舞台装置は闇の中

彼方灯火

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第5章

第48話 drawing

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 日が暮れた。

 昇降口を出た先の階段に、ずっと腰を下ろしていた。そうして、移り行く景色を眺めていた。変化は小さいが、空から降り注ぐ光の影響を受けて、大地は様々な表情を見せた。走り行く生徒の顔を明るく照らし、帰宅する生徒の顔を薄暗く浮かび上がらせる。

 月夜はずっと同じ場所にいたが、誰にも声をかけられなかった。ほかの生徒が皆下校して、門が閉じられても、教員は誰一人として彼女がそこにいることに気がつかなかった。特に不思議なことではない。よくあることだというのが月夜の感想だった。

 教室に戻ろうとしたとき、門を飛び越えてくる黒い陰が見えた。それはてくてくと月夜の方に近づいてくる。確認するまでもなくフィルだと分かった。彼は階段を器用に上って、立ち上がった月夜の前に行儀良く座った。

「やあ」彼が挨拶する。

 月夜は小さく頷くと、その場にしゃがんで彼を抱き、そうしてもう一度立ち上がって、校舎の中へと戻った。

 夜の学校は暗い。そして限りなく静かだ。多くの場合、静かというのは、何の音も聞こえないということを意味しない。無音ではないが、その場に漂う音が、却って静寂さを引き立てる。今では、月夜がリノリウムの廊下を歩く足音、そして、外から吹きつける風が窓を微かに揺らす音が、この空間に静寂な雰囲気を齎していた。

 教室に戻って、月夜は自分の席についた。何時間かぶりに座った椅子の上だったが、懐かしい、久しぶりだ、とは感じなかった。それらの感情、あるいは感覚が生じるのは、どの程度の時間的間隔が空いた場合なのだろう、となんとなく思考。別に答えを求めているわけではないから、その思考はそのままの姿で離散してしまった。

「俺は、少し校内の様子を見てこよう」

 月夜の腕の中に収まっていたフィルが、彼女を見上げて小さな声で言った。

「どうして?」

「なんとなく、気になるからさ」フィルは答える。「お前が物の怪と相対することになるのは、ここかもしれない。ここに、俺と同じ因子が存在しているかどうか、見てこようと思う」

「フィルと同じ因子、というのは?」

「いや、別に」フィルは顔を背ける。「なんとなく、そんなものがあるんじゃないか、と思っただけだ」

 教室の扉をスライドさせて、そして、もう一度自分で閉めて、フィルは廊下の向こうへ消えていった。

 月夜は顔を正面に戻す。

 黒板には、授業で書かれた白い文字が、そのままそこに残っていた。

 月夜は立ち上がり、教壇の前に立って、チョークを手に取った。
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