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第4話 従のAとB
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Aが目を覚ますと、永遠なる空が頭の上に広がっていた。相変わらず雲に覆われ、太陽の光はない。涼しい風が吹いていた。身体を持ち上げようとして、持ち上がらないことに気づく。Bが上に乗っていたからだ。彼女はAの上で寝息を立てている。
Bを起こさないように、Aはそっと自分の上体を起こす。同時に、Bが彼の身体から滑り落ちて、呻き声を上げた。石か何かにぶつかったのかもしれない。
いつでもエンドレス。
世界はどこまでもエンドレス。
世界という言葉は嫌いだな、とAは思う。
気安く使って良い言葉ではないだろう。
「お目覚めですな」
隣から声が聞こえて、Aはそちらを見る。
船長が、パイプを咥えて座っていた。目だけでこちらを見ている。
「随分と長い間、眠っていましたぜい」
「随分って、どのくらい?」
「三日三晩ほど」船長は答える。「とっくに目的地は目の前でさあ」
そう言って、船長が正面を指さした。Aはそちらに視線を向ける。草原の向こうに、一つだけ、小屋のようなものが立っていた。ドアがあるだけで、窓はない。ドアの上に掲げられた看板に、ボールペンで書いたような字で「古書店」と書いてあった。冗談としか思えないが、はて、冗談とは何だろうかとAは思う。自分自身も冗談のような存在ではないか。
突発的に死を連想する。
発作といっても良い。
胸を押さえて、深く深呼吸をした。
地面に手をついて立ち上がり、掌に付着した土を払う。思わずそれがBの顔にかかってしまったことに、Aはすぐに気づいた。
Bが大きな目を開いて、Aを直視する。
レーザー光線とはこのことだ。
あるいは、ポインター?
「おはよう」Bが重たい声で言った。
「やあ、おはよう!」Aは高らかに応じる。「よく眠れたかなあ???」
「なんだ、それは」Bは立ち上がった。立ち眩みを起こすかもしれないと思われたが、予想は外れた。
「いや、君を怒らせたかな、と思って」
「怒らせたよ!」Bは手を伸ばし、Aの頬をつねる。「いつまで寝てるんだ、この野郎!」
Bに頬を引っ張られたまま、Aは草原の中を歩いた。手を繋いだことはあるが、頬を引っ張られるのは初めてだったから、なるほど、これが、と彼は思った。
草原、とは都合の良い言葉で、どのような草が生えているのか、どれくらいの密度で生えているのかということは、解釈する側にすべて委ねられる。それは、きっと、草原という言葉に限ったことではなく、すべての言葉に共通する。と、いう言葉にも共通するわけで、当然、言葉が集合した結果形成される、文や文章にも共通する。
存在とは何だろう?
?
?
?
このマークは、どうやって読むのが正解か?
ここに生えている草は、すべてススキの類だった。しかし、ススキは草といえるだろうかという思考を、Aは一秒間の内に千五十六回行った。それをカウントしたのはBだ。彼女はそうした補佐のために存在する。
「ここで、間違いないの?」Aは尋ねた。
「知らない」Bは答える。「でも、ほかに古書店なんて見つからないし」
「船長さんは、置いてきてよかったのかな」
「待ってるって言ってたよ」
「そうだっけ?」
「君が眠っている間に」
古書店に近づくにつれて、空から隕石が降ってくるようになり、二人がそこに辿り着くのを阻害した。ところで、距離と道のりの違いは、学校ではきちんと教えてくれない。そういう細かい部分が案外重要だったりする。公式を覚えることが学習ではない。公式の原理を知ることが学習だ。
緑色の軌跡。
あるいは、緑色の奇跡。
確率論で奇跡を論じることは可能か?
革命論で化石を講じることは化膿か?
ようやく古書店のドアの前に辿り着くと、ドアが一方的に開いた。からん、という音がする。ドアは開くだけで、その向こうから誰かが姿を現すことはない。
いつの間にか、空が真っ暗になっていた。雨が降り出しそうなほどだ。もう降り始めているかもしれない。見えないだけ、感じないだけで……。
「こうして生きている間にも、沢山の人が死んでいる」Bが言った。「それでも生きている自分に、嫌気が差す」
「あそう」Aは応じる。
「私は、どうしたらいい?」
「自分にできることをやるしかないのでは?」
「それは、逃げでは?」
「逃げではないと思うな。どうせ人は死ぬんだよ。すべてを救うことなんてできない。自分ができることをすれば、少量といえど、誰かを救うことはできるかもしれない。そういう人がいるかもしれない」
「根拠は?」
「ないよ。ただの言い分」
「あそう」
「小説や映画の類が、まさにその言い分に則ったものだよ」Aは言った。「でも、いつの時代も、そうしたものは確かに存在した。その事実を軽視することはできない」
「それが根拠?」
「そうかもしれない」
BはAの頬を離す。Aの頬は赤く染まっていた。
それは、つねられていたからではないかもしれないのだ。
世界はアナログで、言葉はデジタルだが、デジタルを用いて、アナログを予感させることができるのだ。
知っているだろう、のだ?
Bを起こさないように、Aはそっと自分の上体を起こす。同時に、Bが彼の身体から滑り落ちて、呻き声を上げた。石か何かにぶつかったのかもしれない。
いつでもエンドレス。
世界はどこまでもエンドレス。
世界という言葉は嫌いだな、とAは思う。
気安く使って良い言葉ではないだろう。
「お目覚めですな」
隣から声が聞こえて、Aはそちらを見る。
船長が、パイプを咥えて座っていた。目だけでこちらを見ている。
「随分と長い間、眠っていましたぜい」
「随分って、どのくらい?」
「三日三晩ほど」船長は答える。「とっくに目的地は目の前でさあ」
そう言って、船長が正面を指さした。Aはそちらに視線を向ける。草原の向こうに、一つだけ、小屋のようなものが立っていた。ドアがあるだけで、窓はない。ドアの上に掲げられた看板に、ボールペンで書いたような字で「古書店」と書いてあった。冗談としか思えないが、はて、冗談とは何だろうかとAは思う。自分自身も冗談のような存在ではないか。
突発的に死を連想する。
発作といっても良い。
胸を押さえて、深く深呼吸をした。
地面に手をついて立ち上がり、掌に付着した土を払う。思わずそれがBの顔にかかってしまったことに、Aはすぐに気づいた。
Bが大きな目を開いて、Aを直視する。
レーザー光線とはこのことだ。
あるいは、ポインター?
「おはよう」Bが重たい声で言った。
「やあ、おはよう!」Aは高らかに応じる。「よく眠れたかなあ???」
「なんだ、それは」Bは立ち上がった。立ち眩みを起こすかもしれないと思われたが、予想は外れた。
「いや、君を怒らせたかな、と思って」
「怒らせたよ!」Bは手を伸ばし、Aの頬をつねる。「いつまで寝てるんだ、この野郎!」
Bに頬を引っ張られたまま、Aは草原の中を歩いた。手を繋いだことはあるが、頬を引っ張られるのは初めてだったから、なるほど、これが、と彼は思った。
草原、とは都合の良い言葉で、どのような草が生えているのか、どれくらいの密度で生えているのかということは、解釈する側にすべて委ねられる。それは、きっと、草原という言葉に限ったことではなく、すべての言葉に共通する。と、いう言葉にも共通するわけで、当然、言葉が集合した結果形成される、文や文章にも共通する。
存在とは何だろう?
?
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このマークは、どうやって読むのが正解か?
ここに生えている草は、すべてススキの類だった。しかし、ススキは草といえるだろうかという思考を、Aは一秒間の内に千五十六回行った。それをカウントしたのはBだ。彼女はそうした補佐のために存在する。
「ここで、間違いないの?」Aは尋ねた。
「知らない」Bは答える。「でも、ほかに古書店なんて見つからないし」
「船長さんは、置いてきてよかったのかな」
「待ってるって言ってたよ」
「そうだっけ?」
「君が眠っている間に」
古書店に近づくにつれて、空から隕石が降ってくるようになり、二人がそこに辿り着くのを阻害した。ところで、距離と道のりの違いは、学校ではきちんと教えてくれない。そういう細かい部分が案外重要だったりする。公式を覚えることが学習ではない。公式の原理を知ることが学習だ。
緑色の軌跡。
あるいは、緑色の奇跡。
確率論で奇跡を論じることは可能か?
革命論で化石を講じることは化膿か?
ようやく古書店のドアの前に辿り着くと、ドアが一方的に開いた。からん、という音がする。ドアは開くだけで、その向こうから誰かが姿を現すことはない。
いつの間にか、空が真っ暗になっていた。雨が降り出しそうなほどだ。もう降り始めているかもしれない。見えないだけ、感じないだけで……。
「こうして生きている間にも、沢山の人が死んでいる」Bが言った。「それでも生きている自分に、嫌気が差す」
「あそう」Aは応じる。
「私は、どうしたらいい?」
「自分にできることをやるしかないのでは?」
「それは、逃げでは?」
「逃げではないと思うな。どうせ人は死ぬんだよ。すべてを救うことなんてできない。自分ができることをすれば、少量といえど、誰かを救うことはできるかもしれない。そういう人がいるかもしれない」
「根拠は?」
「ないよ。ただの言い分」
「あそう」
「小説や映画の類が、まさにその言い分に則ったものだよ」Aは言った。「でも、いつの時代も、そうしたものは確かに存在した。その事実を軽視することはできない」
「それが根拠?」
「そうかもしれない」
BはAの頬を離す。Aの頬は赤く染まっていた。
それは、つねられていたからではないかもしれないのだ。
世界はアナログで、言葉はデジタルだが、デジタルを用いて、アナログを予感させることができるのだ。
知っているだろう、のだ?
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