古り行く断片は虚空に消える

羽上帆樽

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第3部 [届く[歩く[開く]

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 公園に到着した。 人工的に形成された海岸の傍にある。 どこまでが海岸で、 どこまでが公園か分からない。 そして、 もはや海岸はない。

 海水は完全に凍りついていた。 波の形状を保ち、 起伏のある氷の地面が遙か向こうまで続いている。 時折、 氷塊と氷塊が接触し、 互いに干渉し合いながら水面下へ沈んでいく音が聞こえた。

 鳥の声は聞こえない。

 ほかに聞こえるのは、 風の音と、 自分の吐息だけ。

 どちらも、 空気の移動という点で、 同じ。

 かつて砂浜だった場所にしゃがみ込み、 月夜は地面に堆積した雪の幾ばくかを掌に載せる。 雪は、 しかし、 粒子そのものが非常に小さく、 まるでそれが本物の砂であるかのように、 綺麗な流線を作りながら指の隙間から零れていった。

「彼女の居場所が分かるのか」

 と、 フィルの声。

 彼は、 今は月夜の腕から下りて、 雪の地面に立っていた。

 月夜は一度頷く。

 冷たい雪の中に両手を差し込み、 トンネルを掘るための山を作るみたいに、 彼女は雪を退かしていく。 背後から風が吹いてきて、 彼女がそうするのを助けた。 たちまち周囲に白銀の粒達が舞い上がり、 まるで自然へと帰すみたいに、 彼女の肢体を包み込む。

 感覚の分からなくなっていた指先に、 けれど、 確かに硬質な感触が。

 雪を退かす動きを止め、 指を曲げて、 彼女は指先に触れたものを握る。

 周囲を泳いでいた雪の粒が徐々に高度を下げて、 再び地面に散らばる。 雪が覆っていた視線の先、 彼女の手の上に、 棒状の金属片が載っていた。

 棒状のそれは、 所々に傷が付いていたが、 決して錆びついていることもなく、 比較的クリアな輝きを保っていた。 筒状の空洞の中に、 また細い紐状の金属が通っている。 その先は断線していた。 表面を指先で撫でると、 少しだけ温かいように感じられる。 自分の指先と、 金属の表面とが、 融解し、 癒着し、 固定されるように錯覚する。

 風が、 足もとの雪を舞い上げて、 すべて、 虚空へ。

 湿り気を帯びた砂浜の上に、 同様の金属片がいくつも散らばっていた。

「どうするつもりだ?」

 月夜の膝の上に乗って、 フィルが尋ねる。

「どこかにひとまとめにする」月夜は答えた。

「そうして、 どうなる?」

「もう一度、 もとの形に」

 彼女がそう言うと、 フィルは顔を上げて、 黙ってこちらを見つめた。 黄色い目が二度瞬く。

「月夜」

「何?」

「正気に戻れ」

「戻っている」

「月夜」

 月夜はフィルの方を見る。 彼と目が合った。 そのまま心の内まで見透かされてしまいそうに思えたが、 それは相手も同じだろうと想像した。 しかし、 見透かされたとしても、 別にどうということはない。 もともと何も隠すつもりなどなかった。 そんなふうに何かを隠そうとする自分の姿は、 仮想されても、 現実を反映してはいない。

「正気だよ」月夜は言った。 「もう、 大丈夫だから」

 納得したのか、 そうでないのか、 フィルはその場で一度回転する。 その仕草は彼女もたまにするものだったから、 好意であると月夜は解釈した。

 砂の上に散らばっている金属片を一箇所に集めていく。 付着した、 砂を、 雪を、 一つずつ手で振り払い、 できるだけ綺麗に重ねた。 そうすると、 それらの金属片は、 互いに交渉し合い、 引力を伴って、 自動的に一つにまとまっていくようだった。 少なくとも、 月夜にはそんなふうに錯覚された。

 ひとまとまりになった金属塊を、 両腕を橋にして、 その上に寝かせるように持ち上げる。 どれかが零れ落ちることもなく、 やはり全体が一つの存在として振る舞うかのように、 それは安定感を伴って月夜の腕の上にあった。

 そのまま立ち上がり、 月夜は歩き始める。

 左右を松の木々に挟まれた道の上を、 彼女はフィルと歩いていく。 道は石畳で覆われているはずだったが、 今はその様は見えなかった。 歩いてもそんな感覚はしない。

 また、 風。

 背後から、 前方へ。

「初めてここに来たのは、 いつだったかな」

 フィルが呟く。 月夜の腕は塞がっているから、 彼は今も彼女の隣を歩いていた。

 月夜は応えない。

「お前と一緒だったかもしれない」

「そう?」月夜は歩きながら首を傾げる。

「違うと言いたいのか?」

「言いたくない」

「誰と一緒だったらよかったかな」

「私」

「冗談か?」

「うん」

 月夜は真剣に冗談を言ったつもりだった。 それを口にすることで、 場の空気が暖まり、 その場に居合わせる人々が安心するに違いない、 という計算のもとに口にする。 したがって、 それは結果的に冗談として機能しない。 メタ的な計算のもとに口にされた冗談は、 同じくメタ的なものとして、 冗談と分かる冗談にしかならない。

「彼女も、 この場所の一部になってしまったのかもしれない」フィルが言った。 「幸せなことだ。 大好きだった場所と、 ずっと一緒にいられるのだから」

「フィルも、 それを望む?」

「それとは?」

 月夜は前を向いたまま答えた。

「私の一部になること」
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