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「教訓」

一寸の虫にも五分の魂

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「えっとね、やっぱり宍戸家の人間はとことん期待を裏切らないんですよね、ほんと」

 図書室前の廊下で、普段は邪魔くさくて身に付けない時計を注視しながら、一人ごちる。誰もいないと思っていたのに、背後に下級生らしき女子生徒が怪訝な眼差しをお見舞いして去っていった。そんなきつい顔しなくてもいいじゃん。

「あれ、そこにいるのは神野か~? 珍しいなおい」
「先生だけには言われたくないっすよ。いつも休日はベッドの上でくんずほぐれして楽しんでるくせに」
「そりゃ良い大人の男の特権ってやつだな。最近はいい女がじゃんじゃん釣れる」
「あんたに隙を与えた俺が馬鹿だったよ。性病にでもかかって苦しめ」
「発情期の猿みたいに遊びまわった結果、それなら後悔しないかもしれないな~。適当でもこの仕事は務まるが、頭空っぽじゃまるでダメだ」
「それっぽいこと言ってごまかすな」
「やなやつだなーお前」

 一度、メンヘラ気質な異性に依存されて少し痛い目に遭って欲しい。そうしたらこの軽いノリのようなものは抜けるんじゃなかろうか。

「先生。凜……翠音のやつを知りませんか。ここで待ち合わせしてんすけど」
「お、白昼堂々校内デートか? こりゃ今日も嫌に暑くなりそうだな」
「茶化さないでくださいよ。これで今日来なかったら約束破られるの二回目なんすけど」

 時刻は、午前十一時三十分。待ち合わせ時刻から既に結構な時間が経過していた。

「宍戸か……。そういや、ちょっと前にバイト許可申請の紙を出しに来たことがあったな」
「バイト……?」

 全くの初耳だった。あの性格の翠音にバイトはそぐわないだろう。せいぜい、小遣い稼ぎにパパ活を始めるくらいだろう。ただ、それは翠音ならばの話だ。

「あいつは一人暮らしみたいだからな~。今までは保護者からの援助があったようだが、今は経済的に困窮してるっぽい。って、あれお前聞いてなかったのか?」

 この学校は原則、バイトが禁止されているが、経済的困窮など家庭の事情があれば、例外として認められる。ここまで考えてふと気づいた。郁は翠音がどこに住んでいるのかも知らなければ、どのような家庭環境にあるのかも認識していなかったのだ。そもそも、他人の家庭環境など第三者がむやみに首を突っ込める問題ではない。郁が翠音……いや凜音のバイトを勘付けなかったのも無理ない。

「まじか~、今の話聞かなかったことにしてくんない?」

 自業自得だ。教師として情報リテラシーが欠如しているのは問題だ。しかし、郁は社会のルールに対して誠実な方ではない。それ故に、有益な情報をもたらしてくれた眼前の教師の失態くらい見逃してやらないでもない。

「あいつがその紙出しに来たのいつのことすか?」
「え、あー、確か火曜日辺りだったか~。うん、多分そうだ、おそらく」

 情報源の信頼性が著しく酷いが、ここは彼の名誉のために目を瞑っておこう。

「ありがとうございます。今の話は秘密厳守でお願いします」
「いや、お前に言われてもなあ……」

 私文の困惑顔を堪能した後、郁は身を翻して走り出す。廊下を走るな、なんて注意は愚問だ。先にも言った通り、それは郁の生き様にそぐわない。

「どうすっかね……」

 勢いで飛び出したはいいが、行き先に心当たりがまるでない。そんな折、郁のズボンのポケットでスマホが振動を伝える。まるで、これまでの郁をどこかで観察していたかのように都合の良すぎる着信。画面の表示を見ると、案の定というか予想通りというか、『宍戸伊澄』の名前があった。

『困っているようだな』
『もしもしの「も」どころか空気すら吐く前にそのピンポイントの回答は何なの!?』
『私に聞きたいことがあるんじゃないのか?』

 くくっと堪えきれなかった笑いを漏らしながらも、いつものように助けの手を差し伸べてくれる。

『お前は初めから言葉足らず過ぎるんだよ。毎回、後の祭りじゃ話にならない』
『本人の意思を尊重した結果だ。あの通り、頑固なのだから致し方ない』
『で、凜音のバイト先ってのはどこだ? 一言文句を言ってやりたいんだが』
『ほう……いつの間にかただならぬ間柄になったようだな。お前の手癖の粗さには感心する』
『いや違うから。別にやましいことなんかねーよ』

 駅まで走りながら電話をしてきたせいか、汗が首筋まで垂れてくる。夏の暑さを引きずったような気温と普段の運動不足を密かに呪いつつも、頼りない足腰は留まる様子がない。

『駅中をくまなく探し回れば、そのうち見つかる』
『おいおい、いくらあんまり広くない駅だからってそりゃないわ。大体、接客担当じゃなかったらどうするんだよ』
『どうもこうもない。とにかく必死で探し回れ。そうしたらきっと見つかる』
『はあ? こんな時に時代遅れの根性論はやめてくれ』

 駅周辺をうろつきながら、周囲に視線を巡らす。当たり前だが、この程度の捜索で見つかるはずもない。

『だが、あいつは頑なに私からの支援を受け取ろうとしなかった。自分の面倒は自分で見る、とな』
『今更凜音の性格なんて説明するまでもな ――』

 凜音は自分はなんでもそつなくこなせるのだと自負した。そこに嘘はなく、実際、応援団に加えて仮装リレーの衣装制作、そしてバイトと勉学の両立など並み以上の作業を回せている。
 だが、重要なのはそこじゃない。常に凜としていて自分にも他人にも厳しい彼女が約束を二度も断りもなく反故にするなんておかしい。郁は翠音や伊澄を引き合いに出して、妙な言い訳で彼女を括っていた。

『 ――どうやら気づいたようだな』

 郁の台詞の続きを受け取り、その先を担った伊澄の言葉が耳朶を打つ。些細な疑問すら抱かなかったのに、ばらばらに散らばっていたピースが一気に完成図を脳裏に映し出した。

『では健闘を祈る……と、もう聞こえていないようだな』

 体は自ずと走り出していた。郁が勘づいた答えを確かめるためには、物理的に彼女の元を訪れなければならない。そして、郁の推測が正しければ彼女はそろそろ ――

「 ――って、結局場所聞いてないわ!」
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