舞台装置は闇の中

彼方灯火

文字の大きさ
上 下
209 / 255
第21章

第207話 灰天地

しおりを挟む
 噴水の縁に腰をかけたまま、いつの間にか眠ってしまったようだ。それに気がついたのは、もちろん目が覚めてからだった。それまでコンクリートの表面にへばりついていた右手に力が入り、再び活動しようという気力がどこからか戻ってくる。

 まだ意識がぼんやりとしていたが、傍に流れる水の音だけはよく聞こえた。反対に、それ以外の音はあまり聞こえない。だから世界がとても静かに感じられた。学校にも自分以外に誰一人として存在しないような、そんな現実味のない感覚に襲われる。

 少しだけ暑かった。

 少しだけ気分が悪い。

 夏に昼寝をすると、どうしてこうも疲れるのだろう、と不思議に思う。

 腕時計を見ると、昼休みが終わるまであと五分しかなかった。少々慌て気味で立ち上がり、重たい脚を引きずって昇降口へと向かう。重たく感じるのに、こういうとき、意外と脚はしっかりと動く。重さが遊びとして機能するのかもしれない。

 教室に戻ると、すでに教師が教壇に立っていた。教壇の上に立っているのではない。鞄から資料を取り出して見ている。月夜が教室に入ってくると、なんとなく彼と目が合った。しかし、そういうことは普通に起こることで、何も特別な現象ではない。

 教室には冷房が点いていることが多いが、今は窓が開け放たれているだけで、人工的に制御された空気の割合は小さかった。今日は比較的風があるから、窓が開いているだけでも充分涼しく感じられる。けれど、授業が始まる直前になって、教師が窓を閉めるように生徒に要求した。彼は冷房の電源を入れる。たぶん、学校全体の方針としてそう定められているからだ。彼が冷房推進派だからというわけではないだろう。生徒の割合としてはそちらの方が多いかもしれないが。

 授業中、月夜はペンを眺めていた。右手に持ったペンの頭から脚までが見える。頭の方にピントを合わせると脚の方が見えなくなり、脚の方にピントを合わせると頭の方が見えなくなる。もちろん、耳では教師の話を聞いているので、さぼっているのではない。ときどき、さぼるは日本語ではないという意見があるが、日本語の中で用いられている以上、それは日本語と言わざるをえない。

 英語は何語か、と問われて、英語、と答えるのが間違いなのと同じだ。

 だから、何だというのだろう。

 別に何でもない。

 こんなことを考えていて、さぼっていないといえるだろうか。

 これは、反語、の可能性がある。
しおりを挟む

処理中です...