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1・捨てられた愛情
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「ありがとうございます、旦那様」
俺から受け取った花束を胸に抱いて、妻は嬉しそうに微笑みながらそう言った。
喜んでくれている…それは間違いでも勘違いでもなく本心なのだと、長い付き合いから分かる。
「長く留守にして悪かった。仕事も落ち着いたし休暇中は家でゆっくり過ごすよ」
二ヶ月の出張から帰宅し、与えられた五日間の休暇は家族で過ごすつもりだと伝えると、妻は穏やかな笑みを浮かべてくれた。
「まぁ、それは子供達が喜びますわ」
君は?…と聞くことは出来ない。
昔の君ならいつまでも抱えていた花束も、既にその手から侍女に渡されている。
そして、それが妻の部屋に飾られることはない。
「それでは旦那様、お疲れでしょうから失礼致しますわね。ごゆっくり」
「……あぁ…」
洗練された動作で去っていく後ろ姿を、俺はただじっと見つめた。
抱擁をしなくなってからどのくらいだろうか。
恥じらう様子に胸を高鳴らせながら最後に口付けたのは、いつのことだっただろう。
俺の名を、頬を染めて呼んでいたのは…
「旦那様、お食事のご用意が出来ております」
「……分かった」
憐れむような声音の家令に促され、誰もいない静かな食堂へと足を向ける。
予定していたより遅い帰宅となってしまった為、子供達は既に眠りについているらしい。
テーブルに着くと、俺の帰宅を待ちわびていたと言う子供達からの手紙が置いてあった。
そこには、なかなか相手をしてやれない父親に対して労いと愛の言葉が拙い字で認められている。
「……リリアナからは…」
分かりきっているのに、縋るような視線を家令に向ければ返されたのは申し訳なさそうな顔。
これだけでも充分だと思わなくてはならない。
子供達が不在がちな俺にこれだけの愛情を向けてくれるのは、紛れもなく妻のお陰だ。
それでも…失われた妻の愛を欲してしまう。
◇◇◇◇◇◇
食後に湯浴みを終え、俺がひとり過ごすのは夫婦の為に用意されている部屋。
ここで妻と過ごしたのは、数えるほどしかない。
初夜と子を成しやすいとされた時のみ。
そのいずれの時も、事が終われば妻は疲弊した体のまま自身が選んだ別室へと去ってしまった。
隣室…本来であれば妻が使う為に存在するはずの部屋に繋がる扉を開けるが、当然そこに妻の姿は見当たらず、長く使われていない事が分かるひんやりとした空気感が漂っている。
妻の為に作られた家具。
妻の為に誂えられたドレス。
妻の為に見つけたアクセサリー。
嫁いでくる妻の為にと俺が用意したものは、一度も使われることなく当時のまま。
『いずれお使いになられる方に申し訳ないですから、わたくしは別の部屋に参ります』
そんな者はいないと…そんな事にはならないと何度伝えてみても、妻はただ優しく微笑むだけで頑として受け入れなかった。
それもこれも、自分がしたことの報いなのだと…そう理解はしているが、後悔とやり場の無い寂しさに押し潰されそうになる。
せめてもの救いは俺と子を成す事を拒むことはせず、さらに『男児をふたり』という父の言葉も受け入れてくれたことで、四人の子にも恵まれた。
だが当初、男児がふたり生まれたら触れ合えなくなる事への寂しさに怯え、卑怯なことだと思いつつも隠れて避妊薬を飲んでいたし、二人目と三人目が娘だった時にはまだ触れ合える…妻を抱けると安堵もしてしまった。
そして四人目…生まれたのが息子だと産婆から言われた時は、もう妻に触れることは出来ないのだと胸が痛んだ。
「リリアナ……」
結婚して十五年。
思い描いていたのは、笑い声の堪えない家庭。
隣には愛する妻がいて、ふたりによく似た子供達と過ごす穏やかで賑やかな時間。
叶えられてはいる。
ただ…妻から俺への愛が失われているだけだ。
『貴方がお捨てになられたのです』
愛してほしい…もう一度やり直させてほしいと乞い伝えた時、妻は微笑みながらそう言った。
そんなつもりはなかった。
妻の…リリアナの愛を捨てるなど、捨てたいなど微塵も考えたことはない。
『わたくしの愛などいらないのでしょう?』
穏やかな微笑みには困惑の様子も浮かべられ、なぜ今更と責められている事が見てとれた。
輝く笑顔と共に向けられていた愛を、もう一度この手に取り戻したくて…その想いを告げた俺に返されたのは、やはり困ったような微笑みだけ。
『わたくしの愛などお捨て置きくださいませ』
どれだけ悔やんでも
どれだけ愛を言葉にしても
どれだけ妻からの愛を欲しても
愛する妻から返されることはない
俺から受け取った花束を胸に抱いて、妻は嬉しそうに微笑みながらそう言った。
喜んでくれている…それは間違いでも勘違いでもなく本心なのだと、長い付き合いから分かる。
「長く留守にして悪かった。仕事も落ち着いたし休暇中は家でゆっくり過ごすよ」
二ヶ月の出張から帰宅し、与えられた五日間の休暇は家族で過ごすつもりだと伝えると、妻は穏やかな笑みを浮かべてくれた。
「まぁ、それは子供達が喜びますわ」
君は?…と聞くことは出来ない。
昔の君ならいつまでも抱えていた花束も、既にその手から侍女に渡されている。
そして、それが妻の部屋に飾られることはない。
「それでは旦那様、お疲れでしょうから失礼致しますわね。ごゆっくり」
「……あぁ…」
洗練された動作で去っていく後ろ姿を、俺はただじっと見つめた。
抱擁をしなくなってからどのくらいだろうか。
恥じらう様子に胸を高鳴らせながら最後に口付けたのは、いつのことだっただろう。
俺の名を、頬を染めて呼んでいたのは…
「旦那様、お食事のご用意が出来ております」
「……分かった」
憐れむような声音の家令に促され、誰もいない静かな食堂へと足を向ける。
予定していたより遅い帰宅となってしまった為、子供達は既に眠りについているらしい。
テーブルに着くと、俺の帰宅を待ちわびていたと言う子供達からの手紙が置いてあった。
そこには、なかなか相手をしてやれない父親に対して労いと愛の言葉が拙い字で認められている。
「……リリアナからは…」
分かりきっているのに、縋るような視線を家令に向ければ返されたのは申し訳なさそうな顔。
これだけでも充分だと思わなくてはならない。
子供達が不在がちな俺にこれだけの愛情を向けてくれるのは、紛れもなく妻のお陰だ。
それでも…失われた妻の愛を欲してしまう。
◇◇◇◇◇◇
食後に湯浴みを終え、俺がひとり過ごすのは夫婦の為に用意されている部屋。
ここで妻と過ごしたのは、数えるほどしかない。
初夜と子を成しやすいとされた時のみ。
そのいずれの時も、事が終われば妻は疲弊した体のまま自身が選んだ別室へと去ってしまった。
隣室…本来であれば妻が使う為に存在するはずの部屋に繋がる扉を開けるが、当然そこに妻の姿は見当たらず、長く使われていない事が分かるひんやりとした空気感が漂っている。
妻の為に作られた家具。
妻の為に誂えられたドレス。
妻の為に見つけたアクセサリー。
嫁いでくる妻の為にと俺が用意したものは、一度も使われることなく当時のまま。
『いずれお使いになられる方に申し訳ないですから、わたくしは別の部屋に参ります』
そんな者はいないと…そんな事にはならないと何度伝えてみても、妻はただ優しく微笑むだけで頑として受け入れなかった。
それもこれも、自分がしたことの報いなのだと…そう理解はしているが、後悔とやり場の無い寂しさに押し潰されそうになる。
せめてもの救いは俺と子を成す事を拒むことはせず、さらに『男児をふたり』という父の言葉も受け入れてくれたことで、四人の子にも恵まれた。
だが当初、男児がふたり生まれたら触れ合えなくなる事への寂しさに怯え、卑怯なことだと思いつつも隠れて避妊薬を飲んでいたし、二人目と三人目が娘だった時にはまだ触れ合える…妻を抱けると安堵もしてしまった。
そして四人目…生まれたのが息子だと産婆から言われた時は、もう妻に触れることは出来ないのだと胸が痛んだ。
「リリアナ……」
結婚して十五年。
思い描いていたのは、笑い声の堪えない家庭。
隣には愛する妻がいて、ふたりによく似た子供達と過ごす穏やかで賑やかな時間。
叶えられてはいる。
ただ…妻から俺への愛が失われているだけだ。
『貴方がお捨てになられたのです』
愛してほしい…もう一度やり直させてほしいと乞い伝えた時、妻は微笑みながらそう言った。
そんなつもりはなかった。
妻の…リリアナの愛を捨てるなど、捨てたいなど微塵も考えたことはない。
『わたくしの愛などいらないのでしょう?』
穏やかな微笑みには困惑の様子も浮かべられ、なぜ今更と責められている事が見てとれた。
輝く笑顔と共に向けられていた愛を、もう一度この手に取り戻したくて…その想いを告げた俺に返されたのは、やはり困ったような微笑みだけ。
『わたくしの愛などお捨て置きくださいませ』
どれだけ悔やんでも
どれだけ愛を言葉にしても
どれだけ妻からの愛を欲しても
愛する妻から返されることはない
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