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15 捜索者たち

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 五月蠅く叩かれ続ける屋敷の門扉。
 家人が応対に出るまで大人しく待っていられないのかと千尋は内心うんざりした。
 それくらいにしつこかったのだ。
 その日起きてみればまだ早朝の時分で、そんな時間に、そしてこのあやかし界隈でも取り分けあやかしたちの縄張りの挾間のようなこの場所に来るなんて、一体全体何者なのか。
 そもそも、外部者の目を欺き阻む結界だって施してあるのだ。
 それを突破してきた相手となれば自ずと警戒心も濃くなろう。
 きーきーと声を上げ管狐くだぎつねたちは応じない方がいいと口々に止めたが、いつまでも応じないでいれば門扉をぶち破って入って来かねない激しさで叩き続けているのだ。
 そんなわけで千尋は正門へと急いだ。八巻の不在中、弱っていてもこの屋敷で現在一番強いのは千尋だ。主として管狐たちを護らねばならない。
 そう気を引き締めたのだが……。

「ああもう夜明けじゃねえか。幻術はともかく骨の折れる巧妙さでこの屋敷が隠されててマジで難儀したっつの。兄貴が一度でも来てなけりゃ見つけられなかったぜ」

 千尋が屋敷の門を開けさせるや遠慮もなくズカズカと踏み込んで来た金髪の少年は、ぶつくさ文句を言いつつ、正面に立つ彼女を視認すると思い切りきつく睨んだ。

「よお、久しぶりだな狐女」
「……ひなた、様?」

 掛けられた台詞に疑問はあったものの、千尋は少年の顔を見て思わず口の中で小さく呟いていた。

「狐女直々の出迎えとは思わなんだ」
「狐……女……狐女ですって? その呼び方は……あなたひなた様ではありませんわね」
「はあ? 俺が陽向だよ」
「嘘おっしゃい、いくら双子でひなた様と見た目がそっくりだからと、わたくしのひなた様を騙る資格はございませんわ」

 千尋が強気にツンとして言ってやれば、相手は怪訝そうにした。

「何わけのわからないこと言ってんだ? あんた何か勘違いしてるだろ……。まあいい、一応訊くが兄貴はここいるか?」

 今度は千尋が怪訝にする番だった。

「あなたの兄? あなたが彼の双子の片割れなのでしたら、ひなた様はあなたの弟なのですし、どうして兄と呼ぶのです?」
「はあ?」

 少年はしばし不可解の色を濃くしたが、会話を反芻して何かを納得したようにした。

「ひなた様って……ああそういうことね、ハイハイ。ったくややこしいな。とにかくだ、あんたのひなた様はここにいるか?」
「いいえ」
「そうか。ならあんたのひなた様を狙う妖怪に心当たりは? 主に水系の奴で」
「何故そのようなことを?」
「あんたのひなた様が攫われたからだよ」
「なっ……!?」

 千尋は蒼白になって絶句した。
 咄嗟に適当を言うなと激高しそうになったものの冷静に再考する。自分が目の前の彼を気に食わないの同様、彼の方も自分を嫌っているのはよくよく承知している。
 しかし、かつてのように彼の弟に近付いたからと言って敢えてここまで来て偽りを言うなど無意味だ。怖いくらいの真面目な眼差しは嫌がらせのようには到底見えない。
 それにわざわざあやかしでさえ外部から見つけるのが難しいこんな場所まで身一つで捜しに来る辺り、相当本気で切羽詰まっているに違いなかった。

「今は一秒だって惜しいんだよ。ボケッとしてないで心当たりあるのかないのか早く考えろ、このぶりっ子狐!」
「ぶっぶっぶっ、ぶりっ子ですって!?」

 千尋は怒りに満ちた瑠璃色の目でキッと相手を睨んだ。
 元来彼女は気の強いおなごなのだ。
 小さい頃は虐められて泣きべそを掻いてはいたが、いつか絶対に報復してやると固く心に誓ってもいる。

「本当に昔から口が悪いですこと。思い当たる相手なら一つおりますけれど、前にきちんと懲らしめたはずです」
「あんたみたいに諦めが悪いんだろ」
「んまっ」
「それに前っていつの話だよ? まさか五年も前ってんじゃねえよな。んなもんとっくにそいつだって教訓忘れて効果切れだろ」
「そんな……」
「知ってんならそいつのとこに案内しろ。ひなた様が溺れ死ぬ前に助けないと意味がねえからな。…………手遅れにでもなってみろ。あんたら妖怪を一匹残らず殺してやる」

 千尋は溺れるという言葉に心胆からゾッとするのと同時に、声を低くしたこの眼前の男の黒く濁ったような気配に背筋が薄ら寒くなった。人間相手に我知らず息を呑み込んでいた。
 本調子ならこんな脅し文句一つに鼻白むような自分ではないのにと、苦々しい気分で自身を叱咤する。

「このブラコン……!」
「はっどうぞ何とでも。……重てー女」
「ふん、愛情深いだけです」
「嫉妬深いの間違いだろ」
「何ですって!?」

 小馬鹿にされて、手遅れという言葉に感じた慄きや今朝の起きぬけから感じていた不安も、すっかり憤りに押し流されてしまった。

 一つ言えば、彼女がこうして病弱な体で不自由な生活を送るようになったのは、念頭にある五年前のそのあやかしがそもそもの原因だ。

 それを思い出せば千尋の胸中にますます腹立たしさが増した。
 そのあやかし自体は当時の千尋の敵ではなかった。弱ってはいても今でさえ。
 格の違いというやつだ。

 しかし、そのあやかしのせいで……。

 当時の感情が戻るようで、ゆらりと千尋から群青の揺らぎが立ち昇る。

「おい狐、怒る相手が違えだろ。現場に着いてからにしろ」

 全く以てあのあやかし以上に腹の立つ、愛する男とそっくりな顔の男。
 そのくせ本質は正反対だ。
 水と油のように、一見見た目は似ていても全く異なる。
 その彼の正論に少し冷静になると、黒髪を靡かせ無言で横を通り過ぎ、屋敷を出てからは塀に沿って進んでいく。
 そんな千尋の後ろを少年も無言で付いてくる。
 しばらく真っ直ぐ歩いて、さすがに不審を覚えた少年が尖った声を発した。

「おいどこまで行くんだよ。まさか自分とこの幻術に引っ掛かったのか?」
「違いますわよ。わたくしの場合、他の結界の影響の薄い場所からでないと上手く道を繋げられないのです」
「……もしかしてあんた弱ってるのか?」

 言い当てられて無性にムカついた。

「さあどうでしょう。道を繋げたらわたくし一人でさっさと行きますから、付いて来るなら自力で付いて来ることですわね! ふん!」
「はっ言われなくとも!」

 決して顔色が良いとは言えない千尋の挑発に、園田陽向は上等だと口の片端を吊り上げた。




「僕を捜しに行ったってことはつまり、あの河童の所に二人は居るんじゃないですか?」
「おそらくは。そのくらいは突き止めるでしょうからね」

 旅館のように広い石畳の玄関先にいた僕と八巻さんは、管狐たちに遠巻きにされながら表門の方へと移動していた。
 管狐たちの話からすると、千尋さんと陽向が出て行って半日以上は経過している。
 因みに、汚れた靴下を見かねた八巻さんが僕の家から替えのそれと僕の靴を持ってきてくれた。まあ言うまでもなく靴は湿ったままだったけどこの際無いよりはマシだと思って我慢しよう。それにしても僕の扱い何気に酷くない?

「じゃあ僕たちももう一度あの川辺に急ぎましょう」

 千尋さんは病弱なんだ。
 あの河童に何かされていたらどうしようという心配しかない。
 陽向にしたって、優秀らしいけど果たして本物の凶暴なあやかし相手にどこまで太刀打ちできるのかわからないから心配だ。
 僕の訴えに首肯した八巻さんは、元々ピンとしていた背筋を改めて綺麗に伸ばした。
 きっと気分的なものだろう。

「ではもう一度道を飛びますよ」
「はい」

 手を握れと促してくる八巻さんに従って手を伸ばせば、表情からはそうは見えないけど八巻さんも彼女なりに焦っていたのか、逆に素早く手を掴まれてあっと言う間に僕たちは屋敷から移動した。

 絶え間ない水流の音が聴覚を満たす夕方の川辺。

 また戻ってきた大石小石だらけのその場所は、去った時と全く何も変わっていないようだった。
 まあドカンとクレーターが出来ててもビックリ仰天だけどさ。
 八巻さんと二人で周囲を見回したけど、千尋さんの姿も陽向の姿も見当たらない。

「二人共ここじゃないんでしょうか? もしかして見当違いだった?」

 問いには答えず、八巻さんは眼鏡の奥の目を細め川の上流を睨んだ。

「いえ、千尋様の気配の残り香がございます。間違いなくここにいらしたのでしょう。この薄れ具合だと……朝にでも」
「そんなに前ですか? 突き止めるの早いなあ。ここはもう夕方ですし弟もいませんし、二人が朝から来てまだこの近隣に居るとすれば、何かあったんじゃ……?」

 僕の感覚じゃ一日だって経っていない学校の放課後の続きだけど、陽向にとってはほぼ一日僕が行方知れずって感覚なんだし、変に無茶をしてないといい。
 千尋さんを責めたりしてないといい。
 本物の想い人からトゲトゲした態度を取られたら千尋さんだって辛いだろうし。
 募る焦燥と恐れ。
 あの河童はそこまで凶暴そうには見えなくても、僕を溺れさせようした。
 二人が僕みたいにあのつぶらな瞳にほんわ~ってなって油断してる所をガブリッてやられたらと想像すれば、手足が冷えていく。

「早く捜しましょう。向こうの上流の方に居るかもしれないんですよね?」

 お互いに捜し捜されって何だか可笑しな展開になってるけど、川原の石を踏んで急ぎ足で進み始めた僕を止める様子もなく、八巻さんは相変わらずの涼しげな顔付きで隣に並んだ。
 靴底で地面を踏むたびに石と石が擦れぶつかるジャリジャリとした音を耳に、転ばないようにちらちら足元を確認しながらも、僕の意識のほとんどは周囲の景色へと向いていた。
 さっき河童に連れて来られた時にも思ったけど、やっぱり妙な既視感がある。

「ここは人間界のどこかの川じゃなく、妖怪の方の世界なんですよね?」

 そんな疑問もあって口を突いて出たのはそんな問いだった。

「そうですね。ああ、そういえば狐守旅館はこの近くにありますよ。横の森に入って獣道を少し進めば自ずと人間界に出ます。その先に建物が見えるはずです」
「えっそうなんですか? 直接歩いて行けちゃうんですか!?」
「はい。元来こういった山深い場所では、両世界の境界が曖昧な部分も多いのです。どちらも母なる大自然のかいなに抱かれているのは同じですから。それでも狐守旅館の場合は人間を相手に商売をしているので、不用意に人間が迷い込まないようにと対策は取られていますからどうぞご安心を」
「そうだったんですか」

 八巻さんからそんなプチ情報を拝聴しながら二人で進んで行く間にも、次第に水音が大きくなっているのはわかった。

「あの、八巻さんこの先ってもしかして……――小規模の滝壺があるんじゃ?」
「ええ、確か」

 八巻さんは、単に水音の強弱からの推測が当たっただけ……と思ったに違いない。別段僕に対して不審がる様子はなかった。
 僕は予感がしていた。
 きっとこの先にあるのは夢で見た場所だ、と。
 顔の見えない女の子と遊んだ川辺が広がっているんだろう。
 本当にどうして、風景は思い描けるのに、女の子の顔立ちはわからないんだろう。
 夢の中だったから?
 だとしても、あの子には名前があった。
 僕はその子の名を呼んでいたはずだ。
 確か……名前は…………。

「……ちーちゃん」

 小さく呟いた僕の声が届いたのか、八巻さんがこっちを一瞥した。

「どうかしましたか?」
「あ、いえ……」

 自分でもハッキリと形にならない不明瞭な記憶に苦笑いするしかない。
 八巻さんが不可解そうに片眉を上げたそんな時だった。

 それまで水音に掻き消されていて聞こえなかった声が、途切れ途切れに風に乗って聞こえてきた。

「言い争ってる……?」

 声は大きく川が蛇行しているせいで、ちょうど木々と大きな岩に遮られて見えない向こうからだ。
 そこで何事かが起きているのは明白だった。

「まさか陽向たち!?」
「その可能性は十分高いですね。急いで行きましょう」
「はい」

 脇を引き締め、僕は表情をやや厳しいものに変えた八巻さんの後に続いた。
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