舞台装置は闇の中

彼方灯火

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第21章

第210話 紺濁澄

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 安定性を考慮し始めると、安定しなくなるという問題がある。もっと簡略化すれば、それについて考え始めると、それが成り立たなくなるということだ。安定性についていえば、安定させようとしている内は、安定することはなく、それを忘れたときに一番安定しているという事実があって、後々それに気がつくことになる。だから、そのときに、賢い者は、なるほど、安定性を考慮してはいけないのだな、ということに気がつくが、そうでない者は、それならば、安定性とは何なのだ、という方向に考えが発展し、結果的に安定しなくなる。

 安定性というものは、安定性であって、安定性とは何なのだ、ということを考えている内は、安定性とは何なのかが分かっていないから、その間には安定しない。

 今、自分は安定しているだろうか?

 月夜は考える。

 何かという方向で考えるのと、しているか否かという方向で考えるのとでは違うが、結局のところ、それについて考えていることには違いないので、今は安定しないということが分かる。

 隣に座るフィルに手を伸ばして、彼の体表面をゆっくり撫でる。その撫でる動作は安定しているか、と考え出すと、上手く撫でることができなくなる。どの程度の速度で撫でれば良いかとか、どの程度の力で撫でれば良いかというような、本来数値化する必要のないことを、いちいち数値化しようとする。それによって、安定性が失われる。そして、そんなことを考えに置かないで、ただ単に彼の体表面に触れることの気持ち良さを味わっているときが、一番安定している。

「先ほどから、言い回しを変えているだけで、ずっと同じことを考えているな」撫でられながらフィルが話す。「考えているんだから、安定していないんだろうな」

「安定していない」月夜は答える。

「安定していようと、安定していまいと、等しく明日はやって来るからな。考えるだけ無駄というものだ」

「思考が飛躍している」

「飛躍はしていないだろう。現に、お前には理解できたはずだ」

「では、何が飛躍しているの?」

「何も」フィルは首を傾げる。「強いて言えば、飛躍しているか否かという判断が、か」

 本来定まっているはずのものが、定まっていない状態を不定という。何も定まっていない状態を不定とは言わない。何も定まっていない場合は未定という。

 だからどうしたというのだろう?

 こういうミクロな情報を積み上げていくことで、何になるのか?

 しかし、そうしたことが、多少は重要なのではないかという思いが、月夜の中にあることは確かだった。
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