舞台装置は闇の中

彼方灯火

文字の大きさ
上 下
1 / 255
第1章

第1話 開始点

しおりを挟む
 暗闇月夜は高校生になった。

 何をどうして高校生になったのか、なぜ高校生になろうと思ったのか、自分でも分からなかった。なぜかは分からないが、気がついたときには、もう高校生になっていたのだ。こんなふうに、普通、人は、原因ではなく、結果の方を先に認識する。それが我々の時間との関わり方であり、本来ある姿なのだと彼女は思った。

 朝の五時頃にベッドの中で目を覚まして、着替えを済ませてから彼女は勉強机で読書をした。今日は珍しく小説を読んだ。何日か前に立ち寄った書店で装飾に惹かれて購入したもので、彼女が小説を買うことも、そして、装飾が理由で本を買うことも珍しかった。こういうのを運命の出会いと呼ぶのかもしれないが、運命というのがどういうものなのか、彼女は分からなかった。

 ベッドの上で一緒になって毛布に包まっていた黒猫が目を覚まして、椅子に座った月夜の方へ、よたよたと歩いて近づいてくる。彼は月夜の知人で、名前をフィルと言った。どういうわけか分からないが、彼は言葉を話すことができる。だから彼は月夜に挨拶をした。

「今日も早いな、月夜」

 月夜は一瞬顔を彼の方に向けて、こくりと頷いてから、また手もとの本に目を戻した。

 フィルは机の上に飛び乗る。行儀良くそこに座ると、片方の腕を舐め始めた。彼の習慣かもしれない。

「今日で、高校に通うようになって、何日目だ?」フィルが尋ねる。

「三日目」月夜はすぐに答えた。

「そうすると、今日から授業が始まる感じか?」

「そんな感じ」

「大変だな」

「何が?」月夜は本のページを捲りながら応える。

「色々と、生活をするのが」

「大変だと思ったことはない」

「そりゃあ、始まったばかりなんだから、そんなふうに思わなくて当然さ」

「フィルは、大変なの?」

「生活するのがか?」

「そう」

「まあ、大変と言えば、大変かもしれない」フィルは少し上を向く。「そうだな、大変、と口にするときに、どんなアクセントで言えば良いのか考えるのが、一番大変だな」

 暫く本を読み続けて、やがて月夜は椅子から立ち上がった。そのまま本と鞄を持って、部屋から出る。階段を下りて玄関に辿り着き、その付近にある洗面所で顔を洗った。

 月夜はいつも朝食をとらない。朝食だけでなく、昼食も、夕飯もとらないのが常だった。食事は一週間に一度とるくらいだ。それが彼女にとっての当たり前だったから、彼女はそんな自分を不思議だと思ったことはなかった。
しおりを挟む

処理中です...