噂の“放置され妻”

Ringo

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狙われた“放置され妻”

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《妻視点》






サラと化粧室を出ると、ハワードが男性と対峙し何やら不穏な雰囲気が漂っていた。

チラリと周りを見れば殆どが好奇心に目を輝かせており、ごく一部の人はわたしを慮るような視線を向けてくる。


「あの人は…トゥール伯爵家の次男…よね?」

「そのようですね」


付き添うサラの声はいつもより低く、表情を盗み見れば険しく眉を寄せている。


「一体なにが……」


ハワードが喧嘩を売るなど考えられず、何があったのかと近寄り会話を耳に入れれば、相手男性が自分勝手な自論を繰り広げていて怒りが湧いた。


「わたしは夫をこよなく愛しております。閉じ込められている?不自由?あなたが助ける?幸せにする?冗談じゃないわ、お断りよ」


頭にきて一気に捲し立てると、ハワードが腰を強く抱き寄せ「マリィ」と甘い声で名を呼び蕩けるような笑みを浮かべた。

本気で冗談じゃないわ。

貴族の息抜きに噂が存在していて、そのネタにされるのは別にいい。

だけどその妄想や思考を、勝手に現実と捉えこちらに押し付けないでほしいのよ。


「ですが…っ!!」

「まだ仰いますの?ハッキリ申し上げて迷惑ですわ、トゥール伯爵令息。わたしの父にも何度かお話をされているそうですが、今後はそれもおやめ下さい。離縁などするつもりはありませんし、生涯添い遂げたいのは愛する夫だけです」

「っ…しかし…あまりにも貴女が不憫なのです。愛のない夫婦生活など無意味だ。僕なら貴女を大切にするし自由も与えてあげられる。それに、寂しい思いなんてさせず、子供だって…」


あぁぁぁ、しつこいっ!!

しかも子供のくだりで頬を染めるな!!あんたなんかに抱かれるもんですか!!気持ち悪いっ!!


「わたしの話、聞いていらっしゃいます?わたしは夫を愛しています。夫に囲われることをわたし自身が望んでいるんです。自由なら充分にありますし、たとえ手と足をもぎ取られようと、それが夫の願いなら快く受け入れますわ」

「っ……!!」


なに衝撃受けてるのよ。

ふんっ、わたしのハワードに対する愛情を舐めないでもらいたいわ。


「マリィ……」


ハワードは隣で目を輝かせてるし。いや本音ですけど、さすがに手足は残して欲しい。そしてこの場面で口付けようとしないで。さすがにダメよ。


「そんなの…おかしいです。間違ってます。あなたは洗脳されているんだ…そうだ、そうに違いない。そうじゃないと……」


うわぁ…ぶつぶつ何か言ってる。こわっ。


「そこまでにしろ」


声の主に皆一斉に頭を下げ礼をとった。


「いい、楽にしてくれ」


その言葉に姿勢を戻すと王太子殿下がタニア様を連れており、ふたりとも厳しい顔をしていた。


「いい加減になさい、トゥール伯爵令息。マリエルは今の生活に不自由を感じていないと言っているの。少しばかり強い夫の束縛も愛しているが故であって、本人が受け入れてるのだから他人が口を出す事ではないわ」


はぅ…タニア様がわたしを擁護してくださる。気持ち悪いけどいい仕事したわね、この男。


「少しばかり…なのかはさておき、タニアが言う通りお前にとやかく言う権利はない。まして格上の人物に対し妻を寄越せなど言語道断」

「お言葉ですが殿下…僕は自分の心を封じて苦しみから目を背ける女性を救いたいのです」

「それが大きな勘違いだと言っている」

「違います!!」


びっくりした。あまりの大声に、殿下達を守る騎士達が帯剣に手を添え警戒している。


「マリエル様は苦しんでいる!!好きでもない男に好き勝手に抱かれ、夫は愛人を囲うくせに外へ出る自由すら与えない!!泣いているんです!!」


うわぁ…と悪寒を感じて身震いしていると、虚ろになった目をこちらに向けふらりと動いた。

ハワードが「見なくていい」と抱きくるむ。


「ほら……震えてるじゃないか…可哀想に、もう大丈夫だ。これからは僕が君を守る。僕と結婚して子供を作り幸せに暮らそう…それがいい」

「近寄るな。マリィは俺の妻であり唯一だ。貴様ごときには視界に入れることも認めない」

「離せ……僕のマリエル様を離せ…」


さすがに怖くなってハワードにしがみつくと、優しく「大丈夫だよ」と言って上着を脱いで頭から被せ隠してくれた。


「近寄るなと言ったはずだ」

「マリエルを寄越せ!!!!!!僕のものだ!!!!!!!!僕の子供を生ませるんだ!!!!!!!!」


その怒声にビクッとしてしまい、初めて触れる人の狂気に涙が溢れてきた。


「捕らえよ!!」


殿下の声が響くと共にバタバタと足音が鳴り、男が抵抗しているのか叫び声が響き渡る。


「離せっ!!マリエル様!!マリエル!!貴女を愛してるんだ!!貴女を救いたい!!僕が大切にする!!」

「口を塞げ、聞いていられない」


殿下の指示が実行されたのか叫びはくぐもったものに変わり、連れていかれるのを感じた。


「マリィ…」


上着ごと抱き締められ、その力強さに安心して更に涙が溢れてくる。


「殿下、申し訳ありませんが…」

「構わない。休ませてやれ」


会話がうっすらと聞こえてきたと思ったら、上着に包まれたまま横抱きにされた。


「では失礼致します」


わたしもご挨拶しなくちゃ…と思うけれど、涙は止まらないし呼吸も苦しいし…ごめんなさい。


「マリィ、大丈夫だよ。帰ろう」


喉がつかえて声が出ないから、上着の中でこくこくと頷いた。






✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
《夫視点》






マリィを抱いたまま馬車に乗り、走り出してから上着を取ると勢いよく抱き着いてきた。


「ハワード…っ……」

「怖かったな、もう大丈夫だから」


首に腕を回してしがみつき嗚咽する様子に、まずは落ち着かせてやりたいと思い背中を擦る。


「もう…っ…おうちから出ない…っ」

「無理に出なくていいよ。何処か行ってみたい場所があれば俺が連れていくし、会いたい人は今まで通り屋敷に来てもらえばいい」


震える体をしっかり抱き締めていると、やがて泣き疲れたのか寝息をたて始めた。

上着をかぶせていたせいで髪はほつれ、頬にはたくさんの涙を流した跡。目尻は赤くなってしまっている。


「可哀想に……」


じきに馬車は屋敷に着く。サラに言って翌日に響かないようにしてもらおう。

そして願わくば、二度と外には出ず俺に囚われ続けて欲しい。


『夫に囲われることをわたし自身が望んでいるんです。たとえ手と足をもぎ取られようと、それが夫の願いなら快く受け入れますわ』


男に啖呵をきったマリィの言葉に震えた。

もし本当にそう願ったら、君は受け入れる?

俺の助けなしでは生きていけない状況…その具体的な言葉に心が震えたんだ。


「俺のマリィ…誰にも渡さない…」






*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*






屋敷に着いてマリィを抱えたまま馬車から降りると、追走していた使用人用の馬車からサラが飛び降り駆け寄ってきた。


「マリエル様っ!!」

「大丈夫だ、泣き疲れて眠っている」


騒動の場で男が近付いてきた時、サラは俺達の前に立ちはだかった。

明確な殺意を顕にしていつでも男を仕留める態勢に入り、殿下の指示する声があと少し遅れれば間違いなくサラが手にかけていただろう。


「かなり泣いたから目が腫れると思う。なるべく明日に残させたくない」

「畏まりました、すぐに」


俺達が部屋に向かうと同時に、サラは必要なものを準備しに駆け足で向かっていった。

屋敷内を走るなどいつもならしない行動に、どれだけマリィを大切にしてくれているのかが窺えて嬉しくなる。


『マリィは僕の大切な女の子だから、お嫁さんに来たらサラがそばに居てあげてね』


まだ婚約もしていない頃から、そう言って専属侍女になることを頼んだ。

サラとの出会いは三歳で、当時の記憶は正直さほど残っていない。けれど初対面の場面はなぜか鮮明に覚えている。


『はじめまして、サラ・アルファと申します』


紫がかった黒髪が不思議で、大きな栗色の瞳は優しそうな人だと思わせてくれた。

あとになって聞くと、その日以降サラに付き纏っては仕事の邪魔をしていたらしい。

母上が亡くなった時…マリィはまだ婚約者ではなくて、部屋でひとり泣いている俺を励まし支えてくれたのは他ならぬサラだ。


「ん……」

「もうすぐ部屋に着くよ」


もぞりと動いたマリィに声をかければ、安心したように力を抜いて身を預けてくる。俺を信頼しているからこその反応に心が温かくなった。






*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*






「これで大丈夫だと思います。ポラスさん特製の薬剤を含ませてありますから、暫くこのまま外れないようにしてさしあげてください」

「助かるよ、ありがとう」


マリィの閉じられた目に濡らしたタオルを乗せて少し様子をみると、サラは静かに退室した。

そして入れ違いに控えめなノックがされたが、その叩き方で誰なのか分かる。


「ごめんね、すぐ戻る」


額に口付けてから寝室の外へ出ると、丸眼鏡をかけた執事が厳しい顔をして立っていた。


「話はここで。マリィが目を覚ました時にひとりにさせたくない」

「承知しております。こちらを」


手渡されたのは殿下の印章が押された手紙。


「ずいぶん早いな」

「恐らく、既に調査をかけていたのではないかと思われます」

「なるほどね……中で読む」


寝室に戻り寝台のヘッドボードに背をつけマリィの隣に座ると、寝返りを打って太腿に絡みついてきた。と同時に目を覆っていたタオルが落ちる。


「可愛い…でもダメだよ、ちゃんと冷やさないと腫れちゃうから」

「んん……やっ…」


寝ぼけているのかぐずってタオルを払いのけ、よりガッシリとしがみつく。


「マリィ……仕方ないな、おいで」


抱き上げ横向きの状態で膝の上に乗せてやれば、嬉しそうにむにゃむにゃしながら大人しくなり、腕に頭を預けさせてタオルを乗せた。


「いい子だね」


その体勢のまま手紙を開き目を通す。

捕縛された男は直後に親から絶縁が言い渡され、その場で廃嫡の手続きがなされたらしい。

随分と手際がいいが、王家主催の夜会で起きた騒動だから親も当然会場にいたのだろう。


【鉱山開拓の終生労働とする】


東の辺境地で、最近になって発見された金鉱脈の採掘が計画されている。“終生”ということは、気がふれたり言動や行動を自分で制御不能と判断されたのだろう。

重犯罪者や他害行為の可能性があるとされれば、命の可否を問わない労働行きが通例だ。

最後に詰め寄ってきた雰囲気から、もう二度と普通の状態には戻らないのだと俺でも分かる。


『マリエルを寄越せ!!!!!!僕のものだ!!!!!!!!僕の子供を生ませるんだ!!!!!!!!』


狂気を晒してマリィに手を伸ばしてきた瞬間、帯剣していれば迷いなく切り落とした。気安く名を呼ぶばかりか子を作るなど……


「……マリィが生むのは俺の子だけだ」

「んん………」


思わず殺意が漏れだしたが、腕の中にいる天使が目を覚ました気配に一瞬で霧散する。


「はわぁど…」


寝惚けながらぎゅうぎゅうと抱き着いてくる様子はたまらなく可愛い。

手紙はサイドテーブルに伏せて置いた。


「起きた?具合はどう?」

「…大丈夫…ハワード…お仕事行くの……?」

「今夜はずっと傍にいるよ」

「嬉しい…」


子供のように甘えてくるマリィが愛しくて、少しすっきりした様子の顔にあちこち口付ける。


「ふふっ、擽ったい」


無邪気に笑うマリィとじゃれ合いながら、脳裏には手紙の内容が浮かんだ。

現在、とある侯爵夫人とその娘が事情を聞くため王宮に留められているらしい。

その者達は俺もよく知る人物。

昔からマリィに対し何かと難癖をつけては突っかかり、何度断ろうと俺に秋波を送り続けてきた煩わしい存在。

外交を担う侯爵家当主は不在がちで、後妻である夫人とその娘は横柄で傍若無人な態度が故に社交界では顰蹙をかっている。

前妻の娘である優秀な長女を蔑ろにし、碌な教育も受けていない次女を後継者指名した事も、周囲は理解し難いと眉を顰めた。


「ねぇ、ハワード」

「ん?」

「これ……」


漸く気付いたらしい。

寝ている間に、いつも薬指につけている婚約指輪と結婚指輪…に重ね付け出来るよう、エメラルドの細いエタニティリングをはめておいた。


「誕生日おめでとう……ちょっと騒がしい一日になってしまったけど」

「いつもはふたりきりでまったり過ごすもんね」

「結婚して初めての誕生日だったのに…ごめん」

「ハワードのせいじゃないわ。それより綺麗ね、この指輪…しかも大好きなエメラルド」


うっとりと上にかざされた指を絡めとる。


「明日の昼までは休みだから、今夜は夜更かししちゃう?」

「する」






その後、プレゼントのひとつである新しい夜着と下着を着させて楽しんだのだが、これだとむしろ俺へのご褒美な気がしてしまった。






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