短編中編マーブル(大体恋愛)

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百年の恋は冷めずにこれから(改・百年かくれんぼ) 5将軍ジョン・オークス

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 ルークはエミリア王女の個人史料をほとんど読んだことがない。
 何故ならどんな資料室にも図書館にも専門家の蔵書の中にもほとんど残ってはいないからだ。

(でもあれはどう考えてもエミリア姫だよなあ)

 今日も彼は悩んだように王立大学の講義室の長机に頬杖を突きながら栗色の髪を緩く掻き混ぜた。乱した長くも短くもない頭髪がさらさらと眉の上に下りてくるのを視界の端に捉えつつ、ルークは静かに何も書かれていない黒板を眺めた。

 自分のように講義を受講する学生たちはほぼ全員席に着いている。講義開始時間はやや過ぎているけれど、もうじきルーズな教授様がやってくるはずだ。
 大学も、二年も在籍すればだいぶ慣れた。

 今はもう二十歳。

 ここ二年の間、初めに入学した学部を破格の飛び級で卒業し、今は同大学の興味のあった別の学部に入り直して学んでいる。正直ここもそろそろ卒業して応用的な課程に進もうかと考えてもいた。

 ルークは積み重ねた知識から夢の女性の特徴や服装、そして言動を総合的に鑑みて、彼女はどうやら百年程昔に実在したこの国の王女エミリアだと確信していた。

 顔も未だわからないのに、件の王女だと断言できる自分がおかしいのではないかと時々思うけれど、絶対にそうなのだ。

 そもそも数少ない貴重な史料としての王女の肖像画も、一体どこまで本人と似ているのか怪しいところだ。ちっとも胸がときめかない。

(それに僕はきっと、王女の騎士ジョン・オークスだ。百年前の軍の将軍って史料は残ってるけど、まさか本当に恋人同士だったなんてね)

 広く知られた創作物は元々知っていた彼は、自分の確信を得て偶然の一致に驚いたものだった。
 専門家の間で正式な結論の出ていない歴史考証の真実を、どうして自分が知っているのか?

 夢の中の鎧の男の心境が手に取るようにわかるのは何故か?

 そんなものは決まっている。

 ――自分が彼の生まれ変わりだからだろう。

 ルークはいつからかそんな風に考えるようになっていた。
 世界の理によれば、魂は輪廻するのだ。

「……だったら、もしかしてエミリア姫もいつかどこかに転生したりするのかな?」

 彼の小さな呟きに、隣の席の学友が怪訝けげんな目を向けてくる。

 前世の自分が志半ばで死したことをルークは知っている。何しろ記憶にある。
 きっと王女は酷く嘆いただろうと想像すれば、白髪になるまで一緒に過ごせなかった自責や無念にも似た想いが胸を焦がした。

 ルークもジョンも当然だけれどエミリアの身の上に起きた変化を知らない。それが奇跡か災難かはエミリア本人にもまだ断言できない問いだけれど。

(普通僕とは違って前世の記憶なんてないよね。エミリア姫の魂が転生したら、前世なんて忘れて僕の知らない時代の相手と添い遂げるのかな)

「……何か、いやだな」

 講義がいやならバッくれるかと隣の席の学友……というより悪友がこそっと誘って来たけれど、曖昧に答えて流した。
 チクリと痛んだ胸の奥。
 エミリアは最早過去の自分の相手なのに、ルークの大事な心の底にはハッキリと王女がいる。

 そして、もう一人の最愛も未だ鮮明で――……。

(――アリア。君は今どこにいて、何をしているの?)

 まだ教授は来ない。本当に時間にルーズだ。
 それでもこの分野に独自の優れた講釈をすることで有名な教授の講義を、風邪をこじらせてでも聴講したいという学生は多い。その一人でもあるルークはこの退屈な僅かな空き時間を思索に耽ることで有効に活用していた。

(結局捜せないままもう十年くらいは会っていないし、彼女も外見的には随分変わったかもしれない。だって十年だ)

 少なくとも自分はそうだ。もう子供ではない。

(まあ彼女は奇跡の若さで屋敷にいた間は全然老けなかったようだけど、さすがにこの十年で多少は変わっているよね。可愛いアリアから色っぽい大人のアリアになっているかも)

 彼女の正確な年齢は知らない。
 誰も……知っていそうな祖父は結局彼女の素性を死ぬまで教えてくれなかった。それでも大体は見た目から見当を付けられる。

(確実に僕より十は上だよねー。……結婚、してたりしてー……ハハ。アリアは魅力的だから十分にその可能性はあるよなあ)

「…………無理だ、我慢」

 ルークは再会したら人妻であろうと手を出す自信のある自分への懊悩に、頭を抱えた。何だ今度は頭痛か、我慢するなと友人が心配そうに見て来たけれど、大丈夫と手で制した。
 自分は年上好きなのかと改めて実感しつつ、今も薄れない記憶の中のアリア、彼女の姿が、声が、希少な笑顔が忘れられなくて胸が締めつけられた。
 思い出すだけでこうだ。
 だから考えずに済むように知識や技術の習得に没頭していた時期もあった。
 将軍ジョン・オークスを見習って鍛えたりもしている。
 夢の中の自分がエミリアを想うのと同じように、痺れるように嬉しくて大事にしたくて生涯を懸けて傍に居たいと願う。

 それがアリアだ。

 小さい頃からずっと同じで、少しだけ……いや少しじゃないけれど大人な欲求が加わった自分の恋心。

 不毛なのはわかっている。
 もう一度、アリアに会えればきっと何かが掴めると思うのに……。

(どこにいるんだよアリア……僕のアリア)

 会えたなら、きっとそれは奇跡にも等しく、大変な人生の決断をするのだろう、自分は。
 そんな予感があった。
 ようやく教鞭を手にのんびりと入って来た白髪の教授の講義に耳を傾けながら、ルークは今も同じ空の下にいるだろうその人との再会を願っている。

 講義が終わり次の講義までの間の空き時間、偶然にも同じ教室を使うのでルークは席を変えずにいた。
 箸休め的に窓から空を見上げて脳みそのリフレッシュを図ろうとしていると、次の講義は別の教室らしい隣席だった友人が、席を立ちながらふと他愛もない話題を思い出したような口ぶりで言った。

「そういやさあ、さっき聞いたんだが、貧民地区には孤児院教会があるだろう」
「ああ、あるみたいだよね。行ったことはないけれど。そこがどうかしたの?」
「いやー、何でもそこで最近働き出した娘が、結構別嬪らしいんだ!」
「へえ……。それはそれは。ええとまさか行ってみるの?」
「もっち! 美少女好きとしては是非とも一度顔を拝んでおきたいだろ!」
「はは……教会で拝む対象を激しく間違っていると思うよー。まあとにかく行ってらっしゃーい。僕は行かないからねー」

 つい三日前はカフェの店員に興奮していた友人へと内心では気が多過ぎるなあと呆れつつ、ルークは特段興味もなくその話題をスルーしようとした。
 しかし……。

「おう、じーっくり見てくるぜ。アリアって名前の金髪美少女なんだと!」
「――!?」

 友人の次の言葉に、思わず両手を突いて席を立ち上がってしまっていた。

 アリアはどこにでもある名前だけれど、そんな些細な名前の一致だけでも胸が高鳴った。髪の毛の色は黒かった乳母アリアとは対極にあるものの、エミリア王女も金髪だったのを思い出せば無性に姿を見てみたくなってしまった。

「え? お、おい急にどうしたよ、ルーク?」

 友人のみならず、教室にいた他の学生からも驚いたような目を向けられている。
 ルークはハッとすると「いや、急にごめん。ちょっと用事を思い出して」と気まずそうに荷物を纏め始める。

「え、お前次はここで講義じゃあ……?」
「急用」

 ルークから詮索するなとの有無を言わさない圧力スマイルを向けられて、友人は戸惑いの表情で彼が教室から颯爽と出て行くのを見送った。

 いつになく気が急いて早足になりながら、ルークは何と不真面目にも、その日取っていた講義が全て終わらないうちに大学を出てその教会へと向かった。

 けれど、衝動的に飛び出したものの、実は彼は教会のある大体の位置しか知らなかった。
 貧民地区へと初めて足を踏み入れてみてわかったのだけれど、そこは複雑に大小の路地が入り組んでいたので言うまでもなく迷った。
 しばらくうろうろと歩いた末に、一応はそこそこ交通量のある大きな馬車通りには出たものの、こんなことなら地図を持ってこればよかったと後悔した。

 目的地に行くには最早近くの通行人に尋ねてみるのが最も手っ取り早いかと考えていたところ、横道の先の更に角の向こうから誰かを呼ぶ高い声が聞こえてきた。

 その微かにしか聞こえなかった声が不思議と奇妙な程に気になって、彼はついつい曲がっていた。

 その先の角で小さな子供がぶつかって来て、危ないよと注意も込めて言い聞かせた。

 そして――……子供を追ってきた金髪の女性の姿を見た瞬間、ルークは直前までの感覚以上の不思議な感覚に陥った。

 奇跡は起きるのだと、思考の片隅でぼんやりと思った。





 王立大学もある広大な王都のとある一角。
 小さな古い礼拝堂前の庭先からきゃっきゃと子供たちの声がする。王都には大きく荘厳な大聖堂を有する中央教会があるけれど、この大都市はその広さ故に幾つもの地区に分かれてこまごまと地区教会が点在している。

 ここはその中でもあまり裕福ではない者たちが比較的多く暮らす地区の、孤児院も兼ねた教会だった。
 因みに貴族のような裕福な人間はこの近所にはほぼほぼ来ない。

「アリアせんせー! つっかまっえたっ!」
「あらまあ捕まってしまったわね。次はじゃあ先生が鬼ね」
「きゃー、あはははは、逃げろーっ」
「わーっにげろーっ」

 教会敷地の小さな庭、そこでは散らばる十歳にも満たない幼い子供たちを追いかける金髪の若い女性の姿があった。

 約一月前、住み込みで働かせてほしいとやってきた素性不明の少女だ。

 食事は自分で何とかするので要らないと言うので、結構ぎりぎりの経営状況だった小教会側も当惑しつつ了承した。彼女が来てからは何故か寄付が増え目に見えて経営は好転し、裕福には程遠いながらも子供たちの食費に困らなくなったのはありがたかった。
 何より、子供たちはすぐに打ち解け彼女を大好きになった。
 どこか日頃暗い顔をしていた子供たちも、今は楽しそうに子供らしい奇声をあげながら遊びに興じている。
 そんな中、一人の子供が捕まるものかと敷地の外へと飛び出していったではないか。

「――あっこらジャンヌ!」

 もう黒く髪を染めていないアリアが金髪を翻して慌てて追いかけると、ジャンヌと呼ばれた女児はそれを面白がって更に遠くに走って逃げ出した。大好きなアリア先生に追いかけてもらえるのがとても嬉しそうだ。

「こらジャンヌ! そっちは馬車も走っていて危ないわよ!」

 ジャンヌはまだ常識や道路の仕組みをよく理解していない小さな子供だ。自分とは違い轢かれては大事だと青くなるアリアは速度を上げる。気付いた時には既に結構離れていたので追い付くのも生憎すぐにとはいかない。

「待ちなさいジャンヌ! ジャンヌってば!」

 いつも泰然としているアリアが珍しく慌てる姿が可笑しかったのか、ジャンヌは「きゃははアリアせんせ~」と笑って曲がり角に差し掛かる。あともう少しという距離がもどかしい。
 その角を曲がって真っ直ぐ道を抜けてしまえば、もう人も馬車もひっきりなしな大通りなのに。

「ジャンヌ!!」

 叱責にも似た声で呼んだ直後、角の向こうからぬっと出て来た人影に、ジャンヌは顔面からぶつかっていった。

「ああっジャンヌ!」

 相手が馬車のような硬い物ではなかったのは良かった。
 けれどアリアはホッとした半面、ジャンヌの怪我の有無と、相手の人間性を懸念した。
 ぶつかったのが年端もいかない子供であっても暴力を容赦しない相手はいるものだ。
 教会の子供たちの中にも、そういう輩からのトラウマがある子供は少なくなかったし、年の功だけあってアリアも何人もそういう乱暴な大人を見てきた。
 幸いぶつかった相手は、ジャンヌの勢いを巧く殺してふわりと受け止めてくれたようで、弾かれて尻餅を着く心配は払拭された。
 一秒でも早く謝罪しようと思わず止めていた足を踏み出す。

 ジャンヌがぶつかったのは若い男性で、書物を小脇に抱えているのと服装から学者か学生のようだと推測できた。

 そういえばこの王都には大学があるのだったとアリアは思い出した。

(ルーク坊ちゃまも、今はそのくらいにおなりになっているわよね)

 ただ、王都に来るに当たって全く彼のことは念頭になかった。寄宿学校はきっととっくに卒業しただろうし、彼は領地を継ぐ身の上なので伯爵領に戻って領地経営のノウハウを学んでいるに違いないと勝手に思っていた。

 加えて、諦めたのかいつしか彼の捜索の手も感じなくなっていたので尚更だった。

 決して諦めたとかそんなことはなかったのだけれど、たまたまニアミスすらしなかったので幸か不幸かアリアは気を抜いていたのだった。
 ふと思い出していたルークと同じ栗色の髪の彼は、わざわざぶつかったジャンヌの前でしゃがみ込んだので、ジャンヌの陰に隠れてアリアから顔はまだ見えない。

「大丈夫だった?」
「うん、ありがとうお兄ちゃん。ぶつかってごめんなさい」
「反省したなら、今度から曲がり角は危ないから気を付けるんだよ」
「うん!」

 変声後の声は柔らかく、アリアの耳に心地よさを与えた。
 そんな彼はジャンヌと目線を合わせている。

「それから、この先は馬車がたくさん通って君一人だと危ないから、大人と一緒にね」
「うん! じゃあジャンヌねえ、アリアせんせーと行くね!」
「アリア……?」

 元気の良いジャンヌを解放し、おもむろに立ち上がった男性が顔を上げる。

 目が、合った。

「あ……」

 という声はどちらのものか。

 トクンと、アリアの百年揺らがなかった心臓が何故か高鳴った。
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