5 / 37
season1
最後の祈り
しおりを挟む
「バルティス様」
名前を呼ばれてゆっくり目を開けると、ジェイマンが心配そうな顔で覗きこんでいる。
「……老けたなぁ…ジェイマン…」
「ぼっちゃまが生まれる前からお仕えしておりますからね。年もとります」
「……そうだな…」
「すりつぶした果物をお持ちしました」
ジェイマンの助けを借りて体を起こすと、痩せ細った腕が視界に入り溜め息が出た。
もう自分で歩くほどの体力もない。
ゆっくりと、死に向かっているのが分かる。
「本日の果物は栄養価が非常に高いそうです」
「……元気だったか?」
「えぇ、大きな声で客引きをなさっておいででしたよ。私もすっかり馴染みのお爺ちゃんです」
ナディアと離縁してから一年。
失意のなか爵位を譲る引き継ぎに追われて無理がたたったのか、気付いたら体が栄養を吸収しなくなっていて日に日に体力が落ちていく。
食事も喉を通らないことが増え、今はすりつぶした果物くらいしか受け付けない。
「人気店のようです」
「ナディアは可愛いからな」
慰謝料で渡したお金を元に商売を始めたナディアは、様々な土地でとれる野菜や果物を販売しているらしく、ナディア自ら加工した商品も人気で繁盛しているそうだ。
食堂で働いていたナディアは料理を得意としていて、結婚前からお菓子やお弁当などをよく作ってくれていたことを思い出す。
騎士団の詰め所にも、よく差し入れを持ってきてくれていた。
トレーシア達がやってきてからも続けてくれて、むしろ回数は増えていたように思うけれど…きっと不安や寂しさからだったのだろう。
ふたりで過ごす時間が、それくらいしかなかったということだ。
それなのに、僕はナディアのそんな気持ちに気付くことなく無邪気に喜んでいた。
「……ナディアの店…見てみたかった…」
「元気になられたら参りましょう。ぼっちゃまがお好きなお菓子やサンドイッチなんかも数多くありましたよ」
「そうか…それは楽しみだな……」
「不思議ですよね…記憶がないというのに、作られているものはどれもぼっちゃま好みのものばかりです。味付けも、使う素材は違うはずなのに当家を思わせるものですし」
ナディアはよく厨房で料理人達を手伝っていたから、その時の感覚が残っているのかもしれない。
記憶はなくとも、体が覚えているということなのだろう。
「内装もナディア様らしくて、ぼっちゃまも気に入ると思います。必ず行きましょう」
「……あぁ…」
その時は来ないということは、僕自身がよく分かっている。
それでも、献身的に看病してくれるジェイマンには笑みを返すしかない。
「そうだな…いつか……」
減る一方の食欲も、ナディアが作ったものだけは食が進み、けれどそれだけでは生命を維持出来るはずもなく体は衰えていくばかり。
「ご馳走さま…少し休む……」
「あとで温かいタオルをお持ち致しますね」
「ありがとう」
ゆっくりと横になり目を瞑ると、あっという間に夢の中に落ちていってしまう。
最近は寝てばかりいるように思うが、夢の中ではナディアとの幸せな日々を送れるのでむしろ目覚めたくないとさえ思っている。
指まで痩せ細ってしまったせいで、離縁しても外さずにいた結婚指輪が抜けてしまうようになったため、首に下げている鎖に通した。
寝起きするたび、揺れるふたつの指輪がチャリンと小さな音をたてる。
それは心を締め付け寂しくもあるけれど、確かに幸せだった頃もあった証。
ナディアの中からは消えてしまっても、僕の中から消えることはない愛の証。
「……ナディア…」
長かった髪を出会った頃のように短くしているのだと聞いて、それは是非見に行きたいと思ったけれど、もう君に会う権利はないし体力もなくなってしまった。
お店の内装や制服がスカイブルーで統一されていて…所々に金糸で刺繍も施されている店を、本当は見に行きたい。
単なる偶然だと思うけれど、君のなかに僕が少しでも残っていたのかな…なんて浮かれたんだ。
『わたしの好きな色はバルト様のスカイブルー』
今も変わらず好きなのだろうか。
君はいつも、淡い水色で染められたハンカチに金糸で刺繍をしていた。
愚かな僕は君を傷付けてばかりだったけれど、君を愛する気持ちに嘘はなかった。
出会ってくれてありがとう。
結婚してくれてありがとう。
────コンコン
「バルティス様、入ります」
ナディア…
もし生まれ変わっても、また君に恋をしてもいいだろうか。
また君と、結ばれたいと思ってもいい?
今度は決して君を傷付けないと誓う。
だから……
「……おやすみなさいませ、ぼっちゃま。この老いぼれも間もなくそちらに向かいます。それまでのんびりしていてくださいね」
名前を呼ばれてゆっくり目を開けると、ジェイマンが心配そうな顔で覗きこんでいる。
「……老けたなぁ…ジェイマン…」
「ぼっちゃまが生まれる前からお仕えしておりますからね。年もとります」
「……そうだな…」
「すりつぶした果物をお持ちしました」
ジェイマンの助けを借りて体を起こすと、痩せ細った腕が視界に入り溜め息が出た。
もう自分で歩くほどの体力もない。
ゆっくりと、死に向かっているのが分かる。
「本日の果物は栄養価が非常に高いそうです」
「……元気だったか?」
「えぇ、大きな声で客引きをなさっておいででしたよ。私もすっかり馴染みのお爺ちゃんです」
ナディアと離縁してから一年。
失意のなか爵位を譲る引き継ぎに追われて無理がたたったのか、気付いたら体が栄養を吸収しなくなっていて日に日に体力が落ちていく。
食事も喉を通らないことが増え、今はすりつぶした果物くらいしか受け付けない。
「人気店のようです」
「ナディアは可愛いからな」
慰謝料で渡したお金を元に商売を始めたナディアは、様々な土地でとれる野菜や果物を販売しているらしく、ナディア自ら加工した商品も人気で繁盛しているそうだ。
食堂で働いていたナディアは料理を得意としていて、結婚前からお菓子やお弁当などをよく作ってくれていたことを思い出す。
騎士団の詰め所にも、よく差し入れを持ってきてくれていた。
トレーシア達がやってきてからも続けてくれて、むしろ回数は増えていたように思うけれど…きっと不安や寂しさからだったのだろう。
ふたりで過ごす時間が、それくらいしかなかったということだ。
それなのに、僕はナディアのそんな気持ちに気付くことなく無邪気に喜んでいた。
「……ナディアの店…見てみたかった…」
「元気になられたら参りましょう。ぼっちゃまがお好きなお菓子やサンドイッチなんかも数多くありましたよ」
「そうか…それは楽しみだな……」
「不思議ですよね…記憶がないというのに、作られているものはどれもぼっちゃま好みのものばかりです。味付けも、使う素材は違うはずなのに当家を思わせるものですし」
ナディアはよく厨房で料理人達を手伝っていたから、その時の感覚が残っているのかもしれない。
記憶はなくとも、体が覚えているということなのだろう。
「内装もナディア様らしくて、ぼっちゃまも気に入ると思います。必ず行きましょう」
「……あぁ…」
その時は来ないということは、僕自身がよく分かっている。
それでも、献身的に看病してくれるジェイマンには笑みを返すしかない。
「そうだな…いつか……」
減る一方の食欲も、ナディアが作ったものだけは食が進み、けれどそれだけでは生命を維持出来るはずもなく体は衰えていくばかり。
「ご馳走さま…少し休む……」
「あとで温かいタオルをお持ち致しますね」
「ありがとう」
ゆっくりと横になり目を瞑ると、あっという間に夢の中に落ちていってしまう。
最近は寝てばかりいるように思うが、夢の中ではナディアとの幸せな日々を送れるのでむしろ目覚めたくないとさえ思っている。
指まで痩せ細ってしまったせいで、離縁しても外さずにいた結婚指輪が抜けてしまうようになったため、首に下げている鎖に通した。
寝起きするたび、揺れるふたつの指輪がチャリンと小さな音をたてる。
それは心を締め付け寂しくもあるけれど、確かに幸せだった頃もあった証。
ナディアの中からは消えてしまっても、僕の中から消えることはない愛の証。
「……ナディア…」
長かった髪を出会った頃のように短くしているのだと聞いて、それは是非見に行きたいと思ったけれど、もう君に会う権利はないし体力もなくなってしまった。
お店の内装や制服がスカイブルーで統一されていて…所々に金糸で刺繍も施されている店を、本当は見に行きたい。
単なる偶然だと思うけれど、君のなかに僕が少しでも残っていたのかな…なんて浮かれたんだ。
『わたしの好きな色はバルト様のスカイブルー』
今も変わらず好きなのだろうか。
君はいつも、淡い水色で染められたハンカチに金糸で刺繍をしていた。
愚かな僕は君を傷付けてばかりだったけれど、君を愛する気持ちに嘘はなかった。
出会ってくれてありがとう。
結婚してくれてありがとう。
────コンコン
「バルティス様、入ります」
ナディア…
もし生まれ変わっても、また君に恋をしてもいいだろうか。
また君と、結ばれたいと思ってもいい?
今度は決して君を傷付けないと誓う。
だから……
「……おやすみなさいませ、ぼっちゃま。この老いぼれも間もなくそちらに向かいます。それまでのんびりしていてくださいね」
14
お気に入りに追加
2,604
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

醜い傷ありと蔑まれてきた私の顔に刻まれていたのは、選ばれし者の証である聖痕でした。今更、態度を改められても許せません。
木山楽斗
恋愛
エルーナの顔には、生まれつき大きな痣がある。
その痣のせいで、彼女は醜い傷ありと蔑まれて生きてきた。父親や姉達から嫌われて、婚約者からは婚約破棄されて、彼女は、痣のせいで色々と辛い人生を送っていたのである。
ある時、彼女の痣に関してとある事実が判明した。
彼女の痣は、聖痕と呼ばれる選ばれし者の証だったのだ。
その事実が判明して、彼女の周囲の人々の態度は変わった。父親や姉達からは媚を売られて、元婚約者からは復縁を迫られて、今までの態度とは正反対の態度を取ってきたのだ。
流石に、エルーナもその態度は頭にきた。
今更、態度を改めても許せない。それが彼女の素直な気持ちだったのだ。
※5話目の投稿で、間違って別の作品の5話を投稿してしまいました。申し訳ありませんでした。既に修正済みです。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

9番と呼ばれていた妻は執着してくる夫に別れを告げる
風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から言いたいことを言えずに、両親の望み通りにしてきた。
結婚だってそうだった。
良い娘、良い姉、良い公爵令嬢でいようと思っていた。
夫の9番目の妻だと知るまでは――
「他の妻たちの嫉妬が酷くてね。リリララのことは9番と呼んでいるんだ」
嫉妬する側妃の嫌がらせにうんざりしていただけに、ターズ様が側近にこう言っているのを聞いた時、私は良い妻であることをやめることにした。
※最後はさくっと終わっております。
※独特の異世界の世界観であり、ご都合主義です。
※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~
キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。
両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。
ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。
全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。
エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。
ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。
こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる