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第5部 主語と述語
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冬。
雪が水面に舞い落ちている。たちまち融けて、形を失ってしまうが、総体的な質量が減じたわけではない。河川の水は冷たい音を立てながら、一定の方向に流れていく。そんな様を眺めながら、あなたはこの場が時間に支配されていることを知る。地球上のどこもそんなふうに違いない。この星で生きていく以上、その支配から逃れることはできない。
宇宙はどうなっているだろう? 宇宙に行ったことがないから、あなたには、その場がどのような力に支配されているのか、想像がつかない。地球上で成立する事態の、摩擦のような力を取り除いた事態が、宇宙でも成立するらしい。その摩擦のような力は、たとえば、空気の存在によって生じる。宇宙では、空間や時間という概念は、あなたがこの星の上で考え、理解した、そのままの姿で、果たして通用するだろうか。
あなたがルームに声をかけた理由は簡単だった。ほかでもない、あなたがクロックだからだ。ルームとクロックは、本来的に一つのもので、これまでは、たまたま二つに分割されて存在するように見えただけだ。それは、あなたが、あなたという視点を持つからで、あるいは、彼女が、彼女という視点を持つからで、それらの視点を離れてしまえば、ルームとクロックの合わさった、ただ一つのルールがあるようにしか見えない。
ルールとは、ルルであり、
ルルとは、流々だ。
つまり、流れ。
世界は流れによって支配されている。
それまで一人でいた川縁に、制服を纏ったルームがこちらに向かって歩いてくる。彼女の姿は、遠くから見るほど、その輪郭がはっきりと見えた。彼女が近づくほど、境界があやふやになって見えづらくなる。当然のことだ。その間に距離があるから、モノは二つと認識される。究極的には、距離がゼロになれば、それらは一つのモノとなる。そうでなくても、漸近であればほとんどゼロと変わりないから、これまでも、あなたにとって彼女はあやふやな存在だった。
「寒いね」あなたの隣に腰を下ろして、ルームが言った。
あなたは一度頷く。
ルームは、夏でも、そして冬でも、いつもの格好のままで、寒いねと言う割には、何の防寒対策もしていなかった。掌に息を吹きかけることもしなければ、その表面を擦り合わせることもしない。吐き出す息も、彼女のものは白く染まらなかった。
水、否、波の音。
流れの音がする。
あなたは足もとにあった小石を手に取り、冷たい水面に向かってそれを投げる。石は一度も跳ねることなく、重たい音を立てて水面下に沈んでいった。波紋が広がり、円が大きくなり、それも消えて、何もなくなる。
「ね」あなたの隣でルームが声を発した。「どうして、私に声をかけたの?」
あなたは、彼女がそう口にすることを、なんとなく予想していた。だから、溜め息を吐く必要も、顔を顰める必要もなかった。それらはすでに過去に済ませたことだ。この三ヶ月ほど、彼女がその問いを口にすることは一度もなかった。しかし、あなたもそれを忘れていたわけではない。その問いが再び自らに降りかかる瞬間を、あなたはどこかで予想していた。
理由というものは、しかし、恐ろしい。人間は常にそれを求めているようだ。自分が生まれた理由、地球が楕円軌道で周回する理由、恒星の周りを惑星が回るのと同じように原子核の周りを電子が回る理由、どんな人間も必ず死ぬ理由、物体が一定の加速度で上から下に落ちる理由、そして、自分以外の誰かを求める理由。
理由は、基本的にあとから作り出されるもので、後ろ向きのものだ。それは、見方を変えれば論理的ということもできる。そして、理論は、言葉によって形成される。言葉は人間と同じように時間の制限を受けるから、時間軸に沿って常に左から右へと流れる。
左から→右へと流れる。
ルームがこちらを見ていた。いつものように綺麗な目をしている。あなたは手を伸ばし、彼女の目に触れようとする。彼女は薄く瞼を閉じて、しかし何の抵抗もしなかった。風が吹き、繊細な彼女の髪の先があなたの指に触れる。どこかくすぐったかたったが、それも一瞬のことで、仕舞いには、その髪が本当に自分の皮膚に触れているのか、いないのか、曖昧になってしまった。
体制を崩し、ルームが完全にこちら側に倒れてくる。本当に倒れてしまった。だから、彼女の頭が、今はあなたの膝の上にある。彼女の目が開かれ、見つめられた。
彼女の姿を初めて目にしたときのことを、あなたは思い出す。しかし、それはいつだっただろう? もういつだったか分からない。過去を思い出そうとすることに、あなたはやはり抵抗を覚える。それよりも、今、目の前にある、この目を、この髪を、見つめるべきではないか?
選択のときだった。
あなたは、
A:口を開き、「君のことが好きだから、声をかけた」とルームに言う。
B:口を噤み、何も言わない。
雪が水面に舞い落ちている。たちまち融けて、形を失ってしまうが、総体的な質量が減じたわけではない。河川の水は冷たい音を立てながら、一定の方向に流れていく。そんな様を眺めながら、あなたはこの場が時間に支配されていることを知る。地球上のどこもそんなふうに違いない。この星で生きていく以上、その支配から逃れることはできない。
宇宙はどうなっているだろう? 宇宙に行ったことがないから、あなたには、その場がどのような力に支配されているのか、想像がつかない。地球上で成立する事態の、摩擦のような力を取り除いた事態が、宇宙でも成立するらしい。その摩擦のような力は、たとえば、空気の存在によって生じる。宇宙では、空間や時間という概念は、あなたがこの星の上で考え、理解した、そのままの姿で、果たして通用するだろうか。
あなたがルームに声をかけた理由は簡単だった。ほかでもない、あなたがクロックだからだ。ルームとクロックは、本来的に一つのもので、これまでは、たまたま二つに分割されて存在するように見えただけだ。それは、あなたが、あなたという視点を持つからで、あるいは、彼女が、彼女という視点を持つからで、それらの視点を離れてしまえば、ルームとクロックの合わさった、ただ一つのルールがあるようにしか見えない。
ルールとは、ルルであり、
ルルとは、流々だ。
つまり、流れ。
世界は流れによって支配されている。
それまで一人でいた川縁に、制服を纏ったルームがこちらに向かって歩いてくる。彼女の姿は、遠くから見るほど、その輪郭がはっきりと見えた。彼女が近づくほど、境界があやふやになって見えづらくなる。当然のことだ。その間に距離があるから、モノは二つと認識される。究極的には、距離がゼロになれば、それらは一つのモノとなる。そうでなくても、漸近であればほとんどゼロと変わりないから、これまでも、あなたにとって彼女はあやふやな存在だった。
「寒いね」あなたの隣に腰を下ろして、ルームが言った。
あなたは一度頷く。
ルームは、夏でも、そして冬でも、いつもの格好のままで、寒いねと言う割には、何の防寒対策もしていなかった。掌に息を吹きかけることもしなければ、その表面を擦り合わせることもしない。吐き出す息も、彼女のものは白く染まらなかった。
水、否、波の音。
流れの音がする。
あなたは足もとにあった小石を手に取り、冷たい水面に向かってそれを投げる。石は一度も跳ねることなく、重たい音を立てて水面下に沈んでいった。波紋が広がり、円が大きくなり、それも消えて、何もなくなる。
「ね」あなたの隣でルームが声を発した。「どうして、私に声をかけたの?」
あなたは、彼女がそう口にすることを、なんとなく予想していた。だから、溜め息を吐く必要も、顔を顰める必要もなかった。それらはすでに過去に済ませたことだ。この三ヶ月ほど、彼女がその問いを口にすることは一度もなかった。しかし、あなたもそれを忘れていたわけではない。その問いが再び自らに降りかかる瞬間を、あなたはどこかで予想していた。
理由というものは、しかし、恐ろしい。人間は常にそれを求めているようだ。自分が生まれた理由、地球が楕円軌道で周回する理由、恒星の周りを惑星が回るのと同じように原子核の周りを電子が回る理由、どんな人間も必ず死ぬ理由、物体が一定の加速度で上から下に落ちる理由、そして、自分以外の誰かを求める理由。
理由は、基本的にあとから作り出されるもので、後ろ向きのものだ。それは、見方を変えれば論理的ということもできる。そして、理論は、言葉によって形成される。言葉は人間と同じように時間の制限を受けるから、時間軸に沿って常に左から右へと流れる。
左から→右へと流れる。
ルームがこちらを見ていた。いつものように綺麗な目をしている。あなたは手を伸ばし、彼女の目に触れようとする。彼女は薄く瞼を閉じて、しかし何の抵抗もしなかった。風が吹き、繊細な彼女の髪の先があなたの指に触れる。どこかくすぐったかたったが、それも一瞬のことで、仕舞いには、その髪が本当に自分の皮膚に触れているのか、いないのか、曖昧になってしまった。
体制を崩し、ルームが完全にこちら側に倒れてくる。本当に倒れてしまった。だから、彼女の頭が、今はあなたの膝の上にある。彼女の目が開かれ、見つめられた。
彼女の姿を初めて目にしたときのことを、あなたは思い出す。しかし、それはいつだっただろう? もういつだったか分からない。過去を思い出そうとすることに、あなたはやはり抵抗を覚える。それよりも、今、目の前にある、この目を、この髪を、見つめるべきではないか?
選択のときだった。
あなたは、
A:口を開き、「君のことが好きだから、声をかけた」とルームに言う。
B:口を噤み、何も言わない。
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