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第12話 偽勇者パーティー再出発

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 ざわざわとした喧騒が耳に入った。
 瞼の裏までチカチカする目をそろりと開けると、にゅっと目の前に白いモフモフが出てきた。
 いや、これは巨大カリフラワーか?
 それにしては手触りが弾力ある真綿のようで…………あれ? これ知ってる気がする。
 カリフラワーではなくて、これって確か――

「――神官長!?」

 カリフラワーがもそりと動いてその下から顔が現れる。あ、良かったちゃんと鼻があるから野菜ではなく人間だ。よくよく見下ろせば体だってある。このフォルムは紛れもなく老神官長だ。
 その長老様は目を輝かせた。

「お久しゅうございます、――勇者様!」
「へ? 勇者様……って俺?」
「ふぉふぉふぉ、他に誰がいるというのです」

 彼は洞窟での顛末を聞いていないのか?
 俺が魔族なのは露見したんだし、さすがに勇者はないだろ。
 と、言うかここはどこなんだ。
 周囲を見回した俺はここが約一週間程滞在した神殿の、しかも聖剣の間なのを悟った。多くの神官や神殿兵士の姿もあり室内は満員御礼状態だ。
 新勇者を決める行列でもないだろうし、この異様な混み様は何事か。

「勇者様、本日は勇者様帰還の儀が執り行われていたのです。聖剣が勇者帰還っぽい兆候を示しましたので、神殿総出でお出迎えを致した所存です」
「……」

 っぽいって何だ、っぽいって。まあだが実際俺はこっちに戻ってきたわけだから的中率はまずまずなんだろうな。

 そう言えば肝心の聖剣はどこに行ったんだ?

 俺はチカッと室内の明かりとは異なる明るさを視界の端に感じてそちらを向いた。

「――っ!?」

 息を呑んでしまった。
 聖剣は思った通りにそっちにあったが、それを手にしていた相手に驚きを隠せなかったからだ。
 意外な相手だったからではなく、その人物を一目見て不覚にも目を奪われたと言っていい。
 目を丸くした俺をそいつは両目を蕩けるように優しく細めて見つめてくる。左右で色の違うこの上なく綺麗な瞳で。

「ブイ……?」

 いや何で疑問形なんだよ俺。

「あんた、ブイだよな?」
「はい、マスター! お帰りなさい!」

 一年ぶりのブイは、確かにブイだった。

 だがしかし、一体全体どうした?

 程良く細身だったのが、兵士として鍛練したみたいに程良く逞しくなっている。

 男っぽさが増し増しで、端的に言うと格好良くなっている。誰もが憧れるような頼れる美丈夫だ。

 聖剣を持って掲げても何の違和感もない。むしろ彼のための剣としか思えないくらいに超絶似合う。
 前は綺麗な顔はしていたが全体的には少し頼りなさがあったのが、今では彼こそがまさに勇者って感じに仕上がっている。

 な、何だろうな、ちょっと緊張する。ブイなのに俺の知ってるブイではないみたいで。

「ああっまたマスターにお会いできて本当に何て言っていいのか……! マスター、見て下さい。マスター命令通りに神殿兵士さん達からガッツリ鍛えてもらって、今や立派な勇者――の従者と認められているんですよこれでも!」
「……うん、え? 従者? 勇者でなく?」

 俺は勇者になれと言ったはずだ。
 しかしこいつは時々命令を聞かない不良従者でもあったっけ。
 今も全く悪びれずににこりとする。

「はい、従者です。何と言っても勇者はあなたなのですから!」
「…………」

 神官長とブイの言葉を踏まえると、世間に俺の正体はバレてはおらず、依然として俺の肩書きは勇者のままらしい。

 ただし、俺が異世界人だとは周知されていて、一度元の世界に帰ってまたこっちにやってきた、とそういう事になっているようだ。
 嗚呼、頭が痛くなりそうだ。

 すると、突然聖剣の間の入口扉が開いて息咳切った誰かが駆け込んできた。

「神官長申し訳ありません遅くなりました。勇者帰還の兆候があると聞き及び、急ぎ出先から帰って参りましたが……――っ、ヒタキ……ああいえ勇者様! お帰りなさいっ!」

 セロンだ。
 え……、だが誰だあれ? セロンなのは辛うじてわかったのに、俺の感覚から言えば誰あれだった。
 こ、神々しさが半端ねえーっ!
 ちょっと何があったハムハム!?
 直視できない清らかさと小動物的な可愛さが溢れ絶妙に調和している。髪の毛のキューティクルもシャラララーンってなってて半端ない。彼の通った傍から誰もがうっとりとなってるしモーゼの海みたいに人垣が割れて道を作ってるー!
 す、すげえ……。例外はブイと神官長くらいか。

「勇者様、やっと再会が叶いました。その節は本当に色々とお世話になりました」

 誰に止められる事なく俺のすぐ前まで駆け寄ってきたセロンからそっと手を握られる。

「あ、うん、セロンも無事で何より。向こうじゃこっちの事何もわからなかったから心配してたんだよな。ああ勿論ブイも無事で良かったよ」
「ゆ、勇者様がこの私を心配してくれているだなんて……っ」
「マスター……っ、私だってあなたをとーっても案じていたのですからね!」

 感極まったらしいセロンが更に接近してきて、俺は肌ツヤツヤでいい匂いもする聖皇帝様にドギマギした。はあ、これじゃあエロドラゴンをとやかく言えないだろ。だがなハムハム! あんたのために世界の果てまでひまわりの種を買いに行ってきてもいい! ……うああぁぁほだされるなあ~!
 神殿の誰も邪魔をしてこないのは、もしや彼が聖皇帝ってもう知られているからだろうか。

「セロンさんっ、マスターに触り過ぎですよ!」

 いつの間にか聖剣を放り出したブイが俺をセロンから引き離して後ろからハグしてくる。
 セロンは放り出された聖剣を一瞥してぞんざいに扱うなーっと激おこハムハムになる……かと思いきや、あっさり視線を外してブイに負けじと正面から俺に抱き付いてきた。

 えー、聖剣の扱い、雑じゃね?

 すっぽり二人の両腕に捕まって、どちらからもいい匂いがした。いつかの、荷馬車で川の字になった窮屈な夜を思い出してどこか暑苦し……いや懐かしくも安心するような気持ちになる。
 そんな一人思ひ出に浸る俺にはお構いなしにブイとセロンが無言で睨み合う。
 この場の誰もが声さえ上げず、固唾を呑んで見守った。
 あの、ねえ、頼むから誰か止めて? こういう時こそ年の功の神官長じゃないの? 年長者として何とかしてちょっ!
 だが助けを求めて見やったカリフラワー爺さんは、じっとりと俺を嫉妬で怨じるような眼差しで見てきた。何で?
 は~~~~。自力でどうにかしよ。

「おいおい再会早々に人前で喧嘩は勘弁してくれ」

 呆れていると、こほんっと神官長が咳払いした。おおやっと窘めてくれる気になったか。

「一年のブランクがあろうと、勇者パーティーとして仲が宜しいのはわかりましたが、皆の前では節度を保つようお頼み申し上げますぞ、――勇者様」
「俺なの!?」

 どう見てもこの二人だろっ。理不尽っ。
 内心涙を呑んでいると、二人は空気を読んだのか俺から離れた。名残惜しそうにはしていたが。
 ブイはぞんざいに扱った聖剣を何事もなかったように拾い上げると、涼しい顔付きでセロンへと手渡した。セロンもあっさりどうもと受け取った。
 近くで見ないとわからない程度だったが、セロンの方は薄く汗を掻いていた。走って来たせい……ではないなこれは。
 ブイめ、こいつうっかりアルファなフェロモン出したな?
 ただしほんの僅かだったのか程近い位置にいないと影響はないようで安心した。
 こんな神殿の大半が集う前でヒートになったらセロンも一大事だろう。冷静に戻るためにも聖剣に触れている必要があったようだ。幸い誰も気付いていないみたいだよ、良かったなハムハム。

「では改めて。マスターお帰りなさい」
「私も改めまして。勇者様お帰りなさい」

 早くも気を取り直したメンタルつよつよな二人から朗らかに笑みを向けられる。
 はあ、と心の中でこの場で何度目かの溜息をついた俺だったが、少し参ったように頬を緩めた。急な展開で正直まだ完全には落ち着けてはなかったが、何だかんだで俺も嬉しいんだ。

「ただいま。元気そうで何よりだよ」

 にっとはにかんだら、二人共余程嬉しかったのか頬を赤くした。

「より大人っぽくなっててドキドキですマスター……っ」
「ヒタキの色気でヒートしそうです……っ」

 それぞれ何か独り言を言ってたが、俺にはよく聞こえなかった。

 この後神官長がその場を上手く纏めてくれて、念願の勇者の帰還だと宣言。神殿は夜までお祭り騒ぎだろう。

 再び望まずも勇者として歓迎された俺だが、魔王で偽勇者とか、何それ。はあ~、どうしてこうなった……っ。

 ああそうだ、セロンは聖皇帝様とはまだバレてはないようだった。とは言え、平神官から地位を上げていたし、見たらわかる通りこの一年の間に神殿の人気マスコットと言うよりは人気アイドル的存在にもなっていて、だからこそ彼の行動を皆邪魔せずにいたみたいだ。加えて、この一年世界各地の魔物討伐を自ら率先してやるようになった強戦士な彼に、ふざけて不埒なちょっかいを掛けるような奴は最早皆無だって。良かったなハムハム。
 それと、重要な点がもう一つ。

『魔王、ヨクヨク肝ニ銘ジテオケ。我ハ貴様ヘハ一切情ケナドカケナイトナ。気安ク我ヲ握レルト思ウナヨ』

 こっちに戻って来てから、何故か聖剣の声が聞こえるようになったんだよ。

 以前はそうではなかったのに、聖剣の力と合わせて異世界転移をしてきたからなのか、或いは異世界転移を繰り返した弊害なのかそうなった。ぶっちゃけ言うとかなり鬱陶しい。

「マスター? 眉間を寄せてどうかされたのですか?」

 俺はハッとして顔を上げた。
 現在は聖剣の間から場所を移して、かつて滞在したVIPルームでブイとセロンと茶を飲んでいる。神官長に三人で積もる話がしたいと頼んだらこの部屋に案内された。しかも今日からまた俺が使ってもいいそうだ。
 因みにさっきからセロンがおかん力を発揮して甲斐甲斐しくも俺達の世話をしてくれていた。こんな光景神官長に見られたら聖皇帝様に何をさせてるんだと大目玉だな。

「いや、そいつが腹立つ事言うからさ」

 給仕を一段落させ椅子に腰を下ろしたセロンの膝上にある聖剣を示すと、セロンも同じテーブルにつくブイも困惑げにした。

「ヒタキ、そいつとはまさか聖剣の事ですか?」
「マスター、聖剣がどうかしたのですか?」
「いや、え? 聞こえてない?」
「何がでしょう?」
「何がです?」
「え、だから、聖剣の声」
「「聖剣の声?」」

 二人は揃って首を傾げた。

「特に何も聞こえませんでしたが」
「私もですマスター」
『フン、我ノ声ガ聞コエルノハ何故カ貴様ダケナノダ』

 ふんって、偉っそうに。相変わらず腹立つな。
 こいつがその気ならこっちももう知らないね。

「あ、へえー、そうか。なら俺も気のせいだったみたいだよ。気のせい気のせいハハハハ~」
『何ダト!? オイ魔王我ヲ無視スルツモリナノダナ!?』
「はー、気のせい気のせい気ーのーせーいー」

 聖剣はさっき皆で聖剣の間にいた時から喋っていたのに誰も反応を見せていなかったから、まさかと思って確かめてみたが、案の定俺にしか聞こえていないと言う何とも奇妙かつ不便な事態が判明した。

 どうして魔王の俺なの? 普通は選ばれし勇者と意思疎通できるものじゃないのお~?

 ホントにこの世界はわけがわからない事案が山積みだ。
 無駄に明るく笑う俺にブイもセロンも心配そうな眼差しだが気にしない。
 聖なる剣は喚いていたが、敵意剥き出しにされてよしよししてやる程俺もお人好しではない。はんっ、魔王の俺が知ったこっちゃないんだよ。

 俺には仲間の三人、ブイとセロンとウシオだけで手一杯です……ってそうだ、ウシオはどうしたんだろう。

 あいつは魔族だから二人とは一緒にはいないだろうとは予想できたが、その通りで神殿にはいない。
 エロドラゴンとブイ兄もどうしただろうか。そっちも少し気になる。

「あのさ、ところで……――」

 俺の疑問は二人からここ一年の話を聞いて解消した。
 洞窟崩壊時、全員が洞窟から脱出でき、エロドラゴンはウシオがお仕置きするとかで首根っこを引き摺ってどこかに連れて行ったらしい。そのウシオは案の定魔族の領地に戻ったようだ。だとすればたぶんドラゴンも魔族領だろう。
 あの場にいた最後の一人ブイ兄は聖剣に執着していたようだが、自分に反応しないのを理解するとショックを隠せなかったらしい。
 加えて、結果的に俺が地球に帰還してしまった原因になった彼をウシオは殺そうとしたらしいが、セロンが止めたそうだ。
 魔族を倒そうとしたブイ兄を人間側としては処罰はできず、かと言って暴力やら尾行などの行動から彼を称賛もできず、結局何もなかったとして解放されたようだ。

 ウシオから俺が魔族なのは口外しないと魔法で誓わされたそうだからそっちの不安はないにしても、本当の勇者が俺ではなく別にいるとリークするくらいはしても良さそうなのにそれもしないのは、要らぬ敵を増やしたくないからなのかもしれない。

 セロンは彼の動向を注視するように密かに配下に命じているそうだ。何にせよ俺としてはできればあまり関わりたくない相手だよ。

 それから、アーシア村はもう生け贄を捧げずに済み平穏を取り戻したと言う。
 後日村人からよくよく話を聞いたそうだが、行方不明だった生け贄の一部は実はこっちの世界の他国に飛ばされていたりもして、密かに手紙が来たり、密かに村ではない所で家族と再会を果たしていた例もちらほらあったんだとか。村に戻るのを避けたのは、生け贄の役割を果たしていなかったのを重々知る当人からすると、平然として姿を見せるのは気が咎めたかららしい。まあ、その気持ちはわからないでもない。

 諸々の話を聞き終えた俺は二人が退室すると早速と一人ソファーに凭れて寛いだ。
 聖剣はセロンが管理してくれている。俺が無視し続けていたら途中からもう何も言わなくなったっけ。

「ふー、何だかまた振り出しに戻ったなあ」

 あの洞窟もどうやら完全に崩落したそうだし、スクリーンは山のような瓦礫に埋もれた、と言うか調査によれば洞窟そのものが異世界転移魔法の構造の一部だったようで、崩壊によりスクリーン自体が消滅した、とそう報告が上がっているそうだ。

 つまりは、元の世界への帰り方も一から探さないとならないのです。

「世界各地に傍迷惑な魔族はまだまだ沢山いるそうだし、また勇者旅になるのか。それも、本当の正体を隠し通さないとならないとか、より厄介な環境下で……」

 もう今から疲れた心地の俺は夕食までと思いポスーッと広いふかふかベッドに全身で沈んだ。しばらくゴロゴロとしていたらウトウトとしていつの間にか眠ってしまった。

『オイ魔王! 聞コエテイルカ? 貴様ズット無視シ腐ッテカラニ!』

 そしたら何か夢にまで聖剣が出てきた。
 現実では間違いなく魘されてるな俺……。

『頑張ッテ貴様ニ我ノ言葉ヲ届クヨウニシタガ、本当ニ聞コエテイルカ? 応答セヨ魔王? 魔王メガー?』

 安心して下さい聞こえてますよ。煩いくらいに。

「現実で駄目だからって人の夢にまで無理やり出てくるの反則だろこれ……」
『オオ良カッタ聞コエテイルヨウダナ。聞コエテイナイノカト焦ッタノダゾ。ソレト、モウ無視ハ止メヨ。……グスン』
「泣くなって……。なら見境なく話しかけてくるのも止めてくれ。煩いし、俺にも体裁ってものがあるんだよ。イヤホンあるならまだしも、この世界で誰もいないのに会話してるとか、猛烈に心配されるだろ」

 それも何で夢でまで聖剣の相手をせにゃならん。

『オオ確カニソウダナ。デハ我モ自重シヨウ。サレド必要ナ時ニハ我ノ言葉ヲ勇者ニ伝エヨ』
「俺はあんたの配下じゃないし、ものを頼むなら相応の態度で臨んでくれ。そうでないならあんたの頼みは一切無視する」
『ウググ、卑劣ナ魔王メ……!』
「どうとでも」

 そんなわけで、聖剣は相応に頼んできて、俺も条件を受け入れた。この先は公共の場所で空気を読まずに煩わされる心配はなさそうだ。
 他には、後々俺は偽勇者を無難に辞したいのでその時は協力しろと要請した。主たるブイを輝かせたい聖剣は勿論了承したよ。
 偽物演技の時には不可抗力ならしょうがないが、そっちの意思で俺への害を留めていられるならそうしてもらうようにも約束させた。

 剣を握る度に掌に怪我をしてたんじゃ割に合わないし、部外者から不審がられ偽勇者露見のリスクにもなる。

 他にも細かい点など諸々を話して気付いたらぼんやり目が覚めていた。

 ブイとセロンをまた呼んで冒険旅の予定を立てながらの夕食後、俺は部屋で一人就寝の準備を整えてベッドに入った。

 無論二人も聖剣もこの部屋にはいない。
 ゆっくり寝かせてくれとお願いしたからな。
 出立の準備や何やでおそらく明日からはより忙しくなるだろうから、今夜は早寝と行こう。
 おやすみーと小さく自分に告げてベッドに入った。





 幸い気が済んだのか聖剣はもう夢に出ては来なかったが、何故だかふと目が覚めた。本能的なものが働いたようだった。

 部屋は暗いし窓の外も然り。まだ完全に夜だな。
 ただ、もう一度眠ろうと言う気にはならなかった。

 ――誰かいる。

 不審者が部屋に入ってきて早々に察知した俺は眠ったふりで動向を探る。
 心臓が口から飛び出すかと思うくらいにドクドクと鳴っていて、相手に心音が聞こえているのではないかと危ぶんで緊張する。
 なーんて、普通そんな訳はないのにな。

「ふふっ、心臓がとてもドキドキしていますね。寝たふりだってバレバレです」

 ……そんな訳があった。

 暗闇に慣れた目が薄ら捉えたシルエットには、上にピンと伸びる二つの長い耳がある。ハハハ相手が聴覚に優れたウサギ獣人だった場合には例外だ。特に狙って聞き耳を立てているようなら尚更に。

「ブイかあ~……びっくりさせるなよ」

 って、何で夜中にまた忍び込んで来てるんですかねこの御仁はッ! その手に聖剣がないからまだマシだがッ。

 本来の持ち主のこいつに代わって管理してくれているセロンには感謝だ。今頃は聖剣を抱き枕にすや~と夢の国だろう。良い夢を、だ。
 さて問題はこいつだ。一年前と変わらず全く油断も隙もないな。
 暗闇で俺が睨んだのがわかったのか、ブイは耳を少しピコピコさせた。うっ、もふもふが尊いっ……ってケモミミ萌えに流されるな俺えええ!

「マスター」

 俺が一人葛藤している間に何とブイはベッドのすぐ横まで近付いてきていた。

 俺はハッとして見上げる。

「ま、さか寝首を掻きに来た!?」

 生憎と寝てない首だがなっ。
 ブイは無言だし暗くて表情が見えない。不気味だ。しかし暗視魔法を使おうと決めたのと同時にブイがベッド端に腰を下ろしたせいで使い損ねた。

「寝首を掻く……? ああ、あなたが魔族だからですか?」

 ブイは一人くすりと笑った。
 どこか余裕と危険を孕んだ大人の男の口調で。そう言えば彼が年上なのを今更のように思い出す。

「ふふふそこは強いて言うなら、寝首を噛む、ですよ」
「噛む? 意味がわからない」
「異世界人のマスターにはオメガバースは関係ないようですけど、関係ないからこそ遠慮なくあなたにマーキングをしようかなと」
「いやいやいやマーキング? 動物か……ってそうだったあんたは獣人だった。しかし、ウサギだよな。草食だろ?」

 俺の中では、マーキングするのは大体肉食動物ってイメージなんだが、実はそうでもないのか?
 草食だと、むしろ逆にマーキングされる方にも思えるし。
 するとブイは小さく苦笑を浮かべた。

「マスターだからこそ言ってしまいますけど、実は私、ウサギ獣人と別種族の獣人との混血なんです。それもおそらくは肉食種族の獣人との」
「へ? それはありなのか? あ、そうか獣じゃなく獣人だと子孫もデキちゃうのか」

 例えば地球では普通に考えてライオンとウサギの合の子なんて生まれないが、この世界は獣人ならそれも可能なんだろう。

「はは、まあそうですね。それでも獣人社会では同種族間でのみ子孫繁栄が認められています。ただし、極々稀に私のような者が誕生するみたいですけども。禁忌とされる異種族獣人との交わり、母親はその禁忌を犯したのです。私の知る限り彼女は掟には厳しい人でしたけど、オメガでしたのでその影響かもしれません」
「え、じゃあブイ兄とは血は……?」
「父親違いになります。父親からすると私は不義の子ですね」
「そうなのか? だがブイ兄はあんたの母親を悪く言ってたような……」
「兄は母親を心底嫌っていましたから、それも仕方がないのだと思います。同腹の私のせいで随分酷い思いもしてきましたし」

 ああそうか、ブイが終始兄に反抗しなかったのはその負い目に起因しているんだろう。
 こいつはホント根が優しいよな。言いたくだってないだろうに俺にきちんと自分を伝えるために口にもしてくれた。
 俺はもそもそと移動してブイの隣のベッド端に腰かけるや、パンパンと軽く背中を叩いてやった。気分を明るく持ち上げるためだ。

「あーその、月並みな言葉だが、それブイは悪くないだろ。堂々としてそれが何かって顔してろよな。生まれた以上はもうあんたの人生なんだ。肉食草食ハイブリッドで文句あるかむしろ進化系で羨ましいだろってさ! いちゃもん付けてくるのがいても俺が加勢するし、むやみに落ち込むなよ?」

 ふ、とブイが静かに笑った。

「進化……ふふっこういうとても目から鱗な考え方はマスターらしいです。ありがとうございます、そうします。それに心強いです。あなたが一緒ならいつだって無敵になれますから」
「あはは、だろ?」

 ブイの重要な出生の秘密を聞いた直後だからか、何となく部屋を追い出す気にはならなくて、俺は何か会話をと考えて些細な疑問を思い出す。

「ああそうだ、昼間あんたもセロンも聖剣を結構雑に扱ってたが、大丈夫なのかあれ? 神殿の人に注意されないのか?」
「ああ、あれですか」

 ブイの声がどこか低く冷たくなる。

「勇者たるマスターが不在の間は戦闘には使えませんでしたので、剣が鈍らないようにするためにも、落としたりして衝撃を与えた方が聖剣に限っては正しい扱いだと、私とセロンさんとで周知させたので全然平気です」

 え……何それどゆこと?

「それはさすがに無理あるんじゃ……?」
「全く全然」

 抑揚のない声が怖いなあ~。

「因みに、何故にまたそんな扱いを?」
「あの剣がマスターの手を傷付けていたからですよ!」

 ブイはこっちを勢いよく振り向くと、俺の右手に存外丁寧に触れてくる。聖剣を握っていた手だ。その掌をなぞったり撫でたりして彼なりに表面に傷がないのを確認したのか安堵の息をついた。
 ……過保護と言うか心配し過ぎと言うか、とは言えどこかちょっと擽ったかった。

「この先あなたが勇者演技をする際の怪我の分も含めての制裁です」
「えーと、それは俺が魔族であれが聖剣だから仕方がないだろうに」

 それに、もうその弊害は聖剣と話し合ってできる限り抑える方向で解決した。まだ話してなかったが。

「いいえっ! そのような理屈で片付けられる程軽い話ではありません。マスターの御身を害したのですし、扱いが雑になるくらいで済むのならラッキーですよ。私も本音ではへし折ってやりたいくらいですからね」
「ははは」

 気の毒に……。初めて聖剣に同情したよ。

「ですけど、心苦しくはありますが、マスターにおかれましては是非この先も勇者役をお願い致します。この私が全力でサポートしますから!」

 頭を下げるブイはまだ両手で俺の手を握り締めている。その温かさにまた少しドキドキが増した。
 ブイの聴覚には聞こえたのか、ぎゅっと握る力が強まった。

「ところでマスター、今の私はどうですか?」
「え、どうって……? うーん、びっくりした、かな。めっちゃ男前になっててさ」
「男前……」

 素直な称賛にブイは思いもかけなかったのかちょっと息を呑んで黙った。だがウサギ耳がピコピコ落ち着きなく動いている。こういう性格可愛いとこは変わってないな。

 そう勝手に和んでいたら、握った俺の手をブイは彼の口元に持っていくと掌側にちゅっと唇を押し当ててきた。

「――はっ!? なななっなに!?」

 指先に伝わる柔らかく温かい感触は、単なる感覚以上のものを俺の心にもたらした。

 まさに旋風。センセーショナルな何かが駆け抜ける。

「ふふっ、なら惚れ直しました?」
「え? いや、惚れ直すも何も元々惚れてないが」
「な……んですって!? ひっ酷いです会わない間に私に冷めたのですねっ。一年前は大好きと言い逃げしたくせにっ、マスターのイケズ!」

 はい? いつ俺が告白をしたよ? しかも言い逃げって……?

「――あ」

 思い出した。スクリーンに呑まれた本当に最後のあの時か!
 皆に向けた言葉だったやつ。

「あ、あれは友情的な意味で言ったんだよ」
「なら、今はどうです? 少しは成長した私に友情以上のものを感じませんか? 惚れませんか?」

 暗視魔法なしでも結構暗闇に慣れた目が、ブイが艶っぽくにやりとした様を捉える。声だって妙に甘ったるい。

「どうなんです、マスター?」

 なっ何だよこいつ、前はヘタレなウサギ君ですーって感じだったのが確信犯的に堂々として狡猾にも攻めてくる。
 しかもそれが様になっていると言うか、押されてしまって突っぱねられない俺も俺だ。

「またあなたに会えたら、今度は絶対に手を放さないって誓ってこの一年頑張ってきたんです。なんて言ってもまだ発展途上なんですけどね」
「え、それでまだ? 十分だろ」
「嬉しいお言葉ありがとうございます。ですけど、私はもっと完全カッコ良くなる予定でいますから、マスターももう逃げられないと腹を括っておいて下さいね?」

 え、それはどういう意味で? 勇者と魔王の最終決戦は避けられないって意思表示?
 もしや俺が魔王だととうとう悟ったのか!?

「あ、あんたはやっぱり俺を倒すつもりなのか?」
「倒す?」

 ブイは変なものでも呑み込んだようにキョトンとなった。ややあって困ったように眉を下げる。そんな顔をすれば以前のブイの姿が重なってどことなくほっとしてしまう。
 それが露骨に態度に出ていたのかもしれない。彼は自嘲するように嗤う。

「マスターは、私が弱い方が良かったですか?」
「え……と、いや、あんたは勇者だし、そんな事はないが……」

 まるで俺の本心を読んだかのようにブイは瞬きすると、瞼の下からはいつにない鋭い眼差しが現れる。
 全くその気持ちがなかったとは言えなかった俺はハッとして思わず目を逸らしてしまった。うわーやらかしたよな俺。
 かつて、勇者から逃げたい反面、気持ちのどこかで俺が護ってやりたいとも思っていたのは事実。今思えば傲慢だったよな。

「私は弱いままは嫌です。護られるだけは嫌でしたので、前に進みました。この手に欲しいものを自らで得られるようになるために。護れるようになるために」
「ブイ……ごめん、あんたの強くなりたいって気持ちを否定したかったわけじゃない。今の強いあんたになら背中を預けられる安心感があるよ。不安なく一緒に戦えるだろうな」
「ありがとうございますマスター。あなたが偽勇者な限り、私は魔王を討伐しませんのでご安心を!」
「へ? それは大丈夫なのか? 不信感が募るんじゃ?」
「こちらの真意を周りに悟らせなければいいだけです。私はできるだけ長くマスターと勇者旅をしたいのです。魔王を討伐してしまったら終わってしまいます」
「ああそう」

 現状、俺はブイから魔王として倒されはしないらしい。はー良かったー。

 ――だが、たった今押し倒されました。

「へ? ――何事っ!?」

 ブイからベッドに組み敷かれ見下ろされる。相手の予想外の行動にびっくり仰天して目を見開いたまま、俺は動けなかった。

「え、あんたこれでも寝首を掻きにきたんじゃないって言うのか?」
「はあ、どうしてあなたはすぐにそっちの方向に思考が行くのですか?」
「いや、俺達勇者と魔族なんだし?」

 ブイは呆れたように嘆息した。

「それ以前に主人と従者です」

 少し顔を近付けてくる。俺は避けるって考えも思い浮かばない。

「お互いの利のための取引関係でもあります」

 また少し互いの距離が狭まった。

「それまた以前に心を持った者同士です」

 もっと距離が近くなる。さすがに息が掛かるくらいに至近にくると俺も照れ臭くなってくる。慣れない雰囲気に胸がドキドキもし始めて内心そんな自分に戸惑った。顔に血が集まってくるのがわかる。

「あああのさ、ブイ?」
「あなたが好きです」
「ああそう……――ってはいい!?」

 ブイは顔を寄せ、動転している隙を突いて俺のおでこに口付けた。

「ですから、今はまだこれだけで我慢します」

 諸々のショックでポカーンとなる俺の間抜け面が面白かったのか、ブイはくすりとして微笑んで上から動いた。

 今、俺は、告白をされて、でこチューをされた……んだよな?

 ブイから。

 心臓が煩いくらいに早鐘を打っていて、だがそれは決して嫌な高鳴りではなかった。

 俺は全然予期していなかった。

 天敵同士まさか恋愛関係だけはないだろうと無自覚無意識にも思っていたせいか、蓋をしていた。

 それなのに、こいつは躊躇いなくその蓋を素手で空手の技みたいに割ってきた。チョーップ、て。

「マスター、私はあなたに私を好きにさせてみせますからね。ですから、今夜は添い寝券一回分使わせてもらいます。どれ程私が傍らにいるのが心地いいのかを、実際に身を以てわからせてあげたいと思います」
「え……」

 それはどこまでするのを意図しての添い寝だよ?
 今はまだでこチューで我慢じゃないの……?

「私を追い出すのは無理ですよ。何度だって夜這いします」

 なあ、夜這いの意味わかって言ってる? 貞操の危機しか感じないんだが?
 ぬぬぬ無理やりにでも叩き出すか?
 ……。
 はーーーー、と俺は盛大に溜息を吐き出した。

 感情は半分半分。

 いや、49対51か。

 だから、追い出さない。

「マスター?」
「でっかいベッドで良かったな。二人でも余裕だろ?」

 俺はベッドに横になってポンポンと隣を叩いて手で促した。

「本当に純粋に添い寝だけだからな? わかったな?」

 まだ、今は。

「はいっ! マスター!」

 見る間に表情を輝かせたブイは大いに喜んで子供みたいにベッドで跳ねたから、俺も一瞬浮いた。大人しくできないなら添い寝不可って怒ったら静かになったから良かったよ。

「ブイ、おやすみ」
「おやすみなさい、マスター」

 いつもとは違う夜。俺は隣に寄り添ってくる温もりを心地よく思いながらゆるりと瞼を下ろした。

 …………寝れない。

 散々意味深な発言を咬ましておいて、ブイはもう健やかな寝息を立てている。ついつい苦笑がこぼれたよ。

 ブイを眺めるそんな俺に悪魔な俺が囁き掛ける。

 少しくらい耳をもふってもいいよな、と。

 いやいや寝込みを襲うようで駄目だろうそれはと真面目に窘める脳内天使ヒタキも出現した――が、ブイが寝返りを打ってもふもふ耳がより近くに来た途端、あっさり悪魔ヒタキに負けた。
 誘惑に駆られてそっと手を伸ばす。
 あと僅か。毛の先が指の腹に触れそうで――……。

 まあ、そう世の中上手くはいかないよな。

 そのすぐ後に寝間着セロンが聖剣を抱えて「ブイさん抜け駆けは許しませんよっ。ヒタキは私の事が大好きなんですからねっ。一年前そう言われましたから!」と駆け込んできたんだ。
 セロンも俺が告白したと勘違いしていた口だった。

 プラス、よりにもよって寝ている相手の耳をもふろうとしていた俺は、現行犯で見つかったみたいにかなり焦った。

 あたふたとなる俺の横で何事かとブイも起きて、セロンに気付くと不機嫌そうに彼を睨んだっけ。

 すったもんだの結果、ブイとセロンと三人でベッドに横になった。
 今度は大人しくしていよう安眠だ。毛布の取り合いにだけはならないでくれよ?

 しかし、俺がうとうとし始めた頃だった。

 ドカーンと大きな衝撃音がした。

「なっ何だ!?」

 結論を言うと、今度も侵入者だった。
 何と俺の帰還を察知したウシオが魔族領からやってきて派手に壁を壊したんだよ。

「酷いよヒタキ君っ、それも二人とだなんて! 大好きって告白してくれた僕という恋人がありながらーーーーっ!」

 嗚呼、ここにもまた一人。
 最悪なのは、ウシオの神殿全部を破壊しかねない憤慨ぶりのせいで、真夜中なのに神殿は即時臨戦態勢だ。
 慌ててウシオを叱って人間姿を取らせて、駆け付けてきた神殿の皆にはどうにか怪しまれずにやり過ごせたが、ウシオはそこはかとなく故意に身バレしそうなんだよな。
 洞窟でも行動が怪しかったし、ここに留め置くのは危険だろう。推察と直感が半々にそう思う。
 故に、事が明るみになりより状況が悪化、つまり魔王と身バレして立場が追い込まれる前に保険だと、俺は決意した。

 今すぐこっそり勇者旅に出よう、と。

 ブイ、セロン、ウシオの三人にはそう意思表示した。反対されても俺一人でも行くと頑固にもな。

 あと、あれは恋愛的な告白ではないとも釘を刺しておいた。

 そんなわけで夜逃げするみたいに神殿を後にしたよ。神官長には一筆残したからまあ誘拐や失踪と誤解される心配はないだろう。

 三人はすんなり付いてきた。

 予想はしていたが、全員本当にいいんだろうか。振り向かせる宣言してきたブイはともかく、他二人も妙に何かに燃えているように俺を熱い眼差しで見つめてくるんだが。友情だと理解してくれたはずだよな?

 もう一つ、またこそこそとブイ兄が尾行してきた。

 一体どこから監視してるんだかは知らないが、実は屈折し捻くれた愛情を抱く隠れブラコンだったと言われても俺は驚かないよ。

「よーし! いっちょ頑張って行こかー!」

 もう夜明けの近い夜道でそう意気込む俺だが、地球へ帰る新たな方法を見つけて帰るまでは、この先も色々と苦労は絶えないんだろうなあ、と何となく呑気にも思った。

 帰れないかもとの悲観は不思議としていない。
 こっちでくよくよ考えても戻れるわけではないし、致し方ないからというのもある。
 俺の不在の間、せめて玄関に残したエコバッグのお菓子を弟妹達が見つけて食べてくれていると幸いだよ。

「お、ようやくの日の出!」
「わあ、綺麗ですねマスター」
「ヒタキと美しい日の出と一日の始まりですか。何か良い事がありそうですね」
「ヒタキ君との朝はどんな朝でも格別だよ! ……蟻んこ共がいなければもっとね」

 俺に向けられる三者三様の笑顔。
 この世界でどんな物語が待っているのか、実は結構楽しみだったりもする。

 こうして、俺の再びの偽勇者旅は始まった。

 癖のある、大好きな仲間達と共に。
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