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夫婦の日常
しおりを挟むとある会社の社員食堂で、ひとりの男が女性達の視線をチラチラと集めていた。
携帯画面を見ながら食事中の男は時折ふわっと穏やかな笑みを浮かべ、そのたびに女性達の小さな歓声がアチコチで起こる。
「やだっ…今笑ったんだけど…!!」
「何見てるのかしら…子犬の動画とか?」
「私…実家の犬の話でもしてみようかな…」
「あぁ眼福…イケメン最高」
普段は無表情で近寄り難い雰囲気の男であるが故に、貴重な微笑を見逃すまい!!と女性達はその様子を目に焼き付ける。
男の名前は立川 透、30歳。
自他ともに認める妻バカであり、夢中で見ているのは子犬ではなく妻の動画。
しかも❝生配信❞。
「おぉ……またストーカーしてる」
遅れてやって来た同期の茶化しは無視して、画面に映る妻を眺めながら愛妻弁当をつつくという至福のランチタイムを続行した。
「なぁ、なんで普通にビデオ通話しねぇの?」
「……煩い。ちょっと黙って」
はいはい、すみませんね…と退いた同期には目もくれず、暫くして画面越しに小さく手を振り生配信は終了となった。
そして両手を合わせ「ご馳走様でした」と言い空になった弁当を手際良く片付け、サーモス水筒に入った珈琲を口にする。
いつも通りのルーティンをこなす透に、同期と一緒に来ていた後輩が疑問を投げかけた。
「立川先輩、飲み物も持参なんですね…無料の自販機があるのに」
それに答えたのは同期。
透とは入社した時から同じ部署で働いており、社内で一番親しいと自負している。
「お前は最近本社に異動してきたから知らないか。こいつ、基本的に奥さんが作ったものしか口にしないんだよ」
「えっ?…潔癖症……とかですか?」
気遣わしげな視線を透に向けるが、当の本人は弁当の感想と感謝を告げるメッセージを妻に送るのに忙しくて気付かない。
「違う違う。飲み会とか接待なんかの時は食べてるけど、それ以外はってだけ。奥さんの手料理と淹れてくれた珈琲がいいんだとさ」
「桜の料理は世界一だからな」
パタン…と携帯を置いた透がドヤ顔で言う。
「確かに」と頷いたのは同期だけでなく、周囲で会話を拾った一部の者達も心の中で首肯した。
「なぁ、今年の花見もやっぱり来ないの?また桜ちゃんの作った弁当食べたいんだけど」
「無理。もうすぐ予定日だし」
期待の視線を思わず向けていた同期と周囲はガクリと肩を落とす。
過去に一度、会社主催の花見に参加した桜。
明るく天真爛漫な性格で場を和ませ、童顔でふっくらと可愛らしい容姿に男女問わず夢中になり、更には持参した弁当の美味しさに舌を巻いて多くの信者を得てしまった。
それ以降、警戒した透が桜を社内イベントに連れてきたことはない。
「そっか、奥さんもうすぐご出産でしたね。何人目でしたっけ?」
「4人目。もういつ産まれてもおかしくない」
「あぁ…だから❝生配信❞なのか」
頭にハテナを浮かべる後輩と周囲だが、同期も透もそれ以上は何も言わなかった。
一部の親しい人だけが知る、立川夫妻の日常。
それは毎日のランチタイムに、自宅の監視カメラが映す妻を眺めて手作り弁当をつつくこと。
もちろん桜も同意の上であり、ちょこちょこカメラ目線になっては手を振る。
左耳につけたイヤホンからは可愛い声も聞こえ、末っ子と遊ぶ様子をさながらリアリティ番組でも見ているかのような気分で覗いていた。
普通にビデオ通話をする時もあるが、ここ最近はもっぱら監視カメラ越し。
予定日が近い事で透の過保護が加速した結果だ。
「4人かぁ…凄いですね」
「何も凄いことはない。桜が望むならもっと増えてもいいと思ってるし」
「いやいやいやいや、今の時代に4人とかそうないですからね?ひとりっ子だって多いのに…て言うか結婚したの幾つの時ですか?立川さんてまだ30でしたよね?」
「大学卒業してすぐ。入社前に式も済ませた」
「……なんか…やっぱり凄いっすね」
入社3年目の後輩(25)は最近、交際1年目の彼女から結婚の圧をかけられ少し辟易していた。
漸く仕事にも慣れてきたところだし、何より念願叶って本社勤務、努力実って目標だった海外事業部に配属されたのだ、それどころではない。
せめて落ち着いてから…と考えていたけれど、噂に聞いていた透の愛妻ぶりを間近に見て「あれ?そもそも結婚したいほど彼女のこと好きじゃなくね?」と思ってしまった。
「桜がほかの男のものになるなんて考えられなかったし、させるつもりもなかったからね」
卒業式を終えたその足で役所に婚姻届を出し、その日から新居で始めた新婚生活。
すぐに1人目を授かり、それから立て続けに3人の子を出産して現在4人目を妊娠中。
可能ならまだ作る予定でもある。
「こいつはちょっと特別だから、あんまり影響受けるなよ」
同期は苦笑しそう助言したが、その1週間後に後輩から彼女と別れた報告を受けた。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
「おかえりなさい!!」
残業を終えて帰宅すると、満面の笑みを浮かべる妻がボフッと抱き着いてきた。
「ただいま、桜」
同じようにギュッと抱き締めて口付ける。
行ってきますとただいまのキスは欠かせない。
立川桜、28歳。
透が愛してやまない女性であり妻。
165cmと女性にしては高い上背も、190cm近い透からしてみれば小さいと思える範囲。
日焼けを知らないような白い肌には黒いストレートロングの髪がよく映え、黒目がちの大きな目を縁取るように生える長い睫毛は人形のよう。
本人は太めだと気にする体型も決してそんなことはなく、程よく肉付いた体は抱き心地抜群。
既に子供を3人産んでいるとは思えないのは童顔のせいもあるが、天真爛漫な性格が周囲にも伝わるからだろう。
「はぁ…癒される。今日もいい子にしてた?」
「もうっ、また子供扱いして!!…でもちゃんといい子にしてたよ。褒めて」
桜は透の言いつけを決して破らない。
今日も桜は家から出ることなく、この家で透の帰りを静かに待っていた。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
透と桜は幼馴染みで、実家は隣同士。
さらに実家らは曽祖父の代から受け継がれてきたもので、ふたりと同様にひとりっ子同士の父親達は双子兄弟のように育った仲。
当然ながら濃い付き合いをしていた。
「透、桜ちゃんよ」
初めての出会いは透が2歳の時。
のちに妻となる桜が生まれたその日に家族で見舞いに赴き、顔を見た瞬間恋に落ちた。
それから毎日産院へと足を運び、退院して自宅に戻ってからは当然のように隣家へと通う日々。
起きて朝食をとったらすぐに隣家へ向かい、昼と夜はそのまま隣家で食事を済ませてから帰宅。
時には桜と一緒に寝てしまうこともあった。
仲の良さは年齢を重ねようと変わらず、むしろ透の溺愛と過保護は増すばかり。
「結婚前提に付き合おう。と言うか結婚しよう。絶対する」
ふたりが正式に付き合いだしたのは桜が中学へ入学したその日で、式典の後まだ多くの生徒や保護者達がいる中でプロポーズ。
恥ずかしそうに「はい」と答えて差し出された花束を受け取った桜を、透は強く抱き締めた。
ふたりの通う学校は幼稚園から大学院まで構える私立で、内部進学の生徒とその保護者らにしてみれば透の公開告白は「え?今さら?」的な話なのだが、外部から来た者達にとっては衝撃。
特に式典で生徒会長として壇上に立った透に一目惚れした女子生徒は多く、ショックを受ける者と嫉妬で睨む者とに別れていた。
しかし、そんな外野の思いなんてなんのその。
法的に認められる年齢になったらすぐにでも!!と望む透の意見は流石に却下されたが、互いの部屋に寝泊まりする事は許された。
「結婚したら桜には家にいて欲しいんだ」
透の大学卒業と同時に結婚する事も許可され、桜は大学進学せずにその時を待ちながら花嫁修業という名の習い事を受けることに決まる。
そしてよく晴れた春のとある日。
ふたりの思いは遂げられ夫婦となった。
「桜はずっと家にいて」
そう透が望むから、桜はずっと家にいる。
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