短編中編マーブル(大体恋愛)

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恋する吸血鬼と吸血鬼調教書~恋人バディ誕生までの紆余曲折~3

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「まあそういう事だから驚かないで聞いて頂戴ね?」

 そう前置いて姿勢を改めると、祖母千影は衝撃の事実を告げた。

「このままでは十六歳になった途端にあなたは――殺されてしまうわ」
「……」
「この日常を失いたくなければ、あなたは十六の誕生日までに書の中身を取得しなければならないの」
「…………」
「今だって吸血鬼から狙われているのよ。うっかりしたら攫われてしまうわ」
「………………」
「聞いているの媛? ……媛? ――媛ッ!」
「ひょあ~~~~っ!?」

 ふざけた感嘆声が飛び出るくらいに開いた口が塞がらない。

「お祖母ちゃんは普通そうに見えて実はやっぱりボケて……?」
「オホホホまだ媛よりは若い気のつもりですよ」

 思わず素直な思考を口に出してしまえば、祖母に満面で微笑まれた。アルカイックスマイルじゃない所が余計に怖い。

「ひいっ怖っあわわわ言っちゃったごめんなさいごめんなさいっ、ええ~ッと、そっそもそも吸血鬼なんて実在するの?」
「するわ」
「え~へへっ、冗談なんでしょ?」
「冗談で改まってこんな話をするとでも? まあ、案の定の反応ね。すぐには信じてもらえないとは思ったけれど、騙されたつもりでお聞きなさい。いいわね?」
「え……えーと」
「い・い・わ・ね?」
「……う、はい」
「今までは対処できていたし銀優君もいるし安全だと思っていたのだけれど、そう甘くはなかったみたい。私達家族だけではあなたの命を脅威から護り切れないかもしれないの」
「そそそそれって殺されちゃうかもって事? でも何で私がっ? 何も心当たりないよっ」
「狙われるのは媛が緋汐家の人間だからよ」
「そんな理不尽なあっ! でもどうして? 吸血鬼の皆さんは緋汐という名字がお嫌いなんですかっ? ヒ・シ・オの響きが気に食わないとかっ?」
「緋汐家にはね、代々十六歳で大きな選択をしなければならない決まりがあるの。加えてその日を境にして吸血鬼からは存在を察知されやすくもなるわ」
「選択? 決まり?」

 初めて聞いた家の事情に心底怪訝そうになる媛へと祖母は相槌のように頷いてみせる。

「ええ。あなたの両親の強い希望で今まで黙っていたけれど、やっぱりちゃんと教えておくべきだったわね。二人とも媛にだけはギリギリまで何事もなく普通の人間の子として過ごしてほしかったのよ。調教書を完全に習得してしまえば十六歳の誕生日を過ぎても何も問題はなくなるわ」
「ち、因みに習得できなかったら?」
「こちらだけでは手に負い切れないわね……」

 小さく消えた語尾には無力感が込められているようだった。

「お祖母ちゃんはこの吸血鬼調教書を読んで学べば万事が助かるって言いたいの?」
「ええ」
「ところで何で調教書……? なんか調教とかって女王様な感じ。弱点百科とか撃退法百選とかはないの?」
「それなら大丈夫。弱点も欠点も急所も全部ひっくるめた書ですもの。それに女王様の何がいけないのかしら? 素敵じゃないの、女王様」
「…………」

 本当に疑問に思っているようにこてんと小首を傾げる祖母に、これがいわゆるジェネレーションギャップなのかと本気で思う媛だ。
 それとも吸血鬼調教書とのタイトルセンスに既に疑問を感じる媛がまだまだ未熟なのだろうか。
 媛はごくりと生唾を呑み込んで書物に手を伸ばした。
 両手で持ってもずしりとはくるが、至って普通の書物のように見える。

「一見普通の本だけれど、その本は緋汐の血を引く者にしか読めない仕様なのよ」
「そうなんだ!?」
「ええ、誰かに悪用されないようにするためよ」
「……でもそれって裏を返せば私だけじゃなく、解読できるうちの家族はもれなく全員狙われるんじゃ……?」
「ふふふ、書物に記されているのは弱点なのよ。躾けは勿論、最悪吸血鬼の存在が滅ぶような、ね。この書の中身を熟知している相手をわざわざ襲ってくる馬鹿者はいないでしょう。手痛く撃退されるのが落ちだもの。……ん、あらでも時々無謀な愚か者はいたかしらねえ」
「へ、へえそっか……」
「けれど媛はまだその書を習得していないから、狙われたら危ないというわけね」
「そそそっか……。じゃあとにかく私は死なないためにこれを読んで一日も早く身に付けて、死なないために襲われたら弱点を攻められるようになればいいんだよね。死なないためにっ!」
「……同じ台詞三回言ったわね。まあその通りよ」
「ええええでもどうしよう、そうなると怖くて一人でコンビニにも行けないよ~ッ」

 媛はぐっと拳を握る。

「よし、警察に…」
「取り合ってもらえないわね。あの組織の中にも隠れ吸血鬼がいるし」
「ええっ! じゃあ外国に高跳びするよ」
「喜々として飛行機に細工してくるんじゃないかしら」
「ひいいっ! じゃあじゃあ核シェルターに逃げ込むとか!」
「伝手はあるの? というよりそれじゃあ袋の鼠じゃないの」
「うわあ逆転の発想きたよーっ」
「落ち着きなさい媛。深刻に考え過ぎるとかえって悪い結果を招くものよ」
「狙われてるのは私なんだから落ち着けって言われても無理っ」
「媛、だから落ち着いて、媛」
「うわーんどうしようどうしよう~ッ」
「――媛!」

 まるでお守りのように重たくて分厚い調教書を抱きしめて右往左往していた媛は祖母の一喝にビクッと身を縮こまらせた。大人しくなりつつも薄ら涙が浮いている目で祖母をチラ見する。

「媛、何があっても媛が媛でいたいと望むなら、どんな選択も未来の希望を消しませんよ」

 よく覚えておきなさい、と祖母は真剣な眼差しで諭してくる。

(どんな選択もって、どういう意味?)

 そう言えば訊いていなかった十六歳の選択とは何なのだろう。

「あの、お祖母ちゃん、緋汐家の十六歳の選択って一体何を選ぶの? 吸血鬼に見つかりやすくなるって言ってたのと関係してる?」
「それは……」

 ピンポーン、と来客を知らせる玄関チャイムが鳴った。折角の質問タイムも中断だ。

「いいところなのに誰だろもー。宅配便か回覧板かな。ハイハイ出まーす……って、この顔はご近所さんだ」

 インターホンの画面で来客を確認し外へと応対の言葉を返すと媛は席を外した。媛の住んでいる地域はちょっとした住宅街だ。比較的大きくて新しい住宅が立ち並ぶ一画に自宅は位置している。先祖代々のものなのか緋汐家の所有地はご近所の皆さまの土地面積よりもちょっと(二倍くらい)大きいので、家は普通だが庭は広々だ。
 毎年造園業者に整備を依頼しなければならず、祖母、父、母、自分の家族四人にはちょっと広い気がしないでもない。
 犬でも飼えばもう少し賑やかになりそうだが、きっとここを嫌がってすぐに脱走してしまうだろう。何度も前例があるのでもう家族の誰も動物を飼おうとは言わなくなった。犬だけではなく不思議な事にこの家には庭先はおろか屋根の上にも鳥や動物が寄って来ない。まあ、野良猫や鳥のフンの掃除をする必要がないだけマシだろうか。

(……あれ?)

 家族四人。

「四人……だよね? うん」

 一瞬脳裏に優しい何かがよぎったけれど、媛はそれを掴めず、さりとて気にもせず玄関へと向かった。
 来客は三軒隣に住む佐藤さん家の奥さんで、煮付けが上手くいったからと夕飯のおかずを一品お裾分けしてくれた。
 緋汐家は今時にしては中々に親密なご近所付き合いをしていたりする。緋汐家もお歳暮やお中元を食べきれないからとお裾分けしているので、ここは持ちつ持たれつなのだ。

「そう言えば佐藤さん何だか顔色が優れなかったし疲れてボーッとしてたみたいだけど、体調大丈夫なのかな? でもラッキー、佐藤さんの手料理は絶品なんだよね」

 タッパーごと受け取った煮物を手に台所の冷蔵庫に寄って仕舞うと、今夜の夕食は楽しみだなあとウキウキして祖母の待つリビングへと戻る。

「媛、今すぐ銀優君に電話してここに来てもらいなさい」
「へ?」

 さて話の続きを、と思っていた媛の予想に反し、戻った媛を迎えたのはどこか険しい顔付きで庭の梢の辺りを睨んでいる祖母千影の横顔だった。
 何故に銀優を呼ぶのか。
 祖母はピリピリとしていて、とても理由を訊ねられる雰囲気ではなかったので媛は素直に指示に従った。

(まさか更年期……とか?)

「とっくに終えましたよ」

(ひぇっ)

 機嫌が悪くても祖母の千里眼は百発百中。媛は銀優の携帯のコール音を聞きながら祖母が見ているのと同じ方向を眺めてみたが、何かがいる気配なんて感じなかった。
 そういえば銀優と親しくするのを祖母だけは反対していないのだと思い出せば、両親が仕事で出張中の今ならこの家に呼んでも怒られない、一緒に遊べる、と密かに内心で笑みを作る。

「もしかしてお祖母ちゃんも退屈だったんだね。銀優を呼べば三人でトランプとかゲームで対戦とかできるし」

 一人で平和にテンションを上げている孫を何とも言えない面持ちで見やっている祖母の目には憐憫にも似た生温かい色が。

「ふふ。媛はどんな場所でも楽しく暮らしていけそうね……」

 沙漠の遊牧民とでも北極の白熊とでも南極のペンギンとでも深海魚とでも、きっと宇宙人とだって……。強い子に育った媛を微笑ましく見つめ、緋汐千影は一度庭先を睨み何らかの決意を込めた双眸で自身の手を見下ろした。
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