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5 あやかしお嬢様は肉食系

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「八巻さん、ここはもしかしてあやかしの住む世界なんですか?」

 千尋さんから離れてまだ半分引き攣った顔で訊ねた僕へ、しゅるりと人の姿に戻った八巻さんは長く細い指で眼鏡の中央をくいと押し上げた。
 仮にこのままビシバシ鞭を振るいますって言われても違和感ないなこの人……。

「旦那様の特殊な結界内なので厳密には少し定義が異なりますが、まあ概ねそうと言えるでしょう」
「やっぱりそうなんですか。じゃあ八巻さんといて急に場所が変わったのも、妖怪の移動能力?」
「そうです。よくそこまで分析されましたね」

 感心する彼女へと曖昧に苦笑を返す。つまり端的に言って僕は妖怪にかどわかされた、と。これで一つ疑問が解消した。はあ、無事に家に帰れるかなあ……。
 今さっきは巨大蛇さんのごはんになる所だったしな!

「妬けますわね。二人でこそこそと。まあ全部聞こえていますけれど」

 ジェラシーの波動を感じ慌てて振り向けば、千尋さんは元の色鮮やかな和服姿に戻っていた。ああそういえば聴覚が良いんだっけこの子。

「改めてようこそひなた様。わたくしたちあやかしの世界へ」
「ど、どうも……」

 千尋さんがそう言って僕の両手をしっかりと握り込む。

「遅ればせながら私からも。ようこそ陽向殿」
「どうも……」

 ってその苦いような顔っ、八巻さんはウェルカム思ってないだろ。
 役立たずは早く帰れって目が言ってるよ。

「万一あなたが無様に騒いだら締め上げて口を塞いで黙らせて差し上げようかと思っていましたが、杞憂だったようですね」
「あら八巻ったらそれはずるいわよ。抱き付いて唇を奪うのはわたくしの役目です!」
「これは失礼致しました」

 …………。今の会話でどうして甘い方向に取れるんだこの子。
 ずれてるにも程がある。
 こうなったらもう実は夢落ちでした展開を望む僕は言葉もなく正座。
 分厚い座布団じゃなく直に畳の上に。

「ひなた様、そんなに畏まらなくても平気ですよ。ここでは気楽にして下さいね?」

 ハハハこれが畏まっているように見えてる?
 命の危機を経験したばかりだし警戒してるんだよ。

「今日直接お会いできて再確認致しました。わたくしはひなた様に誠心誠意末永くお仕えしたいというその気持ちを。そして更生させる必要もないということも」

 千尋さんは僕の手を取って恋人にするように甘く五指を絡めた。
 選択を誤ればごはんにされるって極限の精神状態にあるせいで、指先まで冷え切った僕の体温とは裏腹に、彼女の指先は蕩けるように熱い。

「ひなた様はわたくしのもの、わたくしはひなた様のものですわ」

 瑠璃の瞳が獲物を狙うようにぎらりと光った。
 ん、あれ? 学校の肉食系女子って確かこんな目だよな。
 しかも彼女は妖怪だからプラスα。
 オプションとして八巻さんも付いてるからさらにプラスβ。
 α+β=この二人怖い
 ハイ試験に出ます必須公式です。

「ははは面白いことを言うなあ。……ところでその、更生って?」
「ああ、ふふっ女好きでチャラくて物凄く軽~い殿方だという調書が上がってきていましたので、これは何とかわたくし一筋に心を入れ替えさせなければと思っていたのです。けれど間違いだったとわかりました。ひなた様は超絶優しくてこの上なく思いやりのある最高の殿方にお育ちだったのですもの!」
「…………」

 何となくスルーできなくて質問すればとんでもない答えが返ったよ。
 嗚呼、その調書は微塵も間違ってない。
 兄の僕から見ても陽向はまさにそんな感じだよ。
 正直に双子違いだと話した方がいいんだろうか。
 でもここで陽向じゃないって明かしたら何をされるかわからない。
 八巻さんに。
 陽向本人にもこの件に関わる気は微塵もないらしいから千尋さんが納得する形での告白の返事はあげられない。
 まあ、彼女が陽向の前に出て行けるようになったなら話は別だけど。

 八巻さんはおそらく、僕たち人間と千尋さんを関わらせたくないんだ。

 今回の身代わりはそのためのもの。でもその目論見は現状当てが外れてしまっている。
 ちょっと失礼、と僕は千尋さんからそそくさと離れ八巻さんを部屋の隅まで引っ張った。

「気のせいじゃなければ千尋さんめっちゃポジティブなんですけどっ。僕の介入って無意味っぽくないですか?」
「時に千尋様はこうと決めたら人の話を聞かない質ですからね。まあどうせこうなるだろうとは思っていましたが」
「それって初めから無駄な茶番だったって意味ですよねっ!」
「大業を成し遂げるには根気が必要です」
「何か大層な台詞っぽく言って論点逸らさないで下さいよ!」

 すると八巻さんは嘆息にも似た吐息を漏らした。

「まあ先ほどは決着が付きそうだったのですがね」
「え?」
「……半分はあなたにも責任があるのですよ?」
「僕? ……の何処に?」

 八巻さんは駄目だこいつみたいな目をした。

「無自覚ですかそうですかへー。本物よりも余程厄介なご気質だったようですね」
「はい?」
「まあこの先もファイトですね。見守っていますので千尋様の説得は自力で何とかして下さい」
「え……って今までとどう違うんですか」
「少々風向きが悪くなりました。この会話はばっちり千尋様にも聞こえていますから」
「へ? ――あ」

 そうだった。聴覚異常……じゃなくて異常聴覚の持ち主なんだっけ。
 うっ確かに聞こえていたみたいだ。向こうからいきり立ったようにしてジト目でこっちを見てる。

「妖怪は皆耳が良いんですか? もしかして八巻さんも?」
「いいえ。私の場合普通の人間よりは良いという程度です。しかし千尋様のは特別ですね。妖怪の個々の能力の一つです」
「ああ、妖怪バトル漫画なんかであるように、実際の妖怪にも三者三様十人十色の超能力があるとか?」
「はい。上位の種族にはその様な傾向が見られます。雑魚にはほとんどないですが」
「――ひ~な~た~さ~ま?」

 低い声にギョッとして振り返れば、千尋さんが何と三白眼になっている。
 どう考えたって僕たちの今のやり取りを聞いて気分を害してるよな。
 ひいっ、さっきは真面目だか本気だかマジだか知らないけど、生気を奪ってとか何とか言ってたし、冗談抜きに生命の危機なんじゃないの僕?
 こんな時陽向だったらいとも簡単に女の子のご機嫌を取れちゃうんだろうけど、女子と普通に話はするけどほとんど一緒に遊んだりしない僕にはハードル高過ぎだよ。
 どうしようって八巻さんに縋るような目を向ければ、彼女はフッと慈母のような笑みを浮かべる。
 見兼ねて助け船を出してくれそうだ。

「良かった助かっ…」
「さてさて果たして彼は五体満足でこの屋敷から出られるのでしょうか~? 以上中継の八巻でした」
「何ですかその悪ふざけえええっ! 後生ですから家に帰して下さいよおおおっ!」
「以上、八巻でした」

 僕をこの件に引っ張り込んだ張本人は沈着な空咳を一つすると、無情にも僕から思い切り手を引いた。
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