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第1章・ウィリアム・エリード

第3話・エリード家の1日(昼)

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「あ、ねえねえウィル」

  朝食を終え、日課である勉強と読書を終えて街へ行こうとしていたウィリアムを呼び止めたのは、この屋敷の中で唯一の金髪をふわりと揺らす彼女だった。

「ん、どうかした? 母様」

  母様だ。今日の仕事はもう終わったのだろうか、何やらニヤニヤしながらこちらに近付いてくる。そして耳元でこそりと話し出した。

「あなた、もしかしてカナエのこと好きだったりする?」

「は!?」

  予想外の話題に思わず声が出た。無意識のうちに顔を赤らめる息子を見ると、母親はさらに笑みを浮かべながら続ける。

「だってだって、あなたたち凄く仲がいいじゃない? 今朝もお洗濯手伝ってあげて……夫婦みたいだったわよ?」

「あれは1人じゃ大変そうだったから手伝っただけで、好きとかじゃ……」

「え~、じゃあウィルはカナエのこと嫌いなの?」

「そんなわけないよ。カナエは大切な……」

  そこまで口に出してからハッとした。

「大切なぁ……?」

  母様は嬉しそうに顔を覗き込んでくる。今のは間違いなく失言だった。
  そんな時、大人気なく自分の息子を追い詰める母親の後ろからふと足音がした。

「あれ、ウィル様とフィリー様? 廊下で何をなさってるんですか?」

  この窮地から救ってくれたのは、他でもないカナエ本人だった。さすがに本人に聞かれるのは気が引けるのか、母様は「何でもないのよ」とだけ言って自室へと引っ込んでいった。自分を放ったらかして逃げるのは母親としてどうかと思ったが、幸いなことにカナエには会話は聞こえていなかったらしい。
  そんな親子のやり取りも知らず、頭の上にはてなマークを浮かべて首を傾げるカナエの肩を軽く叩く。

「ごめん、何でもないから……」

「ならいいですけど……ウィル様、どうして顔を背けるんですか?」

  先程あんなことを言われたばかりか、カナエの顔を直視するのが妙に気恥ずかしかった。そんなウィリアムを、カナエは不思議そうに見つめている。
  お世辞無しに、カナエはかなりの美人だ。笑顔のよく似合う少し幼い顔立ちに長めの黒髪。さらにノースも認めるその仕事ぶりは疑う余地がない。

「いや、なんでもないよ」

  だからこそ、あんなことを言われれば意識してしまうのは当然だ。
  何故かと聞かれれば分からないが、今までカナエを女性として意識したことは無かった。それよりも、姉や妹のような存在の方がしっくりきていたからかもしれない。

「む~、だったらちゃんとこっち向いてくださいよ!」

  顔を掴まれ、ぐいっとカナエの顔の前に持っていかれる。
  かつてないほど近い場所から見るカナエの顔は、魅力的に感じずにはいられなかった。長いまつ毛に綺麗な茶色の目。手入れの行き届いた肌にぷるんとした唇。
  自分の顔がますます赤くなるのを感じた。

「え、ウィル様顔が凄く赤いですよ! まさか熱でもあるんじゃ……!?」

  カナエがオロオロし始めると共に、視界の端にとある人影が映る。それは自室のドアを少し開け、そこからニヤニヤとこちらを見つめる母親の姿だ。
  既に顔は熱くなってしまって堪らない。これ以上は倒れてしまいそうだ。

「いや、大丈夫だから! ほんとに大丈夫!」

  カナエの手から抜け、とっさにその場から脱出した。あのままあそこにいたらオーバーヒートしていたに違いない。

ーーー母様があんなこと言うから……!

  早足で歩きながら、先程言われた言葉を思い出す。するとそれと同じく、触れてしまいそうなほど近くで見たカナエの顔も浮かび上がってくる。
  またもや顔が熱くなるのを感じて、ブンブンと頭を振った。

  大人びているとは言ってもウィリアムはまだ18歳。大人な人付き合いはまだまだ難しいようだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


  多少のトラブルはあったものの、ウィリアムは予定通り街へと出かけた。
  今日も天気は良く、水色の空がはるか遠くまで広がっている。頬を撫でる春風はほんのり暖かい。

「ん~、気持ちいいな……」

  街の散策はウィリアムの日課のひとつだ。恩師が言っていたように、自分の領地の民を知るための日課。その効果ははっきりと現れている。もっとも、ただ見回るだけでは民を理解することなどできない。しかし彼は誰かに教わらずとも自然に皆を労り、言葉を交わし、手を差し伸べ助けている。本人にその自覚はあまりないのだろうが、住民たちからすればウィリアムは貴族の中でもトップレベルの「良い領主」なのだ。厳密には領主は父であるステリアムだが、この子にして親あり。ステリアムもウィリアムと同様に民を大事にしている。
  とは言ってもステリアムはエリード家の当主にして領主だ。立場故の仕事量はかなりのものになる。そのため、街に顔を出す機会はウィリアムとは比べられないほど少ない。だからこそ、ウィリアムは街の住民にとって身近な領主のような存在だった。

「あ、ウィリアム様! 今日も良い果実が入ってますぜ! 後で持ってってくだせぇ!」

「ウィリアム様、もう昼飯は済ませたんですかい? まだなら是非うちの店へ!」

「坊ちゃん、また背ぇ伸びたかい? ウチの服もよかったら見ていってくれよ」

  春季に入り、街も賑わいを増してきた。農業や畜産業が始まり仕事が増え始める春季と、収穫が始まる秋季は街はより賑わいを増すのだ。

「おはようみんな。後でまた寄らせてもらうよ」

  この賑やかさはいつ来ても心地がいい。自分を受け入れてくれているという事実が、暖かい雰囲気となって包み込んでくれるのだ。
  
ーーーこの街で生まれて良かったなぁ……。

  空を見上げながらそんなことを思う。

「よし!」

  再び歩き出す。この暖かさが、自分に力をくれるのだ。苦しい時でも挫けないように。また前を向けるように。剣を握る力をくれる。

『人は自分よりも、大切なものを守る時の方が不思議と強いのです。あなたも、いつかそんなものを見つけなさい』

  今はいない、恩師の言葉。そのほとんどが、今になってようやく理解できる。
  教わっていた当時はよく分からず、何度も彼を困らせてしまっていたものだ。懐かしい光景が、今でも鮮明に思い出される。

ーーー確かにあなたの言う通りでしたね、先生。

  この街が、優しい家族が、守るべき大切なものだ。
  
  この気持ちを、暖かい心を、忘れないようにしよう。きっとそれが、俺の人生を豊かにしてくれる。


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