない。

「これで家族を呼び戻せるよ! ありがとう君たち!!」
「短い日数だが離れてるのはやっぱり寂しかった。向こうだってオラたちを心配してるだろうしなあ~……ぐすっ、本当に感謝だよ……ぐすぐすっ」
「ミルカ君アル君ジャック君のおかげだ」

 その他やんちゃしていたように見える人もそうでない人も一様に感謝の言葉をかけてくれた。
 家族が隣街マーブルに避難している、そう言う人は多かったから、ようやく長い夜が明けたようで感慨も一入ひとしおなんだろう。
 僕達を囲む皆が皆それぞれの想いを胸に涙ぐみ頷き合っている。
 誰か知らないおじさんから肩を組まれている僕とジャックも、その光景に自然と笑みが広がった。
 現在夜の二番通りは明るい笑い声で賑やかしい。
 ミルカは魔法に興味津々なおじさん達に囲まれて、魔法の説明やら世間話やらをしている。
 やっぱり可愛くて若い娘っ子はおじさんには大人気だね。

「ねえジャック、ホントさ、早期決着できて良かったよね」
「そうだなー」
「こんなに楽に済んだのもミルカがいたからこそだよね」
「ああ。俺達にあの火球向けられないよう気を付けような」
「うん。もしどっちかがボカやって危うい時は助け合おうね!」
「ああ!」

 僕達は割と真剣に密かな誓いを交わした。

「ところでジャック、このおじさんどうする? 寝てるんだけど」
「安心して疲れが一気に出たんだろうな」

 僕とジャックを両肩に抱えて喜んでいた団員のおじさんは、今はもう左右から僕達に支えられてぐーすか鼻ちょうちんを作っている。盛り上がってるから「この人寝てまーす」とか言い出しづらい。

「あ~あどうせなら美人なお姉さんだったら良かったのになあ、ねえジャック?」
「確かにそうだな……ミルカに変身の魔法使えるか訊いてみるか?」

 僕は少し茶化しただけだったのに、返してきたジャックの目は恐ろしくマジだった。

「……見た目美少女でも中身このおじさんだし、嫌だよ」
「――!?」

 たった一つの真実に気付いて絶望に目を見開く友を余所に、僕は溜息をついた。
 はあ、スライム狩りたい。
 ぶっちゃけ今すぐ。

「おーい皆喜び合いたいのはよくわかるが、今夜はそれくらいにしとけ。三人だってここに来て休みもせず戦ってくれて疲れただろうし、そろそろ宿に連れていきたいんだ」

 ダニーさんが手を叩いて注目を集め場の解散を促せば、皆もそろそろとは思っていたようで異論は出なかった。
 労いと就寝の挨拶を交わす自警団の皆々が各々の家の方に歩き出す中、鼻ちょうちんおじさんを彼の御近所さんだという別のおじさんに任せ、僕達はダニーさんに付いて通りを後にした。

 少し歩いて到着したダニーさんの宿屋は三階建てだった。

 客室は全部で五室と宿の規模としては決して大きくはない。けど至る所に花が生けてあったり小さな室内花壇を作って植え込んであったりと、手間と時間を掛けた可愛らしい造りだった。
 表に掲げられている看板にも「花の宿屋」なんて書かれてたっけ。
 自然の温もりを売りにしているのか、内装は木材を主体としていた。
 家族を避難させているから、ダニーさんはそれを毎日一人で手入れして掃除もしているらしい。
 一旦カウンターの奥に入ってすぐに戻ってきたダニーさんは腰にエプロンを巻いていた。その姿で花の世話もするんだろう。
 花の宿のいかつい中年男性、か。
 ジャックがこっそり耳打ちしてきた。

「シュールだよな」
「え、でもそこはかとなく似合ってるところが彼の凄いところだよね」
「うーん確かに。むしろ印象的だしリピーターが多かったりしてな」

 ミルカは花の種類の多さにはしゃいでいる。やっぱり女の子だなあ。

「二階には客室が三つあるんだが、とりあえずそれを一人一部屋ずつ使ってくれて構わない。本来なら見晴らしのいい三階の二室をって勧める所なんだが、先に別の客が入っててなあ、勘弁してくれな?」
「いえいえ、特に僕達何階とかは気にした事ないですし、お気遣いなく。気にするのはいつもコスパなんです」
「へえ、しっかりしてるな。まあそれなら助かるよ。ああそうだ、三人とも食事もまだだろう? 今何か作るから出来るまでは部屋で寛いでてくれ。もちろん宿代は気にしなくていい」
「え!?」

 花の鉢植えの溢れる小さなロビーでダニーさんが得意気に胸を叩く。

「い、いえいえそこまではさすがに甘えられませんって。クエスト完了で報酬だって出ますし」

 節約できて嬉しいけどっ、嬉しいけどもっっ!!

「はっはっはっアル君、顔と台詞が合ってないぞ。いいんだよ、これでやっと少なくとも街は健全に機能するんだ。恩人達から金なんて取れないさ。それにアル君はこの街の守り神と同じ瞳をもつ縁起のいい客だ。歓待しないわけにはいかないのさ」
「守り神……ですか?」
「ああそうだ。大昔ここいら一帯を守護してくれた英雄らしい」

 英雄?
 それってつまり歴代の勇者のうちの誰かかな?
 この国の教会組織は歴代の勇者や聖女を聖人として祀る事を認めている。
 それがいつの時代の勇者や聖女かはその地域によって様々だ。

「へえ、勇者が守り神なんですね」
「ああいや、どうやら勇者とは違うらしい。土着の信仰ってやつさ」
「土着の?」
「この街もそうだが、古い場所にゃ大抵勇者や聖女以外の何某かの存在がまつられてるもんだろう。道祖神とかもその類だしな」
「ああ、なるほど。そう言えばうちの村にも道祖神だか何だかが祀られてますね。気にしたことがなかったのでよくはわからないんですけど。ねえジャック」
「ああ、一応崩れかけの古い祭壇みたいなのがあったし、何かの信仰はあったんだろうな。まあ今は教会の神の名の下に豊穣の恵みを感謝してるけどな」

 ダニーさんは興味がそそられたように眉を上げた。

「ほお? 二人の出身はもしかして歴史ある所かい?」
「ド田舎ですけどいつからそこにあったのかわからないくらい古い村なので、歴史は結構あるかもしれません。オースエンドって言う村なんですけど」
「オースエンド? どっかで聞いた事はある気がするな。ここよりは北の方の地だろう?」

 僕とジャックが頷くも、ダニーさんは近隣以外の地理に明るくないのか「悪い、それ以上はわからないな」と苦笑を滲ませた。
 まあ仕方がないよね。正式な王国地図にも申し訳程度にちいい~っちゃくしか載ってないし。民間用のなんて酷いと端折はしょられて載ってない地図だってある。

「でもそうか、そっちは教会に組み込まれたんだな。この街は頑固にも土着の信仰を貫いていてな、例の守り神に年に一度感謝を捧げるサーガ祭があるから、もし都合が良ければ是非来て欲しい。つってもまだ半年以上は先だがな」
「サーガ祭、ですか?」
「ああ、堅苦しいもんじゃなく花のお祭りさ。ここは年中通して比較的温暖な気候で花には事欠かないが、それでもこんなにあったのかってくらいに街中が花で溢れるんだ。地元民のオレから見ても毎年感動するくらい盛大だよ」

 ミルカが目を輝かせた。

「お花でいっぱいだって! アル、ジャック、絶対来よう!」
「そうだね」
「だな、楽しそうだもんな」

 半年後も一緒に居るのを疑いもしない言葉に、僕もジャックも表情を嬉しいものにする。

「おお、嬉しいねえ。サーガ祭のメインは守り神をイメージした花人形コンテストでな、街外れの遺跡での神事が廃止されて以来ずっとそれが続いてる。くどいようだが見ごたえはバッチシだって保証するよ」

 神事の廃止……?
 ダニーさんが太鼓判を押す祭りの内容もだけど、僕はその部分が妙に気になった。

「ダニーさん、神事の廃止って……?」
「ん? ああ、オレの生まれる少し前……五十年くらい前だな、聞けば遺跡での神事中に突如凶悪な魔物が出たんだと。王国騎士団に倒されはしたが死傷者が多かったのと、いつまた似たような魔物が現れるかもわからないってわけで、以来遺跡での神事はなくなったんだよ。まあ、守り神を称える心は廃れちゃいないがね」

 うんうんと一人首を頷かせるダニーさん。
 神事の廃止だなんて街では苦渋の選択だったのかもしれないけど、さすがに犠牲者が出てしまったならそれも致し方ないのかもしれない。
 でも花祭りはすごいみたいだし、神事の代案としては十分心が込められてると思うから、その守り神も納得してくれてるんじゃないかな。

「あれ? だけど神事が行われてたってことは、サーガ遺跡は元は神殿だったんですか?」
「いや、元が何かは正確にはまだわかってないんだよ。だがまあ確かに奥に祭壇のようなもんがあるからそのようだ……と調査団の方では見立てているそうだ」

 国の方で全国的な歴史考証の見直しが推奨されて、ずっと放置されてた遺跡に調査の手が入ったのは近年の事らしい。
 そのおかげでサーガの街は、遺跡調査の人員や遺跡見学者が訪れ潤っていたそうだ。
 そんな中アンデッドが出て、サイコスライムが出たってわけ。

「因みに、ここ何年かの間で遺跡に魔物が出たことは?」
「いんや。オレの知る限り一度もないな。ああ常住してるスライムは別だがな」

 僕達三人が奇妙な沈黙を続けたせいか、ダニーさんは少し怯んだようにした。

「じゃあアンデッドはどうして突然遺跡に棲み付いたりしたんだろう? ……あと、サイコになったスライムも不可解だし」
「アンデッドに関しては、案外遺跡の奥に魔物召喚陣でもあるんじゃねえの? 遺跡の宝を持ち出そうとする不届き者が現れると発動するとかさ。天罰って感じで。スライムの方は知らないが」

 ジャックが笑って言ったけど、その場は一時静まった。

「……あり得る」
「あり得るわ」
「あるかもしれないな。オレは宝らしい宝を見た試しはないが、現代ではガラクタ同然でも古代の価値観ではお宝っていうもんもあるかもしれないからなあ」
「え? いや、冗談だったんだけど……」

 全くの盲点。
 ダニーさんの話にあった過去出現したって言う魔物に関しても、そういう方向性から発動した召喚魔法のせいだったとも考えられる。

「だが魔物召喚陣か……ハハハ一気に神聖味が薄れるな」

 ダニーさんは引き攣り笑いを浮かべた。
 確かに聖なる神殿には似つかわしくない代物だ。……そこが神殿だとしたら、の話だけど。
 まあ、結論を急ぐのは良くないよね。

「ええとあの、実際見てみないことにはわからないですし、実は僕達遺跡に行ってスライムを退治しようかと。本来は遺跡にいるスライムを一掃するつもりでこの地域を訪れたんです僕達。だから、遺跡について何か情報があれば教えて下さい」
「何だって、遺跡のスライムまで討伐してくれるってのかい?」
「はい!」

 生真面目な口調で応じると、ダニーさんは口元を緩く笑ませてバシバシ僕の背を叩いてきた。ちょっと痛い。

「くうう~っ何だよそこまで考えてくれてたなんて泣かせるぜ。でもクエスト受けたからって気負わなくていい。あんなのは無害だからほっといても大丈夫さ」
「いいえ絶対に絶滅させます! 世界に蔓延はびこるスライムは、絶対悪です!」
「全滅じゃなく、絶滅?」

 一瞬目を点にするダニーさんへ僕は決然とした眼差しで強く頷いてみせた。
 ダニーさんはやんちゃしていた頃の無謀さが培った「やべえ奴レーダー」でもあるのか、こっちの事情を深くは訊ねてこなかった。
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