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視察遠征

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メリル・シェラトン──


伯爵の愛人から生まれ、まともに生活すれば今頃はどこかに嫁いで穏やかな生活を送っていたかもしれないのに…この女は自らその未来を潰した。

僕の最愛であり、王太子妃となったラシュエルを誘拐して凌辱しようと企てた愚か者…そんな人間は生きている価値などないし、さっさと摘み取るに限る。


「それで?伯爵はなんて?」


娘の責任を取って弟に爵位を譲渡した前伯爵は、あの女が捕らえられてすぐに絶縁届けを出して僻地へと引っ込んだ。


「王太子妃様に愚行を働くなど娘ではなく、既に絶縁もされているから遺体の引き取りはしないそうです。よって【罪人の穴】に埋められました」

「ふぅん」


結局は欲望のままに出来ただけの子供に愛情などなく、僕を篭絡したとの言葉を真に受けていた男は早々に逃げ出し、娘が残した子供は現当主から拒否され孤児院に預けられている。

急遽爵位を引き継ぐことになった弟は、前伯爵に似ず優秀だと聞いているから今後に期待できるかな。そもそも優秀な弟がいるのに長子だからという理由だけで当主になるのがおかしい。祖先の功績に縋るだけの者達も。


「爵位の在り方も改善したいなぁ」


頭の悪い貴族の殆どが、棚ぼたで爵位を持つだけで自身の実力を計り間違えている者ばかり。勘違いを起こす原因が爵位継承制度なら、それ自体を考え直せばいいんじゃないだろうか。


「はぁ…ラシュエルに会いたい」

「まだ執務を始めて一時間ですよ。それに気を失うまでとか妹を殺す気ですか」


明日から視察で離れるからと、朝まで僕に長く激しく愛され抱き潰されたラシュエルは未だ眠っている。元伯爵令嬢に僕が直接手を下したことに、僅か嫉妬していたラシュエルは大いに乱れた。


『たとえ罰を下すためでも触れたことがいや』


理想的な妃といわれるラシュエルがそう不貞腐れるのは寝台の上だけであるものの、頬を可愛らしく膨らませて拗ねる様子が堪らなくて…貪るように求めたのも致し方ない。


「…顔が気持ち悪い」


さっきから失礼な物言いばかりするエドワードだが、彼を見れば兄妹だけあって色合いがラシュエルとよく似ていて羨ましくなる。僕だってラシュエルとお揃いがいいのに。


「ラシュエルが可愛いからね。僕のことが好きで仕方ないって伝えてくれるんだから、夫として応えないわけにはいかないだろう?」


元より房事に興味があったラシュエルとは、婚姻前から疑似行為をして初夜に向けた経験を積んでいたこともあって、本当に繋がるようになってからはまさに動物的に求め合っている。


「二週間もラシュエルに触れないなんて…」

「ラシュエルも充分な睡眠と休養が取れてよかったでしょうね」

「じゃぁ、戻ってきたら益々綺麗になったラシュエルに会えるわけだ。それもいい」


ふんっ。僕に嫌味なんて通じるわけないし、むしろ二週間も離れることをラシュエルは寂しがっていて連日の寝不足は僕だけのせいじゃない。まぁ、加減も出来ず抱き潰しているのは僕のせいだけど。


「東国…ヨンハルか」


僕の呟きの真意を正しく汲み取ったのはエドワードだけだろう。初めて僕に同行するマルコフとイルビスは、伝え聞くヨンハルの国勢しか知らない…だからこそ注意は怠れないし、きちんと話しておく必要がある。


「マルコフ、イルビス」


護衛として同行するトーマスとキャンメルにはサミュエルが話すと言っていたから、僕はこのふたりに話すとするか。


「視察の心得として話しておくことがある」


ラシュエルの憂いを増やさないためにもね。






********





「行ってくるね」

「……はい」


二週間も国を離れる視察とあって、出立には多くの者が立ち合っている。ラシュエルも朝まで僕に深く愛されたにも関わらず、少しふらつきながら見送るために出てきてくれたが…気怠げな様子が色香を増しているから早く部屋に帰したい。そしていっそのこと僕もラシュエルと籠りたくなる。


「ラシュエル…大丈夫だよ」


可哀想なくらいに不安げな様子で目を潤ませているラシュエル。その理由は僕もきちんと理解しているし、今回の視察ではその憂いを晴らす為に設けられたものでもある。


「僕は君以外を娶るつもりもないし、そもそも君以外に欲が湧くことすらない」


昨夜みたいにね、と耳元で囁けばラシュエルは可愛らしく頬を染めた。ほんっっとに可愛い。

大丈夫、安心していて。僕は君以外に興味を持つことすらないし、君以外に体を繋げることなどしない。そうしなければ死ぬしかないと言われるのなら、迷わず命を絶つ。そのくらい君のことだけを愛しているよ。


「それじゃ…行ってくるよ。帰ったら数日の休みを取れるはずだから、覚悟しておいてね」


話しながらも幾度となく口付けを交わし、それを周りは見ないように視線を外してくれている。

そうでなくとも綺麗で可愛いラシュエルは、僕に愛されることで日々その美しさを増していて…視察で僕が不在になることをこれ幸いと近付こうとしている人間がいるのも心配だ。


「どうかご無事で…」


ラシュエルの言葉には、旅路における気遣いだけではないものも含まれているのを正しく理解して、ちゃんと分かっているよ気持ちを込めて深く深く口付けた。




*********




王国を出て二日後、無事ヨンハルに到着した僕達を出迎えてくれた者達のなかに懸念していた人物の姿はなかったが、そのまま何事もなく滞在が過ぎるとも思っていない。


「…なるほどね」


到着後早々偵察に出していたマルコフから報告書を受け取るも、その内容は呆れるもので…だけどやはりとも思う。


【第一王女フランソワについて】


そう記された報告書をマルコフに渡したのは、この国に潜らせているシャパネの間者であり僕が信頼する影のひとり。

彼からの報告によれば、想定通りフランソワ王女は僕の到着に向けて着々と準備を進めていたらしいが、その計画を国王陛下に知られ現在は自室に軟禁中らしい。


「明日の夜会には出てくるのか…これを機に廃するつもりなんだろうけど、僕まで巻き込もうとするのはいただけない」


強い権力と財産を持つ侯爵家から強制的に娶らされた側妃で愛情などないとヨンハル国王は言うが、それなら三人も子を儲けたのはどういうことだと首を傾げてしまう。

立場上娶るだけに留まれず薬でも使いひとりだけ子を儲けた…そう言うのなら理解も出来るし、そうすることが必要な国もあるのだと僕だって分かっているが、彼は薬など用いることなく側妃の元に通い子を三人も儲けている。詰まる所、彼は王妃よりも若くて欲情を煽る肉体を持つ側妃に溺れただけであり、その結果三人の子を儲けたもののその子らに興味を抱くこともなく養育や教育に一切の協力もせず放置に至った。


「側妃自体はいい人なのにねぇ…第二王子と第三王女もまともだし、なんであの王女だけあんな育ち方をしたんだろう」


父親の策略で嫁がされた側妃は大人しくも聡明であり公務や執務に携わっているし、表向きは適切な距離を置いているとされる王妃とも割りと仲良く過ごしているそうだ。

自分の意思など関係なく嫁ぐことになるも、その先でしっかりと立場を弁え手腕を振るっている側妃は実に貴族令嬢らしい人。そんな側妃の元で父親から関知されることなく育ったにも関わらず、第二王子と第三王女は次代の国勢を担う者のひとりとしてあげられるほどに優秀で、それぞれ婚約者とも仲睦まじいのは僕も知っている事実。

そしてもうひとつの事実は───


「どこにでもいるものですね」

「…そうだな」


報告書を読むマルコフが呆れたように言えば、キャンメルは小さく言葉を漏らす。仲が良かったわけではないにしろ、幼い頃から知っていたシェラトン元伯爵令嬢が迎えた顛末を思い浮かべでもしているんだろう。

あの女が処罰された報告を聞いて、普段は表情を崩さないキャンメルも僅かばかり顔色を変えたがそれもほんの一瞬で、すぐにいつも通りに戻り黙々と仕事に向き合っていた。

そんな元伯爵令嬢と同じような愚行を働こうとしている第一王女フランソワ。

僕よりひとつ年下で、今まで婚約者を持ったことはない。その理由は実に明快だ。


「幼い頃から他人の物を欲しがっては身分を笠に略奪し、それは成長してからも変わることなく略奪対象が物から人になっただけ…実に愚かしい」

「自分は殿下と結婚するのだから婚約者などいらないと言い続けていましたしね」

「そのわりには随分多くの男性と関係を持っているようだけどね。それらは僕との房事をより豊かにする為だって言うんだから呆れるよ」


幼少期から僕と共に行動することが多かったエドワードは、フランソワ王女が僕に執着する様子を知っているし目撃もしている。


「婚約者がいないのはヨンハル国王が王女の愚行に呆れて害にはなれど国の駒にはならないと思っているからだし、成長してからは他人の恋人や婚約者を略奪しまくっているからね。そんな女に求婚する者などいないのが本当の理由なのに」

「本人は理解していないようですね」

「自国で手に余っているからと、都合よく僕に押し付けようとするのも面白くない」


王女は今回の視察で僕と既成事実を作り、滞在が終わる時には共にシャパネへと赴くつもりでいたらしい。大量の媚薬と拘束具が部屋から見つかり、厳しい叱責を受けた上での謹慎処分により軟禁状態となっているが明日の夜会には出席予定。


「あわよくば…とでも思っているんだろうね」


もしも曲がり間違って僕が王女に興味を持って娶るとなれば、後ろ楯となっている側妃の父親に面目も立つし厄介者を追い払えるんだから。

当の本人、王女も僕の妃となるつもりでいて、ゆくゆくはラシュエルを退けて王妃となる算段らしい。まず娶らないし興味もない。


「この会食で仕掛けてくるつもりだろうな」

「でしょうね。料理人と侍女に金を握らせ、殿下の料理やワインに薬を含ませるよう指示していた証拠も掴んでいます」

「まったく…僕に媚薬や毒など効かないのに」


あぁでも…僕ほど耐性のないラシュエルに媚薬を飲ませて楽しむのもありかもしれない。普段から結構積極的なラシュエルだけれど、媚薬でぐずぐずに蕩けているところを突き立てるのもいい。それでも体に害があってはならないから薬師長に相談して作ってもらおう。


「…何を考えているのかは分かりますが、くれぐれも気を付けてくださいね」

「失礼だな、君の妹を愛しているだけなのに」


サミュエル同様に僕という人間をよく理解しているエドワードは、僕の深すぎる愛にちょいちょい苦言を呈してくる。ただラシュエルを愛して止まないだけだというのに。


「殿下、王太子妃様への贈り物をお求めになる店はこちらに纏めておきました」

「ありがとう、マルコフ」


ヨンハルの特産でもある茶葉と果実酒、それからラシュエルの大好きな菓子を数点。帰路につく二日前には僕自身が街へ出向いて買う予定だ。


「視察とは名ばかりの押し付け婚姻作戦を目的とされているけれど、折角だから本当に視察をして有益な情報を持ち帰ろう」

「「はい」」


マルコフとキャンメルにとっては初めての外交ともなるし、話を聞くだけではなく実際に自分の目で見た方が為になるしね。

まずは明日の夜会。それから滞在半ばに設けられている王女との会食と最終日の夜会、この三つが最も警戒するべきところだけれど気を抜くことはしない。愚か者の思考は常識を越えてくるものだから。





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