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30 人とあやかしの交錯する星空
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「千尋様は、本気で太陽殿を将来の伴侶とするおつもりなのですか?」
人間の少年たちが帰った屋敷内。
広い畳の和室に向かい合って座る主従は、これより先は冗談も嘘もない話になるのだと了解している。
八巻としては、この問いは一度はしておかなければならなかった。
何故なら、あやかしと人間の関係はまだまだ簡単ではない。
「あやかし界で絶頂を誇っていた九尾一族が何故急にその座から降りたかはご存知でしょう?」
「……千年もの昔、一人の人間が当時の当主と懇意になったのが原因なのですよね」
「はい。そう伝えられておりますね」
一族と一族に連なる者や仕える者皆が必ず学ぶ文献には、歴然とした事実としてそう記されている。
ただし、どのような人間でどうしてそうなったかと言う経緯などの詳細は不明だった。
当時に生きていたあやかしたちは既に滅んでいるか、どこか誰も知らない場所で密かに生き永らえていると言われる。
千年の歳月を超えるあやかしはあやかしと言えども稀なのだ。人間で言えば百十五歳を過ぎた超高齢に該当する。
「千尋様はそれでも太陽殿と添い遂げようと言うおつもりなのですか? 一族の者にはどう説明を? いくら慕っておられるとは仰いましても生半可なお気持ちでは念願は達成できませんよ?」
試すように自分をジッと見つめる八巻へと千尋も同じ強さ、いやそれ以上の強さの眼差しを返す。
「過去にそのような出来事があれ、一族が人間を伴侶とするのは不思議と禁忌とはされておりませんし、一族の中には少数ですが実際にそのような者たちもいるではないですか」
「それは、彼らの伴侶が普通の人間だから黙認されているだけです」
千尋は八巻の言わんとする物事を正確に把握していたが故に、渋面を作った。
正面に正座したままの八巻が軽く溜息をつく。
相当粘着質な、いや純度が高すぎて粘性さえ孕んだ主の想いは理解している。しかしこの恋においてそれは美徳と言えるかと言うとそうでもない。メリットデメリット半々と言った評価を下すのが妥当だろう。
「――太陽様は一族引退に関わった人物と同類の魂をお持ちなのですよ。綺麗過ぎて私も気を抜くと絆されそうでしたし」
「……な、何ですって?」
「ともすれば太陽殿のために生きたいと屈してしまいそうでした」
「よよよよくも堂々とわたくしに向かってそのような破廉恥な戯言を!」
「正直に申し上げましたまでです。普段から感情の薄い私でさえ危うかったのですから、他のあやかしがどう捉えるかもきちんと予測し心しておかなければなりませんよ」
「それは、確かにそうですね」
河童を思い出し、千尋は苦々しそうに息を吐き出した。
「初恋のお相手が陽向殿だと思っていた時は太陽殿を近付けるのも止むを得ないと思っておりましたが、本当のお相手が太陽殿だったのであれば、私も安穏として看過できません。今はお力を取り戻すまでと目を瞑っているだけです」
「その時の人間は当時の当主と親しかったのでしょう。ですがわたくしは別に当主でも何でもない一介のあやかしです」
「いいえ、旦那様は現当主様のご子息ですし、そのご兄弟が頗る多いとは言え千尋様が現在直系の姫であることに違いはありません。ご当主様が後継を定められない限りは立場が付いて回るのです」
「うう……それでも、もう九尾一族は表舞台からはとっくに去ったのですよ。わたくしを縛る縄にはなり得ません。仮にもしもなったとしても、それでもわたくしはあの方をお慕いする気持ちを抑えられないでしょう」
千尋は八巻へと困った顔でふにゃりと軟く微笑んだ。
「もう、太陽様の居ない生き方など、土台無理なのです」
断固たる態度で毅然として言われるよりも、その笑みには余程説得力があった。
もうこの少女は首ったけなのだ。
毒されているなどという表現を持ち出して適切かはわからないが、この上なくあの少年に侵されている。
八巻自身がそうだと思っていたよりも、ずっとずっと根の深い所まで。
「……これが純魂の魅了の力なのか、それともあの少年の持つ天性の魅力なのかどちらでしょうね」
常人なら聞き逃すような八巻の極々小さな独り言は、きっと千尋には聞こえていたはずだ。しかし彼女はどちらとも言及しなかった。
九条千尋にとっては最早どちらでも同じであり、論じるだけ無意味なのだ。
「実は失礼ながらてっきり子供のかなり重い初恋に毛が生えた程度と思っておりました」
「あら全くわたくしを見くびってくれちゃって」
八巻は、わざとらしくツンと澄ました主人をジッと見つめ、ややあって微かに微笑んだ。
「安心致しました。決意は何よりも固いのですね。でしたらこの不肖八巻、目を瞑るのではなく、これからは千尋様の恋をしかとサポートさせて頂きます。無論、お力を取り戻したその後までも」
居丈高にも少しそっぽを向いていた千尋はハッと八巻の方を向いて両目を大きく見開いた。
血の契約もしていない相手からまさかそんな宣言がもらえるとは彼女自身思ってもなかったのだ。
すぐに抑え切れない嬉しさが少女の満面に浮かんだ。
「味方になってくれてどうもありがとう八巻。とっても心強いです。どうかよろしくお願いしますね」
「はい。……それでは早速と耳より情報を」
「ええ、何でしょう」
心なし浮き浮きした千尋が自らお付きの傍に寄って耳を傾ける。
八巻は一つ場を改めるように空咳をしてから厳かとも言える口調で述べた。
「太陽様のパンツは……ごにょごにょごにょ。太陽様の身体つきは……ごにょごにょごにょ」
「なっ、なっ、なっ!?」
よかれと思って告げられた内容に千尋はふるふるふるとわななくと、
「八巻ばかりズルいですーーーーッ!」
涙目になってヤキモチを爆発させた。
「……ふふっふふふっ……うふふふふ、太陽様のパンツと裸をわたくしだってこの目で絶対に拝見させて頂きますわ!」
一切の余計な光の届かない場所が故の満天の星空に、一人のあやかし少女の邪な宣言が上がった。
「――うっ!?」
「兄貴? 何だよ急に飛び上がって……ってまさかハチにでも刺されたのか!?」
「いやいやいやっ違うから大丈夫っ。ち、ちょっと寒気がしただけ」
制服が乾くまで待ってやっと人間界に戻ってきた僕たちは、自宅までの道のりを一緒に並んで歩いていた。因みにいつものバス通りだから、そこから住宅街へと続く横道を折れればまもなく家に着く。
空はすっかり暗くなっていて、歩道には会社帰りの人たちの姿がちらほらとあった。
「飛び上がるほどの寒気って初めて見たな。まあ昨日から今日に掛けて色々あって疲れたのかもな。今日は早く寝ろよ? 温泉入ったからそのまま寝れるだろうしな」
「うんそのつもり。陽向もだぞ、だいぶ無理しただろ」
「いや~あんなの楽勝だって」
「嘘つけ。じゃあお前が寝るまで僕も寝ない」
「……わかったよ。早く寝る」
飄々として答える弟にこっちだって心配なのにと何となく意地で言ってやれば、意外にも効果覿面だった。
「ったくあの狐女、今度会ったら毛皮にでもしてやる」
「こらこら仮にも僕のお試し彼女にそういうこと言うな。頼むから仲良くしてくれよ?」
「それは無理」
「はあ、道のりは長い……か」
弟の意識を変えるには時間も交流も、更には僕の労力も必要だろうなと今から先が思いやられていると、視界の端に赤い光が見えた気がして僕はふとそっちへと視線をやった。
電柱の陰に、何かがいた。
僕たちの方をじっと見つめている。
人間では決してない赤々とした双眸が暗がりにそこだけ底光りしている。
僕より先に気付いていたらしい陽向が威嚇するように睨んだから引っ込んじゃったけど、以前より、今より、きっとこの先々、僕はもっと多くの妖怪たちと遭遇し、時に縁を結ぶのかもしれない。
その時に何を思って何をするかは僕自身にもまだわからない。
だけど、より多くと仲良くできたらいいとそう思う。
「兄貴、俺が付いてるから安心しろよな」
「あはは頼もしいな。単なるオカルト趣味って思ってたのが、ホントいつの間に祓い屋の腕を磨いたんだよ。八巻さんから中々優秀だって聞いたぞ~。この際お兄ちゃんにも伝授しろ~」
「ああ? やだよ。兄貴まで強くなったら俺の出番ねえだろ」
半分ふざけて脇を擽ると「だははっやめろよっ」と脇に弱い弟は前へと逃げて振り返る。
そんな弟に僕は苦笑を浮かべた。
「出番なんてそんなのなくてもいいだろ。無条件で陽向は僕の大事な大事な弟なんだってわかってるか?」
外灯の明かりの届く中、陽向が僅かに瞠目する。
ゆっくり瞬くと次には僕と同じようにやれやれって言いたげな苦笑いを浮かべた。
「兄貴はホント……」
「なに?」
「いや」
そのままくるりと前を向いた陽向の耳が赤い。
……と、またもや今度は住宅の塀の隙間に何かがいるのが見えた。赤い光点が見える。
「兄貴、一つだけ伝授してやると、そいつみたいに目の赤い妖怪は大概善くないモノだから近付くなよ? ……まあ兄貴の場合、無意識に手懐けてることが多かったけどな」
「え、そうなんだ? 知らなかった。教えてくれてありがとな」
最後のボソボソ言った部分は聞き取れなかったけど、そこはきっと僕が妖怪に甘いだとか警戒心がないとかそんなような文句でも言ったんだろう。
僕に付いた千尋さんの気配はおそらくまだまだ濃厚で、興味本位で寄って来るモノノケたちもより増えるだろう。
「――失せろ!」
陽向が塀の隙間に向けて低く短く恫喝した。
妖怪を退散させるような呪がその声には込められているのかもしれない。何しろ得体の知れないそれは瞬間的に消えてしまった。
相手が善くない妖怪なら、あれくらいは僕も自分で撃退できるようになった方がいいよな。
やっぱり後で陽向にもう一度指導を頼んでみるか。
「ちっ、また別なのが寄って来やがった」
「え? あ、ホントだ」
陽向の施してくれた魔除けのおまじないは千尋さんの狐火が表出したせいで無効になってしまったようで、低級の妖怪たちは昔のように僕の傍に現れる。
住宅街へと折れた道にいるのは僕と弟の二人だけなのに、何だか酷く賑やかしい。
だけどそれが不思議と嫌じゃなかった。
ああ、僕の日常は確実に変わってしまったのかもしれない……なんて思って天の星々をしみじみと仰ぎ見た。
人間の少年たちが帰った屋敷内。
広い畳の和室に向かい合って座る主従は、これより先は冗談も嘘もない話になるのだと了解している。
八巻としては、この問いは一度はしておかなければならなかった。
何故なら、あやかしと人間の関係はまだまだ簡単ではない。
「あやかし界で絶頂を誇っていた九尾一族が何故急にその座から降りたかはご存知でしょう?」
「……千年もの昔、一人の人間が当時の当主と懇意になったのが原因なのですよね」
「はい。そう伝えられておりますね」
一族と一族に連なる者や仕える者皆が必ず学ぶ文献には、歴然とした事実としてそう記されている。
ただし、どのような人間でどうしてそうなったかと言う経緯などの詳細は不明だった。
当時に生きていたあやかしたちは既に滅んでいるか、どこか誰も知らない場所で密かに生き永らえていると言われる。
千年の歳月を超えるあやかしはあやかしと言えども稀なのだ。人間で言えば百十五歳を過ぎた超高齢に該当する。
「千尋様はそれでも太陽殿と添い遂げようと言うおつもりなのですか? 一族の者にはどう説明を? いくら慕っておられるとは仰いましても生半可なお気持ちでは念願は達成できませんよ?」
試すように自分をジッと見つめる八巻へと千尋も同じ強さ、いやそれ以上の強さの眼差しを返す。
「過去にそのような出来事があれ、一族が人間を伴侶とするのは不思議と禁忌とはされておりませんし、一族の中には少数ですが実際にそのような者たちもいるではないですか」
「それは、彼らの伴侶が普通の人間だから黙認されているだけです」
千尋は八巻の言わんとする物事を正確に把握していたが故に、渋面を作った。
正面に正座したままの八巻が軽く溜息をつく。
相当粘着質な、いや純度が高すぎて粘性さえ孕んだ主の想いは理解している。しかしこの恋においてそれは美徳と言えるかと言うとそうでもない。メリットデメリット半々と言った評価を下すのが妥当だろう。
「――太陽様は一族引退に関わった人物と同類の魂をお持ちなのですよ。綺麗過ぎて私も気を抜くと絆されそうでしたし」
「……な、何ですって?」
「ともすれば太陽殿のために生きたいと屈してしまいそうでした」
「よよよよくも堂々とわたくしに向かってそのような破廉恥な戯言を!」
「正直に申し上げましたまでです。普段から感情の薄い私でさえ危うかったのですから、他のあやかしがどう捉えるかもきちんと予測し心しておかなければなりませんよ」
「それは、確かにそうですね」
河童を思い出し、千尋は苦々しそうに息を吐き出した。
「初恋のお相手が陽向殿だと思っていた時は太陽殿を近付けるのも止むを得ないと思っておりましたが、本当のお相手が太陽殿だったのであれば、私も安穏として看過できません。今はお力を取り戻すまでと目を瞑っているだけです」
「その時の人間は当時の当主と親しかったのでしょう。ですがわたくしは別に当主でも何でもない一介のあやかしです」
「いいえ、旦那様は現当主様のご子息ですし、そのご兄弟が頗る多いとは言え千尋様が現在直系の姫であることに違いはありません。ご当主様が後継を定められない限りは立場が付いて回るのです」
「うう……それでも、もう九尾一族は表舞台からはとっくに去ったのですよ。わたくしを縛る縄にはなり得ません。仮にもしもなったとしても、それでもわたくしはあの方をお慕いする気持ちを抑えられないでしょう」
千尋は八巻へと困った顔でふにゃりと軟く微笑んだ。
「もう、太陽様の居ない生き方など、土台無理なのです」
断固たる態度で毅然として言われるよりも、その笑みには余程説得力があった。
もうこの少女は首ったけなのだ。
毒されているなどという表現を持ち出して適切かはわからないが、この上なくあの少年に侵されている。
八巻自身がそうだと思っていたよりも、ずっとずっと根の深い所まで。
「……これが純魂の魅了の力なのか、それともあの少年の持つ天性の魅力なのかどちらでしょうね」
常人なら聞き逃すような八巻の極々小さな独り言は、きっと千尋には聞こえていたはずだ。しかし彼女はどちらとも言及しなかった。
九条千尋にとっては最早どちらでも同じであり、論じるだけ無意味なのだ。
「実は失礼ながらてっきり子供のかなり重い初恋に毛が生えた程度と思っておりました」
「あら全くわたくしを見くびってくれちゃって」
八巻は、わざとらしくツンと澄ました主人をジッと見つめ、ややあって微かに微笑んだ。
「安心致しました。決意は何よりも固いのですね。でしたらこの不肖八巻、目を瞑るのではなく、これからは千尋様の恋をしかとサポートさせて頂きます。無論、お力を取り戻したその後までも」
居丈高にも少しそっぽを向いていた千尋はハッと八巻の方を向いて両目を大きく見開いた。
血の契約もしていない相手からまさかそんな宣言がもらえるとは彼女自身思ってもなかったのだ。
すぐに抑え切れない嬉しさが少女の満面に浮かんだ。
「味方になってくれてどうもありがとう八巻。とっても心強いです。どうかよろしくお願いしますね」
「はい。……それでは早速と耳より情報を」
「ええ、何でしょう」
心なし浮き浮きした千尋が自らお付きの傍に寄って耳を傾ける。
八巻は一つ場を改めるように空咳をしてから厳かとも言える口調で述べた。
「太陽様のパンツは……ごにょごにょごにょ。太陽様の身体つきは……ごにょごにょごにょ」
「なっ、なっ、なっ!?」
よかれと思って告げられた内容に千尋はふるふるふるとわななくと、
「八巻ばかりズルいですーーーーッ!」
涙目になってヤキモチを爆発させた。
「……ふふっふふふっ……うふふふふ、太陽様のパンツと裸をわたくしだってこの目で絶対に拝見させて頂きますわ!」
一切の余計な光の届かない場所が故の満天の星空に、一人のあやかし少女の邪な宣言が上がった。
「――うっ!?」
「兄貴? 何だよ急に飛び上がって……ってまさかハチにでも刺されたのか!?」
「いやいやいやっ違うから大丈夫っ。ち、ちょっと寒気がしただけ」
制服が乾くまで待ってやっと人間界に戻ってきた僕たちは、自宅までの道のりを一緒に並んで歩いていた。因みにいつものバス通りだから、そこから住宅街へと続く横道を折れればまもなく家に着く。
空はすっかり暗くなっていて、歩道には会社帰りの人たちの姿がちらほらとあった。
「飛び上がるほどの寒気って初めて見たな。まあ昨日から今日に掛けて色々あって疲れたのかもな。今日は早く寝ろよ? 温泉入ったからそのまま寝れるだろうしな」
「うんそのつもり。陽向もだぞ、だいぶ無理しただろ」
「いや~あんなの楽勝だって」
「嘘つけ。じゃあお前が寝るまで僕も寝ない」
「……わかったよ。早く寝る」
飄々として答える弟にこっちだって心配なのにと何となく意地で言ってやれば、意外にも効果覿面だった。
「ったくあの狐女、今度会ったら毛皮にでもしてやる」
「こらこら仮にも僕のお試し彼女にそういうこと言うな。頼むから仲良くしてくれよ?」
「それは無理」
「はあ、道のりは長い……か」
弟の意識を変えるには時間も交流も、更には僕の労力も必要だろうなと今から先が思いやられていると、視界の端に赤い光が見えた気がして僕はふとそっちへと視線をやった。
電柱の陰に、何かがいた。
僕たちの方をじっと見つめている。
人間では決してない赤々とした双眸が暗がりにそこだけ底光りしている。
僕より先に気付いていたらしい陽向が威嚇するように睨んだから引っ込んじゃったけど、以前より、今より、きっとこの先々、僕はもっと多くの妖怪たちと遭遇し、時に縁を結ぶのかもしれない。
その時に何を思って何をするかは僕自身にもまだわからない。
だけど、より多くと仲良くできたらいいとそう思う。
「兄貴、俺が付いてるから安心しろよな」
「あはは頼もしいな。単なるオカルト趣味って思ってたのが、ホントいつの間に祓い屋の腕を磨いたんだよ。八巻さんから中々優秀だって聞いたぞ~。この際お兄ちゃんにも伝授しろ~」
「ああ? やだよ。兄貴まで強くなったら俺の出番ねえだろ」
半分ふざけて脇を擽ると「だははっやめろよっ」と脇に弱い弟は前へと逃げて振り返る。
そんな弟に僕は苦笑を浮かべた。
「出番なんてそんなのなくてもいいだろ。無条件で陽向は僕の大事な大事な弟なんだってわかってるか?」
外灯の明かりの届く中、陽向が僅かに瞠目する。
ゆっくり瞬くと次には僕と同じようにやれやれって言いたげな苦笑いを浮かべた。
「兄貴はホント……」
「なに?」
「いや」
そのままくるりと前を向いた陽向の耳が赤い。
……と、またもや今度は住宅の塀の隙間に何かがいるのが見えた。赤い光点が見える。
「兄貴、一つだけ伝授してやると、そいつみたいに目の赤い妖怪は大概善くないモノだから近付くなよ? ……まあ兄貴の場合、無意識に手懐けてることが多かったけどな」
「え、そうなんだ? 知らなかった。教えてくれてありがとな」
最後のボソボソ言った部分は聞き取れなかったけど、そこはきっと僕が妖怪に甘いだとか警戒心がないとかそんなような文句でも言ったんだろう。
僕に付いた千尋さんの気配はおそらくまだまだ濃厚で、興味本位で寄って来るモノノケたちもより増えるだろう。
「――失せろ!」
陽向が塀の隙間に向けて低く短く恫喝した。
妖怪を退散させるような呪がその声には込められているのかもしれない。何しろ得体の知れないそれは瞬間的に消えてしまった。
相手が善くない妖怪なら、あれくらいは僕も自分で撃退できるようになった方がいいよな。
やっぱり後で陽向にもう一度指導を頼んでみるか。
「ちっ、また別なのが寄って来やがった」
「え? あ、ホントだ」
陽向の施してくれた魔除けのおまじないは千尋さんの狐火が表出したせいで無効になってしまったようで、低級の妖怪たちは昔のように僕の傍に現れる。
住宅街へと折れた道にいるのは僕と弟の二人だけなのに、何だか酷く賑やかしい。
だけどそれが不思議と嫌じゃなかった。
ああ、僕の日常は確実に変わってしまったのかもしれない……なんて思って天の星々をしみじみと仰ぎ見た。
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