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 そこからがまた大変だった。

 王に挨拶をして去ろうと踵を返すと、何処から現れたのか沢山の侍女の格好をした獣人の女性達がズラッと頭を下げ待機していた。え?っと思う間も無く

「ようこそおいで下さいましたコリーン様。お部屋のご用意は整ってございます。さあ、お疲れかとは存じますが晩餐の前に浴場へご案内させて頂きます、どうぞこちらへ」

 と丁寧に促され、抵抗する間も与えられず獣人侍女達に運ばれ豪華な浴場で侯爵家でもされた事のない手厚いお世話を受ける。髪に香油を付けて貰えるなんて…それこそ二、三年振りではないだろうか。
 今考えるとこれでも子爵家の子女だと言うのに酷い扱いをされていたのだと気が付く。彼らは私にお金を全く掛けなかった。持参金を元手に何百倍も増やしたのは私だった筈なのに…だ。
 そして最後は裏切られ…
 決して私は悪くは無いけれど確かに女としての魅力は失くなっていたのだろう。忙しさにかまけて女性としての自分を磨いて来なかった。
 …いや、言い訳をするのなら流行りのドレスも高い装飾品も香油やいい香りの石鹸も誰もくれはしなかった。外に出る事も叶わなかった。成る可くして成った結果なのだ。

「そろそろ晩餐の時刻です。お支度に移りましょうコリーン様」

 その次はこれまたとんでもない豪華でありながら清楚なドレスを着せられた。シルクだ。艶々の着心地の良いシルクにレースやリボン。更に胸から裾まで散りばめられた宝石はサファイア。パンプスの爪先飾りの部分には特大の真珠が幾つも付いていた。髪も綺麗に編まれアップにした部分にはダリアの生花が飾られた。

「いかがでしょうコリーン様」
「…素敵です。久々に令嬢だった事を思い出しました」
「ふふ、とてもお美しくお似合いです。さあ、皆さまが来られる前に晩餐室にご案内致しますのでご移動お願い致します」

 そう優しく私を尊き者のように扱ってくれたブラックマンバ獣人で王宮侍女長頭のララさんの背?に乗せられる。時折りチロチロする長い舌が気になるが、本人は至って優雅だ。
 ピカピカに磨かれ飾り付けられ向かった先は晩餐室。ここまで来ると流石に居心地が悪くなる。今までのウィンダム王子の話。国王陛下の魔力耐性確認。どう足掻いても…私を取り込もうとしているだろう事は明白だ。
 次々に晩餐室に入って来る男性は皆が人型だ。髪の色や瞳は違う色だが、このバムダは獣人の国。その中で人型であるならば完全に王族、ウィンロードであるのだ。
 ララさんの横に立ち困惑している私にチラチラと目線を投げながら席に座って行くウィンロード達。もう逃げ出したい、何故私が…そう思いじわりと無意識に後ろに下がろうとすると、ララさんが私に向かいチロリと舌を出し窘める。ああ、ブラックマンバの毒は大人でも即死だったな…と要らぬ知識が本能で逃走を企てる私を現実に引き戻した。
 その内扉を開けて入って来たのは見覚えのある顔。あの農場小作人…いや、ウィンダム第一王子だ。だがその姿はもう決して小作人とは呼べない装いだった。
 真っ白なレースのシャツに紺色の仕立ての良いジュストコールには赤い糸で細かく豪華に施された刺繍が襟から胸元までを彩っている。膝下までのズボンに皮の金の飾りの付いたブーツを合わせ、ワイン色のクラバットを留めるピンには私のドレスと同じ大きなサファイアが金の台座に付いていた。
 オレンジの髪も額を出し撫で付けていて「さっきまでのは何だった?」と言いたくなるほど別人の仕様だ。上背があり身体が引き締まっている為か姿勢も良く誰よりも堂々として見えた。
 その彼がツカツカと風を切り私の前までやって来て

「ああ、コリーン…やはり君は美しいな。人間じゃなくて妖精族だったか?なら納得だな」

 とか小っ恥ずかしい褒め言葉を吐き私の手を取り指先にキスを落としたのだ。
 キュッと握られた指先がゾクッとしたので慌てて引っ込める。何か話そうとするが彼の澄んだグリーンの瞳を見ると声が出なかった。

「ふ…可愛い。さあ、待たせたな。席に着こうか」

 ニコリと微笑んでウィンダム王子が再び私の手を掴んで歩き出す。

 …私は彼を知らない。今日出会ったばかりだ。なのに好意があるような態度を取って来る。
 でも四年も一緒に居たバレリオの事も知っているようで何も知らなかった。
 私はバレリオを愛していた。薄い茶色の髪に深い海の色の瞳。優しげに垂れて笑う顔、自分より長く白い指で髪を梳かれるのも好きだった。だから無償で尽くしていたし、彼の言う事を聞いていたのだ。優しいだけの彼の言葉を信じていた。
 でもそれは薄っぺらい紙のように酷く脆く、四年の月日で四方八方から破られ切り刻まれ頼りなかった。いつしか私の擦り切れていく心を支えるには…足りなくなった。
 そして自分とは違う誰かを選んだ彼を見たあの日…泣くより先に逃げたのだ。
 唯一無二の愛だと思っていたものは砂の城の如く簡単に崩れ去った。
 なら、ウィンダム王子の瞳の中にある慈愛を向ける先にあるのは何なのだろう。好意?興味?
私にはまだ理解出来ない。

 **

「これがコリーンの新事業のアドバルーンですか?」
「正解には大口の投資先の一つだ。飛行船事業は元々あったのだ。大戦時軍事利用された後は衰退していたんだが、コリーンが期間限定で旅機として運行を推進させ運営されている」
「へぇ、知りませんでした」

 バレリオは全く興味が無いようで傍ら紅茶を啜っている。侯爵が引き継ぎを任せようとするも、彼は次期侯爵と名乗るにはずる賢さも誠実さも上手く立ち回る機転の良さも全て足りなかった。だが彼はコリーンを侯爵家に留める為大事な楔だったのだ。侯爵が公国との繋がりをと欲を掻かなければコリーンによってこれからも安泰な筈だった。
 公国公妃の姪はかなりの散財癖がある。コリーンが戻らなければ誰が金食い虫の面倒をみていくのか。誰がこの多大な事業を継続して行くのか…この時点で侯爵は自分の失敗に腹の底から焦っていた。

 コリーンさえいれば…コリーンにやらせれば…コリーンなら…

 この四年の間に彼もまたコリーンに頼るだけの腑抜けになっていたからだ。

 その時執務室の扉をノックする音が鳴る。

「…入れ」
「し、失礼します侯爵様っ大変な事が…」

 慌てて入って来たのは文官の一人。コリーンの手掛けてきた事業の内三件を担当している。

「何事だ」
「そ、それが…書類を…事業継続の契約を相手側としていましたら…その…」
「なんだ?問題無いだろう?継続なんだから」
「そ、それが…侯爵家の角印章では更新は出来ないとっ…」

「何?どう言う事だ!」

**

 最後にバムダ王が長いダイニングテーブルの上座に着席し、漸く晩餐が開始された。
 その直ぐ斜め右隣りにウィンダム王子が。更にその横に座らされた私。向かいには王妃であろう獣人の女性。小さな尖った耳がピョコンと頭に乗っている。その横にはズラっと同じ顔の青年達。兄弟だろうか?

「揃っているな、食事を始める前に…ウィンダム」
「はい、父上」

 椅子を引きゆっくりと立ち上がるウィンダム王子。下から見上げる表情は笑っているようにも見える。

 ああ…どうしよう。ここから逃げる事が出来るだろうか…この城確か浮いてなかった?

「皆、忙しいところ集まってくれてありがとう。実は…」

 誰かに手助けして貰わないと無理かも…いや、何とか抜け道を探して…

「マサラヤマン島のミミルキーの生態を本格的に調査する事に決めた」

 そう、ミミルキーを……ん?

「ミミルキーは知っての通り種別の分からない固有種だが獣人の進化の派系に無い─」

 あ、あれ?

「したがって個体調査を──」

 あ…れ?調査って?

「そこで魔力耐性のある彼女に参加してもらおうと思っている。どうだろうコリーン、引き受けて貰えないかな?」
「…え?」
「ミミルキーには不思議な力があってね、獣人には少なからず魔力が備わっているんだが、ミミルキーに過度に近づくとその魔力が暴走し体調を崩したり興奮状態に陥る。なので中々調査が進まなくてね…君はミミルキーを撫で回したり幼生を抱っこしても平気だった。人間だからじゃない、耐性があったからなんだ。それを先程父に確認してもらったんだよ」
「…は、な、なんだ…そうだったんですか…成る程」

 や…やだ…私ったら…勘違いしちゃって!てっきり無理矢理結婚とかさせられるんじゃ無いかと勝手に怖気付いて…恥ずかしい~!そうよね、考えたらこんな何処の者とも知れない観光客を魔力云々だけで妻になんて…

「で、どう?勿論給金も払うし寝泊まりする部屋もこちらで用意するし食事付き。期間はまだ決めてないが頼まれてくれるか?」
「…あ、えっと…でも私…」

 今侯爵家から逃げてる途中なんだけど…知ってるくせに。

「ああ、あの件?大丈夫大丈夫、手を回すから。君は我が国の自然環境保全の組織調査のキーメンバーとして賓客ひんきゃく扱いにさせて頂く。これにより、本人の意思に反し正当な理由がない限りこの国から君を連れ去る行為は違法と見做し、国家間の盟約により国王並びに王子である俺が阻止又は報復する権利が発生する」
「…それって…私をバムダ国が護るって事ですか?」
「そうだよ。バムダの賓客であり、俺の側に居る限り何者からも君を護り排除しよう。どう?受けてくれる?」

 ウィンダム王子はそう私に優しげに目元下げて笑い掛ける。
 この国にいれば侯爵家の手の者に怯えず過ごせると彼は言ってくれているのだ。しかも仕事と寝る場所を提供してくれる。更にご飯まで食べさせてくれる。

「や、やります!やらせて下さい、ウィンダム王子様!」
「…ああ、ありがとう。明日契約書を作成しよう」

 こうして私はバムダ王国固有種の珍獣であるミミルキーを愛でる…もとい調査するメンバーの一人となり、獣人の島国に滞在する事になった。

 因みに王妃様はリス獣人だったみたいだ。食事する姿は優雅な感じだったのに、反面デザートのクッキーは両手で持ち、小さくカリカリ齧る姿は余りにも可愛くて和んだ。

 **

「私の印章だけでは駄目だと言うのか!」

 侯爵家の応接室に怒号が響く。だが相手は落ち着いた素振りでゆっくりと答えた。

「何度も申し上げております。侯爵家の印章も必要です。ですが決定遂行にはあの方の印章が更に必要になります。不正及び不備を防ぐ意味で我々は多重印章決済を行って来たのです。当然今までコリーン様の印章も頂いていた筈ですが…何故ご存知ないのか?」
「そ、それは…コリーンに任せていたから…」
「ああ、でしょうねぇ」
「くっ!先程から何なのだ!コリーンの印章?何だそれは!私は知らんぞ!」
「はぁ…あの方の印章を頂けないのであれば、今期の支払いもお渡し出来ませんし次回の契約更新も見送ります。では私は忙しいのでこれで、失礼しますよ侯爵殿」

 少し棘のある対応をするこの男はミッドラン大公爵家の専属法務部の人間だ。
 ミッドランと言えば現国王の弟で陰で賢王とも呼ばれている人物。事業業績が持ち直した侯爵家を不審に思った大公に内密の調査に派遣されたのが彼、マルクドーだった。その結果、子爵子女であるコリーンの手腕である事が明らかにされたのである。マルクドーは優秀なコリーンに接触し、太公家、或いは国で文官か外交官の道を示唆したが婚約者の為だからと素気無く断られた。相手は十六、十七歳の世間を知らない囚われの籠の鳥。その時は意思もハッキリしていたので無理強いせず身を引いたのだ。才能があり必死で頑張る姿にその後も事業について度々アドバイスなどをする仲になっていた。

 だが…結果はどうだ?

 数年後、蓋を開けてみれば小侯爵は彼女では無い公国の女を妻にしていた。しかもコリーンは姿を消して行方不明。婚約者の為に…とその才能と時間を費やしたと言うのにこの仕打ち。
 本当に惜しい事をした。無理矢理にでも太公家に引き抜いていれば…いや、これで良かったのだ。彼女はもう気付いたのだから。
 帰り際フッと離れにあったコリーンの執務室に目をやる。

「…あそこはいつ来ても灯りが付いていたなぁ…」

 暗く灯りの燈らない部屋に向かいそう呟いてマルクドーは静かに馬車に乗り込んだ。

 *

「コリーンの印章を探し出せ!コリーンの部屋も執務室も全てひっくり返して見つけ出すんだ!!」

 コリーンはマルクドーを介して多重印用に自らの印章を製作していた。それは五ヶ国語で「コリーン」と読む文字が彫られた印だった。彼女はいつもこれを肌身離さず持ち歩いていたがその事を誰も気付いていなかったのだ。
 理由は勿論、最後にコリーンが全ての書類を確認し捺印し郵送の手続きまでをしていたからだ。
 彼らは全てを彼女に押し付けて来た。コリーンを土台にして積み上げられた砂の城は彼女が失踪して一月足らずで瞬く間に崩れ去ろうとしていた。
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