噂の“放置され妻”

Ringo

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大陸の中で最も古い歴史を持つコンラッド王国。

王家が暮らす白亜の宮殿を中心に円を描く様に街並みが広がっており、東西南北の辺境には国境を守る要塞城がそびえ立つ。

中心地になるほど地価は高く、宮殿正門前の“特級地区”には主に公爵家が屋敷を構えており、そのいずれもが広大な敷地を持ち豪邸。

その中でも一際大きく豪華な屋敷が、建国時から代々宰相を務めているブランディ公爵家。

公爵夫妻には優秀な長男と美しい長女がおり、高位貴族でありながら仲睦まじい様子は理想の家族と周囲から羨望の眼差しを受け、常に注目の的であった。

そして第二子の長女誕生から十年後には美しい容貌を持った次男が誕生し、家族や使用人達から溺愛されて育ち、成長するにつれて整った顔立ちの美貌は神がかったものへと変化していく。

さらにブランディ公爵家は様々な爵位も保有しており、次男にも成人後の結婚を機に伯爵位が譲られる事が周知されていた。

当然ながら国内外を問わず縁談が溢れんばかりに舞い込むのだが、両親と長男長女は末っ子可愛さにそれら全てを一蹴。


「本人が真に慕う相手と婚約を結ぶ」


公爵家子息であるが、ゆくゆくは伯爵となる。つまりは低位貴族である子爵や男爵の娘達にも結婚する好機があり、釣書がダメならと今度はお茶会への招待状が届き始めた。

しかしこれらも全て厳しく精査され、必要最低限の交流に限定。

そんな家族による溺愛と鉄壁に守られすくすくと育った次男だが、六歳になった時…遂に運命の少女と出会いを果たした。

場所は王家主催のお茶会。

コンラッド王国の貴族子女は、四歳を迎えると保護者同伴で王家主催のお茶会に参加する習わしがあり、そこで次男はひとりの少女に一目惚れ。


「こんにちは、まりえる・はーでぃです」


ちょこんとカーテシーをする姿、そして花が綻ぶような笑顔の可愛らしさに目が離せなくなり、こっそり横目で覗く様子は不審者そのもの。


「このたびよんさいになりました。よろしくおねがいいたします」


ふたつ年下なんだ…と頬を染めながら見つめ、付き添う侍女の生温かい視線にも気付かない。


「じのきれいなおとこのひと、すてきですよね」


そんな台詞が聞こえてきて、次男は自分の字がどうであったか思い返した。


「坊っちゃま、声をおかけしてみては?」


そう言われてもぶんぶんと首を振って拒絶し、一定の距離を置いたままついて回る。

そんな次男のあとを更について回る少女達もいるのだが、我関せずで振り向きもしない。


「……可愛い…」


結局は一度も話すことなく自宅に帰ることになったのだが、その日から次男はペン字練習に明け暮れたのである。


「綺麗な字で手紙を書いて送るんだ」


頬を染めて楽しそうに文字を書き連ねる姿を、侍女から一部始終の報告を受けた家族は優しい笑みを浮かべて見守った。






✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼






それから数週間後。

慎ましく、これといって目立たず暮らしてきた平凡な子爵家に、ある日まさかの相手から先触れが届いて大混乱となってしまう。

慌ただしく屋敷内を整えると、子爵夫妻は一張羅を身に纏ってその相手を出迎えた。

威圧をかけない為か控えめな装いをしているものの、立ち居振る舞いや佇まいから高貴な雰囲気は隠しきれずに、むしろ溢れている。


「突然の訪問で申し訳ない。うちの息子がそちらのご令嬢に想いを寄せておるようで、交流を持たせてやりたいんだ」

「親バカなのだと自覚しておりますわ。ただ、好いた相手に綺麗な文字で恋文を送りたい…と懸命でいじらしい様子に、親としてなんとかしてやりたいと思ってしまいましたの」


最古貴族の筆頭公爵夫妻が、揃って申し訳なさそうに息子の秘めた想いを口にする。

子爵夫妻はその言葉を、高位貴族から与えられる建前としての有無を言わせぬ威圧的なものではなく、優しい親心なのだと感じることが出来た。


「息子は次男だが伯爵位を渡す予定でいる。まだ先の話になるが、もしご令嬢を妻に迎え入れたとして不自由な生活は送らせない」

「公爵家の事業も一部担いますから多忙の身とはなりますが、公爵家の男達は須らく愛情深いんですの。それはもう重すぎるほどに」


うふふ…と笑う美貌の公爵夫人に、子爵夫妻はふたりして頬を染めてしまう。

愛人を囲う高位貴族が多いなか、公爵家の男性は愛妻家の子煩悩と知られる血筋であり、それも人気が高い理由のひとつでもある。

歴史を辿れば大陸全ての王族にも公爵家の血が流れているとさえ言われる高貴な家系であり、裕福な生活は保証され、妻だけを愛する貞操感の強い夫…娘を嫁がせるには申し分のない話だが、子爵夫妻は親として意を決し口を開いた。


「とても有難いお話しです。わたくしどもも親として、娘の将来や幸せを願っております。ですがそこに打算的な介入はしたくありません」

「貴族の娘は本人が望まない婚姻が結ばれる事もありますわ。けれどわたくし達は、たとえ爵位をなくそうと子供の心を守りたいんです」


爵位を継いで間もない若いふたりが子の為に臆することなく発した力強い言葉に、公爵夫妻は穏やかな笑みを浮かべる。

しかし“貴族の微笑み”には裏がある…と認識しているふたりは、その真意が掴めず内心では恐怖と動悸を抑えるのに必死であった。

覚悟をしている事は確かだが、いざこうして大物を前に断言してしまって冷や汗が止まらない。

普段は穏やかに見える公爵だが、最古家督としての矜持は高く、現役の宰相として振るう手腕は時として辛辣である事を知っている。

ニコニコと向けられる笑みに、若いふたりは脳内で国外逃亡の算段をつけ始めた。


「なかなかに骨のあるご両親のようだ」

「えぇ、ますます息子のお嫁さんに来てもらいたいと思いましたわ」


終わった…と顔面蒼白になり現実逃避するふたりとは対極的に、夫妻は実に楽しそうな雰囲気。


「案ずるな、無理を強いるつもりはない。まずはそうだな…息子からご令嬢に手紙を出すことを認めてやってほしい」

「もしも嫌でなければ、いずれお茶やお出かけなんかもさせて頂けれると嬉しいですわ」

「ふたりはまだ六歳と四歳だ。まずは友人として交流を始めて、互いに親として余計な介入はせずに見守るのはどうだろう?」


子爵夫妻は目を合わせると視線で会話し、小さく頷いてから目の前の大物に向き合った。




こうして公爵家次男と子爵家長女のふたりは交流を始めたのである。





それから14年。

かつて公爵が言った通り次男は伯爵位を継ぎ、公爵家の事業を一部担い…さらに王太子の側近騎士として勤める日々は多忙を極めた。

婚約が正式に公表された時も結婚してからも、その姿は常に王宮で見かけられる。

夫人となった少女は滅多に表舞台へ出てこず、夜会やお茶会も必要最低限の出席のみ。

やがて噂が広がり始めた。


“伯爵夫人は放置されている愛されない妻”


結婚式のあと、初夜を迎えているはずの時間帯にも次男の姿は王宮にあり、事情はさておき面白おかしく伝聞されてしまった事が起因。

それに加え、暇を見つけては城を抜けて外出を繰り返す次男の様子に、「実は身分違いの愛する人がいて、夫人はその隠れ蓑」とまで囁かれる。








このお話は、そんなふたりの物語。









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