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13 好きだった人と対立しました

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「うちの事情にまで余計な気を回してもらわなくて結構ですから。ハンターサイドには既に捜索のお願いをしていますし、我が家の私事はジェスター様にはもう一切関係ありません。気を揉んで頂かなくて結構です」

 伏し目がちにして淡々と告げるミリアを黙って見据えていたジェスターは、ややあってフンと鼻を鳴らした。

「ならいい。余計なお節介だったな」
「そうですね」
「なっ……」

 嫌味以上に嫌味なミリアの相槌にはさすがにジェスターも目を瞠って表情を変えたが、いきり立つ程ではないと思い直したのかすぐに平素の冷淡な面持ちに戻った。きっと彼もこれまでとは違うだろうミリアの態度の変化はある程度予測していたに違いない。
 足を組み替え腕を組み直し、ムスッとした顔で執事がお茶の手配と筆記具を手に戻るまで無言を貫くのかと思いきや、彼は徐に椅子から立ち上がって入口の方へと歩いていく。
 ミリアがジェスターの家の造りを知るよりは劣るだろうが、彼も彼なりにこのフォースター家の屋敷の勝手は知っている。過去の吸血鬼撃退の縁がきっかけで両親同士に交流があったので、彼も何度もここに連れてこられていたからだ。
 お手洗いにでも行くのかと構わずにいたミリアだったが、廊下待機のリチャードの存在を思い出して内心慌てて腰を上げた。

 廊下ではなくどこか離れた場所に居てもらうべきだったと悔やんだが、きっとリチャード本人も護衛対象と距離を置くのを承諾しなかっただろうとも思う。

「ジェスター様お待ち下さい。サインもまだですのにどこへ行くのですか?」

 この部屋に止めておくのが最善だと制止の声と共に駆け寄って扉の前に回り込めば、ジェスターは無言でミリアの肩を横へと押し退けて進路を開こうとする。

「ジェスター様」

 ミリアは敢えて平静な声で咎めたが、相手の方はさっさと進んで取手へと手を伸ばした。

(ああもう、リチャードに警戒を促しませんと)

 しかし、ジェスターは思い直したのか取手に触れる寸前で伸ばしていた手を戻すと一歩引いた。
 手間が省けたと安堵した矢先、ミリアの予想に反してノックもなく外から扉が開かれる。
 執事が戻ってくるにはまだ早く、一体誰がと密かに訝しんでいると、開かれた向こう、廊下に佇んでいたのは何とリチャードだった。

「えっ、リチャード?」

 よりにもよってこんなタイミングで扉を開けるなどどうしたのかと焦燥の中に疑問を浮かべた刹那、ガウゥゥ……ン、と廊下に銃声が響き、小首を傾げたリチャードの金の頭髪が数本、回転する弾丸の熱に焼き切られて空中に舞った。

 ジェスターが問答無用で撃ったのだ。

 ミリアには早業過ぎて銃を取り出したのが見えず、ただただ銃声にびっくりした。
 リチャードの後ろの壁には見事に銀のだろう弾丸がめり込んでいる。
 何か余程の理由がない限り、吸血鬼ハンターが人間相手に発砲する事はない。
 ハンターの掟にもそこの点は厳格な規則や罰則があると聞いた事がある。
 だから撃ったのなら、相手は人間ではない者に限られる。

 つまり、前以てのミリアの懸念通りジェスターはリチャードが吸血鬼だと見抜いたのだ。

 見たその時、その瞬間に。いや、廊下に出ようとしたのは既に気配を感じ取っていたからかもしれない。
 何という狩人の嗅覚か。
 彼の行動からして出て行って殺そうとしていたと考えるのが妥当だ。
 しかし吸血鬼の方から現れたので即座に撃った、そんな所か。

 ジェスター・マスタードは全く以て吸血鬼に対しては容赦を知らない男だ。

 そうであるからこそミリアはこれまでの襲撃では護られ今日まで無事に生きてこられた。
 そこは感謝している。

 けれども……。

「リチャード!」

 呆然としたミリアはハッと我に返って少年吸血鬼に駆け寄ろうとしたが、その腕をジェスターから掴まれ引き止められてしまった。

「何です! 放して下さい!」
「行くな。そいつは吸血鬼だ」
「知っていますよっ!」
「は?」

 一瞬怪訝に、そして同時に呆けもしたジェスターは次には目を吊り上げると信じられないとでも言いたげにミリアを見下ろした。

「知っている、だと?」
「そうです! 彼の正体なら私は承知しているのです。何しろ私自身が血を飲ませて彼を助けてこの屋敷に招いたのですから」

 もう痛みはないが、まだ薄らと痕が残っている掌を意識する。

「何だと? 正気か!?」
「正気です。仮にそうではなかったとしても、あなたには関係のない事です。放して下さい」

 静かな眼差しの奥に内包されたようなミリアの敵意に、ジェスターは歯噛みする。

「ハンターとして見過ごせない」
「ハンターでしたらあなたの他にもいらっしゃいますし、必要であれば別の方を頼ります。他の方の手を握るのにお忙しいジェスター様の手だけは今後も煩わせませんのでどうかご安心を!」

 あの最低な夜に当て付けたような台詞に、ジェスターは目元をヒク付かせた。

(気に食わない私から反抗的な態度を取られて、さぞ不愉快に思われているのでしょうね。ですがリチャードは殺させません)

 きっといつかは知られるだろうとは思っていたので、彼に見抜かれる事自体に驚きも抵抗もなかったが、彼はあろう事かリチャードへと不意打ち同然に攻撃した。
 吸血鬼狩りには先制攻撃が有効とも聞くが、見方によっては卑劣とも言えるその方法にミリアは看過できない憤りを感じたのだ。ミリアだって血に飢えて人を襲うだけの理性のない吸血鬼だったなら止めはしない。

 その攻撃相手がリチャードだったからこうも腹が立つのだ。

 ジェスターの纏う殺気が沸騰する湯のように弾け再び銃を構えようとしたので、ミリアは咄嗟に彼の手を振り解いてリチャードを背に庇った。

「退けろ。何故庇う」
「私が何をどうしようと干渉は不要です」
「吸血鬼を野放しにはできない。今すぐそこを退け」
「お断りします。書類にはサインをして後日必ずマスタード家のお屋敷の方へお届けしますので、今日はお引き取り下さい。銃声を聞き付けた他の者が来て見られてもまずいですし」
「この屋敷の者はそれの正体を知らないと?」
「ええ、話していませんし、つもりもありません」
「ならバレた方が好都合だな」
「ジェスター様!」

 ミリアはいつにない大声で彼を呼んだ。その薄い紫の瞳にはハッキリと強い光がある。
 彼女を今にも引っ張って退かせようとしていたジェスターは不覚にも動きを止めてしまった。

「リチャードは駄目です。彼には両親の手掛かりを探ってもらっているのです」

 ここでようやく彼は攻撃的な気配を薄れさせた。ミリアには話していなかったがハンター仲間からの内々の情報として、彼女の両親の捜索は難航していると知っているからだ。おそらく人の領域だけでは見つけられないと彼自身薄々感じ取っていた。日々吸血鬼の動きを注視し襲撃行動を予測しているハンターサイドにも、件の襲撃が全く予期せぬものだったのも実は不可解だった。
 何者かの意図が働いているかもしれない、とマスタード家でも話していた。

「強引に手出しをするのでしたら、ジェスター様は私の敵、親の仇と思う事にします」
「な……道理が通らない」
「道理? それはどこから見た道理なのです?」
「……どういう意味だ?」

 ミリアは彼に向けた初めてだろう見下すような冷笑を浮かべた。

「了見の狭いジェスター様にはわからないと思います」
「何だと……?」

 ミリアは唇に弧を、ジェスターは唇を真一文字に引いて、双方引かず睨み合う事しばし。先に折れたのはジェスターだった。
 まあ、ミリアが降参してしまえばリチャードが危ないので、そもそも彼女に引き下がるつもりなどなかったが。
 もしかしたらその強固な信念を見越して、このままでは埒が明かないと譲歩したのかもしれないし、廊下の向こうから足音が聞こえたので、ミリアの言うようにバレては些かまずいと思い直したのかもしれない。
 そもそも彼は任務でもない昼間に人様のお宅、フォースター家で許可なく発砲したのだ。大事にされると彼自身も立場が悪くなる可能性があった。

「壁の修繕はこちらで手配しますので、どうぞお気になさらずに」
「……後で俺宛てに費用を請求してくれ」

 それには明確な返答をせず、ミリアはリチャードの方を振り返る。

「大丈夫でしたか?」
「うん、大丈夫。ちょっと怖かったけどね」

 そう上目遣いで言ってミリアに抱き付く少年に、傍で見ていたジェスターは半眼になった。

 このか弱い振りをしている少年吸血鬼は、ハンターである彼を挑発するように自ら扉を開け、あまつさえ銃弾を余裕で避けておいて怖かったなどと言うからだ。一体どの口が言うのだと詰ってやりたかった。

「こいつ……」

 普段ジェスターは敵の挑発に乗るような簡単な性格はしていない。しかし何故か猛烈に生け簀かない、とジェスターは思った。
 小さく呟いたジェスターの声から心境を的確に悟った少年吸血鬼が、ジェスターにだけ見えるように超優越的ににやりとしてみせる。その際これも故意にだろうが瞳を赤く戻した。
 苛立ったジェスターはうっかりまた銃口を向けそうになったが、廊下の向こうに足音だけでなく駆け付けてきた執事や他の使用人の姿が見えたので、上着の下のホルダーに銃を仕舞った。
 とりあえずはこのリチャードという吸血鬼が、飢餓欲求に任せて人間を襲うような理性なき低級吸血鬼ではないのを彼は理解している。

 昼日中に動けてしっかりと理性のある吸血鬼など、最も退治に難儀する高位の吸血鬼で決まりだ。

 こうなると仕留めるのはかなり手間だ。
 知性があると逆に裏を掻かれる懸念が生じる。
 いや懸念どころではなく、油断していれば確実性を持ってそうなる。向こうも滅されては適わないと生きるために狡猾に策を弄してくるのだ。まあ吸血鬼を人間と同じ括りの「生きている」と称して妥当なのかは疑問だが。

 高位吸血鬼たちにも序列や階級がある。

 この吸血鬼がどこまで能力を持った古い個体なのか、それも気に掛かった。

 日中に出歩ける吸血鬼など、力を溜め込んだ長命の個体でしかないのだ。

 この吸血鬼が見た目通りの年齢でないのは確実だ。
 そんな普段は巣窟の奥で配下に指示出しをしているような滅多に人前に出て来ない強者が、どうしてこんな人間だらけの場所に大人しく収まっているのかはわからないが、ミリアの傍に置いておくのは危険でしかないと彼は思う。

 もしも人を仲間にしてしまえるような牙の持ち主だとしたら……と考えて、拳を握り締める。

「ミリアは、これがどんな吸血鬼なのか知っているのか?」
「どんな? 人間と共存出来る吸血鬼です」
「共存、だと?」

 馬鹿をぬかせとジェスターはぎりりと奥歯を噛み締めた。そして侮蔑の笑みを刷く。

「こんな化物と一緒に生きていく? ハッそれは一体何の喜劇だ?」

 叔父夫婦の未来を狂わせ奪った憎き吸血鬼。人間だった叔母を吸血鬼へと変えたのは、この目の前の少年のように高位の吸血鬼だ。高位の者しかそんな芸当はできない。
 仇と同じ個体ではないが同じ悪しき種族としてすぐにでも連帯責任で滅ぼしてしまいたかった。
 しかし耐えた。何故ならここで暴れるわけにはいかない。
 きっと準備万端のハンター装備があったとしても、この相手を滅するのは厳しいだろうと冷静なハンターの自分は判断したからだ。しかし感情はそう簡単ではなく、彼は殺意を抑えるのに酷く苦労した。

 ジェスターの生理的とも言える拒絶に、ミリアは何も言わなかった。

 彼女も彼の叔父夫婦の悲劇を知っていたので彼の態度は理解できたからだ。

 ジェスターにとっては幸いだった。もしミリアに反論されていたら感情が爆発したかもしれなかったからだ。憤りに震える拳を力で抑え込むようによりきつく握り締める。

「今日の所は引き下がろう。だが俺はそいつを放置はしない。吸血鬼、貴様も彼女や他の人間に手を出してみろ、寿命がなくなると思え」

 低く発して踵を返す。
 しかし数歩歩いた所で彼は思い出したように足を止めた。

「ああ、合意書は任せる。……全く、吸血鬼を飼うなどどうかしている」

 最後に皮肉気に捨て台詞をも吐き捨てて、ジェスターは今度こそ廊下を歩いて去っていく。

 彼の背中を見やるリチャードは鼻の頭に皺を寄せて面白くなさそうにしていたが、ミリアを横目で見てきた。

「ねえ、もしかしなくても彼がミリアを泣かせて手酷く傷付けた男?」
「……ただ振られただけです」
「ふうん、そういう事にしておこっか」

 あの晩の事は誰にも詳しく話してはいないのに、リチャードはそんな事まで何故か知っているようだった。

 本当に彼の情報収集能力は侮れない。

 ジェスターにも言ったように、リチャードにはミリアの両親を捜してもらっている。

 世間から不自然に思われないよう一応はハンターサイドにも捜索の依頼をしているが、正直な話、ミリアとしては期待という程の期待はしていなかった。

 何故ならリチャードの方を頼りにしているし、彼は吸血鬼として色々と有用な情報網を持っているからだ。

 故に、絶対にジェスターには手を出させないと心に誓っていた。

 何はともあれ、ミリアはホッと胸を撫で下ろした。
 駆け付けた執事たちが険しい面持ちのジェスターとすれ違って困惑した表情を貼り付けていたが、ミリアは「吸血鬼を銀弾一発で倒す場面を再現してもらったのです」とかなり強引な言い訳を口にこの場の出来事を収めた。
 今はあわあわとして白い壁にめり込んだ弾丸と壁の具合を確かめている屋敷の人間たちを尻目に、ミリアはリチャードの頭を一撫でする。

 ジェスターはリチャードを諦めないだろう。

 彼の吸血鬼への執念は本物だ。去り際の本人の言動からもわかり切っている。きっと折を見てまた来るつもりだ。

「安心して下さいね。私が主人としてきっとあなたを護ります」
「あはっ、僕があなたの護衛なのにな。でも、うん、ありがとう」

 リチャードは嬉しそうに微笑んで、ミリアの手を自分の頬の辺りで両手で包み込むと、大事に大事に温もりを味わうようにして目を閉じた。

 実際、その後ジェスターは本当に三日と置かずにミリアの下を訪れるようになるのだが、ジェスターのハンターとしての使命感はミリアにとって最も望まない事態を齎したと言って良い。

 今までは自分の方から出向いて行かなければ顔さえ見られなかったのに、顔も見たくない今は向こうからやってくる。

 人生とは何と皮肉なものだろうと腹立たしくすら感じた。
 そんな彼女の目下の目標は、言うまでもなく吸血鬼に攫われた両親の救出だ。

 そして彼女はリチャードと過ごすうちに、彼同様に吸血鬼と人間の共存のための明確な秩序の構築を強く望むようになっていた。
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