短編中編マーブル(大体恋愛)

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BL 双星は満ちて欠けて満ちて7

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 あっさり過ぎて逆に拍子抜けしたのもあって、まだ全然胸をドキバクさせた僕はどういうつもりかと探るみたいに恐る恐る振り返った。それは或いは不快に思って引いていると思われても不思議じゃなかった。

 見れば、カノンの顔には気まずそうな表情が浮かんでいる。

 かつて僕の前じゃいつもマイペースだった男の予想外の反応にかえって怪訝になった僕は、無意識に眉をひそめていた。そんな僕を見てカノンは尚一層動揺の色を強くする。
 役以外でカノンがたじろぐような場面はほとんど知らないからこそ、解せない。
 だってたったのこれくらいで?
 そもそも玄関での図々しさみたいなのはどこに行ったわけ?
 母親の前だったから無難に仲良しアピールってわけ? まあお世話になる家の息子と仲が悪いですーだなんて知られてもメリットないもんね。
 それにしても、だ。もう僕だけの前なんだし好青年演技は不要だよ。
 どうしてか、説明を待っていても何も言って来ないから僕の方から切り出した。

「何か用事? そうじゃないならお互い忙しいし干渉はしないでおこうよ。ふざけて急に抱きつくとかびっくりするからやめてよね」

 多少口調がきつくなったかもだけど、まあ最初にビシッと言っておいて損はないかな。

「それと昼間みたいな無茶振りもね。あれはタツキとレンってわけで皆も納得だったけど、もしも同居人の男と変な噂が立ったりしたら困るだろ。そうなれば人気芸能人の君の方にダメージがあるだろうし」

 カノンは黙り込んでいてまだ何も言わない。

「気を悪くしたかもしれないけど、そういうの気を付けてほしい。頼むよ」

 僕は言いたかった事を言って多少溜飲が下がって踵を返した。
 正直に言えば、どこか寂しげな顔付きでいるカノンをあしらった自分の冷たさに胸が痛んだけど、そこは僕の方で距離は必要だなって痛感していたのもあって無視した。
 だって、気を抜けばすぐにも顔が火照りそうだった。

「ごめんな、ゆきる」

 絞り出すように言われて、思わず動きを止める。

「本当にごめんゆきる。俺のせいでお前は演技すらもやめたんだよな」

 はあ、と本気の嘆息が出て肩越しに振り返る。また過去話だし。しかもまだ罪悪感を抱いてるような話しぶりだし。

「どうしてそう思うんだよ。僕は僕の意思でやめたんだ。君は関係ない」
「でも嫌いでやめたんじゃないだろ。俺と顔を合わせたくなかったからなんだろ」
「単に僕自身が未熟だったに過ぎない。君のせいとかそんなじゃない。ホントにもう気に病む必要はないよ。同じ家に住んでるんだしかえってやりづらい。過去のあれこれなら僕ももう何とも思ってないしね。僕の方こそ疎遠にして気にさせてしまってた部分があったみたいでこっちこそ配慮が足らず悪かったよ。お互いに過去は水に流して普通に友人として過ごそう」

 双方にとってウィンウィンじゃないかって思っての提案に、だけどカノンは愕然としたように目を瞠る。

「え、何でそんな反応? 何か不服なの?」

 彼は唇を引き結ぶと頷くように俯いて、一歩僕の方に距離を詰めた。
 伸ばした手で僕の手首を掴む。

「カノン?」
「単なる友人は嫌だ」

 指の力が増して痛くはないけど肌に食い込む。ここで彼の手を払えなかったのは、僕が今まで見た事のない悲しそうで弱ったような様子だったからだ。

 まるで母羊とはぐれた子羊みたいな……。

 護ってやらなくちゃって思ってしまうような……。

 そんな眼差しに、僕は何故か思いっ切りドキッとした。

 え、だ、誰これ?
 昼間の堂々たる余裕はどこに行ったよ?
 今日一番にバクバクバクと心臓が早鐘を打っている。

「俺はもうゆきるとの待ち合わせには遅れないし、急にアドリブやってゆきるを驚かせたりしない。告白を疑ったりだってしない。だから嫌わないでくれよ……」
「…………え?」

 嫌わないで?
 な、何だよ弱々しいふりなんてしちゃってさ、これまた何かの仕込み企画なの?

「本当はいつだってゆきると居たくて、でもあの頃の俺のままじゃそうできなくて、会わない間もゆきるに俺を忘れてほしくなくて有名になれば嫌でも目に付くよなって頑張って、ようやくここまで来れたんだ」
「えーと、もしかしてまだ昼の撮影の続きか何かなの?」
「違う!」

 カノンは顔を撥ね上げたけど、そこには必死さしかない。
 うっ、ちょっと罪悪感。でもさ今のカノンの姿を本当だって信じろってのがまず無理だよね。

「撮影なんかじゃない。俺は、俺は……っ、本当にずっとお前に会いたかったんだ。会って俺も本当はずーっと同じだったって伝えたかったんだ」

 俺もずっと同じ?

「お前の手紙のあれ、本当の気持ちなんだよな」

 さすがの僕でもわかった。
 いやでもまさか、嘘だろ?
 だってカノンは恋の相手には困らないだろう人気俳優で、彼の日常には男女を問わず誰もが羨む魅力に溢れた人達がいるはずだ。そんな男が僕に恋慕するのか? しかもずっとって?

「あー、えーっと、あれにはふざけた事書いたけど、ま、真に受けたの?」
「あの手紙は全然ふざけてなんかなかったろ。それくらい俺にもわかる。はぐらかそうとするなよ」
「……そうだね、ごめん。あれは本心だ。でも僕は君に振られたも同然だったはずだけど。君の様子だって嬉しくなさそうだったしさ」

 取り下げた告白はそうするに至った理由がカノンからの否定だ。

「あれは、お前も俺と同じ気持ちだとは信じられなくて、だから否定してほらやっぱり錯覚でしたってそうなると思ってて、お前も実際後でそう言ってきたから、ああやっぱ俺を好きじゃなかったって信じたんだ。それなのに……」
「僕があの手紙を送ったと」

 カノンはこくりと無言で首を振る。

「読んだ時は嬉しくて死ぬかと思った。でもゆきるはそっちから連絡手段を断った。その頃じゃもう俺に幻滅してたからだって思ったら、どうすればいいのかわからなかった。俺から動いても無駄だよな、もう遅いよなって何度も躊躇ってたけど、意を決して家まで行ったらゆきるんちはゆきるんちじゃなくなってた」
「あー、僕は寮だったし、両親はここに越してきてたからね」
「そうだよ。事務所の人も教えてくれなくて……でも街で偶然ユキコおばさんにバッタリ会ったんだ」
「だから色々知ってたのか」
「ああ。ホントに運が良かったと思うよ……ホントにさ」

 目に見えない何かに心底感謝でもするように情感豊かに呟いて、カノンは弱い笑みを浮かべた。

「ゆきるを失わずにすんだ」
「……大袈裟だな」
「大袈裟じゃない。俺は事務所で初めてお前に会った時からずっと好きだったんだ」
「へ!? 初めて会った時から!?」

 それはかなりの予想外。だけど嘘じゃなく、カノンが僕を好き? 冗談じゃなく? 真実で? 本当の本当に?
 ……ちょっとどうしていいかわからない。
 僕は素直に喜ぶべき?
 彼との再会は僕の恋慕をよみがえらせて、僕はそんな自分を嫌悪さえしたのに。
 そうだよ、僕達は今更じゃないの?
 たぶんきっともうお互いに悩むべきじゃない。
 そう考えたら、ドキドキの裏で急にひんやりとしたような冷静さが胸に降りた。

「カノン、お互いのためにも過去に囚われるのはやめてくれ。今の僕達は、友人でしかないよ。その方がいいんだ」

 自分でも思った以上に落ち着いた声が出て、カノンの方は凍りついたように目を瞠る。

「それは、昼間一緒にいた奴と付き合ってるからか?」
「は? 昼間の……って、もしかして大樹の事言ってる!? いやいやいや大樹は友人だよ。彼とは未来永劫そういう関係にはならないって。冗談でもやめてよね」

 大樹との尊い友情をそういう目で貶さないでほしいね。
 カノンはどこかホッとしたような顔をしたけど、次には顔を歪めた。

「じゃあ、他に好きな人がいるとか?」
「……いないけど」
「なら、試しに俺と付き合ってもいいだろ」
「何だよその無理矢理な論理は」
「どうしても、俺はもう駄目なのか? すっかり気持ちが消えたのか?」

 答えにくい問い掛けに思わず黙ってしまえば、カノンは眉を下げた。

「しつこく言って悪かった……」

 あ、そう取ったの?
 僕がちょっと気に病みそうになった矢先だ。

「……まだ会えないとか、一人で馬鹿みたいに悠長にするんじゃなかった。時間は心をより離れさせるのに……」

 これは現実なのかって思った。だって彼は懇願するような眼差しのその両目からポロポロと涙を零した。

「ゆきる、ホントに、もう駄目か?」

 カノンは抱きついてきたりしなかったけど、唇を震わせた真摯な言葉で僕に縋る。僕は言うまでもなく咄嗟の言葉も浮かばずその様を見つめるしかできない。

 泣くなんて、完全に想定外。

 恋によってここまでキャラ変した相手を僕は知らない。

「俺は大きな怪我までさせたし、俺じゃ相応しくないだろって一生墓まで持って行く気持ちだって思ってたのに、俺の存在をどこかで目にしてその都度思い出してくれればそれでいいだろって自分に言い聞かせてたのに、何度そう思って自分を説得しても、もう我慢できなかった」

 ゆきる、とカノンは震える鼻声で僕を呼ぶ。
 違う。あれはカノンのせいじゃない。病院でも何度もそう言っただろ。なのに本音の部分じゃまだ頑固にも全然納得してなかったのか。そうして気に病み続けていた。
 ああ、何だよ君は……!
 いじましいような気持ちが僕の胸を無性に掻き乱す。

「俺はお前が好きなんだ。こんな風に密かに画策して狡賢く家にまで上がり込むくらいに。お前が他の誰に靡くとこも見たくない。会いたくて会いたくて会いたくて気が変になりそうに会いたかった」

 彼の口からの言葉じゃなければ僕はきっと物凄く重たい言葉だってしんどく思っただろう。
 だけど、不思議と一切そうは感じなかった。
 演技にだって見えなかった。
 急に無様に泣いたし、あろう事か国民的イケメン俳優が汚らしく鼻水を垂らしてる画なんて絶対にイメージダウン。事務所的にもアウトだ。
 これは撮影じゃなくて本物の心で僕に体当たりしてきたんだってわかった。

 こんなこの上なく可愛い様で。

 思いもしなかったけど、カノンって泣くとすごくその……そそられる。

「ふっ……ふふっ」
「……ゆきる?」

 カノンの情けない顔に僕の眉尻が駄々下がる。
 何だかなあ……。目線の高さもあってか、あやして慰めてやらないとって思ってしまった。僕ってこんな単純な人間だったらしい。
 にしてもさ、カノンは今までずっとこんな健気な一面を隠していたんだ?
 かなりの変化球だよ。見事にやられた。

「カノン、下に戻ったら変に思われるから、ほらもう泣かないの」

 仕方がないなあとか放っておけないじゃないかとか、お節介な自分もあった。
 でもそれ以上に感じたのはこれだ。

 こいつめちゃ可愛いなって。

 昔は、僕よりも達観したような雰囲気を持つカノンへは、憧れとか年上を仰ぐような気持ちがあった。だけど今は可愛い後輩を世話するような気持ちになっている。
 そもそも彼の突然のギャップが悪い。僕の前でだけこれだなんて反則じゃないか。
 あーあ、僕の負け。
 僕は僕でかつてとはちょっと違う形……というか進化形で彼を好きだって思ってしまっている。歪んだとも言うかもしれない。
 昼間に解かれてしまった心の封印は、本人を前にしてあっという間に封じる護法を木っ端微塵にして元通りに満タンって感じだし。自分がお手軽すぎてそこがまた悔しくもある。

「カノンはさ、ホントに僕のために今までやってきたの?」
「そうだよ」

 やや意地悪な質問かとも思いつつ指先で鼻水を指摘してやったら、カノンは慌ててそっぽを向いて拭った。そのまま拗ねたようなちょっとぶっきら棒な口調で素直に認めたし。
 何だよ、目茶苦茶嬉しいじゃんねそんなの。
 ……ん? そういや突っけんどんなその態度、僕が公園で告白した時のに似てない?
 もしかして、照れなの? 今の流れだとそうでしかない。じゃああの時も照れていたってわけ? わかってみるとそうとしか思えない。当時は嫌がられたんだろうなって思ってすっごく落ち込んだけどね。
 僕はついつい苦しかった気持ちを思い出して咽の奥が苦くなった。逆恨み的に意地悪さも込み上げる。
 僕の中にも悪魔は居たらしい。

「カノン」

 僕は両手をカノンの頬に伸ばして指で涙を拭ってやる。でも指でだから完全には乾かないし指先に湿り気が残った。その指先で彼の唇を濡らした。

「どう、しょっぱい?」

 今度は僕の不意打ちに、カノンは僕の良く知る彼のクールさからは到底信じられないように赤面した。……え、マジで? 何なの君……っ。
 心臓が飛び跳ねた僕の血圧も急上昇だよ。仕事じゃキスだってハグだって百戦錬磨って顔してこなして来たんじゃないの? 雑誌の表紙とか無意味に色気駄々漏れさせてたしこの程度は慣れてんじゃないの?
 なのに何だよさっきからのその初な反応はさ。深窓の令嬢かっ!
 胸中じゃ悶えまくる僕は、だけど顔色は変えなかった。人生経験が胆力を養ったのか、それとも演技から離れている間に表情筋が硬くなったかな。大樹に感化されて図太くなったって線もある。たぶん最後だね、うん。
 だからこそ、この演技が様になっている。

「ゆ、ゆきる?」

 潤んだ瞳を揺らしてしどろもどろのカノンに僕は勿体ぶったように顔を近付けて唇を笑ませる。

「僕もまだちょっとは君を好きだよって言ったらどうする?」
「――!?」

 そっと置くような囁きにカノンは瞬きを忘れ僕から目を離せなくなったようだった。
 それでいい、と僕の中の黒さが満足を浮かべる。
 僕のために全てを費やして成して来たって言うんなら、これからもそうでいればいい。僕は最早躊躇なく君の望む僕を与えてやれるからね。

 生まれた自分の邪悪さにはびっくりだ。

 カノンが泣かなければ僕も彼みたいに真っ赤になって右往左往していたかもしれない。だって僕の内面は宇宙の星々くらいはあるハートの大群の大嵐に見舞われ萌え中だ。

「僕をもう一度完全に振り返らせてみる?」
「ど、どういう意味だよ?」
「お試しで付き合おうかって提案」
「……っ、ゆきるは本当にそれでいいのか?」

 僕は上機嫌ににこりとして頷いた。

「だけど、僕達の関係は今はまだ秘密だよ」
「え?」
「君自身がそう言ってなかったっけ。もう少し時間が欲しいとかどうとか。あれはそういう意味だよね?」

 どんな恋愛をしようと、彼が世間からの風当たりにも動じない実績や強さを手に入れるまで。

「だからまだ秘密、でしょ?」
「ああ、ごめん」
「いいよ。それぞれに立場があるし」

 僕は確かに心底君を好きだけど、この上なく好きだとはまだちゃんと言わないのと一緒で。
 だからもっともっと僕のこの「演技」の前で知らなかったカノンを見せてほしい。
 僕だけのものを引き出すために、君を沢山焦らすから。
 恋人のキスだってその先だってたっぷり待てを食らわせて、可愛く懇願するまで許してやらないよ……なんてね。
 これが君が引き出した僕自身も知らなかった、鬼畜な僕。

 ただ、僕の中に蓄積されている御堂カノンやいつかのリビングでのカノンを思い出せば、この弱そうな彼こそが演技かもしれないと、心のどこかで薄ら思う。

 僕を好きなのは本当だとしても。

 本来の強気のままだと反発して応じない頑なな僕を懐柔するための方針転換、カノンの僕捕獲作戦かもしれない、なんて。
 だけどそれでもいいよ。

「さあほら今はとりあえず、涙を拭いて、カノン?」

 僕は優しく微笑んで、今度は取り出したハンカチでカノンの頬をよしよしと拭ってやった。因みにその後は二人でリビングに下りてうちの両親とやや遅い団欒をした。




 カノンとの絡みもあって、可愛い系からがらりと男前に変わったとよく言われる僕は美味しい素材として再び業界から注目され出した。

 かつての事務所からも連絡があって向こうさんは乗り気で僕を諭してきたし、両親もまた僕が役者をしたいなら応援してくれると言っていた。
 メディアに顔を出されるのは全く構わないけど、僕は望んで大学生になったんだし、そこは復帰するにしても学業優先で仕事は制限していくつもりだ。

 だから長期の撮影のあるような仕事は受けず、雑誌の取材やちょっとしたゲストとして出るくらいの仕事をしていたけど、その仕事先でもしばらくはカノンとのカップリングで話題だった。

 とは言え、世間も本気で僕達がどうこうなんて信じているわけじゃないだろう。要は閲覧数や発行部数を増やすというお得なアイテムの一つだ。
 だからあのドッキリで僕を好きだって半ば公然と言ってのけたカノンは仕事を干されたりはせず、むしろ以前にも増して引っ張りだこになっていた。女優や女性タレントとの熱愛報道よりは、ボーイズラブをにおわせた方が女性受けが良かったのもあるんだろう。

 商業的に美味しいってわけでよく写真撮影じゃ密着させられた。

 僕は相変わらずのポーカーフェイスだったけど、カノンは必死で照れを隠していたっけ。例えば背中合わせでくっ付いてたりする時はさすがに僕の心臓の音も聞こえてたろうからね。脈あり同然だから平静を保つのに苦労していたみたい。

 大学では女子達がやたらと話し掛けて来るようになった。

 それでもその後も僕は色グラスを外さなかったからやっぱり少し怖い印象を与えるのか、思ったよりは寄って来なかったのは良かった。
 女子と知り合えて喜んでいた大樹は、くしゃりと笑うと人好きのする顔になるってのもあって案外モテているようだったけど、そこにはどこか複雑そうな表情も見え隠れしていた。
 僕の犠牲の上にって思ったのかもしれない。何か心配事があればすぐにでも言えよって念を押された。

「あとな、カノンには気を付けろよ。仕事じゃあ仕方がねえけど、それ以外でゆきるが嫌ならあいつの無理強いには絶対に応じんなよ、わかったな? まあ、見掛けたら傍に寄らんのが一番だな」

 そう心配してくれた大樹は件の企画からこっち、カノンに対して些か悪い印象を持っている。
 僕達の関係を知らないし、カノンが同居人だともまだ知らない。おいおい話すつもりだけど怒らないと良いなあ。
 でも、近くに寄らないのが一番だってのは今の僕には無理難題にも等しい。




「ただいま」

 そう言って家のリビングに入ってきた若者が一人。
 ソファでアイスをくわえていた僕は彼を見てにこりと微笑んだ。

「おかえり。カノンも食べる? 冷凍庫にあるよ」
「アイスって……寒くないか?」
「あはは、僕は季節関係なしに年中アイス食べたい人間だから。暖房もあるし」

 今の季節は冬。
 食べるの食べないのとアイスを示すとカノンは一つ咳払いをしてからソファに寄って来て、何を思ったか僕の食い差しをぱくりと一口かじった。寒い外から帰ってきたばっかで一本は多いってわけだろう。

「冷た……」
「そりゃアイスだしね。でもソーダ味だから君みたいに爽やかだよ」
「……ゆきるから見ても俺って爽やか、か?」
「もちろん」

 カノンはふっとあからさまに嬉しそうな顔になった。わかり易いなあホント。

「それと……もしもかじったら、とっても甘そうかな?」
「かじっ……」

 顔を覗き込むようにして見上げれば、カノンは顔から火を噴くように赤くなった。そうしてしばらく両目を閉じて必死に動揺を抑えるようにした後で、そろりと瞼を上げての堂々たる提案をしてくる。

「……試しに一口いってみるか?」

 いつも僕のペースで感情を掻き回されてるカノンにも、負けん気って言うかプライドがあるのかもしれない。今も実は憧れる強い眼差しにドキリとした心臓をひた隠して僕は両目を細めて挑発の顔になる。

「泣いても知らないよ?」
「――っ!?」

 胸倉を掴んで引っ張って、鼻先を甘噛みしてやった。
 彼の職業柄歯型なんて付けたらまずいから、残らない程度にね。カノンはガラガラと直前までの仮面を瓦解させて目を潤ませる。
 ……ああもう、休日の昼間っから変な気分になりそう。今日に限って僕達以外に誰も居ないし。
 ホント君は愛すべき男だよ。
 ただ一人以外、誰にも認めない領域で僕達は互いを求めている。
 恋人だけどまるで両片想い。だって僕達はまだ清い関係で、際どい駆け引きのような真似をしている。これ程までにジレジレって言葉がしっくりくる関係は他に知らない。

 世間ではかつてのBLドラマと同じく僕が受けってイメージでカップリングされているみたいだけど、誰もこんな僕達を知らないんだからしょうがない。

 二人きりの時はこの通りに僕が攻めなのに。

 だけど……。

 気付けば解けかけたソーダアイスが鮮やかな着色料の水色を僕の手に落としている。
 他に垂れないうちにと慌てて嘗める僕は横目でチラとカノンを盗み見た。
 カノンはジッと僕の様を、正確には口元辺りを見つめている。

 その眼差しには狡猾な獣が獲物に狙いを定めるのを思わせるような秘めた鋭さがあった。

 押し込められ圧されたような熱も。
 僕はほんの小さく口角を持ち上げた。
 ああまただ。
 時々、緩む彼の羊の仮面の隙間から、僕は彼の獰猛な真実を垣間見る。

 僕達は互いに演技をしている。

 そう、カノンの態度は演技だと、これはもう確信している。

 おそらくは、カノンの方も僕が気付いてるのに気付いてる。

 ……僕と君と、忍耐があるのはどっちかな。

 きっと君は僕が耐え切れずに君を襲ったら、これ幸いと羊の皮を取り去って狼の本性を見せるに違いない。

 さてさて、狼面をした本当の仔羊はどうするべき?

 浸食されるような強い視線に居た堪れずに、さりげなさを装ってアイスを全て嘗め取る僕は、ほんの微かにまつげを震わせた。
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