仕事のごとし私事のshe

羽上帆樽

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第2話 出会いと馴れ初め

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 少年は台所の方へ歩いて行く。暫くして、カップを持ってこちらに戻ってきた。台所は私が今いる場所と連続しているから、ここからでも中の様子が見える。少年はカップを私に差し出すと、隣に腰を下ろした。力を受けて、ソファが少し下に沈む。上に沈むことはあるだろうかと、状況にそぐわないことを想像した。

「状況にそぐわなくはない」少年が呟く。「その思考は理解できる」

 目だけ少年の方に向けて、私は受け取った液体を喉に通した。中身はココアだった。けれど、あまり甘くはない。砂糖の甘味ではなく、カカオの苦味を強く感じた。

「あまり、美味しくないね」少年が言った。

 私はカップをテーブルに置き、少年の方へ身体を向ける。

 彼の顔を凝視した。

「自己紹介なんて、野暮なものはしないよ」彼は言った。「しても仕方がない」

 私は首を少し傾げてみる。頭が少々痛んだ。道路で倒れていた弊害だろうか。

「あの……」私は声を漏らす。

「想像の通りさ」少年は言った。「雨の中、道端で眠っていたから、僕がここまで連れてきたんだ。というような説明も、野暮というものだよね、きっと」

「貴方は?」

 私が問うと、少年はいつの間にか天井へ向けていた顔をこちらに戻した。いまいち読めない動きをする。

「僕?」少年は首を傾げる。私とは反対側に傾いたから、結果的に視線は平行したままだった。「僕は、君だよ」

「どういう意味?」

「ドッペルゲンガーなんだ」彼は言った。「ずっと君のことを探していた」

 私はもう一度首を傾げる。

「人が考えていることが読めるのは、君だけじゃない」少年は説明する。「僕にもそれができる。しかし、僕に読めるのは君が考えていることだけだ。だから、君が意識を失ったことが分かって、助けに行った。一方、君は、僕以外の人間が考えていることは読めるけど、僕が考えていることは読めない。これが、ドッペルゲンガーなのに、僕たちが出逢っても互いに死ななかった理由だよ。向いている方向が違うから、混信しないで済むんだ。もう少し詳しく言えば、座標が一致しなくて済む。局所的な一点に存在しているのではなく、その一点は共有しているけど、そこから伸びるベクトルまで含めると、完全には一致しないということ」

 彼が言っていることがよく分からなかったから、私はまた反対側に首を傾けた。

「ココア、美味しい?」少年が尋ねる。

 私はとりあえず頷く。それからもう一度ココアを飲んだ。

 私は、状況の割に自分が落ち着いていることに気づいた。それに、少年が言っていることに対して、何も抵抗を覚えなかった。ふうん、と思っただけだ。冷めていると思われるかもしれないが、私にしては素直な方だと思う。

 窓の外では雨が降っている。

 室内に明かりは灯っていない。

 灰色の部屋。

「どうして、今まで私の傍に現れなかったの?」私はカップの表面を撫でながら質問する。すでに視線は少年から離していた。今はココアから湯気が昇る様を観察している。

「現れる必要がなかったから」彼は答えた。「僕は君だということは、言い換えれば、僕は僕だということになる。したがって、君の前に現れる必要はない」

「では、どうして、今になって私の前に現れたの?」

「そう……。それだ」

「どれ?」

「どうしてだと思う?」少年は片手をこちらに向ける。「まずは君の考えを聞こうじゃないか」

 顔を上げると、少年と目が合った。いや、それは一致判断を行う前に、そういう形として合うものなのだと気づいた。

「分離しようとしているの?」私は応える。

「やっぱり、そうか」

 私は、少年のドッペルゲンガーとして、今日まで生きてきた。それは、反対にしても同じことだ。だから、どちらが本物で、どちらが偽物か、という判断はできない。

 彼以外の人間の思考が読める私と、私の思考だけ読める彼が融合したとき、私は彼になり、彼は私になる。そうして、私たちは完成されて一つになる。

 そのあとで、私たちは一つ一つに分離される。

 彼以外の人間の思考が読める力と、私の思考だけ読める力を失うことで、一つ一つになることができるのだ。

「では、そういうわけで、恋人にでもなるということにしよう」

 振り向くよりも早く、彼がこちらに迫ってくる。

 接触。

 その瞬間、私は自分の力が失われていくのを感じた。

 私たちは、完成され、そして、分離した。
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