せめて夢の中は君と幸せになりたい

Ringo

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season3

息子のお願い

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辺境伯夫人のアビゲイル様は、夫である辺境伯のデイビッド様と共に、自ら剣を手に前線に立つ騎士でもある。

元は公爵家のご令嬢だったのだが、幼少期にデイビッド様に一目惚れをして、次期辺境伯に嫁ぐなら剣術や体術が必要とされると言われ、五歳から鍛錬を始めた…と言う武勇伝を持つ。


「本当に可愛いわぁ。孫もいいけど、やっぱり自分の子供が欲しくなっちゃう」


夕食に誘われたのだが、アビゲイル様は息子を膝の上に乗せて楽しそうにしている。

子供が欲しい発言に辺境伯が少しむせた。


「男ばかりでむさ苦しいし、女の子が欲しかったのよね。まだいけるかしら?」

「げほっ、、ぐ……っ…」


今度こそ盛大にむせた辺境伯を見て、アビゲイル様は楽しげに笑った。

確かおふたりは十個ほど年が離れていて、嫁がれた時はまだ十五歳だったはず。

すぐに子を授かり、次期辺境伯は現在二十三歳。

確かに、まだ生めないこともないだろう。


「アビィ…それは後で話そう」

「あら、わりと本気よ?」


ニコニコと笑顔を向けられ、辺境伯は強面の顔をほんのり赤く染めてしまった。


「息子さん達は、同居されないんですか?」


僕も疑問に思っていたことをナディアが聞くと、辺境伯は少し照れたような顔をし、アビゲイル様は満面の笑みとなった。

多くの貴族は、嫡男やその家族と共に暮らしている事が多い。

けれど三人いるはずのご子息は、それぞれ家を購入して暮らしているそうだ。


「いずれはね。でも、まずは自分達だけで暮らさせるのがこの地の習わしでもあるの。それに、折角なら夫とふたりの時間を楽しみたいわ」


ふわりと微笑むアビゲイル様は美しく、それでいて騎士らしく引き締まった体型は、確かに令嬢達が騒ぐのも分かると思ってしまった。

ナディアは相変わらず目をキラキラさせて見ているし、息子と仔猫はすっかり懐いている。

そして……僕にとっては、ある意味爆弾となる発言をさらっと投下した。


「ぼくもきょうだいほしい。おかしゃま、おねがいしましゅ」


その言葉に僕もナディアも苦笑するしかなく、雰囲気から事情を察したのか、アビゲイル様はそれとなく話題を変えてくれた。






******






夕食を終えて皆で寛いでいると、折角だからこのまま泊まっていかないかと誘われ、息子の希望もありお言葉に甘える事に。

夜も更け息子も寝ついた頃、辺境伯が呼んでいると言われサロンへ出向いた。


「お待たせ致しました」

「いや、突然すまないな。酒は飲めるか?」

「はい。あまり強くはありませんが」


優しく笑みを浮かべる辺境伯に促され、座り心地の良さそうなソファーに腰を下ろす。

色々と聞きたいことはあるが、突然の誘いだった為に考えは纏まっていない。


「息子は可愛いか?」


突然の言葉に、思わず面食らった。

質問の意図は分からないが、答えはひとつ。


「可愛いです。妻の時もそうでしたが、こんなに大切な存在が自分に出来るなんてと…お恥ずかしながら、出産の際には泣いてしまいました」

「そうか」


差し出されたウィスキーを口に含むと、ほんのり甘い舌触りがしてとても美味しい。

かなり高級そうだな…と思ってしまった。


「夫人の出産は、かなり大変だったそうだな」

「……はい」


ナディアがアビゲイル様に話したのだろう。

食後の時間にふたりで何やら話し込み、戻ってきたナディアは少し眦を赤くしていたから。


「それは辛かっただろう……君も」


その言葉に思わず目頭が熱くなり、誤魔化すようにグラスの酒を煽った。

あの時に感じた不安が甦り、ナディアを失うかもしれないと思った恐怖も思い出してしまう。


「大変だったのは妻です。僕はただ狼狽えるばかりで…何も出来なかった……」

「男なんてそんなもんだ」


みんなそう言ってくれるが、どうしても自分の情けなさに落ち込んでしまう事が多かった。

大量の血を流して死の淵を彷徨ったナディア。

医師に発破をかけられたおかげで助かったと笑うが、あの時の恐怖は未だに影響が大きい。


「俺もそうだったからよく分かる」

「……え?」


思わぬ発言に気の抜けた返事をしてしまった。

辺境伯に視線を向けると、手に持つグラスを見つめながら何かを思い出しているように、目を細め穏やかな顔をしている。


「三人目の時に、アビィも生死を彷徨ったんだ」

「……そうだったんですね」


そう少なくない事だと聞いてはいたが、こうして経験者から話を聞くのは初めての事だった。

何故か少し心が軽くなる。


「アビィは持ち直したが、子供はダメだった」

「え……ですがおふたりには……」

「あぁ。三人の息子がいるが、正確には末の息子は俺達の子供ではなく…弟夫婦の子供だ」


そう言えば、辺境伯には弟がいたとジェイマンから聞いていた事を思い出した。

確か隣国からの侵攻で瀕死となる怪我を負い、その後命を落としたとも。


「出産を間近に控えた時、弟は戦で命に関わる怪我を負ってしまってな…まぁ、それは騎士の宿命でもある。だが、その姿を見た弟の嫁が倒れ産気づいてしまい、そのまま出産を迎えたんだ」


辺境伯の表情が悲しみを帯びるのと同時に、僕の心も他人事とは思えず締め付けられる。

騎士に憧れその立場となった時、僕が得たのは夢を叶えた満足感。

いつ何時生命を落とすか分からない…それ故に給与はいいが、いざと言う時に残される者の気持ちを、その時は考えもしていなかった。


「弟の嫁は、息子を産み落とす直前に息を引き取り…医師達の尽力でなんとか出産を完遂させた」


その言葉に、またもナディアの出産を思い出す。

あの時のナディアも、間もなく息子が出てくるといったところで意識を失いかけた。


「その後、産婆が意識を混濁させている弟の元に子供を連れていき…無事に子が生まれたことに弟は笑みを浮かべ、そのまま息を引き取った」

「……その子を養子に?」

「あぁ……あの子は生まれたその日に両親を亡くし、俺達は生まれたその日に息子を亡くした。何かの運命かと思ったものだよ」

「ご子息はご存知なのですか?」

「話してある。だからと言って、上のふたりと区別したことはないがな」


辺境三兄弟と言えば仲が良いと知られているが、それはおふたりの愛が間違いなく伝わっていたからだろう。

兄弟……不意に息子の言葉を思い出した。

その願いを叶えてやれない事に情けなくなる。






「三年だったかな」

「……三年…?」

「元のような夫婦関係を、再度持つことが出来るようになれるまでにかかった時間だ。どうにも怖くてな…情けないと悩んだもんだよ」


三年…長いように思うが、僕達も既に同じだけの時間を過ごしている。

愛しいと思うし欲も湧くのに…いざその時になると、どうしても挿入に至らない。


「あの……どうやって…」


こんな事を聞くのは恥ずかしいが、何か打開策があるなら縋りたいと思った。

体の関係が必ずしも必要とは思わないが、愛しいからこそ肌を合わせ繋がりたいと思ってしまう。


「どうやってか…特にこれと言って何かをしたわけではないが…ある日、走馬灯のようにアビィとの過去が脳内を駆け巡ったからかな」

「走馬灯…ですか?」

「怪我をしたとか、生死を彷徨ったとかではないぞ?特に婚約者時代や結婚したての記憶は鮮明に甦ったな。アビィを無性に愛おしいと思い、同時に深く愛したいと思った」


ナディアの笑顔が脳裏に浮かんだ。

出会った時から僕はその笑顔に救われてきて、その笑顔を守りたいと思ってきた。


「それでも子を作る事は避け続け、漸くその覚悟が出来たのはここ数年の事だ。そこに至るまでにかかる時間は人それぞれで…大切なのは、相手を思いやり愛していると伝える事だと俺は思う」

「はい……僕もそう思います」


分かってくれている、察してくれているなど思いこまず、きちんと自分の口で伝えたい。

少しでも不安や寂しい思いをさせないように、きちんと向き合って心を寄せ合っていたい。

たとえもう深く愛し合えなくとも、それでいい。

大切なのは、ナディアがいて…宝である息子を慈しみ育てていくことだけだ。




その後は取り留めのない話を幾つか交わし、少し酔いが回った状態で客室へと戻った。







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感想 129

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みんなの感想(129件)

Okumi
2024.05.05 Okumi

お願いします 
是非、つづきを読ませて下さい🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️

解除
とまとさん
2022.08.02 とまとさん

続きが読みたいです。
|-˙ )チラッ...(ノ  ˙-˙ )ノスタタタッ...チラッ( ˙-|

解除
おゆう
2022.05.07 おゆう

2回目も裏切ったら全部愚かな男の夢落ちだったで良いと思う(笑)。その時はもう救いは要らない(笑)。

解除

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