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season2
繰り返す世界には
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「僕ではなくビノワを…コーレス男爵を狙ったのは、そうするほうが僕へのダメージを大きく与えられるからですか?」
トレーシアとおじさんが知り合ったのは偶然の事だったのだろうけれど、そこで利害が一致したのだろう。
僕を手に入れたいトレーシアと、僕の大切な人を奪いたいトビアスおじさん。
ナディアが狙われなかったのは、過保護すぎる僕によって一切の隙がないよう護衛を付けていたからだと推察される。
きっと、本当ならナディアを害したかったのだろう…そう思うと、僕にも譲ることは出来ない。
「あの日…オリバーは最後まで諦めることなく、騎士として僕を守り抜いてくれました」
******
────オリバーが出ていく前夜。
多くの者が眠りについて屋敷が静まり返っている深夜に、それは突然起きた。
夜間警備についていた衛兵の声が響き、次いで鳴り響いた剣が激しくぶつかり合う音。
泣き疲れて深い眠りについていたはずの僕も飛び起き、少しの間困惑したのち、漸く夜襲による異常事態なのだと察して寝台から降りようとした。
『バルト!!』
そこに駆け込んできたのは、父親から譲り受けた剣を携えているオリバー。
騎士学校に入るオリバーの為に作られたもので、その頃にはその剣を用いて騎士達と手合わせをする姿をよく見ていた。
その剣を構えて僕を背に庇う姿は、紛れもなく騎士そのもの。
やがて僕の部屋の近くからも剣がぶつかり合う音が響き、使用人達があげていると思われる悲鳴も聞こえ始めた。
『寝台の下に入れ。声は出すなよ』
『いやだっ、僕も────』
『バルト、お前は守られなければならない。お前は生きてやるべき事や、守るべき人達がいる』
『っ…いやだ…オリバー…』
『心配するな、俺がお前を守ってやる。次期領主であるお前を…弟を守るのが俺の役目だ』
押し込められるようにして寝台の下に潜って少しした時、部屋の扉とバルコニーの窓を打ち破られて賊が入ってきたのが分かった。
何人いるのかなんて分からない。
ただ剣がぶつかり合う音と、オリバーの怒号が僕の耳に届いてひたすら無事を祈った。
あまりにも激しいやり合いに、思わずあげそうになる叫び声を口を塞いで必死で堪え、ただただ早く終わることとオリバーの無事を祈る。
どれだけの時間が経ったのか、聞き慣れた騎士や使用人達の僕を呼ぶ声が聞こえてきて、のろのろと寝台の下から這い出て…そこに広がる光景に気を失いそうになった。
『っ、、オリバー!!』
そこには、数人の賊と思われる事切れた男達と、血塗れで倒れこんでいるオリバー。
『オリバー!!いやだっ、オリバー!!死んじゃダメだ、頑張って!早く、早く医者を呼んで!』
けれど屋敷はそれどころではなく、どれだけの人が傷付いていて命を落としたのかを確認する為に残された者が奔走している。
『いやだ…オリバー……いやだよ…ダメだ…死んじゃダメだ…僕の騎士になるって…一緒に領地を守っていくんだって…そう言って…っ…』
オリバーは苦しそうに浅い息を繰り返していて、僕にも危険な状態なことが分かる程だった。
『…っ……やって…やった………』
『すごいよ…四人もやっつけた…すごい……だからもっと強くなって…僕と一緒に生きて…っ…』
『そんな顔するな…バルト……お前を守…ることが俺の役目…で…っ……お前が無事なら…それでいい…んだ…そう…でなくちゃ…いけない…俺はお前の騎士…なんだから…』
『いやだ…いやだよオリバー……』
同い年で、たった二月早く生まれただけなのに、オリバーはいつも僕を小さな弟扱いをした。
頭をわしゃわしゃと撫でられるのが好きだった。
僕より早く声変わりをして、少し大人っぽくなっているのをカッコいいと思っていた。
大きな大人に向かって、剣を振るう姿が誰よりも強く輝いて見えた。
平民だから偉い騎士になんてなれず、領地の護衛がピッタリなんだと笑う姿が心強かった。
『バルト…強くなれ……負けるな…………』
その言葉を最期に、ゆっくり目を閉じたオリバーが二度と目覚めることはなかった。
動かなくなったオリバーをいつまでも抱き締め、泣き喚いて離そうとしない僕にひとりの騎士が近付いてきて、乳母の状況を教えてきた。
『身重の侍女を庇い、深手を負いました』
乳母と同じ使用人家族用の階に住んでいた身重の侍女を庇い、背中に致命傷を負った…と。
『その侍女は…』
『かすり傷ひとつついておりません。お腹の子も無事です…オリバーを、母親の元に連れていってやりましょう』
もう抵抗はしなかった。
ただ、何よりも家族を大切にしていた乳母とオリバー…そのふたりがいなくなったという現実が受け入れられず…その場から動けない。
そのうち大きな騎士に抱えられて、無事だった使用人達の集まる部屋に連れていかれ…いつの間にか眠りについた。
やがて日の光りを感じて目が覚め、事件後の処理の為に多くの人が行き交うなか乳母とオリバーが安置されている部屋に赴き、そこでひたすら時間が過ぎていくのを見送った。
それから三日ほど経った頃、顔色を悪くしたジェイマンが単騎で駆け付け……
『ぼっちゃま!!』
食事も殆どとらず、ただオリバー達と同じ部屋で過ごしていた僕はひどい状態で…ジェイマンは何も言わずただ僕を抱き締めてくれた。
『……ジェイマン…オリバーが……』
『オリバーは…ぼっちゃまを守り抜くという、騎士としての使命を全う致しました。それは誇られるべきことです』
『でも……僕はオリバーと生きたかった……』
生まれた時から一緒で、本当の兄弟のように育って…僕のため……弟の為に騎士になると言ってくれたオリバーと、未来の領地を守りたかった。
『旦那様と奥様もこちらに向かっています』
その言葉に、オリバーの父親の顔が浮かんだ。
『……トビアスおじさんは…』
『彼は今、騎士団と共に遠征に出ていて連絡がついておりません。早馬を出しましたが、戦場にいる彼にそれが届くのがいつになるのかは…』
それから数日後…医師から腐敗が始まってしまうからと言われ、乳母とオリバーの亡骸は別荘地の高台に埋葬された。
その事にジェイマンが苦言を呈したけれど、結局は埋葬することに同意をした。
そして……こちらへ向かっていた両親は、走らせていた馬車が崖崩れに巻き込まれ、辿り着くことなく帰らぬ人となった。
******
オリバーの父親トビアスが妻と息子の死を知ったのは、それから十日が過ぎた頃。
急ぎ駆け付けた彼は、既に埋葬され仮の墓標がたてられた場所で泣き崩れ、数日ほどそこで過ごしたのちに姿を消した。
それから十年以上経つが、ふたりの命日には一度たりとも欠かすことなく花束が供えられている。
「オリバーは、僕に生きろと言ってくれた。強くなって、大切な人を守れる男になり、領民を守る立派な領主になれと…負けるなと言ってくれた。だから僕は貴方にも負けるわけにはいかない」
貴族を殺した彼は助からない。
たとえ元は男爵家の出身だとしても、三男で平民となった身であり、その実家も没落している。
平民による貴族殺しの罪は死罪のみ。
どんなに胸が痛もうと…そこに情を感じてしまおうと…決して見逃すわけにはいかない。
「僕が騎士になったのは…オリバーの夢を叶えたい思いもあったけれど…何より、騎士となって貴方と向き合いたいと思っていた」
絡み合う視線に、僅かな動揺が見えた。
「騎士となり、かつて憧れていた貴方と…乳母のチェルシー、オリバーが自慢し誇っていた貴方と剣を合わせたかった。そこで押し負け、斬られるのであれば致し方ないと…そう思っていた」
闇討ちのようなことを乳母もオリバーも望まないであろうが、それでも彼の気持ちを果たすにはそれしかなかったのだと思える。
だからこそ、僕の方から真正面にぶつかることでその怒りを受け止めたかった。
「─────」
「……外して」
何か言った様子が見られ…落ち着いていることから、プリシラ様の指示で猿轡が外される。
溜まっていた唾液を拭き取られ、再度絡み合う視線に…先程まであった怒りは小さくなっていた。
「…………お前を襲うことを…チェルシー達が望んでいないことなど分かっている…だけど…気持ちの整理がつかなかった……ある日突然ふたりを失い…オリバーはお前を守る為に死んだ…それが騎士たるものだということは分かっている…分かっていたんだ……」
騎士であることをふたりから誇られていたからこそ、後を追う事はせずに市井の警備兵として細々と生きてきた。
思うところはあれ、仲間を庇った妻と主の為に命を落とした息子を偲びながら、やがて再会するその時に思いを馳せ生きてきた。
そんな時、僕に懸想しているという女が現れ、その女と僕がただならぬ関係なのだという話を延々と聞かされ…妻がいながら他の女に現を抜かすような、そんな愚かな人間になったのかと…そんな男の為に息子は命を落としたのかと…そう僕への憎悪を膨らませた。
「女の話が本当なら…女の亭主が死ぬことで、お前に縋るしかないように仕向けて追い込ませてやればいいと思った。お前なら、恐らく放っておくことはしないだろう…そうすれば何も知らない妻は傷付き、お前の人生を狂わせることが出来る…そう思ったんだ」
その通りになった前回を思い返してしまう。
頼られ、縋られ…愚かな僕はトレーシアを守ることが使命のように動き、結果ナディアを失った。
トビアスおじさんの狙い通りだ。
「最初はお前の妻を襲うつもりだったが…何故かうまく事が運ばなくてな…」
それは恐らく、プリシラ様による影のせいだ。
ナディアに対して何かしら仕掛けようとしていることも、きっと報告されていたはず。
「次に狙ったのはジェイマンだったが…主の為に命をかけるのが執事の本質だと…その為に死ねるのなら本望だと考えているような人間を消しても意味がないからな…やめた」
「…そんなこと…ジェイマンは僕にとって大切な人だ。ずっと支えてきてくれた」
「そうだろうな…だから俺は、お前が大切にしている者をお前自身に傷付けさせることにした」
ナディアに僕の心移りを露見させ、深く傷付けさせることが一番の痛手となる…それは紛れもない事実なのだと僕自身がよく知っている。
「……だけどお前は不貞などしていなかった。俺は、女の妄言に踊らされ…罪のない人間をただ殺したに過ぎない」
かつての彼なら、たかが女の戯れ言に惑わされることもなかったはず。
それを安易に信じてしまったのは、その戯れ言で語られるのが僕だったから…僕が、オリバーの死を無駄にするような生き方をしているから…だから冷静な判断を欠いた。
「罪を償う覚悟はとうに出来ている。逃げ続けてすまなかった」
裁判で事実が明らかになってから三ヶ月近く…覚悟をしながらも姿を消していたのは……
「……今年も……花を届けたんですね…」
僕のその言葉に、彼は何も答えることなく…ただ静かに涙を流した。
最後の命日に、きっと色々と報告したんだろう。
私利私欲で人を殺めた彼が、ふたりと同じ場所に魂を置けるとは思えない。
だけど……僕が深い後悔から目覚めたように、もしかしたら彼にもそんな事が起きるのではないかとも思う。
一度目も二度目も僕はオリバーを失ったけれど…彼が繰り返す世界ではふたりが生き続けるはずだから…
乳母がいて、オリバーがいて…そしてナディアと僕達の子供がいる世界。
僕も、その世界で生きてみたい
トレーシアとおじさんが知り合ったのは偶然の事だったのだろうけれど、そこで利害が一致したのだろう。
僕を手に入れたいトレーシアと、僕の大切な人を奪いたいトビアスおじさん。
ナディアが狙われなかったのは、過保護すぎる僕によって一切の隙がないよう護衛を付けていたからだと推察される。
きっと、本当ならナディアを害したかったのだろう…そう思うと、僕にも譲ることは出来ない。
「あの日…オリバーは最後まで諦めることなく、騎士として僕を守り抜いてくれました」
******
────オリバーが出ていく前夜。
多くの者が眠りについて屋敷が静まり返っている深夜に、それは突然起きた。
夜間警備についていた衛兵の声が響き、次いで鳴り響いた剣が激しくぶつかり合う音。
泣き疲れて深い眠りについていたはずの僕も飛び起き、少しの間困惑したのち、漸く夜襲による異常事態なのだと察して寝台から降りようとした。
『バルト!!』
そこに駆け込んできたのは、父親から譲り受けた剣を携えているオリバー。
騎士学校に入るオリバーの為に作られたもので、その頃にはその剣を用いて騎士達と手合わせをする姿をよく見ていた。
その剣を構えて僕を背に庇う姿は、紛れもなく騎士そのもの。
やがて僕の部屋の近くからも剣がぶつかり合う音が響き、使用人達があげていると思われる悲鳴も聞こえ始めた。
『寝台の下に入れ。声は出すなよ』
『いやだっ、僕も────』
『バルト、お前は守られなければならない。お前は生きてやるべき事や、守るべき人達がいる』
『っ…いやだ…オリバー…』
『心配するな、俺がお前を守ってやる。次期領主であるお前を…弟を守るのが俺の役目だ』
押し込められるようにして寝台の下に潜って少しした時、部屋の扉とバルコニーの窓を打ち破られて賊が入ってきたのが分かった。
何人いるのかなんて分からない。
ただ剣がぶつかり合う音と、オリバーの怒号が僕の耳に届いてひたすら無事を祈った。
あまりにも激しいやり合いに、思わずあげそうになる叫び声を口を塞いで必死で堪え、ただただ早く終わることとオリバーの無事を祈る。
どれだけの時間が経ったのか、聞き慣れた騎士や使用人達の僕を呼ぶ声が聞こえてきて、のろのろと寝台の下から這い出て…そこに広がる光景に気を失いそうになった。
『っ、、オリバー!!』
そこには、数人の賊と思われる事切れた男達と、血塗れで倒れこんでいるオリバー。
『オリバー!!いやだっ、オリバー!!死んじゃダメだ、頑張って!早く、早く医者を呼んで!』
けれど屋敷はそれどころではなく、どれだけの人が傷付いていて命を落としたのかを確認する為に残された者が奔走している。
『いやだ…オリバー……いやだよ…ダメだ…死んじゃダメだ…僕の騎士になるって…一緒に領地を守っていくんだって…そう言って…っ…』
オリバーは苦しそうに浅い息を繰り返していて、僕にも危険な状態なことが分かる程だった。
『…っ……やって…やった………』
『すごいよ…四人もやっつけた…すごい……だからもっと強くなって…僕と一緒に生きて…っ…』
『そんな顔するな…バルト……お前を守…ることが俺の役目…で…っ……お前が無事なら…それでいい…んだ…そう…でなくちゃ…いけない…俺はお前の騎士…なんだから…』
『いやだ…いやだよオリバー……』
同い年で、たった二月早く生まれただけなのに、オリバーはいつも僕を小さな弟扱いをした。
頭をわしゃわしゃと撫でられるのが好きだった。
僕より早く声変わりをして、少し大人っぽくなっているのをカッコいいと思っていた。
大きな大人に向かって、剣を振るう姿が誰よりも強く輝いて見えた。
平民だから偉い騎士になんてなれず、領地の護衛がピッタリなんだと笑う姿が心強かった。
『バルト…強くなれ……負けるな…………』
その言葉を最期に、ゆっくり目を閉じたオリバーが二度と目覚めることはなかった。
動かなくなったオリバーをいつまでも抱き締め、泣き喚いて離そうとしない僕にひとりの騎士が近付いてきて、乳母の状況を教えてきた。
『身重の侍女を庇い、深手を負いました』
乳母と同じ使用人家族用の階に住んでいた身重の侍女を庇い、背中に致命傷を負った…と。
『その侍女は…』
『かすり傷ひとつついておりません。お腹の子も無事です…オリバーを、母親の元に連れていってやりましょう』
もう抵抗はしなかった。
ただ、何よりも家族を大切にしていた乳母とオリバー…そのふたりがいなくなったという現実が受け入れられず…その場から動けない。
そのうち大きな騎士に抱えられて、無事だった使用人達の集まる部屋に連れていかれ…いつの間にか眠りについた。
やがて日の光りを感じて目が覚め、事件後の処理の為に多くの人が行き交うなか乳母とオリバーが安置されている部屋に赴き、そこでひたすら時間が過ぎていくのを見送った。
それから三日ほど経った頃、顔色を悪くしたジェイマンが単騎で駆け付け……
『ぼっちゃま!!』
食事も殆どとらず、ただオリバー達と同じ部屋で過ごしていた僕はひどい状態で…ジェイマンは何も言わずただ僕を抱き締めてくれた。
『……ジェイマン…オリバーが……』
『オリバーは…ぼっちゃまを守り抜くという、騎士としての使命を全う致しました。それは誇られるべきことです』
『でも……僕はオリバーと生きたかった……』
生まれた時から一緒で、本当の兄弟のように育って…僕のため……弟の為に騎士になると言ってくれたオリバーと、未来の領地を守りたかった。
『旦那様と奥様もこちらに向かっています』
その言葉に、オリバーの父親の顔が浮かんだ。
『……トビアスおじさんは…』
『彼は今、騎士団と共に遠征に出ていて連絡がついておりません。早馬を出しましたが、戦場にいる彼にそれが届くのがいつになるのかは…』
それから数日後…医師から腐敗が始まってしまうからと言われ、乳母とオリバーの亡骸は別荘地の高台に埋葬された。
その事にジェイマンが苦言を呈したけれど、結局は埋葬することに同意をした。
そして……こちらへ向かっていた両親は、走らせていた馬車が崖崩れに巻き込まれ、辿り着くことなく帰らぬ人となった。
******
オリバーの父親トビアスが妻と息子の死を知ったのは、それから十日が過ぎた頃。
急ぎ駆け付けた彼は、既に埋葬され仮の墓標がたてられた場所で泣き崩れ、数日ほどそこで過ごしたのちに姿を消した。
それから十年以上経つが、ふたりの命日には一度たりとも欠かすことなく花束が供えられている。
「オリバーは、僕に生きろと言ってくれた。強くなって、大切な人を守れる男になり、領民を守る立派な領主になれと…負けるなと言ってくれた。だから僕は貴方にも負けるわけにはいかない」
貴族を殺した彼は助からない。
たとえ元は男爵家の出身だとしても、三男で平民となった身であり、その実家も没落している。
平民による貴族殺しの罪は死罪のみ。
どんなに胸が痛もうと…そこに情を感じてしまおうと…決して見逃すわけにはいかない。
「僕が騎士になったのは…オリバーの夢を叶えたい思いもあったけれど…何より、騎士となって貴方と向き合いたいと思っていた」
絡み合う視線に、僅かな動揺が見えた。
「騎士となり、かつて憧れていた貴方と…乳母のチェルシー、オリバーが自慢し誇っていた貴方と剣を合わせたかった。そこで押し負け、斬られるのであれば致し方ないと…そう思っていた」
闇討ちのようなことを乳母もオリバーも望まないであろうが、それでも彼の気持ちを果たすにはそれしかなかったのだと思える。
だからこそ、僕の方から真正面にぶつかることでその怒りを受け止めたかった。
「─────」
「……外して」
何か言った様子が見られ…落ち着いていることから、プリシラ様の指示で猿轡が外される。
溜まっていた唾液を拭き取られ、再度絡み合う視線に…先程まであった怒りは小さくなっていた。
「…………お前を襲うことを…チェルシー達が望んでいないことなど分かっている…だけど…気持ちの整理がつかなかった……ある日突然ふたりを失い…オリバーはお前を守る為に死んだ…それが騎士たるものだということは分かっている…分かっていたんだ……」
騎士であることをふたりから誇られていたからこそ、後を追う事はせずに市井の警備兵として細々と生きてきた。
思うところはあれ、仲間を庇った妻と主の為に命を落とした息子を偲びながら、やがて再会するその時に思いを馳せ生きてきた。
そんな時、僕に懸想しているという女が現れ、その女と僕がただならぬ関係なのだという話を延々と聞かされ…妻がいながら他の女に現を抜かすような、そんな愚かな人間になったのかと…そんな男の為に息子は命を落としたのかと…そう僕への憎悪を膨らませた。
「女の話が本当なら…女の亭主が死ぬことで、お前に縋るしかないように仕向けて追い込ませてやればいいと思った。お前なら、恐らく放っておくことはしないだろう…そうすれば何も知らない妻は傷付き、お前の人生を狂わせることが出来る…そう思ったんだ」
その通りになった前回を思い返してしまう。
頼られ、縋られ…愚かな僕はトレーシアを守ることが使命のように動き、結果ナディアを失った。
トビアスおじさんの狙い通りだ。
「最初はお前の妻を襲うつもりだったが…何故かうまく事が運ばなくてな…」
それは恐らく、プリシラ様による影のせいだ。
ナディアに対して何かしら仕掛けようとしていることも、きっと報告されていたはず。
「次に狙ったのはジェイマンだったが…主の為に命をかけるのが執事の本質だと…その為に死ねるのなら本望だと考えているような人間を消しても意味がないからな…やめた」
「…そんなこと…ジェイマンは僕にとって大切な人だ。ずっと支えてきてくれた」
「そうだろうな…だから俺は、お前が大切にしている者をお前自身に傷付けさせることにした」
ナディアに僕の心移りを露見させ、深く傷付けさせることが一番の痛手となる…それは紛れもない事実なのだと僕自身がよく知っている。
「……だけどお前は不貞などしていなかった。俺は、女の妄言に踊らされ…罪のない人間をただ殺したに過ぎない」
かつての彼なら、たかが女の戯れ言に惑わされることもなかったはず。
それを安易に信じてしまったのは、その戯れ言で語られるのが僕だったから…僕が、オリバーの死を無駄にするような生き方をしているから…だから冷静な判断を欠いた。
「罪を償う覚悟はとうに出来ている。逃げ続けてすまなかった」
裁判で事実が明らかになってから三ヶ月近く…覚悟をしながらも姿を消していたのは……
「……今年も……花を届けたんですね…」
僕のその言葉に、彼は何も答えることなく…ただ静かに涙を流した。
最後の命日に、きっと色々と報告したんだろう。
私利私欲で人を殺めた彼が、ふたりと同じ場所に魂を置けるとは思えない。
だけど……僕が深い後悔から目覚めたように、もしかしたら彼にもそんな事が起きるのではないかとも思う。
一度目も二度目も僕はオリバーを失ったけれど…彼が繰り返す世界ではふたりが生き続けるはずだから…
乳母がいて、オリバーがいて…そしてナディアと僕達の子供がいる世界。
僕も、その世界で生きてみたい
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