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「教訓」

吐いた唾は呑めぬ

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郁は時折、調子に乗って後先考えずに行動することがある。

「委員長……いまなんて?」
「だから、応援団長と副団長しか残ってないって」
「なんでだよ!」
「ここで逆ギレは主人公的に良くないよ」

 困ったことになった。自分で蒔いた種ではあるが、二つの役職の兼用は不可能に近い。

「ちょっと、みんな聞いて~!」

 ホームルームを休み時間と勘違いしている猿共に向かって梨沙が声をかけると、衆目が再び郁達の元へ集まった。

「盛り上がってるとこ悪いけど、誰か種目変わってくれる人いない?」

  バツが悪そうに委員長が呼びかけると、途端に教室中にざわめきが走った。「え、だるっ」だの「今更?」だの「早く帰らせて」だの他人事の様に好き勝手言いたい放題だ。

「もういいよ、委員長」
「でも、兼任なんて絶対無理だよ」
「自分のケツは自分で拭く」
「……先生。何とかしてください」
「ん~……?」

 雑誌本を顔の上に寝かせて惰眠をむさぼっていた私文は、気怠げに後ろ髪をかきながら立ち上がった。

「知らん。お前らの問題だろ~? まあがんばれ」

 私文は、「今日はひとまず解散な~」とだけ告げてさっさと教室を出て行ってしまった。残されたのは、意表を突かれた間抜けな生徒たち。だが、彼らも事の状況を理解すると、それぞれ愚痴やら世間話やらをこぼしながら各々の放課後へと歩みを進め始めた。

「こりゃまずいことになったな」
「自分のせいじゃん。何被害者ぶってんの?」
「お前はフォローのフォの字も知らんのか」
「でも、本当にどうするつもり?」

 ストレートに心を抉ってくる翠音に反して、珍しく梨沙が本気で心配してくれているようだ。ならば、その不安は早急に取り払ってやるべきだ。

「なーに、答えは単純だ」

 くくっと意味深な笑みを浮かべながら、郁は言ってのける。

「人間の最大にして最強の手段だ」
「焦らさないでいいから~!」
「翠音。クラス制度ってのは困ったとき互いに助け合うためにあるものだろ?」

 にやりと口角を吊り上げて笑う郁。それに対して、翠音は呆れたように息を吐いた。

「私、知ってるんだ~」
「なんだ?」
「郁ちゃんが私の名前を呼ぶときは極端に真剣なときかふざけてる時のどっちかってこと」

 この流れで、郁の喉奥まででかかっていた「お前に俺の意志は託した。俺の分も強く生きろよ!」というアニメ第十話くらいで不幸にも致命傷を負って名誉ある死に至る主人公の相棒キャラのような台詞が吐けなくなってしまった。

「急に怖い顔すんなよ」
「また逃げるの?」
 
 翠音がグイっと寄ってきたので、咄嗟に「うぐ……っ」とうめくような声が出てしまう。目を逸らしても目線の先には梨沙の姿。逃げても無駄だと言わんばかりに胸の前で腕を組んでいる。

「いや、だから、えと……」
「ね、ちょっといい?」
 
 郁が答えに渋っていると俄かに背中にそんな声が投げられた。どうやら、救いの女神が現れたようだ。

「どうしたの、火村さん」

 コミュ力の権化である梨沙が即座に対応してくれた。おかげで、不意打ちで現れた女子にきょどる自分を晒さずに済んだ。
 火村さんと呼ばれた彼女は、ショートカットの低身長。スカート丈は長すぎず短すぎず、制服の袖を指でつまみながら上目遣いで梨沙を見上げていた。制服を着ていなければ、中学生と見まがうくらいだ。小動物系女子と呼称したくなるが、その機械的な表情にあどけなさは窺えない。

「応援団長」
「え?」
「私、心当たり……ある」
「ほんとに?」
「これから時間、ある?」

 こうして彼女の手引きによって、郁達の放課後は費やされることになった。そしてどういうわけか、その時の翠音の表情はすこぶる面白くなさそうであった。


 ● ● ●


 放課後のグラウンドは運動部の喧騒に包まれていた。郁達一同はその中で甲高い打撃音を響かせている野球部の練習場所に連れていかれた。

「野球部か……サッカー部とは違った意味で嫌な響きだ」
「逆に嫌いじゃない人いないじゃん」
「先に人を嫌っておけばそいつに嫌われたときに傷つかずに済むだろ」
「ドヤ顔でいうことじゃないし……」

 先程は心底つまらなそうな表情を見せた翠音だったが、外に出てくると気分が変わったのかいつものバカっぽい彼女だった。

「二人、仲……いい」
「あれは仲いいのとはちょっと違うよ。ああいうプレイなんだよ」
「プレイ……バカの戯れ?」
「子供に変なこと吹き込む悪い大人みたいになってんぞ。何気に両方ディスが酷い」

 梨沙が毒舌なのは既知のことだが、ぬぼーっとしている火村の方も意外と歯に衣着せぬ物言いをするらしい。

「待ってて。呼んでくる」
 
 野球部の練習場所付近に到着すると、火村は打球が飛び交う球児たちの戦場に生身一つで踏み込もうとした。

「ちょっと待って」
「あうわ……っ」

 ちょこちょこと歩みだした火村を梨沙が咄嗟に首根っこを掴んで事なきを得た。郁も翠音も思わず胸をなでおろしたくらい危なっかしい。

「危ないじゃん。硬球当たったら死ぬよ」
「でも、私の声じゃ届かない」
「私が代わりに呼んでくるから待ってて」

 この様子だと梨沙には目的の人物の目星が付いているらしい。よく芯の通る声で名前を叫ぶとファーストを守っていた生徒がこちらに気づいた。帽子を取って周囲に頭を下げた後、こちらに駆け寄ってきた。

「どした? なんか用?」
「火村さんに勧められてここに来たんだけど」
「……まほ。またお前か」

  男子生徒は大きくため息をついて言うと、火村に鬱陶しそうな目を向けた。

「陵、また昔みたいに応援団……する」
「……またそれか。だから無理だって言ってんだろ」
「でも……昔の陵やってた絶対」
「ガキの頃の話だろ。どっちにしろ練習あるからそっちに割く時間ねーよ」

  赤嶺陵。大きな体躯とスポーツ刈りが印象的な野球部員。少々目つきが悪いが、委員長への接し方から察するに人当りは決して悪くはない。

「もしかして、俺に応援団やってくれって話?」
「あ、うん。今当てを探しててね」
「そこの彼には悪いけど、放課後は時間ないしやっても迷惑かけそうだからやめとくわ」

 何か不穏な匂いがする。彼は、梨沙の仕事をよく手伝ったり、行事にも積極的に参加するタイプだったと郁は記憶している。まさか……

「……郁ちゃん嫌われすぎ~」

 最悪の回答を声に出しやがった。こんな芸当をやるやつは一人しかいない。とりあえず一睨みしておいた。

「用ってそれだけ? ならもう行くわ」
「待って。まだ話終わってない」
「まほ……、もうあんま話しかけんな」 

 赤嶺は、袖を掴む火村を雑に振り払って戻っていった。不自然なくらいに冷たい。

「なんか感じ悪~」
「火村さん……大丈夫?」
「いい。気にしないで」
「でも……」
「ごめん。今日はもう帰る」

 無表情な鉄仮面がやけにわびしく見えた。
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