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友人の訪問と黒薔薇
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《妻視点》
夜会の二日後、戴冠式を間近に控えて我が家も慌ただしい雰囲気のなか、わたしもサラとドレスや装飾品の確認などにあたっていた。
「ハワードの制服も変わるのよね…楽しみ」
「陛下付きとなりますからね。マリエル様がご用意された剣帯もお見事でした」
「我ながら夜なべが報われる出来だったわ」
当日のハワードは王太子殿下の側に仕え、わたしはそんな旦那様の凛々しい姿を堪能する予定。
騎士服は黒で変わりないけれど、陛下付きの正装には刺繍が施される習わしがあって、極小の上質な宝石も縫い付けられる。
「マリエル様と同じお色味の金糸が見つかり、本当に良かったです。万が一にもご用意出来なければ、戴冠式を欠席しかねませんから」
「ごねていたものね。だけど嬉しかったわ…それだけ愛されている気がして」
お針子さん達には迷惑をかけてしまったけれど。
「楽しみですね」
「えぇ、わくわくしちゃう」
お披露目は当日までお預けと言われ、デザイン画すら見せて貰えていない。だけど絶対に素敵だろう事は予想出来る。
「奥様、先触れが届いております」
「先触れ?どなたから?」
「ダンテ侯爵令嬢様でございます」
「オリビア様?分かったわ、お迎え致しますとすぐにお返事して」
報告に来た侍女が下がったのと同時に、わたしも急いでお迎えする準備を始めた。
「いらっしゃるのは久しぶりね。オリビア様も戴冠式の準備でお忙しいんじゃないかしら」
王女様付きになられてから、何かとお忙しいようだとハワードから聞いていた。
そのオリビア様が先触れを寄越しての来訪。
「例の件…でしょうか」
「そうでしょうね…念の為、ハワードにも連絡しておいてくれる?」
「畏まりました」
話の内容は…継母と異母妹の事だろう。
彼女達は、夜会で令息が暴れた件に関わっていたらしく拘留中とのこと。
異母妹の方は以前からよく絡んできていたから、これで落ち着けばいいな…というのが本音だったりする。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
半刻ほどしてオリビア様は来訪された。
「突然お伺いして申し訳ございません」
「いえ…それよりオリビア様…髪、切られたんですね。とてもお似合いですわ」
単騎でいらしたオリビア様は、腰まであった艶のある髪を肩上までバッサリと切っていた。
お世辞抜きで似合う。素敵。
「王女に忠誠を誓うにあたり、煩わしい過去やしがらみを捨ててしまいたかったんです」
照れたような微笑みからは、短くなった髪と同じく抱えていたものがなくなったように窺えた。
「まずはお茶を頂きましょう。最近、お気に入りのハーブティーなんです」
「ありがとうございます…とてもいい香り」
洗練された綺麗な所作に、これまでの努力がいかほどのものかと胸を打たれてしまう。
オリビア様は不憫な境遇だった。
それはあまり社交をしないわたしの耳にも届いてくるほどに。
幼くして母親を亡くし、外交で不在がちの父親が突然迎えた後妻は『あなたの妹よ』と言ってふたつ年下の娘を連れてきたらしい。
しかも父の実子。
つまりは父親が浮気をしていた事になる。
その父親は『母親がいた方がいいだろう』とだけ言葉を残すと碌な交流もせずに仕事を理由に家をあけ、継母はオリビア様に“躾”と称して厳しく接するようになっていく。
『あなたは父親に見捨てられたのよ』
精神的、身体的に虐待を受け続けた上に、いつの間にどうやったのか後継者指名は異母妹に移り、家からの“独立”を視野に入れたオリビア様は女性騎士になるべく育成所への試験を受けた。
『ひとりで生きていくのに騎士しか考えつかなかったの』
少し悲しそうな笑みを浮かべそう話してくれた。
『わたしの唯一の家族は亡くなった母だけ。その母に恥ずかしくない淑女になる事が、わたしの矜恃だったわ』
もう父親に未練はないと言う。
家族の愛情に恵まれてきたわたしには想像もつかない事だけれど、それがオリビア様の決めた事なら友人として支えたい。
「そう言えば、申請はどうなりました?」
熱いハーブティーを少し喉に通してから聞くと、オリビア様は困ったように微笑んだ。
「意外にも父の抗議にあって遅れましたが、先日無事に受理されました。ですから今後は、家名で呼ばれることもなくなります」
「そうですか…オリビア様、これからはご自身の幸せだけを傍に置いておきましょう。あちら様は因果応報の事態に陥っているだけです、気にする事はございません」
「それは……」
愚かな家族や親戚から逃れる為に設けられた救済処置が“独立”だけれど、最終判断を下すのは国王陛下。
故に簡単なものではない。
申請するまでの環境や人間関係は勿論のこと、職に就いている必要もある。勤務態度も詳しく調査され、間違いなく申請者が清廉潔白だと認められた場合のみ。
オリビア様はその許可を異例の速さで得た。
恐らく、高位貴族という人の目が集まりやすい立場だったことで、証言が多かったんだと思う。
とは言え元家族として全て無視することも出来ないという気持ちは理解出来る。
少し気まずい空気が流れてしまったところで、侍女がハワードの帰宅を告げに来た。
「失礼致します。奥様、旦那様がお帰りになられました。間もなくいらっしゃいます」
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
《夫視点》
王宮で戴冠式に向けた準備をしていると、屋敷の侍従から来訪者ありとの報告を受けた。
基本的に俺が不在の先触れは全て断っているが、聞かされた相手を確認して納得する。
許可を得てからの一時帰宅後、執事から事の次第を聞いて応接室へ向かうと、マリィの向かいには些か顔色の悪いレディ・オリビアがいた。
「ハワード、お帰りなさい」
「ただいま」
俺の帰宅に嬉しそうな笑みを浮かべるマリィの頬に口付けをしてから、直立不動のレディ・オリビアに着席を促しつつ俺達も隣合って腰をおろす。
「レディ・オリビア」
“独立”した彼女はもう“侯爵令嬢”ではない。
ただし“廃嫡”と違い立場を失うことはなく、本人が望めば貴族としての扱いを受けられる。彼女は近衛騎士を務める為に、それを希望した。
後ろ盾としての実家は存在しないが、厳しい審査の上で認められる“独立者”は国が後見人となるので、むしろ地盤は固い。
俺に名を呼ばれ、レディ・オリビアは身を固くし緊張した面持ちをしている。
「元父君の辞職が受理された」
「え……」
「後妻と次女が侵した愚行に対する責任をとった形だが、君への謝罪を口にしていたよ。もう関わり合うことはないが、もしも顔を合わせる事があれば直接伝えたいとも」
「…お受け致しかねます」
俺から見た元父親の態度は、本気で後悔していると思えるものだった。
だからと言って過去をやり直せるわけではない。
「それでいいと思う。拘留されているふたりも、恐らくはこのまま解放されないだろう」
「そうですか…わたしが言っていい事ではないと思いますが、安心しました」
マリィに懸想していたあの男は、継母達にあらゆる嘘を吹き込まれていた。
レディ・オリビアがマリィと親しくしているのを利用し、俺への愚痴や不満を抱えているから助けてあげて欲しい…と。
『男らしく攫って貰えるのを望んでいる。その相手と再婚し子を作りたいと嘆いている…そう言われ、僕が助けたいと思った』
一時的に落ち着きを取り戻した際の尋問でそう話していたが、やはり反省や謝罪などはない。
『あんな男に好き勝手にされ…抱かれているなど拷問じゃないか。僕なら優しくする。優しく抱いて子種を注ぎ子供を作る。三人は欲しい。早く彼女を連れてきてくれ、子作りをしないと』
落ち着いてはいても狂気に満ちた瞳に変わりはなく、マリィの話をすると拘束着に染み出すほどの吐精をするのだそう。
今後は鉱山に連れていかれるが、鎖に繋がれ逃走することは不可能。二度と出られない。
「ブランディ様。ふたりはやはり…違法薬物を使用していたのでしょうか」
「あぁ、証拠も出た。例の男と会う時に飲み物などに混入させ、徐々に理性や思考を崩壊させたのだろう。君が調べていた通りだったよ」
侯爵が不在がちなのをいいことに、屋敷で好き放題してきたふたり。
特に継母は不特定多数の男を相手に爛れた生活を送っていて、その際に何かしらの薬物を使用しているとの噂が出回っていた。
行為を盛り上げる為に媚薬は存在しているし、俺もマリィに与える事がある。だがそれらは認可された物であり、体に害はない。
「薬物の詳細はまだ調査中だが、恐らく…かつてこの国を危機に陥れようとした“ハネル”だろうというのが薬師達の見解だ」
「“ハネル”って…あの“ハネル”?」
レディ・オリビアは顔色をなくしたが、マリィは興味津々に問いかけてきた。そんな様子が可愛くて、思わず額に口付け照れさせてしまった。
「そう、あの“ハネル”。マリィの実家、ハーディ子爵家が始まる切っ掛けとなったやつ」
「それは…忙しくなりそうね」
「取り締まる憲兵に比べて俺たち近衛はそう変わらないけれど、王族に影響しないよう気を引き締めないといけないかな」
「解毒薬はあるし、昔ほど大事にはならない?」
「マリィの曾祖母君が遺してくれたからね。適切な処置がされれば問題ないよ」
ホッとしたのはレディ・オリビアも同じだった。
既にかなりの男が薬物による禁断症状を発症しているが、殆どは時間をかけて戻るだろう。
「これはあくまでもダンテ侯爵家の問題となる。レディ・オリビアが気に病むことは無い。君は戴冠式に向けて職務に専念してくれ」
割り切れない部分もあるだろうが、それら全てを断ち切らなくては“独立”した意味が無い。
少し俯き、再び顔をあげた彼女の表情からは憂いが払拭されており、王宮で見るように近衛騎士としての矜恃を漂わせていた。
「承知致しました。ただ最後に…わたしの元家族がご迷惑をおかけしたこと、それだけは謝罪させてください。申し訳ございませんでした」
「オリビア様、謝罪をお受け致します。これからも友人としてお付き合いくださいね」
「俺からも頼もう。時間があればマリィとお茶をしてやってくれ。なにせ“放置され妻”で自由がないからな」
「もうっ…だけど無理は言わないわ。だってオリビア様も、時間があればお慕いする方とお過ごしになるでしょうし」
マリィの言葉に顔を赤らめる様子を見て、団長とうまくいっているのだなと察した。最近、やたらと団長が張り切っているのもそのせいか。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
レディ・オリビアを先に王宮へ返し、俺も戻らなければならないところだったが…見送ろうとするマリィに劣情を催した。
あの男がマリィを穢す発言をしたことを思い出して腹が立ち、もう限界だと快楽に咽び泣くマリィを押さえ付けるようにして奥を穿ち、気が済むまで精を注ぎ込む。戴冠式が近いというのに無数の赤い花も散らしてしまった。
反省はしているが、後悔はしていない。
「マリィは俺のもの、誰にも渡すもんか」
「ハワード…」
ぎゅうぎゅう抱き締める俺の背中をぽんぽんと叩きながら、「大丈夫」と慰めてくれる。
この優しい温もりを手放したくない。
ずっとずっと傍にいてくれた、俺の宝物。
「仕事に戻る。次に会えるのは戴冠式だけど、なるべく時間を作るから」
「うん…寂しいけど、当日のハワードを楽しみにしてる。絶対にカッコイイもん」
汗で張り付く髪をよけて額に口付け、大急ぎで湯浴みを終え王宮へ馬を走らせた。
その日の夜、サラから手紙が届いて読めば俺への罵詈雑言が並んでいる。
【どうしてくれるんですか!!あんなに身体中を独占欲丸出しで真っ赤にして!!このお馬鹿!!】
久しぶりに見た殴り書きの気安い内容にちょっと楽しくなり、うきうきと返事を書く。
【予定しているドレスなら見えないし構わないだろ?それにマリィは俺の。文句は受け付けない】
ふふんと鼻歌まで出てしまったが侍従に渡し、もう一度サラからの手紙を開いた。
ぎっしりと書き殴られた便箋の右下に、小さく綴られた可愛らしい文字に顔が綻んでしまう。
【お仕事頑張ってね。愛してる】
~その頃の伯爵邸~
ハワードからの返事にサラは憤慨していた。
「むっかぁぁぁぁぁぁぁ!!マリエル様をなんだと思ってるんです!?」
「奥様?」
こてんと首を傾げたマリエルに、サラはうぐっと勢いを削がれてしまう。
「…正解です。しかし加減というものがございますでしょう?ポラスさんのお薬がなければ、今も起き上がれない状態なんです。しかも残り僅かですのに在庫不足だというし…」
まったくもう…と愚痴るサラを宥めながら、マリエルは手紙と共に届いた一輪の花に顔を寄せた。
「いい香り…愛してるわ、ハワード」
王宮の温室にのみ生息する黒薔薇には“相手を独占したい”という花言葉がある。
マリエルはうっとりと眺めながら夫を想い、花びらにそっと口付けをした。
夜会の二日後、戴冠式を間近に控えて我が家も慌ただしい雰囲気のなか、わたしもサラとドレスや装飾品の確認などにあたっていた。
「ハワードの制服も変わるのよね…楽しみ」
「陛下付きとなりますからね。マリエル様がご用意された剣帯もお見事でした」
「我ながら夜なべが報われる出来だったわ」
当日のハワードは王太子殿下の側に仕え、わたしはそんな旦那様の凛々しい姿を堪能する予定。
騎士服は黒で変わりないけれど、陛下付きの正装には刺繍が施される習わしがあって、極小の上質な宝石も縫い付けられる。
「マリエル様と同じお色味の金糸が見つかり、本当に良かったです。万が一にもご用意出来なければ、戴冠式を欠席しかねませんから」
「ごねていたものね。だけど嬉しかったわ…それだけ愛されている気がして」
お針子さん達には迷惑をかけてしまったけれど。
「楽しみですね」
「えぇ、わくわくしちゃう」
お披露目は当日までお預けと言われ、デザイン画すら見せて貰えていない。だけど絶対に素敵だろう事は予想出来る。
「奥様、先触れが届いております」
「先触れ?どなたから?」
「ダンテ侯爵令嬢様でございます」
「オリビア様?分かったわ、お迎え致しますとすぐにお返事して」
報告に来た侍女が下がったのと同時に、わたしも急いでお迎えする準備を始めた。
「いらっしゃるのは久しぶりね。オリビア様も戴冠式の準備でお忙しいんじゃないかしら」
王女様付きになられてから、何かとお忙しいようだとハワードから聞いていた。
そのオリビア様が先触れを寄越しての来訪。
「例の件…でしょうか」
「そうでしょうね…念の為、ハワードにも連絡しておいてくれる?」
「畏まりました」
話の内容は…継母と異母妹の事だろう。
彼女達は、夜会で令息が暴れた件に関わっていたらしく拘留中とのこと。
異母妹の方は以前からよく絡んできていたから、これで落ち着けばいいな…というのが本音だったりする。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
半刻ほどしてオリビア様は来訪された。
「突然お伺いして申し訳ございません」
「いえ…それよりオリビア様…髪、切られたんですね。とてもお似合いですわ」
単騎でいらしたオリビア様は、腰まであった艶のある髪を肩上までバッサリと切っていた。
お世辞抜きで似合う。素敵。
「王女に忠誠を誓うにあたり、煩わしい過去やしがらみを捨ててしまいたかったんです」
照れたような微笑みからは、短くなった髪と同じく抱えていたものがなくなったように窺えた。
「まずはお茶を頂きましょう。最近、お気に入りのハーブティーなんです」
「ありがとうございます…とてもいい香り」
洗練された綺麗な所作に、これまでの努力がいかほどのものかと胸を打たれてしまう。
オリビア様は不憫な境遇だった。
それはあまり社交をしないわたしの耳にも届いてくるほどに。
幼くして母親を亡くし、外交で不在がちの父親が突然迎えた後妻は『あなたの妹よ』と言ってふたつ年下の娘を連れてきたらしい。
しかも父の実子。
つまりは父親が浮気をしていた事になる。
その父親は『母親がいた方がいいだろう』とだけ言葉を残すと碌な交流もせずに仕事を理由に家をあけ、継母はオリビア様に“躾”と称して厳しく接するようになっていく。
『あなたは父親に見捨てられたのよ』
精神的、身体的に虐待を受け続けた上に、いつの間にどうやったのか後継者指名は異母妹に移り、家からの“独立”を視野に入れたオリビア様は女性騎士になるべく育成所への試験を受けた。
『ひとりで生きていくのに騎士しか考えつかなかったの』
少し悲しそうな笑みを浮かべそう話してくれた。
『わたしの唯一の家族は亡くなった母だけ。その母に恥ずかしくない淑女になる事が、わたしの矜恃だったわ』
もう父親に未練はないと言う。
家族の愛情に恵まれてきたわたしには想像もつかない事だけれど、それがオリビア様の決めた事なら友人として支えたい。
「そう言えば、申請はどうなりました?」
熱いハーブティーを少し喉に通してから聞くと、オリビア様は困ったように微笑んだ。
「意外にも父の抗議にあって遅れましたが、先日無事に受理されました。ですから今後は、家名で呼ばれることもなくなります」
「そうですか…オリビア様、これからはご自身の幸せだけを傍に置いておきましょう。あちら様は因果応報の事態に陥っているだけです、気にする事はございません」
「それは……」
愚かな家族や親戚から逃れる為に設けられた救済処置が“独立”だけれど、最終判断を下すのは国王陛下。
故に簡単なものではない。
申請するまでの環境や人間関係は勿論のこと、職に就いている必要もある。勤務態度も詳しく調査され、間違いなく申請者が清廉潔白だと認められた場合のみ。
オリビア様はその許可を異例の速さで得た。
恐らく、高位貴族という人の目が集まりやすい立場だったことで、証言が多かったんだと思う。
とは言え元家族として全て無視することも出来ないという気持ちは理解出来る。
少し気まずい空気が流れてしまったところで、侍女がハワードの帰宅を告げに来た。
「失礼致します。奥様、旦那様がお帰りになられました。間もなくいらっしゃいます」
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王宮で戴冠式に向けた準備をしていると、屋敷の侍従から来訪者ありとの報告を受けた。
基本的に俺が不在の先触れは全て断っているが、聞かされた相手を確認して納得する。
許可を得てからの一時帰宅後、執事から事の次第を聞いて応接室へ向かうと、マリィの向かいには些か顔色の悪いレディ・オリビアがいた。
「ハワード、お帰りなさい」
「ただいま」
俺の帰宅に嬉しそうな笑みを浮かべるマリィの頬に口付けをしてから、直立不動のレディ・オリビアに着席を促しつつ俺達も隣合って腰をおろす。
「レディ・オリビア」
“独立”した彼女はもう“侯爵令嬢”ではない。
ただし“廃嫡”と違い立場を失うことはなく、本人が望めば貴族としての扱いを受けられる。彼女は近衛騎士を務める為に、それを希望した。
後ろ盾としての実家は存在しないが、厳しい審査の上で認められる“独立者”は国が後見人となるので、むしろ地盤は固い。
俺に名を呼ばれ、レディ・オリビアは身を固くし緊張した面持ちをしている。
「元父君の辞職が受理された」
「え……」
「後妻と次女が侵した愚行に対する責任をとった形だが、君への謝罪を口にしていたよ。もう関わり合うことはないが、もしも顔を合わせる事があれば直接伝えたいとも」
「…お受け致しかねます」
俺から見た元父親の態度は、本気で後悔していると思えるものだった。
だからと言って過去をやり直せるわけではない。
「それでいいと思う。拘留されているふたりも、恐らくはこのまま解放されないだろう」
「そうですか…わたしが言っていい事ではないと思いますが、安心しました」
マリィに懸想していたあの男は、継母達にあらゆる嘘を吹き込まれていた。
レディ・オリビアがマリィと親しくしているのを利用し、俺への愚痴や不満を抱えているから助けてあげて欲しい…と。
『男らしく攫って貰えるのを望んでいる。その相手と再婚し子を作りたいと嘆いている…そう言われ、僕が助けたいと思った』
一時的に落ち着きを取り戻した際の尋問でそう話していたが、やはり反省や謝罪などはない。
『あんな男に好き勝手にされ…抱かれているなど拷問じゃないか。僕なら優しくする。優しく抱いて子種を注ぎ子供を作る。三人は欲しい。早く彼女を連れてきてくれ、子作りをしないと』
落ち着いてはいても狂気に満ちた瞳に変わりはなく、マリィの話をすると拘束着に染み出すほどの吐精をするのだそう。
今後は鉱山に連れていかれるが、鎖に繋がれ逃走することは不可能。二度と出られない。
「ブランディ様。ふたりはやはり…違法薬物を使用していたのでしょうか」
「あぁ、証拠も出た。例の男と会う時に飲み物などに混入させ、徐々に理性や思考を崩壊させたのだろう。君が調べていた通りだったよ」
侯爵が不在がちなのをいいことに、屋敷で好き放題してきたふたり。
特に継母は不特定多数の男を相手に爛れた生活を送っていて、その際に何かしらの薬物を使用しているとの噂が出回っていた。
行為を盛り上げる為に媚薬は存在しているし、俺もマリィに与える事がある。だがそれらは認可された物であり、体に害はない。
「薬物の詳細はまだ調査中だが、恐らく…かつてこの国を危機に陥れようとした“ハネル”だろうというのが薬師達の見解だ」
「“ハネル”って…あの“ハネル”?」
レディ・オリビアは顔色をなくしたが、マリィは興味津々に問いかけてきた。そんな様子が可愛くて、思わず額に口付け照れさせてしまった。
「そう、あの“ハネル”。マリィの実家、ハーディ子爵家が始まる切っ掛けとなったやつ」
「それは…忙しくなりそうね」
「取り締まる憲兵に比べて俺たち近衛はそう変わらないけれど、王族に影響しないよう気を引き締めないといけないかな」
「解毒薬はあるし、昔ほど大事にはならない?」
「マリィの曾祖母君が遺してくれたからね。適切な処置がされれば問題ないよ」
ホッとしたのはレディ・オリビアも同じだった。
既にかなりの男が薬物による禁断症状を発症しているが、殆どは時間をかけて戻るだろう。
「これはあくまでもダンテ侯爵家の問題となる。レディ・オリビアが気に病むことは無い。君は戴冠式に向けて職務に専念してくれ」
割り切れない部分もあるだろうが、それら全てを断ち切らなくては“独立”した意味が無い。
少し俯き、再び顔をあげた彼女の表情からは憂いが払拭されており、王宮で見るように近衛騎士としての矜恃を漂わせていた。
「承知致しました。ただ最後に…わたしの元家族がご迷惑をおかけしたこと、それだけは謝罪させてください。申し訳ございませんでした」
「オリビア様、謝罪をお受け致します。これからも友人としてお付き合いくださいね」
「俺からも頼もう。時間があればマリィとお茶をしてやってくれ。なにせ“放置され妻”で自由がないからな」
「もうっ…だけど無理は言わないわ。だってオリビア様も、時間があればお慕いする方とお過ごしになるでしょうし」
マリィの言葉に顔を赤らめる様子を見て、団長とうまくいっているのだなと察した。最近、やたらと団長が張り切っているのもそのせいか。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
レディ・オリビアを先に王宮へ返し、俺も戻らなければならないところだったが…見送ろうとするマリィに劣情を催した。
あの男がマリィを穢す発言をしたことを思い出して腹が立ち、もう限界だと快楽に咽び泣くマリィを押さえ付けるようにして奥を穿ち、気が済むまで精を注ぎ込む。戴冠式が近いというのに無数の赤い花も散らしてしまった。
反省はしているが、後悔はしていない。
「マリィは俺のもの、誰にも渡すもんか」
「ハワード…」
ぎゅうぎゅう抱き締める俺の背中をぽんぽんと叩きながら、「大丈夫」と慰めてくれる。
この優しい温もりを手放したくない。
ずっとずっと傍にいてくれた、俺の宝物。
「仕事に戻る。次に会えるのは戴冠式だけど、なるべく時間を作るから」
「うん…寂しいけど、当日のハワードを楽しみにしてる。絶対にカッコイイもん」
汗で張り付く髪をよけて額に口付け、大急ぎで湯浴みを終え王宮へ馬を走らせた。
その日の夜、サラから手紙が届いて読めば俺への罵詈雑言が並んでいる。
【どうしてくれるんですか!!あんなに身体中を独占欲丸出しで真っ赤にして!!このお馬鹿!!】
久しぶりに見た殴り書きの気安い内容にちょっと楽しくなり、うきうきと返事を書く。
【予定しているドレスなら見えないし構わないだろ?それにマリィは俺の。文句は受け付けない】
ふふんと鼻歌まで出てしまったが侍従に渡し、もう一度サラからの手紙を開いた。
ぎっしりと書き殴られた便箋の右下に、小さく綴られた可愛らしい文字に顔が綻んでしまう。
【お仕事頑張ってね。愛してる】
~その頃の伯爵邸~
ハワードからの返事にサラは憤慨していた。
「むっかぁぁぁぁぁぁぁ!!マリエル様をなんだと思ってるんです!?」
「奥様?」
こてんと首を傾げたマリエルに、サラはうぐっと勢いを削がれてしまう。
「…正解です。しかし加減というものがございますでしょう?ポラスさんのお薬がなければ、今も起き上がれない状態なんです。しかも残り僅かですのに在庫不足だというし…」
まったくもう…と愚痴るサラを宥めながら、マリエルは手紙と共に届いた一輪の花に顔を寄せた。
「いい香り…愛してるわ、ハワード」
王宮の温室にのみ生息する黒薔薇には“相手を独占したい”という花言葉がある。
マリエルはうっとりと眺めながら夫を想い、花びらにそっと口付けをした。
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国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
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