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1辺境の墓守

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 空に薄く白く二つの月の昇ったとある辺境の夕暮れ。
 俺は座っていた丸太の椅子から腰を上げる。

「そんじゃーそろそろ出てくるわ。皆くれぐれも今夜は酔っ払ったりしてうっかり外に出るなよ? いくら俺でもあの広さを一人でじゃあ見逃しがあるかもしれないからな。高い壁が隔てているからって油断は禁物だ。何かの理由で敷地から逃げないとも限らない。つまり、外にいたら命の保証はしないからな?」
「お、おう毎年の事なんじゃからわかっとるわ」
「ま、全くロキはいつもオラ達を怖がらせるんだからなあ」
「あのなあ、俺は誇張でも冗談でも、ましてや肝試ししているわけでもないんだからな。真剣な話なの。わかってるのかよ?」

 金色の目を眇めるまだ二十歳にも満たない俺みたいな若造の脅しに、この町ルバ唯一の酒場に集った年長の面々はわかっていると口々に頷きながらもごくりと固唾を呑み込んだ。ベールのように薄く漂う恐怖に居住まいを正す者もいる。
 そんな店の連中を不遜にもあっさり背にして俺は入口を出るとその扉に一枚の札を貼ってやった。
 見た目は子供の落書きみたいな模様だが実は規則性があって、この国の聖都に卸しても通用する聖なる魔除けの札だ。暇潰しに俺が自作した。

「おやっさーん、この扉は今夜はもう開けんなよ。札付けたからさ。もし今から誰か家帰るとかで出るなら裏口から出てくれよな」

 外から声をかけると、中から「わ、わかった。皆も帰るなら今のうちにそうしてくれ」とややぎこちないながらも僅かな安堵の滲む店主の声が返った。
 彼らはこんな札一枚にも安心するらしい。
 微力しかないから俺から見れば単なる気休め。本当に厄介な相手には効力は期待できないだろう。まあ不安を煽る必要はないから言わないが。

「今夜を乗り切れば、明日からはまた一年たっぷりだらけてられるなー」

 真っ赤な太陽が遠くの山の端に沈みゆく空の下、今の太陽と同じ色の短めの髪を揺らして、誰一人歩いていない小さな町の大通りをのらくら進む。
 ルバの町の中心から離れた人家のない方面へと。
 視界の先の緩やかな丘に広がる……いや、国内各地から運ばれてくる行き場のなかった棺が埋葬され日々面積の拡がっていく、大規模な集団墓地を目指して。

 俺はそこのたった一人の墓守だ。

 墓守の仕事は基本年中無休だが、町の誰も死なない日や棺の来ない日が続けば毎日が休みになる。逆に沢山埋葬しないとならなくてハードな日もあるが。
 暇になっても勤勉な奴なら雑草を抜いたり枯れ葉を掃いたり墓石を磨いたりと案外多い雑務をこなすだろう、が、俺はそこまでするのは御免だ。そんなだから怠け者墓守と町の皆には呆れられている。
 まあしかし解雇されたり怒られたりしないのは、俺がこの広大な墓地の雑草だけは綺麗に短く管理できているからだろうな。裏技があるんだ裏技が。

 流れ者だった俺がこのルバの町に来て早五年。町にほとんど変化はない。

 馬車すらほとんどないし、雨が降れば泥濘が沢山できる土の道しかないこの町は、多くの馬車の行き交う石畳で綺麗に舗装された聖都と比べるとそこからして生活水準はガクンと落ちるが、俺はその不便さがむしろ気に入っている。
 このルバの町は国境沿いに何も育たない異国の無辺の荒野に接し来訪者は年に数人いるかいないかで、聖都なんかの主要都市から遠く離れているから最新情報にも疎く、平均年齢もかなり高い。
 ま、限界集落だな。だがしかしのんびりしていて優しい。人情がある。お節介や世話焼き老人の多いこの地の気質は好ましい。
 俺がここに来た時は今より背も低いまだ子供だったから余計に面倒を見てやらないとって思ったのもあったろうがな。おかずのお裾分けは毎日じゃないまでも頻度は高く毎度毎度正直とても助かっている。
 そうやって、皆が俺を気遣ってくれるように俺も墓守としてこの地の平穏を守りたい。
 少なくとも、俺の願いとあの人の願いが叶うまで。
 いや、叶ったその後だって、何年でも。





 土の道をのらくら歩いて町外れの巨大墓地につく頃には夜になった。俺は墓地入口の堅固な門の鍵を開け、中の見えない両開きの門扉を細く押し開いて素早く敷地内に滑り込むと、ピタリとまた門を閉じて内から施錠した。

 不用意に俺以外が入ってこれないようにするために。

 この墓地は敷地一周をぐるりと高い壁に囲まれていて、俺でも道具も何も無しにはよじ登れないくらいに高い。まあよじ登らないといけないようなそんな緊急事態にならない事を願うが。
 俺はしかと鍵の掛かっているのを確認してから、次に門脇の物置小屋からスコップを一本持ち出した。主に新たな墓を掘る際に使用する道具らが物置には入っている。

「月はあと少しで重なるか」

 俺の国じゃ年に一度、一晩中二つの月の下で先祖の墓前に集い死者の魂と語らう風習がある。その日は天から先祖の霊魂が戻ってくるなんて信じられている。
 勿論、天国に行った善良で未練のない者の魂がだ。

 その日を聖なる白き夜、ホワイトナイトなんて呼ぶ。

 実際、墓場はキラキラと来訪者達が運んだ白い明かりで満たされるからホワイトナイトと呼ばれるんだろう。

 しかし今夜は違う。

 二つの月が年に一度完全に重なり一つになる日だ。

 聖なる月の加護が半分失われる夜、邪悪が力を強める闇深き夜――ダークナイト。

 故に、人々は絶対に家から外へ出てはならない。
 成仏できず、未練を残した死者達が墓の下からゾンビとなって蘇って生者と見れば喰らうからだ。
 生きた屍が徘徊する墓場には当然誰も近付かない。

 俺みたいな墓守は別として。

 どうして別か? 墓守は祓魔師ふつましでもあるからだ。エクソシストや退魔師とも呼ばれる。

 五年前、この町に流れ着いたばかりの俺が墓守ができるからここに置いてくれって言ったら、その場にいた町人達は嘘だろって全員目を丸くしたものだった。まだ十二、三の子供が祓魔師ですって名乗ったんだからそうだろう。巷じゃ若くても二十歳を過ぎているのが普通だからな。

 墓地の入口付近で待っていると、とうとう月が一つになり夜が濃さを増した。

 するとどうだろう、待ってましたとばかりに墓地の奥底から不気味な音が複数聞こえ出す。生前じゃ到底あり得ない力で棺の蓋を割ってボコボコと死者が土から手を突き出し這い出てこようとしている音だ。
 俺は大小の墓石の立ち並ぶ先を見晴かするように手を翳した。

「おー、今年もわらわら出てきたなー。ん? あれは先月死んだ角んとこの爺さんじゃないか。へえ、あのエロ爺さんにもこの世に何か思い残した事があったのか。はは、女の尻を追いかけ足りないとかじゃないよな? ……いや有り得る」

 未練が死者をゾンビへと変えるが、いつ蘇るかはその故人故人で異なる。

 あの爺さんみたいに死んで直近のダークナイトってのもいれば五年十年経ってからなんてのもいる。
 そんなわけでゾンビには人間の腐敗研究に役立ちそうな新鮮なのから古いのまでいるからある意味バラエティーには富んでいる。見ていても全っ然面白くはないがな。

 薄い雲が遮り始めた一つ月の頼りない明かりの下に俺は危なげなく走り出す。夜目が利くのも祓魔師の特技というか厳しい基本訓練の賜だ。
 俺はやや走ったところで手に持った大きなスコップをフルスイング。
 墓から這い出て一番近くに迫っていた一体のゾンビが真横に吹っ飛んで一時的に動かなくなった。一時的ってのはゾンビだから基本的に首が折れようとも死なず折れたまま再び動き出すためだ。だってもう死んでいるからな。奴らはこのダークな夜の間はずっと動いていられる。
 ゾンビも元は人間だが、知り合いだったからと手加減すればかえってこっちが死ぬ危険もあるので情けは無用。徘徊するゾンビには人間らしい理性なんて最早ありゃしないんだ。未練と欲望のみ。

 たとえ親兄弟でも俺は遠慮なく殴り倒すだろう。……まあ親の顔も兄弟がいるのかも知らないが。

 案の定俺の飛ばしたゾンビは震えるようにして腐った体を起こそうとし始めた。まあダメージなんてあってないようなものだ。ゾンビ相手には腕力だけじゃ切りがない。
 ただまあ不幸にも高い壁がなく墓守もいないような所は腕の立つ者を集め、延々と殴り倒しそれでどうにかダークナイトを乗り切るらしいがな。ゾンビは朝になれば動かなくなるからそれまで体力勝負で踏ん張るってわけだ。
 まあそうは言ってもボカをやったら命はない荒事を一般人が進んでやる方が珍しい。だからこそ俺みたいな祓魔師墓守が重宝される。

「まずは一体目」

 俺は指先に集中し、ジッポライターを擦るみたいに指を鳴らして空中に狐火のような大きさの黒い炎を出現させると、吹っ飛ばしたゾンビへそれを放った。炎が命中して着火したゾンビはあっという間に全身が黒炎に包まれ灰になる。
 ああなればもう安全安心。何しろもう単なる灰だからな。

 祓魔師の扱う特殊な炎でなければゾンビは土には還らない。

 一度ゾンビとして目覚めた者は厄介にも滅さない限りダークナイトの度に起き上がる。それ以外の日々は文字通りの動かない屍になっているだけだ。
 道端とか変な所に腐乱死体が転がっていたらほぼほぼそいつはゾンビ化した奴だな。そういうのを見つけたらさっさと土に還してやるのも祓魔師の仕事の一つだ。

 グアアアーッ!

 一体倒したばかりだが、息つく間もなく別のゾンビ達が生者の俺を喰らおうと襲い掛かってくる。

「ははは、今夜はこの俺のために集まってきてくれてどうもありがとーう。たっぷり俺の熱いものを味わってくれーい!」

 動き回られて炎の命中率が下がると効率も悪くこっちも無駄に体力を消耗するってわけで、俺はとりあえず一度ゾンビを地面に沈めるようにしている。無論スコップで。損壊の激しいのもいて素手で殴るのは生理的に無理だからだ。
 何故にスコップなのかは、ここの墓守をやってきたこの五年での経験から一番スコップの使い勝手が良かったからって単純な理由だ。

 二体目三体目四体目と連続で殴り倒して消滅の黒い炎――滅炎で未練ごと無に帰してやる。

 これは祓魔師の使う炎の中でも最下位の炎だ。

 要は祓魔師なら誰でも使える基本中の基本炎ってやつ。大半のゾンビはこの炎で事足りる。

 俺は広大な墓地の中を駆けずり回って蘇ったゾンビ達を片っ端から滅していった。殴っては燃やし殴っては燃やしを何度繰り返したかはもう覚えていない。

 その夜、俺はたったの一人でこの墓地に蘇ったゾンビ達へと容赦なく滅炎を贈った。
 死者達を鎮める。それが墓守である俺の最大の仕事。ここにいる意義だからな。

 空が白んでようやくダークナイトが終わりを告げた頃、誰のとも知らない古い墓石の上に座り込んで休んでいた俺はヘトヘトの体とスコップを引きずって墓地入口へと歩き出す。
 この墓の住人はたぶん前にゾンビ化して滅したんだろう。棺のある場所にぼこぼこ穴がある。こういう墓からはもう何も出てこない。

「はーーーーあ。今年も何とか無事に終わったー。ここの墓地は物凄く広いから本当に疲れるわー」

 途中一休みにまた墓地の真ん中で足を止め、朝霧の薄く漂う墓地に一人佇んだ。土の臭いと微かな腐臭、焦げた臭いが消えるまでは一日程度はかかるだろうが、荒野に抜ける風のおかげでこの広さなのにそう何日もかからない。
 俺は地面に突き立てたスコップを支えに暁過ぎの空を見上げる。

「たぶん今夜は墓地の外には出てないだろうし、帰ったら即寝よ」

 もしも壁をよじ登って逃げたのがいても、今頃は動かない屍に戻っているだけだから見つけたら改めて燃やしてやればいい。町の住人は家の中で縮こまっているはずだから襲われる心配もない。不思議とゾンビは家屋には入らないからな。家人に招かれないと入れないって言われる伝説の吸血鬼みたいだな。

 俺はスコップを物置小屋に戻すと墓地を出て、伸びと欠伸をしながらお世辞にも豪華とは言えない借家へと向かった。

 そして、真面目に眠くて半分寝て歩いていたせいか、ふらふらしていた俺はその帰路で行き倒れを踏ん付ける羽目になる。





「……ん、何だこれ?」

 俺の靴の下になっていたそいつは、何故か町道から俺の家に繋がる曲がり道を入ってすぐの所に倒れていた。あたかも敷地内に辿り着く寸前で息絶えたかのように。両手を前に放り出してうつ伏せに。

「びっくりしたー」

 驚きの色のない俺の声だが、これでも少しはギョッとした。だって外の道端で人を踏ん付けるなんてそうないし。しゃがみ込んでよくよく見てみると胸が上下しているから生者だとわかってホッとした。正直一瞬ゾンビかそれに喰われた奴かと思った。
 襟足より少しだけ長い銀の髪が早朝のまだ心許ない光の下じゃどことなくぼんやり滲んで白髪にも見える。

「この珍しい髪の色……町の住人じゃないな。にしても何でこんなとこに倒れてんだよ?」

 俺の家は墓守をやっている性質上この町で最も墓地に近い場所に位置している。暗くて向こうに墓地があるのが見えなかったのか? それとも知っていて敢えてこんな危険な夜にここまで来たのか?
 ゾンビが逃げて徘徊していたら喰われていたかもしれないってのにな。ダークナイトに行き倒れるとかマジで図太い。

「ん? だがこいつ……司教みたいな服着てないか?」

 だいぶ薄汚れてはいるが、長袖長裾で首回りをしっかり覆う襟元の高いかっちりした形状の衣装はまさしくそれだ。聖都の聖職者の正式な白い制服、それも襟元の銀糸での刺繍から見て司教の法衣だ。地位によって金糸や青銀糸と異なる色で刺繍がなされるから、知っている人間が見れば偉さが一目ですぐにわかる。
 司教か。は、聖職者なら魔除けなんて腐る程持ち歩いているだろうな。旅先で売って路銀に変える奴だっている。
 だからダークナイトでも平気で出歩いてたのか。
 ここに行き倒れている理由は不明だが。

「刺客を送られる心当たりはないしなあ。人手不足でこんなとこまでスカウトしに来たとか? しかし俺はもう聖都の名簿には登録されてないはずだが……」

 流れの一祓魔師を狙う奴なんて普通はいないし、聖都から能力不足と除籍された祓魔師の居所をわざわざ調べる暇な人間もたぶん居ない。
 俺は銀髪男を見下ろして不穏に目を細めた。
 いっそ埋めるか? いやトラブルはよそう。

「……よし、放っておくか」

 外部の余計な人間には関わらない。そうやってこの五年俺は無難に生きてきた。
 さっさと家の中に駆け込んで鍵を掛けてベッドにダイブしようと決めて踵を返そうとした矢先だ。

「ま……待って……」

 何と行き倒れからがしりと足首を掴まれてしまった。俺の気配がそうさせたのか意識を取り戻したらしい。

「…………ああくそ」

 もう見て見ぬ振りはできそうにない。仕方ないと俺は気が乗らないまでもゆっくり振り返る。
 俺から手を離した相手はよろよろと半分身を起こしてこっちを見上げた。
 見た目はまだ若そうな男だ。十八の俺と同じくらいの。

「その赤毛……金の瞳も……、まさか本当に……ロキ、君……?」

 危うくもう少しで表面に何か動揺を見せるところだった。

「は? 誰だそれ? 人違いだ。それじゃあなー」
「え……あ、ロキ・レイバーン君、です……よね? 僕です、オーディンで――っ!?」
「――お前、その名をどこで聞いた?」
「かはっ、ぐ……っ……ぁぐっ」

 仰向けにして地面に押さえ付け首を絞めていては相手の返答を聞けないのだと思い至り、投げ出すように手を離す。ゴホゴホとそいつはへたり込みながら激しく咳込んだ。涙目なのは首を絞めていた時に生理的に滲んだからだろう。
 そいつが少し落ち着いただろう頃合いに俺はまた静かに問い質す。

「オーディンの名をどこで聞いた?」
「けほっ、で、すから……こほっ、僕が、オーディン、です」
「ふざけるな。オーディンは……死んだ」
「僕は、死んでいません。あなたが勝手にそう思い込んで去っただけです」
「はっ、馬鹿な。そもそもあいつはそんな髪じゃない。それに、こう言うと悪口みたいだが、落ちこぼれでたとえどんなに鍛えたとしても、その白制服を着れる日は来ない奴だった」

 早々に偽物だと見抜かれた動揺か、そいつは言葉を詰まらせて瞳を揺らす。まるで炎に、或いは俺の髪色に準じるような赤い瞳を。
 俺の知るオーディンは黒髪に黒い瞳だった。
 銀髪赤眼のこいつとは似ても似つかない。
 こいつの堂々とした表情も物言いも、おどおどしていたオーディンのそれとは正反対だ。柔らかな顔立ちとどこかふわりとした物腰が少し共通しているくらいか。俺の記憶の中の少年も五年経てばこんな風な顔立ちにはなるのかもしれないが、こいつは俺の知らない別人だ。

「……この髪や目は、ロキ君あなたのせいですよ」
「は?」

 よろめきながらも立ち上がったそいつは真っ直ぐに俺を見つめてくる。
 しかも何を血迷ったのか、いきなり服を脱ぎ始めた。

「お、おい何を……?」

 町の誰かに見られてあらぬ誤解を受けたくはないぞ俺は!
 お歴々達から野外でか、若いのぅ~とかニヤニヤされたくもない! 精の付くもんだぞ~って夕食のお裾分けにマムシなんて出されたらどうしたらいい?
 もうダークナイトは過ぎたからと安心して散歩に出た誰かに目撃されたらそんな冗談みたいな事を本気でやられかねない。
 そんなわけで俺は目撃される前にと男を引っ掴んでとりあえず家の玄関に入れてやった。

「おいお前、半裸男、さっさと服を直せ」

 苦々しい顔で言ってやれば、相手は顔を曇らせた。

「ですけど、僕がオーディンだという証拠を見せないと納得しないでしょう?」
「……はー、もうどっちでもいい。お前が真実そうでもそうでなくても、今の俺には関係ない。だから服直してさっさと帰ってくれ」
「そんな……折角また会えたのに……」
「俺は教会組織からは抜けた身だ。その服は聖都の正規の司教だろうお前? 俺はお前のような人間とは関わりたくない。わかったか?」

 憎々しげに言ってやれば、男は悄然として服をきちんと着直したが、俺が親切にも玄関の戸を開けて待っていても出て行く素振りはなかった。

「おい、帰れよ」
「ずっとロキ君を捜していたんです。あの赤き夜以来のこの五年ずっとです。まさかこんな辺境にいるとは思いませんでしたけど」

 俺の中で警鐘が鳴る。奴はこの五年と具体的な期間を口にした。
 加えて、赤き夜とも。
 世間で赤き夜を指す夜は一夜しかない。
 その夜の月は過去に例がない不可解な程に赤く染まり、まるで血のようで不気味ですらあったとされている。
 こいつは五年前の赤き夜に起きたあの事件を知っていて、しかも俺をも知っている。

「……誰の差し金かは知らないが、殴られたくなかったらマジでもう帰れ」

 敵意だけじゃなく殺気さえ孕んだ俺の低い声に相手はピクリと肩を揺らした。

「ロキ君……僕だけじゃなく、ラグナ様もあなたを捜しています。それにルーベン師匠の――」
「――何も知らねえ奴が師匠の名を口にすんなっ!」

 気付けば蹴り飛ばしていた。勢いよく玄関の外に転がった相手は苦しそうにまた咳込んで鳩尾辺りを押さえて丸まる。

「俺はこの町の墓守だ。中央には興味もない。親しくもない昔の知り合いにもな。お前が何者だろうと、もう金輪際話し掛けてくるな」

 返答を聞く気もなかった俺は玄関を乱暴に閉めた。
 あとは奥の寝室に行ってベッドに予定通りにダイブして目を閉じる。
 しかし体は頗る疲れていたのに、日が空の真上まで高く昇り切っても一睡もできなかった。

「……くそ、眠れない。あいつのせいだ。この町にいて他人の口から師匠の名前を聞くとは思わなかった」

 ルーベン師匠の名を耳にして胸中に広がるのは痛みだ。
 懐かしさもあるし嬉しい気持ちも確かにあるのに、強い悔恨と悲しみがそれら全てを掻き消した。

「俺が、あの時いなかったせいで……っ」

 だがしかし、いたからと言って何かが変わったかは正直わからない。
 枕に顔を埋めてぎゅっと目を閉じたが、瞼の裏に浮かんだ師匠は優しい笑みばかりで、俺を責める目はついぞしなかった。






~ここからはおまけギャグ~
本編がシリアスなので、本編を使ったパラレル本編でのギャグを少々。

パラレル本編はここから↓
「……この髪や目は、ロキ君あなたのせいですよ」
「は?」

 よろめきながらも立ち上がったそいつは真っ直ぐに俺を見つめてくる。
 しかも何を血迷ったのか、いきなり服を脱ぎ始めた。

「お、おい何を……? 待てやめろって!」

 脱ぎ脱ぎ。

「お、おいいいー何だそれは!?」

 司教服の下のTシャツには、何と五年前の俺だろう顔がでっかくプリントされていた。しかも指ハート作ってるよ!! 最早誰!?

「ロキ君、驚くのはまだ早いですよ」
「え、は?」

 脱ぎ脱ぎ。脱ぎ脱ぎ。

「おいやめろそれ以上は抵触する――って、俺の顔をよりにもよってボディペイントしてるーーーーッ!!」
「えへへ、これぞ究極の推し活ですよね!」
「お前……」
「……ほえ?」

 何が俺のせいなのかも確かめず、俺は自称オーディンを星の彼方に飛ばした。
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