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「教訓」

二兎追うものは一兎も得ず

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「ったく、宍戸家の人間は人を嵌めることが好きらしいな」

 自虐的に呟いて、廊下の窓の縁に肘をつく。仕事が一段落したので、モンエナ片手に休憩しているところなのだ。
 結局、約束の時間を過ぎても、凜音は一向に現れる気配がなく、今もこうして待ち続けている。

「出ない。まさか……」

 郁の知らない間にもし他の人格に入れ替わっていたら。そんな危惧が脳裏をよぎる。しかし、凜音から聞いた話では精神的な負荷がかかると主人格→暴力的な人格。暴力的な人格がストレスを発散すると、凜音が発現してクールダウンする。つまり、精神的な作用が入れ替わりのキーとなる。これが今の最有力な推測。

「あれは……」

 窓から中庭をぼんやり眺めていると、見覚えのある後ろ姿を見つけた。小動物の様におぼつかなげに動く姿はどこか儚い。
 目先のことに囚われて、彼女らの問題については手が回っていなかった。しかし、火村に直接手伝ってくれと言われたわけでもない。ただ、心当たりがあると言われて期待したが、縁がなかっただけというだけの話。

「あ……」

 一息ついた後、視聴覚室に戻ると見知った顔があった。

「俺がいちゃ嫌か?」
「別にそういうわけでもないが……」
「なぜかって? だって困ってるんだろ」
「頼んだのは応援団の方だぞ」

 どういう心境の変化なのか、そこには衣装を縫う赤嶺の姿があった。がっしりした体躯とは裏腹に裁縫仕事の腕前は結構なものだ。

「昔からいろいろ手を焼かされてきたからな。神野なら分かるんじゃないか」
「分かんねーよ。今だってどうしていいか何も見えてないし」
「お人好しの神野から見て、俺は薄情か?」
「だから俺に聞くなって。それより練習は良いのかよ。秋季大会近いんだろ」

 赤嶺と火村の問題は本人同士で解決すべきだ。外野の郁が口出しできるほど達者でもないし、驕ったつもりもない。

「天気予報ではこれから大雨だってさ。だから早めに上がらせてもらった」
「本音は?」
「神野が宍戸さんとどう向き合うのか気になってる」
「なら、なおさら火村と応援団をやって……くれないんだろうな」
「それとこれとは話が違う」

 赤嶺は依然として頑固だ。郁と伊澄の幼馴染としての付き合いと彼らのものとでは、似て非なるものらしい。

「俺はできるだけまほには係わりたくない。そっちの道はしんどい」
「正直な話、クズでしかないな」
「自覚はしてる。だからこそ、あえてこっちの仕事を手伝いに来たんだ」

 赤嶺は郁の様に軽々しい冗談を叩いたりしない。それゆえに火村にとっては残酷な本音だ。

「俺にはお前が意地を張ってるようにしか見えない」
「人は欲求を善として求めるものだって、過去の偉人も言ってたらしい」
「結局、何が言いたい」
「それっぽいこと言ったらごまかせるってのが答えじゃダメか?」

 赤嶺は苦笑しながら答える。それは決して好意的な意味ではないと分かっていても、彼が笑う姿を初めて見たな、と場違いな感慨すら抱いていた。

「お前が何に期待してるのか分からんが、避け続けたらいつか本当に取り返しのつかないことになるぞ」

 郁もそれっぽいことを並び立てた、というわけではない。まぎれもなく本音だ。郁だっていつも、大切な人が離れていくかもしれない不安と闘っているのだ。

「……そうかもな。でも、今更俺がどうしたって簡単に変えられるもんじゃない」
「野球しすぎて脳まで筋肉で固まったんじゃーねの」
「はは、そうかもな」

 ごまかしたように笑う赤嶺に郁は苛立ちを覚える。彼の手先は器用に動いているのに、皮肉なことに人間関係は簡単に動いてくれないのがとてももどかしかった。


 ● ● ●


 それから三日が過ぎた。郁は黙々と衣装を作り、定期的に執り行われる形ばかりの会議に出席。家に帰った後、凜音に進捗を報告し合うという毎日を送っていた。

『やっぱ、俺はブラック企業で働く素質があるのかもしれないな』
『むしろ今気づけて良かったじゃないですか』
『いや今のネタだからツッコんで欲しかったんだけど……』
『ややこしいですね。曖昧な態度は控えてください』
『はい。おっしゃる通りでございます』
『そこはかとなくバカにされたような気がしてなりません』
『気のせいだろ、きっと』

 人の顔を見なくて済むというのは、陰キャにとって大きなリーチだ。電話越しなら強く出れるし、冷たい視線を向けられることもない。ふざけてなんぼの世界。

『そういや応援団の方はどうだ?』
『特に問題はありません。順調です』
『流石だな』
『あなたのほうが心配です。休みだからといってくれぐれもさぼることのないように』
『週休二日で福利厚生も充実してる職場がいいんだけどなぁ』
『二兎追うものは一兎も得ず、ですよ』

  耳が痛くなるありがたい注意を受ける。同級生から説教される機会なんて、郁ほどの劣等生でなければなかなか巡り会えない。

『目を離していたらあなたは手を抜きそうです。明日は私と一緒に作業しましょう』
『何それデートのお誘い? 大胆なヤツめ』
『その程度のからかいで私が動揺するとでも? 甘く見られたものですね』
『クソっ、手強いヤツめ』
『本音を隠さないスタイルには敬服しますが、正直に何でも言えばいいということではありませんよ』

  別段、誰に対しても本音を零すわけではない。元来、郁は空気の読めるタイプだ。なんの目的もなく波風立てるような愚行には走らない。

『静かな場所……と言えば図書室辺りか。じゃあ昼の3時くらいでいいか?』
『さりげなく時間設定を遅めにしましたね。惰眠を貪りたいという意志が強く伝わってきます』
『ああ、はいはい。無駄だって分かってたけど言ってみただけだよ。お好きに決めてくださいな』
『では明日の十時に中庭に来てください。くれぐれも遅刻しないように』
『ええ……それ前科持ちのお前が言うのかよ』
『その節は申し訳ありませんでした……少し立て込んでいましたので』
『いや、別に本気で責めてるわけじゃない』
『……では、また明日会いましょう』

  そうとだけ告げられて、一方的に電話を切られた。やられた。こちらが少しばつの悪さを感じているところに乗じて、情報の遮断という手段を持って、追求の機会を避けられた。どうやら、郁に残された手は対面で聞くということしかない模様。

『二度目はないからな』

 追加で半分脅迫のメッセージを送っておく。仮にも女子相手だということを完全に失念している。男女差別はしない主義なのだ。加えて、郁は少し根に持つタイプという説明も必要だろうか。

「ま、今度こそ大丈夫だろ」

  またフラグになりそうなことを呟く。反して、自室の窓から見える空模様は、月明かりの隠れされた不機嫌なものだった。
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