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27 真実の告白4
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「は、い……?」
物理的にはもの凄く近い距離に千尋さんの綺麗な小顔があるけど、僕も彼女もそれぞれがそれぞれの必死な思考に夢中で、普通だったら照れる距離なんてのも頭から抜け落ちていた。
懸命とも言える剣幕に気圧された僕は、半笑いで間の抜けた反応しかできない。
「ハ、ハハ、ちーちゃんが千尋さん?」
「そうっですっ!」
そりゃ同じ狐の妖怪だし、狐守旅館と関わりもあるし、年頃も似たようだし、容姿だってそうだ。
水中で薄ら感じた既視感はあながち外れてもいなかったわけで…………マジか。
驚愕は当然だったけど、ストンと感覚的に腑に落ちるものがあった。
ちーちゃん=千尋さん
現状証拠という証拠は彼女の言葉だけで、唯一彼女の証言を裏付けできる陽向は生憎ここにはいないけど、そこにはもう疑いの余地はなかった。
彼女がちーちゃんなんだって認識すれば、何故だか妙にそわそわして懐かしさが込み上げて口元がにやけそうになる。
ああそうか、僕は嬉しいのか。
初めて自分から友達になりたいと思った妖怪の女の子が目の前にいるんだから、当たり前だ。
随分と近距離にいる互いに今更ながらハッとしてそそくさと適度な距離を取った。
「本当にちーちゃん、なんだ」
「はい、わたくしです」
「そっか」
「はい」
謎は解けた。
千尋さんが僕を「陽向」と呼んでいた理由もこれで合点がいく。
幾つか重要な事実を失念したまま、僕はすっかり気の抜けた顔で、ちょっとだけの苦笑と、あと残りは全部照れ隠しのはにかみを浮かべていた。
「久しぶり、ちーちゃん」
「気付くのが遅いですよ、もうっ」
あの頃よりずっとずっと素敵になったちーちゃんは、言葉とは裏腹にちょっとの怒り顔と、あと残りは全部で嬉しそうな笑顔を浮かべた。
視線を交わし微笑み合う僕と千尋さんは、ある側面から見れば相当呑気に見えたのかもしれない。
コホンッと一つ、やや強めの咳払いが入った。
僕はハッと我に返ったような心地で八巻さんへと視線を送る。
そうだよ、何をへらへらしてるんだ。ここに来た一番の理由は謝罪だってのに。
旧知だって事実と嘘をついたことは別次元の話だし、千尋さんがもういいと言ってくれても甘んじるのは良くないよな。
結局彼女は昔会った僕をずっと想ってくれていて…………って、え、あ、そうか、僕か僕。
「――って、はあああ!? 僕かよ!? 僕だよ!!」
一人ボケツッコミを担当した僕は、思わずまじまじと千尋さんを注視してしまった。
この美少女が本当に僕を好きなのか?
「あ、あの、太陽様……?」
恥じらう姿が可愛いな……って、おい!
あの頃の泣いていた女の子が今ではこんな凛とした顔さえ見せる女の子に成長して、僕と再会した。
それじゃつまりは僕が彼女にお断りを入れないといけないわけで、ええとでも別にちーちゃんのことは嫌いじゃないからぶっちゃけ交流は断ちたくない。
でもカレカノって言うとまたちょっと話が違ってくるし、だからこそ僕は交際を断るべきで、しかも本来の目的だってそれだし、八巻さんもいい顔しないだろうし。
だけど僕は…………って、ああくそ何がしたいんだっ。
本気で悩み出した僕を余所に、改めて主人たる千尋さんを見据えた八巻さんは、相変わらず冷静そのものの面差しで形の良い紅唇を開いた。
「真実感動の再会が果たせたところで、千尋様にお確かめしたいことがございます」
心得ているのか千尋さんが一つ頷いた。
僕の彷徨う思考もひとまずお預けにする。
「わたくしの狐火のことですね」
「左様です。推測というよりも最早確信に近いものを感じておりますが……千尋様の八尾分の妖力は現在こちらの園田太陽殿の中にあるのですね」
はい……?
狐火一つが尻尾一尾分のあやかしの力の源――つまりは妖力を有するとは、昔何故か急に九尾を操れるようになったと大喜びしたちーちゃんから教えてもらったけど、そんな大事なものが僕の中にあるって?
ハハハどうしてそう思うんだよ八巻さんは?
思い違いも甚だしいなー……なーんて思っていると、
「ええ。ただ、正確にはもう七尾分ですけれど」
千尋さん本人からあっさり肯定された。
「ああ、そう言えば先程は狐火を二つ操っておられましたね」
「そういうことです」
「え? は? どういうこと? 二人だけで納得しないでくれよ。ホントに千尋さんの尻尾が僕に? いやでも物心付いてからこっち尻尾なんて生えた経験はないけど!」
動揺が激し過ぎたせいか、八巻さんが頗る残念そうな目を向けてくる。
「狐の尻尾のまま他者に生えてくるわけではありませんよ。一尾分が一つの狐火になるのはご存知ですか?」
「ああ、はい」
「千尋様のそれらがあなたの中で眠っていると思って頂ければ。まあ、何かの拍子に……命の危険に陥った際などに炎が表に出てくることもあるようですが」
「表に……」
群青色の狐火……――ああ、あれか。
学校で河童に襲われた時と、妖怪魚に食べられそうになった水中で、まるで僕の内から出てきたみたいに群青色の炎が燃え上がったのはまだまだ記憶に新しい。
「ですがなるほど、だから千尋様は太陽殿こそが想い人本人であると断じたのですね」
「そうです。わたくしの気配が漏れないように一応は妖力の封印を施したとは言え、自分自身の目印が付いているのですもの。間違うなど余程の愚か者しかいないでしょう」
「仰る通りです」
ハハハ目印って言い方……。
「そもそもどうして僕の中に狐火が? そこは本当に記憶にないんだけど?」
「――その話俺にもきっちり聞かせろ!」
刹那、閉まっていた襖がピシャリと左右の柱に打ち付けられる勢いで開かれた。
「えっもう起きて平気なのか?」
「こんな危ない場所でおちおち寝てられるかよ」
ゼーハーと肩で息を切らし、廊下丸見え全開の襖口に佇むのは、紛れもなく弟の園田陽向だ。
全力疾走してきたのか、浴衣は乱れ、後ろでは泡を食って追いかけてきたらしい数匹の管狐たちがキーキー騒ぎながら右往左往している。
目が覚めて早々に介抱していた管狐たちを蹴散らして屋敷内で僕を捜し回ったようだった。
そんな陽向は僕たちの状況を眺め幾分ホッとしたような顔をした。
「あらもう目を覚ましたのですか。もっとゆっくり寝てらしても良かったのですけれど」
千尋さんは不機嫌そのものの声と仏頂面を隠しもせずに陽向を睨んでいる。
遠慮すらない陽向もだけど、千尋さんも陽向にはだいぶ態度がキツイ。
「ええーと、あのさ、陽向と千尋さんはやっぱり面識があるんだよな?」
「ああ」
「ございます」
「へえ、じゃあ一緒に遊んだりもし…」
「「――まさかッ!」」
息ピッタリに返されてちょっとびっくりした。
陽向が忌々しそうに千尋さんを見やって荒い息を吐き出す。
「密かに俺一人で見えなくなった兄貴を捜してた山中で、こいつが意識のない兄貴を担いで来たのを見た時はどんだけぶっ殺してやろうかって思ったな。それどころじゃなかったから兄貴を受け取って追い返したけど、その後も家族の目のない時にしつこく会いにくるから、俺が実力行使で一切兄貴に近寄らせないようにもしてた」
「ふん、あの頃はこの男に太陽様のお見舞いもさせてもらえず、一目だけでも会いたいとあの手この手を試みましたけれど叶わず、そのうち太陽様も快復されてご一家は旅館から帰られてしまったのです。当時この男には何度煮え湯を飲まされたことでしょう。わたくしはわたくしで体調を崩してしまい人間界にある狐守旅館では暮らせなくなり、お父様の用意して下さったこの屋敷に越してくるほかなかったのです」
「じゃあ二人は仲が良いわけじゃ……?」
「ない!」
「ありません!」
これもハモッた。それにこういう部分は包み隠さない二人だよな。たじたじとして苦笑しかできずにいると、ズカズカと入ってきた陽向から腕を掴んで立たされ背後に庇われる。
陽向は高圧的な態度のまま千尋さんを見下ろした。
「それよりさっきの話だよ。あんたはどうして兄貴に妖怪の力なんて注いだんだ?」
陽向の声がとても険しい。返答如何によっちゃ容赦しないってピリピリした空気を肌で感じる。
「そんな異物が俺たち人間の体に合うわけねえだろ。しかも尻尾が複数本だって? まさに毒注射を何本も打たれたようなもんじゃねえか! 全く、だからあの時兄貴は高熱を出したのか。道理で不自然に熱も下がらなかったわけだ。体への負担が過ぎたんだよ」
「お、落ち着けって陽向。体に良くないのかもしれないけど、毒注射だなんて例え大袈裟だって。熱だって最後には下がったし僕はこうしてピンピンしてるだろ」
「大袈裟じゃねえよ」
横から覗くようにして宥めれば、予想通り陽向は千尋さんへと仇敵に向けるような憎々しげな視線を突き刺している。
「一つ訊く。わかっててやったのか? 一歩間違えば死んでたかもしれないんだぞ?」
「えっ……――死!?」
まさかそんな、妖怪の力ってそこまで人間には良くないものなのか?
「仕方がなかったのです」
そこに正座したまま陽向の糾弾にやや目を伏せて、千尋さんは静かな声を落とした。
「じゃあ危険だってわかってたんだな?」
対照的に初めて見るくらいに激怒する陽向。
今にも掴みかかりそうに見えて、慌てて手を添えいつでも止められるように構えた。
「――賭けだったのです!」
一方、顔を上げた彼女は真っ向から反論する眼差しで声を張った。
「賭けだと? 何を言ってる?」
訝しむように反問する陽向の疑問は僕も思った。
「ハッ妖怪共は実は賭博が好きなのか? 兄貴の命を賭け事の対象にして無聊の慰めにでもしてたのかよ? あ?」
「違いますわ! 馬鹿者は発想までも大馬鹿ですね! あの時はそうすることでしか太陽様の大事なお命をお救いできなかったからです!」
「何……?」
「僕の命を救う? あっまさか溺れた時の……?」
はい、と千尋さんが首肯する。
「五年前の折、太陽様はあの無知な河童に川底に引き摺り込まれて、ほぼ死んでいたのです!」
「――ほぼ、死!? 僕が!?」
頓狂な声を上げてしまった僕とは違い、陽向は目を瞠って息を呑んだ。
「河童を撃退し引き上げましたけれど、九尾の力の内の八尾を注がなければお命を繋げないほど、太陽様はほぼ死んでいたのです。危うく太陽様の美しい魂が瓦解してしまうところでした」
え、魂って瓦解するの?
何か取扱注意の割れ物みたいだな。ふわ~っと薄れて消えるとか弾けて燐光になるとかじゃないんだ。まあそれ以前に肉体には実際に魂ってものがあるのかって知って驚きだけど……。
あの時はちーちゃんが溺れる前に助けてくれて事なきを得たんじゃなかったのか。
ああいや彼女のおかげで事なきを得たのは間違いないけど、まさかそこまで深刻な事態からの生還だったなんて思わなかった。
ゆっくりと両手を見下ろす。
血が通い、自分が確かに生きているのを感じれば、無意識に安堵の溜息が零れ落ちた。
「太陽様」
いつの間にか近くに立った千尋さんが、僕の手を取って包み込むようにして微笑んだ。
その手はとても温かく、崩した相好は優しい。
「ですがわたくしは、賭けに勝ったのです」
「千尋さん……」
その慈母のような笑みは彼女の情の深さや純粋さを物語っていて、体の中心で血液を送り出す心臓がトクリトクリと高鳴って、何か血とは別の大切な感情をも全身に巡らせてくれるようだった。
「僕を二度も助けてくれて、本当にどうもありがとう」
改めて彼女への大きな感謝が湧き上がるのを感じた。
物理的にはもの凄く近い距離に千尋さんの綺麗な小顔があるけど、僕も彼女もそれぞれがそれぞれの必死な思考に夢中で、普通だったら照れる距離なんてのも頭から抜け落ちていた。
懸命とも言える剣幕に気圧された僕は、半笑いで間の抜けた反応しかできない。
「ハ、ハハ、ちーちゃんが千尋さん?」
「そうっですっ!」
そりゃ同じ狐の妖怪だし、狐守旅館と関わりもあるし、年頃も似たようだし、容姿だってそうだ。
水中で薄ら感じた既視感はあながち外れてもいなかったわけで…………マジか。
驚愕は当然だったけど、ストンと感覚的に腑に落ちるものがあった。
ちーちゃん=千尋さん
現状証拠という証拠は彼女の言葉だけで、唯一彼女の証言を裏付けできる陽向は生憎ここにはいないけど、そこにはもう疑いの余地はなかった。
彼女がちーちゃんなんだって認識すれば、何故だか妙にそわそわして懐かしさが込み上げて口元がにやけそうになる。
ああそうか、僕は嬉しいのか。
初めて自分から友達になりたいと思った妖怪の女の子が目の前にいるんだから、当たり前だ。
随分と近距離にいる互いに今更ながらハッとしてそそくさと適度な距離を取った。
「本当にちーちゃん、なんだ」
「はい、わたくしです」
「そっか」
「はい」
謎は解けた。
千尋さんが僕を「陽向」と呼んでいた理由もこれで合点がいく。
幾つか重要な事実を失念したまま、僕はすっかり気の抜けた顔で、ちょっとだけの苦笑と、あと残りは全部照れ隠しのはにかみを浮かべていた。
「久しぶり、ちーちゃん」
「気付くのが遅いですよ、もうっ」
あの頃よりずっとずっと素敵になったちーちゃんは、言葉とは裏腹にちょっとの怒り顔と、あと残りは全部で嬉しそうな笑顔を浮かべた。
視線を交わし微笑み合う僕と千尋さんは、ある側面から見れば相当呑気に見えたのかもしれない。
コホンッと一つ、やや強めの咳払いが入った。
僕はハッと我に返ったような心地で八巻さんへと視線を送る。
そうだよ、何をへらへらしてるんだ。ここに来た一番の理由は謝罪だってのに。
旧知だって事実と嘘をついたことは別次元の話だし、千尋さんがもういいと言ってくれても甘んじるのは良くないよな。
結局彼女は昔会った僕をずっと想ってくれていて…………って、え、あ、そうか、僕か僕。
「――って、はあああ!? 僕かよ!? 僕だよ!!」
一人ボケツッコミを担当した僕は、思わずまじまじと千尋さんを注視してしまった。
この美少女が本当に僕を好きなのか?
「あ、あの、太陽様……?」
恥じらう姿が可愛いな……って、おい!
あの頃の泣いていた女の子が今ではこんな凛とした顔さえ見せる女の子に成長して、僕と再会した。
それじゃつまりは僕が彼女にお断りを入れないといけないわけで、ええとでも別にちーちゃんのことは嫌いじゃないからぶっちゃけ交流は断ちたくない。
でもカレカノって言うとまたちょっと話が違ってくるし、だからこそ僕は交際を断るべきで、しかも本来の目的だってそれだし、八巻さんもいい顔しないだろうし。
だけど僕は…………って、ああくそ何がしたいんだっ。
本気で悩み出した僕を余所に、改めて主人たる千尋さんを見据えた八巻さんは、相変わらず冷静そのものの面差しで形の良い紅唇を開いた。
「真実感動の再会が果たせたところで、千尋様にお確かめしたいことがございます」
心得ているのか千尋さんが一つ頷いた。
僕の彷徨う思考もひとまずお預けにする。
「わたくしの狐火のことですね」
「左様です。推測というよりも最早確信に近いものを感じておりますが……千尋様の八尾分の妖力は現在こちらの園田太陽殿の中にあるのですね」
はい……?
狐火一つが尻尾一尾分のあやかしの力の源――つまりは妖力を有するとは、昔何故か急に九尾を操れるようになったと大喜びしたちーちゃんから教えてもらったけど、そんな大事なものが僕の中にあるって?
ハハハどうしてそう思うんだよ八巻さんは?
思い違いも甚だしいなー……なーんて思っていると、
「ええ。ただ、正確にはもう七尾分ですけれど」
千尋さん本人からあっさり肯定された。
「ああ、そう言えば先程は狐火を二つ操っておられましたね」
「そういうことです」
「え? は? どういうこと? 二人だけで納得しないでくれよ。ホントに千尋さんの尻尾が僕に? いやでも物心付いてからこっち尻尾なんて生えた経験はないけど!」
動揺が激し過ぎたせいか、八巻さんが頗る残念そうな目を向けてくる。
「狐の尻尾のまま他者に生えてくるわけではありませんよ。一尾分が一つの狐火になるのはご存知ですか?」
「ああ、はい」
「千尋様のそれらがあなたの中で眠っていると思って頂ければ。まあ、何かの拍子に……命の危険に陥った際などに炎が表に出てくることもあるようですが」
「表に……」
群青色の狐火……――ああ、あれか。
学校で河童に襲われた時と、妖怪魚に食べられそうになった水中で、まるで僕の内から出てきたみたいに群青色の炎が燃え上がったのはまだまだ記憶に新しい。
「ですがなるほど、だから千尋様は太陽殿こそが想い人本人であると断じたのですね」
「そうです。わたくしの気配が漏れないように一応は妖力の封印を施したとは言え、自分自身の目印が付いているのですもの。間違うなど余程の愚か者しかいないでしょう」
「仰る通りです」
ハハハ目印って言い方……。
「そもそもどうして僕の中に狐火が? そこは本当に記憶にないんだけど?」
「――その話俺にもきっちり聞かせろ!」
刹那、閉まっていた襖がピシャリと左右の柱に打ち付けられる勢いで開かれた。
「えっもう起きて平気なのか?」
「こんな危ない場所でおちおち寝てられるかよ」
ゼーハーと肩で息を切らし、廊下丸見え全開の襖口に佇むのは、紛れもなく弟の園田陽向だ。
全力疾走してきたのか、浴衣は乱れ、後ろでは泡を食って追いかけてきたらしい数匹の管狐たちがキーキー騒ぎながら右往左往している。
目が覚めて早々に介抱していた管狐たちを蹴散らして屋敷内で僕を捜し回ったようだった。
そんな陽向は僕たちの状況を眺め幾分ホッとしたような顔をした。
「あらもう目を覚ましたのですか。もっとゆっくり寝てらしても良かったのですけれど」
千尋さんは不機嫌そのものの声と仏頂面を隠しもせずに陽向を睨んでいる。
遠慮すらない陽向もだけど、千尋さんも陽向にはだいぶ態度がキツイ。
「ええーと、あのさ、陽向と千尋さんはやっぱり面識があるんだよな?」
「ああ」
「ございます」
「へえ、じゃあ一緒に遊んだりもし…」
「「――まさかッ!」」
息ピッタリに返されてちょっとびっくりした。
陽向が忌々しそうに千尋さんを見やって荒い息を吐き出す。
「密かに俺一人で見えなくなった兄貴を捜してた山中で、こいつが意識のない兄貴を担いで来たのを見た時はどんだけぶっ殺してやろうかって思ったな。それどころじゃなかったから兄貴を受け取って追い返したけど、その後も家族の目のない時にしつこく会いにくるから、俺が実力行使で一切兄貴に近寄らせないようにもしてた」
「ふん、あの頃はこの男に太陽様のお見舞いもさせてもらえず、一目だけでも会いたいとあの手この手を試みましたけれど叶わず、そのうち太陽様も快復されてご一家は旅館から帰られてしまったのです。当時この男には何度煮え湯を飲まされたことでしょう。わたくしはわたくしで体調を崩してしまい人間界にある狐守旅館では暮らせなくなり、お父様の用意して下さったこの屋敷に越してくるほかなかったのです」
「じゃあ二人は仲が良いわけじゃ……?」
「ない!」
「ありません!」
これもハモッた。それにこういう部分は包み隠さない二人だよな。たじたじとして苦笑しかできずにいると、ズカズカと入ってきた陽向から腕を掴んで立たされ背後に庇われる。
陽向は高圧的な態度のまま千尋さんを見下ろした。
「それよりさっきの話だよ。あんたはどうして兄貴に妖怪の力なんて注いだんだ?」
陽向の声がとても険しい。返答如何によっちゃ容赦しないってピリピリした空気を肌で感じる。
「そんな異物が俺たち人間の体に合うわけねえだろ。しかも尻尾が複数本だって? まさに毒注射を何本も打たれたようなもんじゃねえか! 全く、だからあの時兄貴は高熱を出したのか。道理で不自然に熱も下がらなかったわけだ。体への負担が過ぎたんだよ」
「お、落ち着けって陽向。体に良くないのかもしれないけど、毒注射だなんて例え大袈裟だって。熱だって最後には下がったし僕はこうしてピンピンしてるだろ」
「大袈裟じゃねえよ」
横から覗くようにして宥めれば、予想通り陽向は千尋さんへと仇敵に向けるような憎々しげな視線を突き刺している。
「一つ訊く。わかっててやったのか? 一歩間違えば死んでたかもしれないんだぞ?」
「えっ……――死!?」
まさかそんな、妖怪の力ってそこまで人間には良くないものなのか?
「仕方がなかったのです」
そこに正座したまま陽向の糾弾にやや目を伏せて、千尋さんは静かな声を落とした。
「じゃあ危険だってわかってたんだな?」
対照的に初めて見るくらいに激怒する陽向。
今にも掴みかかりそうに見えて、慌てて手を添えいつでも止められるように構えた。
「――賭けだったのです!」
一方、顔を上げた彼女は真っ向から反論する眼差しで声を張った。
「賭けだと? 何を言ってる?」
訝しむように反問する陽向の疑問は僕も思った。
「ハッ妖怪共は実は賭博が好きなのか? 兄貴の命を賭け事の対象にして無聊の慰めにでもしてたのかよ? あ?」
「違いますわ! 馬鹿者は発想までも大馬鹿ですね! あの時はそうすることでしか太陽様の大事なお命をお救いできなかったからです!」
「何……?」
「僕の命を救う? あっまさか溺れた時の……?」
はい、と千尋さんが首肯する。
「五年前の折、太陽様はあの無知な河童に川底に引き摺り込まれて、ほぼ死んでいたのです!」
「――ほぼ、死!? 僕が!?」
頓狂な声を上げてしまった僕とは違い、陽向は目を瞠って息を呑んだ。
「河童を撃退し引き上げましたけれど、九尾の力の内の八尾を注がなければお命を繋げないほど、太陽様はほぼ死んでいたのです。危うく太陽様の美しい魂が瓦解してしまうところでした」
え、魂って瓦解するの?
何か取扱注意の割れ物みたいだな。ふわ~っと薄れて消えるとか弾けて燐光になるとかじゃないんだ。まあそれ以前に肉体には実際に魂ってものがあるのかって知って驚きだけど……。
あの時はちーちゃんが溺れる前に助けてくれて事なきを得たんじゃなかったのか。
ああいや彼女のおかげで事なきを得たのは間違いないけど、まさかそこまで深刻な事態からの生還だったなんて思わなかった。
ゆっくりと両手を見下ろす。
血が通い、自分が確かに生きているのを感じれば、無意識に安堵の溜息が零れ落ちた。
「太陽様」
いつの間にか近くに立った千尋さんが、僕の手を取って包み込むようにして微笑んだ。
その手はとても温かく、崩した相好は優しい。
「ですがわたくしは、賭けに勝ったのです」
「千尋さん……」
その慈母のような笑みは彼女の情の深さや純粋さを物語っていて、体の中心で血液を送り出す心臓がトクリトクリと高鳴って、何か血とは別の大切な感情をも全身に巡らせてくれるようだった。
「僕を二度も助けてくれて、本当にどうもありがとう」
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