上 下
74 / 114
第10章・年を越そう

第68話・年越し鍋

しおりを挟む

時が流れるのは早いもんで、俺がこの世界に来てから約3ヵ月が経った。今日は8月30日。今年最後の日、そっちで言う大晦日だ。
街は収穫祭の時ばりに賑わってて、年末セールなんて張り紙がよく見受けられる。
晩期に入ってからは少し肌寒くなってきた。初冬くらいの気温で、雨の日も減ってきている。
そういえばこっちの世界には雪は降るのだろうか。スキーとかスノボーの概念は無さそうだったが、そうでなくても雪はなんかテンション上がる。

「はいお待ちどうさま! またよろしくねケージさん!」

「ああ、ありがとう。良いお年を」

テリシアに頼まれた物を八百屋で買い、主人に軽く声を掛け次の店へ。

・人参5本
・大根3本
・長ネギ3本
・エノキ2袋
・焼き豆腐3丁
・お肉それぞれ適量

貰ったメモの内容はこんな感じだ。
この世界では年越しは好きなものを入れた鍋を家族で囲むのが一般的だそうだ。前の世界は年越し蕎麦が普通だったが、まあ世界によって違うってことだな。
どれくらいの量が適量なのかは分からないが、とりあえず重い。大根3本が結構腕に来る。しかもまだ肉屋も行かなきゃなんだよなぁ……。
テリシアは「お肉は特に量は指定しませんが、エラムちゃんがお腹いっぱいになるように買ってきてくださいね!」と言ってた。
うん、キツイ。
これは一旦、今持ってる材料を家に送った方が楽だな。じゃあ早速転移を……いや待てよ。
今このまま食材だけを家に送ったら、家にはエラムとエルと食材だけになる。常に腹ペコなエラムがこれを見つけたら……。
※テリシアはお仕事中

「そりゃ食べるわな……」

ガックシと肩を落とし、ため息を付く。
そして閃いた。

あ、良いこと思いついた。

え?
お前の良いことは良いことじゃない?
うるせぇよそんな事ないから。見とけよ。

邪魔にならない場所で一旦荷物を降ろし、魔力を溜める。そして、精製する。

「四次元ポ〇ット~!」

ケイジの手には黒い手提げ袋。特におかしな様子は無い。

そんな目で見るなって。
パクリじゃないんだよこれは。完全な一次創作アイテムだって!
そりゃお前、どっかの世界には似たような名前の秘密の道具使うブルーの機械があるかもしれないけどよ。可能性の1つだそんなもんは。

まあ名前の通り、簡単な4次元空間を中に精製した手提げ袋だ。軽く作ったから容量キャパはそんなに多くないが、鍋の具材を馬鹿どもから守るにはうってつけのアイテムだぜ。

持っていた食材を袋ごと手提げ袋をぶち込み、ケイジは肉屋に向かった。



間。



場所は変わり、ギルドの中にて。
何気にケイジがいない所の描写するの初めてかもね。

「テリシア~!」

「わっ! メル、おはよう」

注文された食べ物を運び終え、カウンターに戻ろうとするテリシアにメルが飛び付いた。その近くにはジークもいた。

「あれ? 今日はケージさんと一緒じゃないの?」

「うん、ケージさんにはお買い物してもらってるよ」

「買い物?」

尋ねたのはジーク。

「はい、今日の夜の、お鍋の具材の買い出しです。さすがにエルちゃんたちには頼めませんから」

苦笑いを浮かべるテリシア。
幾ら何でも鍋の具材を全て食い尽くされてはたまらないという事だ。

「はは、なるほどな。テリシア、コーヒーくれ」

「かしこまりました」

「テリシアは、やっぱり今年は家で過ごすの?」

「そうするつもり。今年は家でも1人じゃないからね」

テリシアは嬉しそうに笑って言った。

「そっか。私達はいつも通りギルドで年越しするから、気が変わったら来てね」

「うん!」

エルとエラムは例外として、相変わらずテリシアがタメ口で話すのはメルだけである。以前、ケイジが二度とテリシアの家には来ないと言い、怒った時はついタメ口になっていたが、普段は敬語のままだ。
メルがテリシアにとってどれだけ大切な存在なのかがよく分かる。

ちなみに、メルも言っていた通りだが、年末年始もギルドは休まず営業中である。とは口ばかりで、実際は今日の年越しから新年の2日目あたりまでずっとどんちゃん騒ぎをしているという事だ。レニカもミルもガルシュも、古参の者達は皆ここで一堂に会する。テリシアも、今まで1人でいた時は寂しさを紛らわすために年末はギルドで料理や酒の手配の手伝いをしていたのだ。

「ジークさんは年越しの思い出とかあるんですか? コーヒーです」

「あ~、そうだな……昔、まだ姉さんが生きていた時に、こっそり家を抜け出して初日の出を見に行ったことはあるな」

「初日の出かぁ……じゃあ今年は私と行こうね!」

「ああ」

「テリシアもケージさんたちと行くでしょ?」

「うん、もちろん」

すると、メルが何かを閃いたかのようにピーンとテリシアを見た。

「え、何? どうかした?」

困惑するテリシア。

「テリシア、今日さ。4人で鍋食べ終わったら、エルちゃんとエラムちゃんギルドに連れてきなよ! 2人っきりで話したいこともあるでしょ?」

「メル……うん、ありがと!」

「……ふっ」

密やかな企みをするテリシアとメル。そしてそんな2人を見て穏やかな笑みを浮かべるジーク。
今日もフェアリー・ガーデンは平和である。



間。



一方、ケイジは肉屋での買い物を済ませた後にガルシュの焼肉屋にいた。店はそれなりに混み合っていて、いい匂いが漂ってくる。

「ガルシュ! ちょっといいか?」

「お、ケージか! どうした?」

「悪いんだが、ガルシュんとこの冷蔵庫にこの食材置いといてもいいか? 夜になったら自分で持ってくから」

「別にいいが、何でだ? テリシアの家にも冷蔵庫くらいあるだろ?」

「あ~、そうなんだが、うちにはハイエナが2匹ほど徘徊してるんだな……。さすがにこれ食われたら鍋が出来なくなる」

「ギャハハハハ、なるほどな! いいぜ、適当に入れといてくれや!」

「悪いな、助かる」

大量の肉を保存してある冷凍庫の隣の、主に野菜がメインの冷蔵庫に入る。
魔力を溜め、持っていた手提げ袋を1枚の布に変化、それに転移の魔法を付与した。こうして、この布の上に食材を置いておけばテリシアの家に帰ってもその場で食材が取り出せるのである。

「これでよしっと。さて、帰りますか」

冷蔵庫を出て鍵を閉め、ガルシュにそれを渡す。

「じゃあなガルシュ、良いお年を」

「おう! また明日な!」

年越し、か。
人間ってのは不思議な生き物だな。別に今日と明日で何か変わるって訳でもないのに、この日は特別な気分になる。祝いたくなる。誰かと過ごしたくなる。
向こうの世界にいた時は全く興味無かったのに、今は少しワクワクしてる。
本当に、変わったなぁ、俺。

ケイジは空を見上げた。
綺麗な蒼空を。
しおりを挟む

処理中です...