舞台装置は闇の中

彼方灯火

文字の大きさ
上 下
82 / 255
第9章

第82話 言語は最適解にあらず?

しおりを挟む
 ヨーグルトはいつの間にかなくなっていた。食べようと思って取り出したものだから、食べて何ら問題はないのだが、食べる行為に意識が向いておらず、代わりに考えるという別の行為をしていた。しかしながら、皿にヨーグルトがなくなっている光景を目にした瞬間、口の中にヨーグルトの味が蘇った。どうやら感覚はギャップを認識するためにあるみたいだ。

 時刻は午前六時三十分。フィルは帰ってこない。昨晩一緒に布団に入ったのは確かだが、いつ彼がいなくなったのかは定かではない。

 先ほど考えていたことの続きを考える。

 人間そのものが環境だとすると、しかし、話の順序がおかしくなる。なぜなら、人間も動物には違いなく、その進化の辿り着いた先として、人間は存在しているからだ。そして、もともと動物は環境に属するという形でこの世界に存在していた。それならば、人間も同様に環境に属していなければならない。

 この二項を同時に成立させるためには、次のように言えば良い。すなわち、人間は環境に属し、それ自体がまた環境でもある、と。

 さて、では、これは一体どういうことだろう? おそらく、ここに登場する「環境」という言葉は、それぞれ別の環境を指しているのではない。なぜなら、環境は環境として地球には一括りのものしかないからだ。地球それ自体が環境であり、さらに、周囲に太陽と月があるといった、より上位の環境によって支配されている。

 おそらく、ここで問題をややこしくしているのは、そうした状況を言語を用いて説明しなければならないということだろう。「人間は環境に属し、それ自体がまた環境でもある」という文は、一見すると、互いに相反する内容を言っているように思える。しかし、これが世界の中での人間の在り方なのだ。人間が言語を用いることでしか説明をすることができないが故に、こんなふうに奇妙な文が出来上がることになる。

 言語も人間が生み出した道具には違いない。

 そして、先ほどは、人間は環境を変えるために道具を生み出した、と考えたのだった。

 しかし、言語では、世界の在り方を齟齬なく記述することができない。

 環境に適した道具を生み出したはずなのに、どうしてこのようなことが起こるのだろうか?

 一つ考えられるのは、今あるこの形こそが、最適解である、ということだ。
しおりを挟む

処理中です...