16 / 16
隣国王女の暴走
しおりを挟む
《妻視点》
「すまない」
まるで初夜の時のように申し訳なさそうな顔をして、わたしの頬を優しく撫でた旦那様。あの時と違うのはここが自宅の寝台ではなく、王宮の大広間であるということ。
そう、今はパーティーの真っ最中。
訳あって即位と戴冠の儀を同時に執り行う為にハワードは多忙を極めており、漸く時間が取れたから「さぁ踊ろう」と手を取り合ったところ。
では何故ハワードが瞳に怒りを滾らせこの場を離れようとしているのか…その原因となったのは例の第三王女殿下。彼女がやらかしてくれた。
「仕方ないわ…寂しいけれど。あまり長居はせずに帰宅しますから、貴方も無理はしないでね」
敢えてグローブを外し直接彼の頬へ触れれば、優しく目を細めてその手を握る。離れたくないと言わんばかりに。
可愛くて素敵なわたしの旦那様…甘えるように指先へ口付けを落とす仕草に周りで小さく悲鳴のようなものがあがり、ついでに突き刺さるような視線を感じるけれどもう慣れた。
だって彼の瞳にはわたししか映っておらず、わたしの瞳にも彼しかいないと分かるから。
「なるべく早く片付けて帰る。ただでさえマリィが不足していて辛いのに…あんな阿婆擦れのせいで帰宅が延期になるなんて耐えられない」
「わたしもよ、ハワード。もう貴方のシャツから匂いが消えてしまったし…」
家を空ける時は必ず『俺の代わり』と言って渡されるハワードのシャツや下着。それを抱き締めたり…実は身につけたりして眠りについている。
なるべく匂いが強いやつがいいから鍛錬後のものを貰っていたのに、今回はうっかり水差しを倒して匂いを洗い流してしまった。くうぅぅ…
「昼間に鍛錬した時のものがあるからサラへ渡るようにしておく。もう水を被るなよ?」
「……わざとじゃないもの」
ジト目で睨むとハワードは微笑み、周りの視線などなんのその唇を重ねてきた。そして啄むようなものを数回繰り返す。
「サラから離れないで」
「えぇ」
今夜のサラは貴族令嬢スタイル。いつものお仕着せではなくドレスだし、メイクも違うからパッと見でサラだと気付く人は少ないと思うけれど、周りをよく見渡せばわたし達のような組み合わせがチラホラリ。
王宮や高位貴族の夜会等では使用人を伴う事が出来ず控え室待機。ぞろぞろと連れ歩いていたら、この大広間だって入り切らないからね。
だから苦肉の策で、貴族籍を持つ使用人にも正装を纏わせ同伴している。正式な招待状を持つ者なら何も問題はないのだから。
「サラ、頼むぞ」
「お任せ下さい。命にかえてもお守り致します」
深紅のマーメイドドレスの裾を摘んでカーテシーをしたサラ。ハーフアップにした髪がサラリと流れ落ちる。…右耳の上に添えた髪飾り、実は暗器なのだと聞いた時は驚いた。そうだと知ってから見てもまっっったく分からないけども。
そしてドレスも特別仕様。同色のレースで覆われているから分かりにくいけれど深いスリットが入っているし、何より伸縮性が凄い。見せてくれた回し蹴りは華麗だった。
そして太腿にはナイフベルトが巻かれ、数本の武器が潜む。今夜は他国からも大勢の賓客が来ているから警戒度数がMAXなんですって。
……わたしの侍女が凄過ぎる。
ちなみに何故深紅なのか。それは返り血を目立たなくさせる為らしい。
「じゃぁね、マリィ」
「行ってらっしゃい」
もう一度唇を重ね、互いに頬を撫で別れを惜しみながら愛しい旦那様の背中を見送った。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
ハワードが出ていってから何人かの男性にダンスを誘われたけれど、いつものように躱してお父様とだけ踊る。普段は領地に篭っているお父様だから、こういう時にしか会えない。
「ハワード君は相変わらず忙しいようだ」
「えぇ…件の王女様がやらかしてくれたので」
周りには聞こえないように小声で、少し顔を寄せてお互いの耳元で会話を交わす。今はスローなパートが続く時間帯だから助かるわ。
「そうみたいだね。宮殿医が早々に持参した解毒薬の確認に来た」
「あら…お持ちでしたの?」
「如何なる時も不測の事態に備えているよ。万が一にでもマリエルが巻き込まれないとは限らないから。それにハワード君の要望でもある。まぁ丁度と言ったらなんだけれど、先の事件で在庫が不足していると要請もあったしな」
「…そうですか……」
お父様が調合した解毒薬が必要…という事は、盛られた毒が“ハネル”であることを示す。
それはオリビア様の継母や異母妹が関与し、多くの犠牲者を出したあの事件で用いられたもの。
「被害者とされる相手は近衛になって間もない令息らしい。仲睦まじい婚約者との婚姻も間近に控えていたそうだから…副作用や後遺症などよりそちらの方が問題だろうな」
「……許せない…」
思わず唇を噛んでしまい「切れてしまうぞ」とお父様に苦笑された。けれど不敬だと窘めないあたり、お父様にも思うところがあるのだろう。
「隠し持つのが王女だけとは限らん。父さんも今から対処に向かうから、決してひとりにはならないように気を付けるんだぞ」
「肝に銘じておきますわ」
薬師の顔になったお父様を見送り、控えているサラの元へと足を進める。
いつまで経っても無くならない危険薬物…その代表格が“ハネル”で、今では大陸中に広がり裏社会の者達によって売買されているらしい。
その使用目的は主に性交渉。強く高揚させる効能があるせいで違法な媚薬として使われている。
最近の購入は貴族が多く、男女問わず既成事実を目論み相手へ投与しているのだとか。
けれどそこに本人の意思は無い。強制的に気持ちと体を昂らされ、どんなに抗おうと僅かな刺激で強烈な快楽を引き起こし、早い段階で理性を放棄してしまう。
意識を朦朧とする相手を意のままにして行為に及ぶなど鬼畜以外の何者でもないし、そのような始まりで明るい未来や関係など生まれないのに…
憎しみしか抱いていない相手との結婚生活なんて不幸でしかない。
そしてそんな中で産まれてくる子供も。
「……サラ…そろそろ帰りましょうか」
「そうですね。王家への祝辞や交流のある方達へのご挨拶も済みましたし、これ以降は貴族同士の親睦会…という名のどんちゃん騒ぎですから」
変なことに巻き込まれてハワードの手を煩わせたくは無いし、そんな事になったら益々帰宅する日が遠のいてしまう。
帰るが吉っ!!
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
《夫視点》
隣国の王族教育はどうなっているのだろうと本気で疑問に思う。いや、“天真爛漫”と云われる第三王女にとってはこれがスタンダードなのか?
まさか他国の戴冠式パーティーの真っ最中に…しかも人目も憚らずに客間へと連れ込み盛るとは思いもよらなかった。
それくらいの常識はあるはず…と。
「……ブラ…ディ………たい…ちょ……」
「大丈夫だ。すぐに処置してやる」
被害者は新人の近衛騎士。新国王の即位にあたり新体制となる為、難関とされる多くの試験を最年少でパスした有望株の青年。
実家は侯爵家と家格は高いが驕ることもなく、三男で継ぐ爵位はないから暫くは実家に籍を置いたままにするが、将来は騎士爵を得て自立したいのだと語っていた笑顔が印象的だった。
それなのに…どれだけ薬を盛られたのか未だに意識を朦朧とさせ、けれど解毒薬のお陰で理性を取り戻しつつあるのか罪悪感に苛まれている。
その相手は勿論婚約者。
王女は既に拘束されて貴族牢へぶち込んだ。被害者の母親は帝国の出身…しかも実家は公爵家とあって皇族との親交も深い。
幸いにも帝国からは皇太子殿下が来訪しており、取り調べに同行している。恐らくはもう隣国に明るい未来などないだろう。
「お待ちください!!今はなりませんっ!!」
部屋の外を護る騎士が声をあげて、誰かの侵入を阻もうとしている。察するに“婚約者”。
「…………ダ……ナ……っ……」
まだ換気も済んでいないし、何より情交の名残りが強いこの状況で会わせるわけにはいかない。暫くは何処か部屋を用意して待機させるか。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
「カナル様に会わせてくださいっ!!」
赤く腫れた目から尚も涙を流しながら、婚約者に会わせて欲しいと言い募る令嬢。その目に宿るのは深い悲しみと…激しい怒り。
詳しい状況を知りたい、その覚悟はあると言い切った令嬢に全てを伝えたが、それでも想いに翳りが差すことはなかった。
「ダイアナ…この婚約は解消しましょう?」
「お母様っ!?……いやですっ、なんで…」
「彼が王女と関係を持った…部屋に籠ったことはもう周知の事実となっているのよ?恐らくはもう近衛でいられないでしょうし…」
「カナル様は被害者よ!!」
そう、彼は被害者。それは間違いないが…貴族である以上醜聞として噂はいつまでも付き纏う。だからと言って貴族籍を抜ければ近衛ではいられなくなるし、平民騎士の最高位は王都を巡回する第三騎士団の分隊長…それもかなり狭き門だ。
「私はっ……」
膝の上で握る手は震え、抑えようとしている涙は留まることを知らず流れ落ちている。
ふとマリィならどうするだろう…と考えた。
俺が何かしら不測の事態に巻き込まれ、想像もしたくないが他の女性と情を交わす…
『ハワードが浮気したら?考えるまでもないわ。ハワードを殺してわたしも死ぬ。するならわたしを殺す覚悟でしてね?』
いつだったか、流行りの道ならぬ恋物語を読んでいたマリィに悪戯に尋ねた際、そう即答した。
逆の立場でもそうするだろう。
俺以外に穢されるなど許し難い。何よりマリィは『舌を噛んで死んでやる』と豪語している。
目の前の令嬢もきっと同じ。
しかし“共に生きたい”と望むなら……
「ビスル伯爵令嬢、君は彼を支えていくことが出来るか?まだ調査中であるからどれ程の量を飲まされたのかも分からない。後遺症がどの程度残るのか未知数だ。もしかすると二度と剣は握れず、生殖機能を失っている可能性すらある」
現実的な話に令嬢は息を飲んだ。彼女を支える母親の表情は…俺に対し「余計なことを言うな」と訴えている。父親は押し黙ったまま。
「何より望まない行為を強いられたことで心に深い傷を負っているだろう。子を作れるか云々より以前に、そういった行為すら出来ないかもしれない。それでも君は彼の傍に居ることを望むか?」
一方からの性交渉拒否は夫婦関係に溝を作り、それまでの良好な関係すら歪むと聞く。まだ若いふたりだからこそ大きな問題だ。
「寄り添えるならまだいい。中には口付けどころか手を繋ぐことさえ拒み、近付くことすら許容出来なくなった者もいる」
部屋に篭もり、廃人のように日々鬱々とする相手と暮らすのは容易でない。どれだけの愛情と財力があっても…心が離れるのだから。
「…………傍にいたいです…」
「ダイアナッ…」
「愛してます…小さい頃からずっと好きで…騎士になるんだって話す彼が好きで…努力する彼が好きで………元々平民になると決まっていて…貴族でいるのは近衛の為で……傍にいられないなら…生きている意味なんてない……っ…」
涙を流してはいるものの、真っ直ぐにこちらを見据える瞳には躊躇いも憂いもない。
あるのは強い覚悟と愛情。
「……ブランディ伯爵」
「なんでしょう」
俯き黙り込んでいた父親が顔を上げた。その表情には未だ娘を案ずる思いが窺えるが…
「…戸籍の浄化をお願い出来ないでしょうか」
「あなたっ……!!」
「浄化ですか…可能ですが、ご存知の通りその場合もうこの国へ戻ることは叶いませんよ?」
「ダメですっ!!そんなことさせられない!!」
戸籍の浄化。
幾つかの国を渡り、出自や身分を分からなくする手段のひとつ。最終的に貴族として残るか、それとも平民となるか…正直なところ運でしかない。
裏社会も請け負ってはいるが、その殆どが悪質に騙され廃人や罪人へと落とされてしまう。
国の機関を使う正式なルートであればそういった不安はなくなるものの、手続きのひとつひとつには金もかかり、滞在中には監視もある。
しかしそこで問題も起こさず真摯な行動に努めれば、より良い紹介先を得られるはず。
ただ…行き着いた先から出ることは許されない。
自由な出入りを認めてしまえば、結局はその仕組みを悪用する者が出てくるからだ。希望があるとすれば儲けた子には縛りがないことだろう。
「行く先々で経緯や身元の確認を取られる。その度に傷を抉られるかもしれぬが、噂も悪評も届かぬ地へ早ければ二年…長くとも十年かからずに辿り着けるはずだ。逆を言えばそれだけかかる。それでも浄化を望むか?」
「ダメよっ!!そんなの認めないわ!!」
母親は娘を抱き締め拒否をするが、成人している者なら自らの意思で申請出来る。
「……決して…漏れませんか…?」
「ダイアナッ…」
「書類は厳重に保管される。万が一にでも流出となれば、管理者の三親等まで処罰対象の案件だ」
人生を左右する機密書類。それだけに未だ嘗て流出した事はなく、浄化に出た者が最終的に何処へ行き着いたのかも殆どが不明のまま。
中には浄化申請にかかる資金が尽き、戸籍のないまま彷徨う危険も孕んでいる。言わばそれぞれの国が保証人となるようなもので、必要となる金額はその保証金。
「………彼と…話をさせて下さい」
「あと一刻もすれば叶うだろう。それまで此処で待機しておいてくれ」
「すまない」
まるで初夜の時のように申し訳なさそうな顔をして、わたしの頬を優しく撫でた旦那様。あの時と違うのはここが自宅の寝台ではなく、王宮の大広間であるということ。
そう、今はパーティーの真っ最中。
訳あって即位と戴冠の儀を同時に執り行う為にハワードは多忙を極めており、漸く時間が取れたから「さぁ踊ろう」と手を取り合ったところ。
では何故ハワードが瞳に怒りを滾らせこの場を離れようとしているのか…その原因となったのは例の第三王女殿下。彼女がやらかしてくれた。
「仕方ないわ…寂しいけれど。あまり長居はせずに帰宅しますから、貴方も無理はしないでね」
敢えてグローブを外し直接彼の頬へ触れれば、優しく目を細めてその手を握る。離れたくないと言わんばかりに。
可愛くて素敵なわたしの旦那様…甘えるように指先へ口付けを落とす仕草に周りで小さく悲鳴のようなものがあがり、ついでに突き刺さるような視線を感じるけれどもう慣れた。
だって彼の瞳にはわたししか映っておらず、わたしの瞳にも彼しかいないと分かるから。
「なるべく早く片付けて帰る。ただでさえマリィが不足していて辛いのに…あんな阿婆擦れのせいで帰宅が延期になるなんて耐えられない」
「わたしもよ、ハワード。もう貴方のシャツから匂いが消えてしまったし…」
家を空ける時は必ず『俺の代わり』と言って渡されるハワードのシャツや下着。それを抱き締めたり…実は身につけたりして眠りについている。
なるべく匂いが強いやつがいいから鍛錬後のものを貰っていたのに、今回はうっかり水差しを倒して匂いを洗い流してしまった。くうぅぅ…
「昼間に鍛錬した時のものがあるからサラへ渡るようにしておく。もう水を被るなよ?」
「……わざとじゃないもの」
ジト目で睨むとハワードは微笑み、周りの視線などなんのその唇を重ねてきた。そして啄むようなものを数回繰り返す。
「サラから離れないで」
「えぇ」
今夜のサラは貴族令嬢スタイル。いつものお仕着せではなくドレスだし、メイクも違うからパッと見でサラだと気付く人は少ないと思うけれど、周りをよく見渡せばわたし達のような組み合わせがチラホラリ。
王宮や高位貴族の夜会等では使用人を伴う事が出来ず控え室待機。ぞろぞろと連れ歩いていたら、この大広間だって入り切らないからね。
だから苦肉の策で、貴族籍を持つ使用人にも正装を纏わせ同伴している。正式な招待状を持つ者なら何も問題はないのだから。
「サラ、頼むぞ」
「お任せ下さい。命にかえてもお守り致します」
深紅のマーメイドドレスの裾を摘んでカーテシーをしたサラ。ハーフアップにした髪がサラリと流れ落ちる。…右耳の上に添えた髪飾り、実は暗器なのだと聞いた時は驚いた。そうだと知ってから見てもまっっったく分からないけども。
そしてドレスも特別仕様。同色のレースで覆われているから分かりにくいけれど深いスリットが入っているし、何より伸縮性が凄い。見せてくれた回し蹴りは華麗だった。
そして太腿にはナイフベルトが巻かれ、数本の武器が潜む。今夜は他国からも大勢の賓客が来ているから警戒度数がMAXなんですって。
……わたしの侍女が凄過ぎる。
ちなみに何故深紅なのか。それは返り血を目立たなくさせる為らしい。
「じゃぁね、マリィ」
「行ってらっしゃい」
もう一度唇を重ね、互いに頬を撫で別れを惜しみながら愛しい旦那様の背中を見送った。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
ハワードが出ていってから何人かの男性にダンスを誘われたけれど、いつものように躱してお父様とだけ踊る。普段は領地に篭っているお父様だから、こういう時にしか会えない。
「ハワード君は相変わらず忙しいようだ」
「えぇ…件の王女様がやらかしてくれたので」
周りには聞こえないように小声で、少し顔を寄せてお互いの耳元で会話を交わす。今はスローなパートが続く時間帯だから助かるわ。
「そうみたいだね。宮殿医が早々に持参した解毒薬の確認に来た」
「あら…お持ちでしたの?」
「如何なる時も不測の事態に備えているよ。万が一にでもマリエルが巻き込まれないとは限らないから。それにハワード君の要望でもある。まぁ丁度と言ったらなんだけれど、先の事件で在庫が不足していると要請もあったしな」
「…そうですか……」
お父様が調合した解毒薬が必要…という事は、盛られた毒が“ハネル”であることを示す。
それはオリビア様の継母や異母妹が関与し、多くの犠牲者を出したあの事件で用いられたもの。
「被害者とされる相手は近衛になって間もない令息らしい。仲睦まじい婚約者との婚姻も間近に控えていたそうだから…副作用や後遺症などよりそちらの方が問題だろうな」
「……許せない…」
思わず唇を噛んでしまい「切れてしまうぞ」とお父様に苦笑された。けれど不敬だと窘めないあたり、お父様にも思うところがあるのだろう。
「隠し持つのが王女だけとは限らん。父さんも今から対処に向かうから、決してひとりにはならないように気を付けるんだぞ」
「肝に銘じておきますわ」
薬師の顔になったお父様を見送り、控えているサラの元へと足を進める。
いつまで経っても無くならない危険薬物…その代表格が“ハネル”で、今では大陸中に広がり裏社会の者達によって売買されているらしい。
その使用目的は主に性交渉。強く高揚させる効能があるせいで違法な媚薬として使われている。
最近の購入は貴族が多く、男女問わず既成事実を目論み相手へ投与しているのだとか。
けれどそこに本人の意思は無い。強制的に気持ちと体を昂らされ、どんなに抗おうと僅かな刺激で強烈な快楽を引き起こし、早い段階で理性を放棄してしまう。
意識を朦朧とする相手を意のままにして行為に及ぶなど鬼畜以外の何者でもないし、そのような始まりで明るい未来や関係など生まれないのに…
憎しみしか抱いていない相手との結婚生活なんて不幸でしかない。
そしてそんな中で産まれてくる子供も。
「……サラ…そろそろ帰りましょうか」
「そうですね。王家への祝辞や交流のある方達へのご挨拶も済みましたし、これ以降は貴族同士の親睦会…という名のどんちゃん騒ぎですから」
変なことに巻き込まれてハワードの手を煩わせたくは無いし、そんな事になったら益々帰宅する日が遠のいてしまう。
帰るが吉っ!!
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
《夫視点》
隣国の王族教育はどうなっているのだろうと本気で疑問に思う。いや、“天真爛漫”と云われる第三王女にとってはこれがスタンダードなのか?
まさか他国の戴冠式パーティーの真っ最中に…しかも人目も憚らずに客間へと連れ込み盛るとは思いもよらなかった。
それくらいの常識はあるはず…と。
「……ブラ…ディ………たい…ちょ……」
「大丈夫だ。すぐに処置してやる」
被害者は新人の近衛騎士。新国王の即位にあたり新体制となる為、難関とされる多くの試験を最年少でパスした有望株の青年。
実家は侯爵家と家格は高いが驕ることもなく、三男で継ぐ爵位はないから暫くは実家に籍を置いたままにするが、将来は騎士爵を得て自立したいのだと語っていた笑顔が印象的だった。
それなのに…どれだけ薬を盛られたのか未だに意識を朦朧とさせ、けれど解毒薬のお陰で理性を取り戻しつつあるのか罪悪感に苛まれている。
その相手は勿論婚約者。
王女は既に拘束されて貴族牢へぶち込んだ。被害者の母親は帝国の出身…しかも実家は公爵家とあって皇族との親交も深い。
幸いにも帝国からは皇太子殿下が来訪しており、取り調べに同行している。恐らくはもう隣国に明るい未来などないだろう。
「お待ちください!!今はなりませんっ!!」
部屋の外を護る騎士が声をあげて、誰かの侵入を阻もうとしている。察するに“婚約者”。
「…………ダ……ナ……っ……」
まだ換気も済んでいないし、何より情交の名残りが強いこの状況で会わせるわけにはいかない。暫くは何処か部屋を用意して待機させるか。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
「カナル様に会わせてくださいっ!!」
赤く腫れた目から尚も涙を流しながら、婚約者に会わせて欲しいと言い募る令嬢。その目に宿るのは深い悲しみと…激しい怒り。
詳しい状況を知りたい、その覚悟はあると言い切った令嬢に全てを伝えたが、それでも想いに翳りが差すことはなかった。
「ダイアナ…この婚約は解消しましょう?」
「お母様っ!?……いやですっ、なんで…」
「彼が王女と関係を持った…部屋に籠ったことはもう周知の事実となっているのよ?恐らくはもう近衛でいられないでしょうし…」
「カナル様は被害者よ!!」
そう、彼は被害者。それは間違いないが…貴族である以上醜聞として噂はいつまでも付き纏う。だからと言って貴族籍を抜ければ近衛ではいられなくなるし、平民騎士の最高位は王都を巡回する第三騎士団の分隊長…それもかなり狭き門だ。
「私はっ……」
膝の上で握る手は震え、抑えようとしている涙は留まることを知らず流れ落ちている。
ふとマリィならどうするだろう…と考えた。
俺が何かしら不測の事態に巻き込まれ、想像もしたくないが他の女性と情を交わす…
『ハワードが浮気したら?考えるまでもないわ。ハワードを殺してわたしも死ぬ。するならわたしを殺す覚悟でしてね?』
いつだったか、流行りの道ならぬ恋物語を読んでいたマリィに悪戯に尋ねた際、そう即答した。
逆の立場でもそうするだろう。
俺以外に穢されるなど許し難い。何よりマリィは『舌を噛んで死んでやる』と豪語している。
目の前の令嬢もきっと同じ。
しかし“共に生きたい”と望むなら……
「ビスル伯爵令嬢、君は彼を支えていくことが出来るか?まだ調査中であるからどれ程の量を飲まされたのかも分からない。後遺症がどの程度残るのか未知数だ。もしかすると二度と剣は握れず、生殖機能を失っている可能性すらある」
現実的な話に令嬢は息を飲んだ。彼女を支える母親の表情は…俺に対し「余計なことを言うな」と訴えている。父親は押し黙ったまま。
「何より望まない行為を強いられたことで心に深い傷を負っているだろう。子を作れるか云々より以前に、そういった行為すら出来ないかもしれない。それでも君は彼の傍に居ることを望むか?」
一方からの性交渉拒否は夫婦関係に溝を作り、それまでの良好な関係すら歪むと聞く。まだ若いふたりだからこそ大きな問題だ。
「寄り添えるならまだいい。中には口付けどころか手を繋ぐことさえ拒み、近付くことすら許容出来なくなった者もいる」
部屋に篭もり、廃人のように日々鬱々とする相手と暮らすのは容易でない。どれだけの愛情と財力があっても…心が離れるのだから。
「…………傍にいたいです…」
「ダイアナッ…」
「愛してます…小さい頃からずっと好きで…騎士になるんだって話す彼が好きで…努力する彼が好きで………元々平民になると決まっていて…貴族でいるのは近衛の為で……傍にいられないなら…生きている意味なんてない……っ…」
涙を流してはいるものの、真っ直ぐにこちらを見据える瞳には躊躇いも憂いもない。
あるのは強い覚悟と愛情。
「……ブランディ伯爵」
「なんでしょう」
俯き黙り込んでいた父親が顔を上げた。その表情には未だ娘を案ずる思いが窺えるが…
「…戸籍の浄化をお願い出来ないでしょうか」
「あなたっ……!!」
「浄化ですか…可能ですが、ご存知の通りその場合もうこの国へ戻ることは叶いませんよ?」
「ダメですっ!!そんなことさせられない!!」
戸籍の浄化。
幾つかの国を渡り、出自や身分を分からなくする手段のひとつ。最終的に貴族として残るか、それとも平民となるか…正直なところ運でしかない。
裏社会も請け負ってはいるが、その殆どが悪質に騙され廃人や罪人へと落とされてしまう。
国の機関を使う正式なルートであればそういった不安はなくなるものの、手続きのひとつひとつには金もかかり、滞在中には監視もある。
しかしそこで問題も起こさず真摯な行動に努めれば、より良い紹介先を得られるはず。
ただ…行き着いた先から出ることは許されない。
自由な出入りを認めてしまえば、結局はその仕組みを悪用する者が出てくるからだ。希望があるとすれば儲けた子には縛りがないことだろう。
「行く先々で経緯や身元の確認を取られる。その度に傷を抉られるかもしれぬが、噂も悪評も届かぬ地へ早ければ二年…長くとも十年かからずに辿り着けるはずだ。逆を言えばそれだけかかる。それでも浄化を望むか?」
「ダメよっ!!そんなの認めないわ!!」
母親は娘を抱き締め拒否をするが、成人している者なら自らの意思で申請出来る。
「……決して…漏れませんか…?」
「ダイアナッ…」
「書類は厳重に保管される。万が一にでも流出となれば、管理者の三親等まで処罰対象の案件だ」
人生を左右する機密書類。それだけに未だ嘗て流出した事はなく、浄化に出た者が最終的に何処へ行き着いたのかも殆どが不明のまま。
中には浄化申請にかかる資金が尽き、戸籍のないまま彷徨う危険も孕んでいる。言わばそれぞれの国が保証人となるようなもので、必要となる金額はその保証金。
「………彼と…話をさせて下さい」
「あと一刻もすれば叶うだろう。それまで此処で待機しておいてくれ」
30
お気に入りに追加
3,468
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

追放された悪役令嬢はシングルマザー
ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。
断罪回避に奮闘するも失敗。
国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。
この子は私の子よ!守ってみせるわ。
1人、子を育てる決心をする。
そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。
さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥
ーーーー
完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。


邪魔しないので、ほっておいてください。
りまり
恋愛
お父さまが再婚しました。
お母さまが亡くなり早5年です。そろそろかと思っておりましたがとうとう良い人をゲットしてきました。
義母となられる方はそれはそれは美しい人で、その方にもお子様がいるのですがとても愛らしい方で、お父様がメロメロなんです。
実の娘よりもかわいがっているぐらいです。
幾分寂しさを感じましたが、お父様の幸せをと思いがまんしていました。
でも私は義妹に階段から落とされてしまったのです。
階段から落ちたことで私は前世の記憶を取り戻し、この世界がゲームの世界で私が悪役令嬢として義妹をいじめる役なのだと知りました。
悪役令嬢なんて勘弁です。そんなにやりたいなら勝手にやってください。
それなのに私を巻き込まないで~~!!!!!!


好きな人がいるならちゃんと言ってよ
しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる