17 / 17
LAST*言葉にするということ
しおりを挟む
私の夫は「愛してる」と言う。
それはもう…朝から晩まで何度も何度も。
まるで息をするかのように愛を囁く。
今まで言わなかったのはなんだったのかと、小一時間の説教では済まない話…なのだけど、結局はいつもの如く気を失うまで攻められ終わる。
ともあれ私達はこれまで以上に絆を深める事が出来て、暫くは新婚に戻ったように過ごし…かなりの年の差で第二子を出産しました。
私の幼少期に瓜二つの娘を夫は溺愛していて、その様子には少々嫉妬してしまうほど。
「おとしゃまとねる。あしゃまでいっしょ」
「シェルティア、それだけはたとえ可愛い娘の頼みでも無理なんだ。さぁ、もう寝る時間だよ」
「うぅ…おかしゃま、おやしゅみなしゃい」
「おやすみなさい、シェリー。パトリックもいい夢を見てね、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ、母上」
夫に抱き上げられ、とろんとさせている瞼に口付けると、娘は嬉しそうに笑って目を閉じた。
その様子を幸せそうに見ていた夫は微睡む娘を片手で抱え、子供部屋へと向かいました。
溺愛しておりますが、夫は子供達が夫婦の寝室に入ることを許さず、寝かし付けはしてやるものの朝までそのまま…はありません。
それに対して娘は駄々を捏ねますが、夫は頑として譲らず…こうして寝かし付けに向かいます。
暫くすれば戻るであろう夫を待ちながら、今日は何を頂こうかとガラス戸棚を見て…ひとつのボトルを取り出し、専用のグラスを用意。
もしも寝付きが悪ければ時間がかかるだろうと、途中となっている刺繍を取り出しのんびり待っていると、それほど経たずに夫が帰還。
「ただいま」
「おかえりなさい、早かったのね」
「あぁ、部屋に着く前には寝ていた。準備してくれてありがとう、愛してるよ」
夫はどんなに忙しくても、必ず一日のどこかで時間を作ってくれる。
それこそ、「愛してる」と言う言葉と共に。
「そう言えば、例の夫婦は遂に離縁された。最後には息子が父親を援護したらしい」
「そう…ご子息が…」
半年ほど前の夫人会で、涙ながらにご主人の浮気を吐露されていた女性がいらっしゃいました。
その方は常々、『夫はわたくしにぞっこんですのよ。毎日毎日、愛してると煩いくらいに』と話していたのに、ご主人は結婚前の恋人…元婚約者とヨリを戻した。
その話を聞いて、その場にいた人達は皆…そっと視線を下げ扇を広げました。
きっと殆どの人が笑いを堪えていたと思います。
私も…なんとなく表情を隠しました。
笑いを堪えていたわけではありません。
かといって、お痛わしい…なども思わない。
だってその方、結婚前から事あるごとに『貴方のような者がわたくしと結婚出来るなんて有り難く思いなさい!!』だの『貴方のご実家はわたくしのお陰で生き永らえているのよ!!』だの、人目も憚らずに仰っていたんですもの。
そのたびに、ご主人は肩身の狭い思いをされていたと思います。
政略結婚…そこには爵位は勿論、様々な事情で上下関係が出来てしまう事もある。
ですが、だからこそ互いに歩み寄り思いやる心遣いが必要なのです。
実際そのようにして、鴛鴦夫婦になられた方もたくさんいらっしゃいますわ。
このご夫婦は、ご主人のご実家の負債を夫人側が肩代わりする事を条件にご結婚なさいました。
夫人は以前からご主人との婚姻を強くお望みでいらして…ここぞとばかりに話を進めたのだと、当時は話題になったものです。
ご主人に相思相愛の婚約者がいることも、誰もが知る事実でした。
勿論、ご主人は婚約が整う前に婚約者との関係をきちんと解消。
婿入りという形でご結婚され、二年後には男の子もひとりお生まれになっています。
夜会などでお会いする時も、夫人を気遣う優しい方だな…と印象を受けておりましたが、当の夫人の詰るような物言いは変わらず。
さらに元婚約者を見かけると、これみよがしに大きな声で『わたくし達、子は三人以上欲しいと話し合っておりますの。家族って素晴らしいわ。行き遅れにならなくて本当によかった』などと仰ることも多くて…周りの方達は、少し距離を置いておりました。
勿論、この夫人から。
元婚約者は独身を貫いていて、今は王都で小さな刺繍屋を営んでいらっしゃいますが、こちら開店当初からなかなかの人気店。
私も幾度となくお邪魔した事がございます。
ご夫婦はご結婚から十六年。
お子様は嫡男となるおひとりのみ。
三人以上欲しいと仰っていたものの、夫人の望みが叶うご様子はついぞ見受けられず。
一度、夫婦で出席した夜会で、かなりお酒が入った状態の夫人がご主人に怒鳴り付けているところに出くわした事がありました。
『今夜こそ抱きなさい!!薬でもなんでも使って子種を出して、わたくしと子供を作るのが貴方の役目なのよ!!機能しないなんて馬鹿にしてるわ!!』
そう言ってご主人の顔に赤ワインをかけ、その場をあとにされました。
私達夫婦は、濡れた状態でゆっくり立ち去るご主人に声をかけることも出来ず、何も見なかったことにしたのです。
決して不貞はされてなかったと思います。
完全に想いを断ち切れてはいなかったかもしれませんが、夫婦として歩み寄ろうとする姿をよくお見かけしましたから。
ですが、夫人にとっては拭い切れない腹立たしさがあったのでしょう。
ご主人を愛されていた想いは本物だったと思いますが、夫婦の形を完全なものにする為に上下関係を示すことで、不安を飲み込もうとした。
結果、飲み込めておりませんでしたけれど。
そして結婚十六年…
ご子息は十四歳を迎えました。
この国では後継となる子が十歳を迎えると、それまでの養育状況や親子関係が優良とされた場合にのみ、離縁におけるお咎めなしと認められます。
そして、このご主人はそれを申し立てられた。
夫は、それが認められたと言ったのです。
「息子が、父親をこの家から解放してやってくれといったのだと」
子を伴うお茶会で、ご夫婦とご子息が連れ立つのを何度かお見かけした事があります。
ご主人にそっくりなご子息を、夫人は常に傍に置いて自慢なさっていた。
『わたくしと夫の愛が実った証ですの』
だからご主人に瓜二つなのだと。
そう言われたご子息は、少し困ったような顔をして曖昧に笑みを浮かべていたのが印象的でした。
きっと、何かしら感じていたのでしょう。
それでも、ご主人はご子息をとても可愛がっていらっしゃって、ご子息が父親を慕っていることは傍目にも伝わってきておりました。
歩み寄ろうとする父親と、愛するが故に詰り罵ることしか出来なかった母親。
そのような両親の元でも真っ直ぐに育つことが出来たのは、それぞれが注ぐ愛情に嘘はなかったと云うことなのでしょうか。
「ちなみに、元旦那は例の女性と国を出ることにしたそうだよ。今月末で店は閉めるって」
「えっ!?」
「ベルのお気に入りだったから残念だったね。なくなる前に買い物に行こうか」
「えぇ、行きたいわ」
離縁されたら再婚されると思ったけれど、まさか国を出るとは思わなかった。
「国を出るのも息子の後押しらしい」
「……どうして?」
「このまま国に留まっても、ふたりを面白おかしく揶揄する者がいるから…と」
「随分詳しいのね」
「帰りがけに元旦那本人に会ったから」
「そう…」
夫と元ご主人は、親友とまではいかずも幼少期からそれなりに交流を持っていた。
仕事で顔を合わせることも多かったはず。
「最後の日、奥方から言われたそうだよ。毎日毎日愛していると言ったじゃないかと」
「…そうね…よくお茶会でも仰っていたわ」
「そうみたいだね。だけど実際は違った」
「仰ってないってこと?」
「いや、言ってはいたみたいだよ。但しその相手は奥方ではなく息子だった。それを奥方は曲解して自分宛だと認識した」
「つまり…息子に言っているのだから、その息子を生んだ自分に言っている……と?」
「さすがベルエア、ご名答だ」
まさか…そんなことってあるのね。
「息子を愛しているのは本心だし、歩み寄り添い遂げることも考えていたが…奥方に愛してるとだけは、どうしても言えなかったそうだ」
カラン…と夫が手にするグラスの氷が溶け、その様子がなんだか夫婦みたいだと思ってしまった。
元々は別のものが、溶けてひとつになる。
始まりはどうあれ、時間はかかろうと…そうやって歩み寄れれば結果は違ったのかもしれない。
「決定的に壊れたのは、酒の入った奥方が息子の前で詰り始めた瞬間だそうだ。酒で酩酊した上で詰ることは息子の前ではしないと約束していたのに、幾ら止めようと暴れて大騒ぎしたって」
「……ご子息が可哀想よ…」
「そうだね…彼もそれを悔やんでいた。何を言われても誤解と妄想でしかないし、ありもしない事で…最後には息子にまで怒鳴る始末」
「なんてことっ…」
「お前も他の女の方がいいのか、あの女を母親だと思っているのか…って」
「ひどい…」
「息子は女性に会ったことも見たこともない。それこそ、なんの話だと混乱しかない。強制的に奥方を部屋に閉じ込め、初めてふたりの結婚に至るまでを話したと言っていた」
「…それでご子息が離縁を進めたの?」
夫は、どこか寂しそうに頷いた。
「全部を知らされた息子に、まだその女性を愛しているのかと聞かれたそうだ…そして、愛してると答えた」
「…そう……」
「そして、息子は離縁を勧めた。そんなに苦しそうな顔で愛してると言うほど想っているなら、もう夫婦でいるべきではないと」
「ご主人は…ご子息を可愛がっていたわ」
「僕もそう思うよ。それから時間を置いて、息子の希望で女性と会わせもした。その時に、父をお願いしますって頼んだそうだ…自分は家を継いでこの場に残るから、たまに会えればいいと」
「…夫人はどうなったの?」
「息子にまであたった日以来、完全に心を壊してしまったようでね…既に完全看護の療養所に入所したらしい。息子の希望で、二度と出ることはないと契約も交わされたそうだよ」
どうりで暫く見かけなかったと思っていた。
まさか療養所に入っていたなんて…
「息子の後見人には、彼も親しくしていた縁戚の文官がついてくれることになっている。だけど何か困ったことがあれば、その時は助けてやって欲しいと頭を下げてきた」
「勿論よ、幾らでも力になるわ」
「ありがとう。ベルならそう言ってくれると思っていた。本当に君は素敵な女性だよ」
優しく重ねられた唇から、夫が飲んでいるお酒の香りが伝わってきた。
この温もりと愛情が当然のように与えられることに、今更ながら感謝しかない。
「国を出ると言っても国境沿いで、今後も息子とはやり取りを続けていくらしい。節目には帰ってくるとも言っていたしね」
「…それなら良かったわ」
「それでさ、僕は考えたんだ」
「なにを?」
「君に愛してると言っている気になっていて…だけど実際は口にしていなくて。それは本当に僕が悪かったのだけど、君に愛想を尽かされたり疑われたりしなくて良かったって…本当に安堵した」
確かに、言ってくれないことで不満に思ったことはあったけれど…その気持ちを疑うような余地は一切なかったんですもの。
愛想なんて尽かすはずがないわ。
「これから先、また言葉にして伝えるのを忘れてしまったら…その時は言ってほしい。情けない夫でごめん」
「そんな貴方が大好きよ」
言葉だけが全てではない。
勿論、そのどちらもあるにこしたことはないけれど…私達は私達なりに寄り添えればいい。
「愛してるよ、ベルエア」
きっと夫は忘れない。
私の事が本当に大好きだから。
そう信じられる。
「私も愛してるわ」
私の夫は愛してると言わなかった。
だけど今は、
溢れるほどの愛情と共に伝えてくれる。
完
しおりを挟む
あなたにおすすめの小説
二階堂まや
恋愛
王女オリヴィアはヴァイオリンをこよなく愛していた。しかし自身最後の音楽会で演奏中トラブルに見舞われたことにより、隣国の第三王女クラリスに敗北してしまう。
そして彼女の不躾な発言をきっかけに、オリヴィアは仕返しとしてクラリスの想い人であるランダードの王太子ヴァルタサールと結婚する。けれども、ヴァイオリンを心から楽しんで弾いていた日々が戻ることは無かった。
そんな折、ヴァルタサールはもう一度オリヴィアの演奏が聴きたいと彼女に頼み込む。どうしても気が向かないオリヴィアは、恋人同士のように一晩愛して欲しいと彼に無理難題を押し付けるが、ヴァルタサールはなんとそれを了承してしまったのだった。
ほづみ
恋愛
国王から「平和になったので婚活しておいで」と言われた月の女神シアに仕える女神官ロイシュネリア。彼女の持つ未来を視る力は、処女喪失とともに失われる。先視の力をほかの人間に利用されることを恐れた国王からの命令だった。好きな人がいるけどその人には好かれていないし、命令だからしかたがないね、と婚活を始めるロイシュネリアと、彼女のことをひそかに想っていた宰相リフェウスとのあれこれ。両片思いがこじらせています。
あいかわらずゆるふわです。雰囲気重視。
細かいことは気にしないでください!
他サイトにも掲載しています。
注意 ヒロインが腕を切る描写が出てきます。苦手な方はご自衛をお願いします。
スケキヨ
恋愛
媚薬を盛られたミアを救けてくれたのは学生時代からのライバルで公爵家の次男坊・リアムだった。ほっとしたのも束の間、なんと今度はリアムのほうが異国の王女に媚薬を盛られて絶体絶命!?
「弟を救けてやってくれないか?」――リアムの兄の策略で、発情したリアムと同じ部屋に閉じ込められてしまったミア。気が付くと、頬を上気させ目元を潤ませたリアムの顔がすぐそばにあって……!!
『媚薬を盛られた私をいろんな意味で救けてくれたのは、大嫌いなアイツでした』という作品の続編になります。前作は読んでいなくてもそんなに支障ありませんので、気楽にご覧ください。
・R18描写のある話には※を付けています。
・別サイトにも掲載しています。
二階堂まや
恋愛
王国の第三王女ルイーセは、女きょうだいばかりの環境で育ったせいで男が苦手であった。そんな彼女は王立騎士団長のウェンデと結婚するが、逞しく威風堂々とした風貌の彼ともどう接したら良いか分からず、遠慮のある関係が続いていた。
そんなある日、ルイーセは森に散歩に行き、ウェンデが放尿している姿を偶然目撃してしまう。そしてそれは、彼女にとって性の目覚めのきっかけとなってしまったのだった。
+性的に目覚めたヒロインを器の大きい旦那様(騎士団長)が全面協力して最終的にらぶえっちするというエロに振り切った作品なので、気軽にお楽しみいただければと思います。
イセヤ レキ
恋愛
辺境伯の娘であるサマリナは、一度も会った事のない国王から求婚され、側室に召し上げられた。
国民は、正室のいない国王は側室を愛しているのだとシンデレラストーリーを噂するが、実際の扱われ方は酷いものである。
いつか離縁してくれるに違いない、と願いながらサマリナは暇な後宮生活を、唯一相手になってくれる守護騎士の幼なじみと過ごすのだが──?
※ストーリー構成上、ヒーロー以外との絡みあります。
シリアス/ ほのぼの /幼なじみ /ヒロインが男前/ 一途/ 騎士/ 王/ ハッピーエンド/ ヒーロー以外との絡み
シェルビビ
恋愛
シャルロッテは幼い時から優秀な騎士たちが全裸に見える。騎士団の凱旋を見た時に何で全裸でお馬さんに乗っているのだろうと疑問に思っていたが、月日が経つと優秀な騎士たちは全裸に見えるものだと納得した。
時は流れ18歳になると優秀な騎士を見分けられることと騎士学校のサポート学科で優秀な成績を残したことから、騎士団の事務員として採用された。給料も良くて一生独身でも生きて行けるくらい充実している就職先は最高の環境。リストラの権限も持つようになった時、国の砦を守った英雄エリオスが全裸に見えなくなる瞬間が多くなっていった。どうやら長年付き合っていた婚約者が、貢物を散々貰ったくせにダメ男の子を妊娠して婚約破棄したらしい。
国の希望であるエリオスはこのままだと騎士団を辞めないといけなくなってしまう。
シャルロッテは、騎士団のファンクラブに入ってエリオスの事を調べていた。
ところがエリオスにストーカーと勘違いされて好かれてしまった。元婚約者の婚約破棄以降、何かがおかしい。
クマのぬいぐるみが好きだと言っていたから、やる気を出させるためにクマの着ぐるみで出勤したら違う方向に元気になってしまった。溺愛することが好きだと聞いていたから、溺愛し返したらなんだか様子がおかしい。
季邑 えり
恋愛
とうとうヴィクターが帰って来る——シャーロットは橙色の髪をした初恋の騎士を待っていた。
『どうしても、手に入れたいものがある』そう言ってヴィクターはケンドリッチを離れたが、シャーロットは、別れ際に言った『手に入れたいもの』が何かを知らない。
ヴィクターは敵国の将を打ち取った英雄となり、戦勝パレードのために帰って来る。それも皇帝の娘である皇女を連れて。——危険を冒してまで手に入れた、英雄の婚約者を連れて。
幼馴染の騎士 × 辺境の令嬢
二人が待ちわびていたものは何なのか
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。