せめて夢の中は君と幸せになりたい

Ringo

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season1

愚か者

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目が覚めるたび、すべて夢だったらよかったのにと思い…けれど自分以外誰もいない寝台が、まぎれもない現実なのだと知らしめる。


「ナディア……」


返事が返ってくることのない人の名前を呼び、やはり返らないことに絶望し、自分がしてきたことの後悔に苛まれてしまう。

君は僕のいないこの寝台で、どんな思いでひとり夜を過ごし目を覚ましていたのだろうか。

どんな思いで、ひとり食事をとっていたのか…

愛してると口にする僕を、君はどう思っていたのだろう。

叱責でも詰りでもいい…君に名前を呼んでもらってもう一度過ごしたい。


────コンコン


「……旦那様、起きていらっしゃいますか?」

「…あぁ、どうした?」

「トレーシア様がお見えでございます」

「…………は?」


想定外の話に一瞬なんのことだ?と思ったが、怒りを孕んだジェイマンの声に急ぎ寝台から出て扉を開けると、やはり彼は鋭い眼差しで僕を見る。


「トレーシアが?なぜ?」

「旦那様もおひとりではお寂しいだろう…とのことでございます。カクラス様も連れてらして、一度確認をと申し上げましたが…旦那様がお断りになるはずはないと…強行なさいました」

「……それで今はどこに?」

「食堂に…奥様の席におかけです」


思わずカッとなった。

約束が違うし、ナディアの席に座っていると言う勝手も苛立ちを追加させた。


「……すぐ向かう」

「畏まりました。…あちら様のお食事はいかが致しますか?」


問うているようで、答えは決まっているだろ?と言う強い意思を伝えてくるのが分かる。

そうだな…以前の僕なら、きっとナディアの席に座ることも彼女達の分の食事を用意することも許容していただろう。


「…用意しなくていい。僕から話す」

「ではそのように」


少しだけジェイマンの空気が柔らかくなった気がして…どれだけ愚かな事をしてきたのだと、改めて自己嫌悪が襲ってくる。

ヒーロー気取りでしていたことが、本当のヒロインを傷付けていたなんて…笑えない。






******






「バルト様!」

「パパ!」


食堂に入ると、朝から濃い化粧を施したトレーシアとカクラスが駆け寄り抱きついてきた。

…こんなにキツい香水の匂いだっただろうか。

女性らしく華やかだと思っていたのに、今となっては下品としか思えない。

ナディアは…いつも石鹸か花の香りがして、香水を使ったとしても僅かだったはず。


「あなたが来るのを待っていたのよ、早く家族で朝食にしましょう?」

「パパ、お腹すいた!」

「……話がある」


抱きつくふたりを引き剥がし、ジェイマンに視線で合図してサロンへと移動する。

訝しむトレーシアと空腹を訴えるカクラスのふたりを連れて赴いたそこは、既に話し合いがなされることを想定して整えられており、改めてジェイマンの仕事ぶりに感銘を受け、それらを遂行する使用人達の優秀さに感謝した。

それらも、今までは……


「なんなの?食事は?」


頬を膨らませて僕の腕に絡み付いてこようとするトレーシアを躱し、カクラスとふたり向かいのソファーに座らせる。

今までの間違いを正さなくてはならない。

正したところでナディアは戻ってこないかもしれないが、それでももう…彼女に対して不誠実な自分ではいたくないと思う。


「急で悪いが、離れを出ていってほしい」

「……え?」


真っ直ぐに見据えて言った僕の言葉の意味が分からないのか…それとも分かっていながらとぼけているのか、トレーシアは小首を傾げるだけ。


「もうカクラスも大きくなったし、実家も持ち直してきたと報告を受けている。君達が戻っても生活に困ることはないはずだ」

「……何を言ってるの?」

「僕が間違えていた。人助けがしたい…それが出来る自分は凄い人間なんだと驕り、本当に守らなければならない人を傷付けた」

「…あの女に何か言われたのね?」


あの女…か。

思えば、最初からトレーシアはナディアに対して攻撃的で、それを宥めることで僕自身も出来た人間なのだと陶酔していたんだよな。


「あの女などと言わないでくれ。ナディアは僕の大切な妻で、守りたい唯一の女性だ。それにこれは僕自身の意思で話している」

「今さら実家に帰るなんてイヤよ!私達はあなたの家族なのよ!?あの女が出ていったなら本館で暮らす権利があるわ!」

「僕は君達の家族ではないし、たとえナディアがいなくとも君達が本館で暮らすことはない」

「……パパ?」


あぁ、そうだ…こう呼ぶことを容認していたのもどれだけ傷付けたことか。

もしどこぞの男の子供がナディアをママと呼んでいたら…考えるだけで気が狂いそうになる。


「カクラス、僕は君の父親ではない。早くに父親を亡くしたことを憐れみ、せめて元気づけらればとそう呼ぶことを否定しなかった僕が悪いが…もうこれからは呼ばないでくれ」

「ちょっと!!子供になんてこと言うのよ!」

「もう君達の面倒を見ることは出来ない。実家の伯爵家には知らせておくから、今週中に荷物をまとめて出ていく準備をしてくれ」

「勝手なこと言わないで!私はあなたと別れるつもりなんてないわ!あの女だって自分に勝ち目がないって分かったから出ていったんでしょ!?跡継ぎは!?私ならあなたの子を生めるわ!」


トレーシアの言葉で、どうしてナディアがこの家を出ていく決意をしたのか垣間見えた。


「…そもそも君と特別な関係になったことなどないし、特別に思ったことはない。親友の忘れ形見だからと気にはかけたが…それがそもそもの間違いだった」

「私は認めない!」

「認めるも認めないも、離れを含むこの屋敷に住む住まわないの権限は僕にある。そしてそれが許されるのはナディアだけだ」

「もう戻ってこないわよ!」

「そうかもしれない…そうだとしても、もう彼女に対して不誠実な自分ではいたくない」

「……っ…!!」


怒りに震えるトレーシアから視線を逸らさず、この意思は覆らないのだと伝える。

最初からこうすべきだったんだ。

仮に親友の為と言うのなら、一時的な金銭的援助だけで済ませればいい問題だったはずで…ジェイマンからも散々そう言われていた。

それを自分の手の届く場所に置き、頼られることに愉悦し家族ごっこを楽しんでいたのは他でもない僕自身。


「…パパ……」

「僕はカクラスの父親ではない。そう思わせてしまったことは申し訳なく思っているが、今後は何も助けてやることはない」


もしも自分の子供なら、六歳になる息子にいつまでもパパと呼ばせることはなかっただろう。

教育を施す様子がないことも分かっていたのに、ただ架空の家族を楽しんでいただけの僕はそれを指摘することもしなかった。


「話はそれだけだ」


ジェイマンに視線をやると、嫌がるトレーシア達を無理やり部屋から連れ出した。






******






「関係を持たれていらっしゃるかと」


何か言いたげなジェイマンに問えば、返ってきたのはある意味想定内のことだった。

トレーシア自身が意味ありげに吹聴してきたことで、いつからか社交界でもトレーシアとの関係を面白おかしく噂されるようになっていたから。


「ないよ」

「ですが……」

「別館に行っていたのは…そうだな、子供がいる家族というものを味わっていたのも嘘ではない。眠るまでいてほしいとねだるカクラスについているうちに僕も寝てしまい、そのまま朝まで過ごすことが多かったのも事実だ。だけど誓ってトレーシアの部屋には入っていないし、そういった関係になったこともない」


正直なことを言えば、そう望まれたこともあるし直接的にアプローチを受けたこともある。

カクラスと一緒に子供部屋で寝ていたら、いつの間にかトレーシアが隣に寝そべっていたこともあるし、気付けばはだけさせられていたことや抱きつかれていたことも一度や二度ではない。


「そうですか…では、奥様の耳に入ったという話は事実ではなかったということですね」

「……ナディアの耳に入った話?」

「えぇ…旦那様が本館にお戻りにならないのは、あちらでトレーシア様と仲睦まじくお過ごしになられているから…と」

「誰がそんなことを…」

「多くの者が口にしておりましたよ。元は別館でトレーシア様付きをしていた侍女達が言い始めたことだそうですが…旦那様達がそういった関係である場面を実際に見た、そう話していたそうで」


血の気が引いていくのが分かった。

週の半分以上を別館で過ごし、行かない時は殆ど城に泊まり込みだった時くらいで、まれに本館で過ごすことがあっても、遅く帰ってきた時だけ。

そんな時間に子供を起こすわけにもいかないからと、そうハッキリ言ってナディアの隣で眠った。


「それから…これは私もつい先頃聞いた話なのですが…旦那様や私が不在の時を狙って本館へ来ていたそうで、そのたびに旦那様が自分達とどのような過ごし方をされているのか…男女の関係についても直接奥様に話していたそうです」

「っ、…そんな話は……」

「私も知りませんでした。奥様が口止めをなさっていたそうで…もっと早く、言い付けを破ってでも伝えるべきだったと泣いて報告を受けました」


全身から力が抜けていく。

意気揚々と別館に通う僕を、ナディアはどんな思いで見ていたのか…


「…いずれ自分は旦那様の子を生むのだから、早急に本館に移りたいとも言っていたようで…意味ありげに下腹部を撫でる仕草もよくしていたこともあり、やはり別館の侍女がする話は真実なのだと…そう奥様も思われていたのではないかと」


僕達に子供はいない。

そう急ぐ年齢でもないのだからと話してもいた。


『子供なんて出来なくてもナディアがいればいいし、いざとなれば遠縁から養子を貰おう』


そう言っていた夫が、足繁く別の女が住む別館に通い詰め…挙げ句そういった関係であると侍女達からの証言があれば、僕だって信じる。

トレーシア達が来てからもナディアを抱いて…そう言えば、いつからかその最中に静かに涙を流すようになっていた。

寂しい思いをさせているのかと、それだけ僕は愛されているのかと…検討違いな事を考えていたんだと今になって思う。

あの涙は、裏切りながらも義務で抱いて愛を告げている冷酷な夫に対する抵抗だったのではないだろうか。


「僕は…ナディアに何を……」


自己満足に酔い、どれだけ傷付けていたのかにも気付かず…はたから見たら囲っている女を抱いて孕ませようとする不貞野郎。


「……誤解なのだと言っても…」

「恐らく信用するのは難しいかと」

「…そうだな……」


そう仕向けていたのは僕だ。

時折見せるナディアの嫉妬めいた視線も愛されている実感が沸くなど愚かにも思い、トレーシアが腕に絡み付くことも拒絶せず、カクラスが僕を父親として接することも否定しなかった。


「……僕は馬鹿だな…」


本当に失ってはいけなかったもの。

それを自ら手放したのは僕だ。




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