舞台装置は闇の中

彼方灯火

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第8章

第72話 文章読解

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 現代文の授業が始まった。

 どういうわけか、高校では国語が現代文と古文で分かれている。国語というのはそもそもよく分からないネーミングだが、その中を現代文と古文で分けるということは、国語という分野の中には、文章読解しか含まれていないということだろうか。それとも、「文」という漢字には「文章」という意味と、「文法」という意味の両方が含まれているのだろうか。

 中学まで受けてきた授業と同じように、現代文では、結局のところ、文章を読んで登場人物の心情を考える問題ばかりだった。これは道徳の授業に回せば良いのではないかと思える内容だが、高校では道徳という科目はない。人の気持ちを考えるためには、必ずしも文章は必要だろうか、と月夜は疑問に思った。たしかに、コミュニケーションの多くは言語を用いて行われるから、それをもとに考えましょうというのは間違いではないが、どういうわけか、コミュニケーションの根本たる部分に関する講義を聞いたことはない。挨拶をする理由も知らないままだ。

「えー、ここは、主人公の裕二が、友人の勘介から土産物の煎餅を受け取っている場面ですが、その際に、裕二は『どうも』としか言わないんですね、ええ。彼がそれしか言わないのは、その前に、母親から叱責を受けていてですね、えー、その心情がここに表れているからです。そういうところまで深く読んで答えると、高得点を取ることができるでしょうね、ええ」

 教科書を片手で持った教師が、文章問題の解説をしている。

 一瞬の間。

 それから、彼はまた話し始める。

 教師の説明は、論理的な推論によって成されているので、間違いではない。しかし、現実的な側面を考えれば、主人公がそのような態度をとる原因が、それだけだとは限らない。そもそも、「どうも」としか応じないことに、その前の心情が持ち越されているとも言い切れない。人間はそこまで単純ではないだろう。もしかしたら、急に腹痛に襲われて、言葉を発するのが億劫だったのかもしれない。

 文章には、記述される側面と、記述されない側面がある。記述された側面がすべてではない。記述された側面から、記述されない側面を推測する必要がある場合もある。さらに、ある事柄を意図的に記述することで、記述されない側面に意識を向けさせないようにすることもできる。

 本当とは何だろう?

 記述する意味は何だろう?
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