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 翌日、満を持して当初の目的地であるマサラヤマン島へ向かう船に乗り込んだ侯爵一行。
 今のバムダの気候は雨が少なくカラッとした晴天の続く乾季に入っていたが今日に限ってどんより曇り空だ。

「ここがマサラヤマン島か。こんなところでコリーンは何の調査をしているんだ?」

 飄々として船から地上に降り立ったバレリオは白い海の上に建つ隠れ家的コテージが立ち並ぶ区画に目をやった。

「なんだ。ちゃんと整備されてるじゃないか。こんな事ならやっぱり新妻を連れて来るんだった…まあ、コリーンでも良いんだけどさ」

 コリーンは銀色のサラサラした髪に細く儚い肩。透き通るような白い肌に少し吊り上がった猫のような形の中の艶のある苺のような瞳。何より大人しく控えめで作法も完璧の淑女だった。
 まあ、半年ほどは毎日訪れていた離れに徐々に赴く事もなくなっていたので顔も薄っすら忘れがちになってはいるが、見れば直ぐに判るだろう。だって愛しているんだから。新妻と愛を深めていた間にコリーンが拗ねてこんな所まで来てしまって帰るに帰れなくなってしまったのは仕方が無い。わざわざ迎えに来た僕の深い愛に気付いて感動するに違いない。などとウキウキした気持ちで砂浜を歩き出すバレリオ。

「早く会いたいな…君の驚く顔が見たいよ僕のコリーン」

 **

「どう?コリーン。気に入った?美味しい?」

 そう言って私を膝の上に乗せながらウィンダム王子がニコニコ顔で聞いて来る。そう、膝に…

「あ、あの…毎回膝に乗せながら食事を摂るのはおかしいですよね?食べ難いし…幼子ではありませんし…やめませんか?」
「君はもう俺の婚約者なんだぞ?これは番に対する俺の権利だ!それに幼子のように可愛いから食べさせてあげたいんだ」
「は、はぁ…いや、あの、それですよ。婚約するの早すぎませんか?帰って直ぐ陛下に報告したかと思ったら翌々日に婚約式とか用意が良すぎて何だかちょっと…」

 ウィンダム王子に告白された二日後に大々的な婚約式が王宮で行われた。朝からビックリする程獣人貴族や島住人が集まっていた。私は晩餐会の時同様煌びやかなドレスを着せられ、訳もわからないまま婚約誓約書にサインさせられていた。そう、現時点ですでに私はウィンダム王子の婚約者となっているのだ…

「ウィンロードの結婚はこの国にとって主要祭儀だからね。どんな理由があろうとも獣人は駆け付けるんだ。はい、あーん。婚約式も彼らにとってはお祭りなんだ。あ、半年後の婚姻式のドレスや装飾品全て一式俺がデザインするし、最高の花嫁にしてあげるから期待して良いぞ?どんな宝石も手に入れるから希望があれは教えてくれ。勿論欲しい流行りのドレスや物があればララに…」

 もぐもぐごくんっ。

 これは…私とんでもない人に求婚されたのではないだろうか?

 始めは農場小作人のようなヘロい格好をしたガイドの人だから後腐れ無いだろうとペラペラ自分の話をしてしまったけど…蓋を開けたら一国の王子で王太子で魔法使いでしかも人目を憚らずベタベタしてくるし…侯爵家と真逆の扱い過ぎてどうして良いのか分からない。

「ほ、宝石とか装飾品は買った事も貰った事もないので詳しくないです。屋敷の外に出して貰えなかったので流行りとかドレスも贈られた事がないし…知らないので」

 シン…と一瞬静まり返る広い食堂の中。ララさんがスッとハンカチで目を押さえている。するとウィンダム王子が再びスプーンを差し出しながら優しく微笑んだ。

「…そうか。じゃあ俺が君の初めてを総取り出来るんだな、嬉しいよ。これから一つ一つ恋人らしい事を埋めていこう。でもこんなに可愛いコリーンを蔑ろにするなんて…許せないな」
「あ、一度だけ元婚約者から紫のリボンを貰った事ありますよ。髪に結んでくれた事も…「ララ!綺麗なリボンを有りったけ買って来い!!今日から髪は俺が結ぶから!」ええ~!」

 とまあ、こんな溺愛されるなんて考えていなかったが、プロポーズを受けてしまった事に後悔はしていない。彼はバレリオとは違い誠実な人だ。甘やかされるのも本当は嬉しい。心が満たされていくのが分かる。きっと私は飢えていたのだ…

 小さな無償の温かな愛に。

 そう心の中で自覚しつつ、鼻息の荒い王子を宥めながらこの後ミミルキー生態調査に向かった。

 *

 ウィンダム王子に運ばれていつものコロニーに到着する。生まれたては胸に抱っこが出来たミミルキーの幼体はこの一月ですこぶる大きくなっていた。でも顔がまだ幼いし耳も短い。
 周りの景色も独特だ。幼生時期に生え替わるピンク色の体毛が集まってコロコロと辺りに転がり何ともファンシーな光景だ。今日は生憎の曇り空だが晴れた日に見るととても幻想的なのだ。

「今年生まれた子達のタグはこれで最後だな。例年より二割程多い気がする」

 タグのパンチを仕舞いながらウィンダム王子が嬉しそうにミミルキーを眺めていた。

「まだまだ頭数は少ないですから良かったです。来年からも計測続けましょうね」
「ああ、また来年…その頃には王宮の方もベビーラッシュかもな~」
「え!そうなんですか?弟王子様達のお子様が同じ時期に生まれたら素敵ですね!」

 するとウィンダム王子が背後から私のお腹をスリッと撫でて耳元で囁いた。

「あれ?忘れてるようだけど、来年の今頃ならここにも宿るかも知れないよ?二人の愛の結晶が…」
「へ?…え?ふぇっ!」
「楽しみだなぁ、ね?コリーン」
「そっ!それはっまだ…まだまだまだまだずっと先です!」
「ふふっ。まあ、しばらくは二人の時間を楽しむのも良いな」

 そう言ってカラカラと笑っていた彼が突然スッと真顔になりフッと森の方に顔を上げた。私もつられて目線の先に顔を向ける。まだ遠くハッキリとは分からないが誰かが数人歩いて来るのが見えた。

 …え?人型?観光客かな?こんな中腹まで来たんだ。

 徐々に容姿の判別が出来るくらいに近づいて来る人影はどうやら全員男のようだ。その中でひときわ私の目を釘付けにした男がいた。

「え…あれは……」

 それは見慣れた、ずっと側で見て来た…

 薄い茶色の髪─深い海の色の瞳
 優しげに垂れて笑うあの顔─は…

「バレ、リオ?」
「コリーン!」

 遠くからそう私の名を呼ぶのはかつての婚約者だった男。
 もう二度と会わないつもりで逃げ出したのにどうして?どうしてここがバレたのだろう…私を連れ帰る為に?
 体がガタガタと震え出す。息が出来ず手足に力が入らない。悲しいのか辛いのか怖いのか唯々泣きたい衝動に侵される。刷り込まれた彼からの愛は今はただ恐怖の対象になっていた。

 私はこの時…私が思っている以上に心に傷を負っていた事に気が付いたのだった。

 震える肩に熱く分厚い手が掛けられビクンッと体が驚いて跳ね上がった。ハッとして見たこの固い手は…バレリオの綺麗な長い指ではなくウィンダム王子の大きな手だ。そう思った瞬間涙が滲みその手に縋る。

「ああ…あれだな。コリーン心配するな。今の君は俺の婚約者だ。何も怖がる事などない。逃げ続ける必要など何一つ無い。ここで俺が決着をつけてやるから信じて俺に任せてくれ、いいな?」

 混乱する頭で王子を見上げる。彼は余裕のある顔で笑い、流れるように私の額にキスを落としそのままギュッと抱き締めた。

「震えているな可哀想に。大丈夫、俺が終わらせてやろう。君を傷付けた…あいつらを」

 **

 護衛が獣人の言葉の通じるガイドに調査地を聞き出し島の中腹に向かった。ガイドはコリーンを知っているようで家族だと言うと喜んで近道を教えたようだ。

「やはりコリーンはどこでも優秀なんだ。流石は僕の第二夫人」

 原生林を抜け、クタクタになりながらやっとの思いで中腹に辿り着く。そこに居たのはピンク色の珍獣に囲まれ寄り添う人影。一人は女、もう一人は男だ。女の方をよく見ると長い髪を高い位置で一つ括りにしている。そしてそれは…煌めく銀髪だった。

「ああ…あの美しい髪はコリーンだ!」

 バレリオがコリーンの名前を叫ぶ。当然自分の存在に気付いた彼女が目を輝かせて走り寄って来ると信じて疑わなかった。だがコリーンはこちらを向きながらも動こうとしない。

「あれ?遠過ぎたかな?僕に気付かないなんて…第二夫人失格にしちゃうよ?いや、でも驚いて感動してるのかもな。そうだよ、僕がわざわざこんな場所まで来るなんて考えもしてなかった筈だからね…ふふっ。…しかしあの横にいる奴はなんだ、調査隊の者か?」

 そんな独り言を呟いていると、男がコリーンを抱き寄せるのを見たのだ。しかも額にキスまでしている。カッとなったバレリオは草原の中ガサガサと足を踏み鳴らしズンズンと幼体ミミルキーの集団に囲まれたコリーンの直ぐ近くまで辿り着いた。頭一つ分は背の高いオレンジ色の髪をした男がコリーンの腰を抱きこちらを無言で見下げている。

「おい君!その手を離したまえ。彼女は僕の大事な第二夫人になる女性なんだ、気安く触らないでもらおう!」

 そう言ってバレリオはコリーンの腕を掴もうと右手を延ばす。

「…第二夫人?」

 その瞬間、バレリオの延ばした手が大きく跳ね上がった。漸くバレリオに追い付いた侯爵と護衛達。が、目の前に居た筈のバレリオが宙に舞いながら自分達を越え草原の中に消える。

「!!?」

「俺の婚約者を第二夫人にする為に来たのか?なら決闘を申し込まなくてはな」
「こ、婚約者?どう言う事だコリーン!!」

 汗だくの侯爵がそう怒鳴り散らすとコリーンはビクッとして後退りする。しかしウィンダムに腰をグッと抱かれ逃げられない。

「引くなコリーン。君は何も悪くない。こいつらに怯える必要も無い。安心しろ君に手を出す事を俺が許しはしない」

 ウィンダムはコリーンだけに聞こえるように小声で囁き再び前を向く。

「…貴方は確か我が国と友好国の東の地の侯爵だったな。一月程前バムダ王国からそちらの国王陛下へ親書を送り承諾を得ている。内容は彼女と私が正式に婚約を結ぶと言う公約だ。他国籍同士で貴族子女の婚姻だからな。きちんと手筈は整えている。勿論彼女の親族にも通達済みだ」
「わ、私は知らんぞ!そんな話聞いてない!こんな勝手な婚約は無効だ!コリーンは私の息子の婚約者だぞ!!」

 そう捲し立てる侯爵。勿論婚約などとっくの昔に勝手に解消している。

「…知らないか、そりゃぁそうだろ。お前の息子は既に派手な婚姻式を挙げ別の妻を娶っているんだからな。コリーンとの婚姻を先延ばしにし四年間も少額だからと持参金の為に働かせていたにも関わらず公国公妃の姪と結婚。当然コリーンとの婚約は不履行故に破棄された事になる。更に彼女の親族にさえ知らせず契約を破棄しておいて勝手に息子の第二夫人にしようとし…しかも本人の意思を無視し騙し通そうとした上に逃げられてここまで追い掛けて来るとは…よっぽどコリーンの能力が無ければ立ち行かないのだろ?」

 ギクッとし顔を歪める侯爵。そしてウィンダムの後ろで不思議な顔をするコリーン。

「何故そんなに詳しく知っているんですか…」

 コリーンが眉間に皺を寄せてウィンダムに問い掛ける。コリーン自身も知らない内容が含まれているからだ。

「マルクドーと言う男を知っているだろう?あいつを介し調べさせた。君に事業のノウハウを教えた男だ。あっちの王家にも貸しがあったから大公家を巻き込んで方々から徹底的に調べ上げた。早かったよ。十日くらいで大体の全貌が確認出来たからな。ついでに小侯爵に婚約者がいる事ぐらい事前に調べただろう公国へ、直ぐに俺達が婚約した事を正式な親書で公国王公妃共にわざわざ通達済みだ」

 そう言ってニコリと笑うウィンダム。つまりはもう二度とどんな理由が有ろうとも彼女が侯爵家に戻される事は許されないと言う事だ。

 草むらから這い出てきたバレリオが痛めた腕を押さえながらウィンダムを睨み付ける。

「コリーン!僕を愛しているだろう?何故こんな奴と婚約なんてしたんだよ!僕がどんなに君を愛しているか知っていて裏切るなんて君らしく無い!まさか…この野蛮な男に脅されているのか?」
「はぁ…話を聞いていなかったみたいだな。お前は別の女と自ら結婚したんだ。文句を言う権利などない。大体お前如きがコリーンを第二夫人になんてできる訳無いだろヘナチョコが。群れの中ならお前なぞ最下位だ!裏切るだぁ?愛していたなら何故コリーンを選ばなかった!お前の軽率な行動で一女性の貴重な時間を無駄にしたんだぞ!!勝手な事ばかり言うのはそれぐらいにしろ!」
「お、お前は一体何なんだ!この野蛮な国の貴族なのか!?無礼にも程がある!」
「ああ…言い忘れていたな。俺はウィンダム。このバムダ王国の第一王子でウィンロードで魔法使い。それとコリーンの現婚約者だ。理解したか小侯爵。無礼なのは、お前の方だ!!」

 ウィンダムはそう叫ぶと拳を握り空へ向かって突き挙げた。その瞬間空の黒い雲が渦を巻き雷鳴が鳴る。ガガン…ガラッゴロロと次第に音が大きくなり雲の中でピカッと光が走る。空気が空に吸い込まれミミルキーの生え替わりで抜けた毛が至る所でふわふわ浮き上がり風と共に雲の中に入っていく。

「先程俺は貴様に決闘を申し込んだな小侯爵。ウィンロードは番を害する者に容赦はしない。嫌だと言っても受けてもらおう。コリーンを…愛していると言うならな」
「そ……そんな…っ」

 バリィ──ッッと轟音が轟き、雲が半分に割れていく。地面がゴゴゴゴ…と地鳴りを起こし震え、あちらこちらでミミルキーの悲鳴のような鳴き声がし、成体も幼体も必死に森の中に走り逃げていく。
 空には…淡く赤い瞳を光らせ尖った牙を剥き出しにした真っ黒で巨大なドラゴンが雲の中から現れていた。

「さあ、決闘だ」
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