虹の樹物語

藤井 樹

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〜52章〜

風前の灯

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 ロキエッタはまだ若い小さな樹に寄りかかり、遠くの方ではしゃぐ子供たちの笑い声を聞いていた。

 彼女が背を預けるその樹は少しばかりのそよ風に気持ち良さそうにその枝をしならせた。

 あいも変わらず子供たちは歓声を上げ騒いでいる。

「子供はいいわね。・・・ね、ルーナ」

 もう返事を返してくれることはない背中越しに、微かな温もりを感じる。

 深いため息をついたロキエッタはたった一人、遠くの空を見据えた。

 アイアスはどうなったのだろうか。

 見上げた空は綺麗に澄み渡り、巨影神の影は微塵もない。

 それでもあの巨大な影がいつ顔を覗かすのか、ロキエッタは気が気ではなかった。

 そんな深刻なことをぼんやりと考えていると、だんだんと子供たちの笑う声が大きくなってきた。

 こっちへ向かってきているのだろうか。

 子供たちに今のルーナの姿を見せるのは酷だろう。

 ロキエッタは深く息を吸い込んでゆっくりと立ち上がった。

 子供たちの笑い声がする方へと足を向ける。何やら面白いものでも見つけたのだろうか。

「すごーい!」などと大喜びである。

 なんだろう。・・・どうせ綺麗な石ころか剣みたいな木の枝でも拾ったのだろう。

 ふっと笑みを溢し視線を上げたロキエッタは見覚えのあるものをその目に捉え唖然とした。

「モケちゃん!」

 木が鬱蒼と生い茂る森の中、木々の微かな隙間から覗く青空にモモンガのモケの姿はあった。

 子供たちはモケのことを見つけていたのだ。

 ゆらゆらと風に漂いながらゆっくりと浮遊する大きなモモンガを見つけた子供たちは、好奇心に揺さぶられ歓声を上げながらモケのことを追いかけている。

 ロキエッタも慌ててモケの流れる方へ駆け出していく。

 すぐに少しばかり木々が開けた場所に出たロキエッタは大声でモケを呼んだ。

「おーい!モケちゃーん!」

 ロキエッタに気がついたのだろうか。モケはゆっくりと高度を下げ始めロキエッタのいる開けた場所へと降りてきた。

 よくよく見るとモケは以前のような気球の形をしておらず、だらりと垂れ下がった足に何かを抱えていた。

 モケはその何かをゆっくりと地面へ下ろすと、弱々しく鳴き声を上げた。

「ソル!」

 慌てて駆け寄ったロキエッタはソルのことを抱き起こし揺すった。

「ソル!大丈夫?」

 うう、と呻き声を上げるソル。うっすらと目を開け呟くように口を開く。

「ロ、ロキエッタ?」

「何があったの?あんた、ボロボロじゃない」

 ソルは薄目を開け弱々しく笑った。

 モケが心配そうに二人の側をゆらゆらと漂っている。

 ソルはロキエッタの腕を借りなんとか身を起こすと深いため息をついた。

「わからない。・・・なんか・・・」

 そう言い終わらないうちにソルは激しく咳き込んだ。背中を優しくさすり咳が治まるのを待ってロキエッタは口を開いた。

「ソル。落ち着いて聞いてね。・・・ルーナが」

 ルーナという言葉を聞いて、ソルはハッとした様子で立ち上がりすぐに歩き出した。が、バランスを崩し地面に激しく倒れ込んでしまう。

「ちょ、ちょっと」

 慌てて駆け寄るロキエッタ。地面に突っ伏しているソルに手を貸しゆっくりと立たせた。

「あんた、大丈夫?」

 間近でよくよく見てみるとソルの体は錆びつき始めており、ところどころ表面が剥がれ落ちている。またその錆は目にまでも侵食しているようで、ざらついた瞳がこちらを見返していた。

 息苦しそうに顔を歪めているソルは弱々しく首を振ると「ルーナは?」と呟いた。

「・・・あっちよ」と小さな樹になってしまったルーナの方を指差した。

 ソルはその方向へと視線を向けぎゅっと目を細めた。サビの浸食のためかあまりよく見えていないのだろうか。

 ロキエッタは黙ってソルの腕を肩に回すと、共にゆっくりと歩き始めた。

 ソルが一歩を踏み出すたびにギシギシと耳障りな音が鳴り響く。それに呼応するかのようにソルの呼吸音もヒューヒューと不快な音を混じらせていた。

 モケはその様子をじっと見守っていたが、やがてフラフラと風に流されてルーナのいる方向とは反対の方向へと流れていった。

 その様子を横目にロキエッタは心の中で安堵のため息をついた。

 子供たちに見られなくてよかった。

 モケを追ってこちらに向かって来ていた子供たちは、宙を漂うモケを取り囲み歓声を上げながら遠ざかっていく。

 だんだんと遠ざかっていく子供たちの笑い声を聞きながらロキエッタは意を決したように口を開いた。

「ソル、落ち着いて聞いて欲しいんだけど・・・」

 ロキエッタは息も絶え絶え歩くソルの方を見て思わず息を呑んだ。

 ソルは今やもう何も見えていない様子で、もう何も聞こえていないようであった。

 ロキエッタに誘われるままに、ルーナのいる方を一心に見据え、ボロボロになった体を引きずりながら歩き続けている。一歩を踏み出すたびに体の表面がポロポロと剥がれ落ちていく。

 その顔は苦痛に歪みながらも強い意志をたたえており、そのあまりの形相にロキエッタはそれ以上何も口にすることができず、ただ黙ってソルを支えることしかできなかった。

 なんということだろうか。

 ソルもまた、死んでしまうのだろうか。・・・ルーナとの再会も果たせぬままに。

 ロキエッタは運命の残酷さというものを始めて自覚した。

 気がつくと、まだ残っていたのかと驚くほどに涙が込み上げてきて、視界がぼやけていく。

 ほんの数十メートル先にルーナはいるというのに、その道のりは果てしなくソルは今にもこと切れそうな程に喘いでいた。

 鼻を突く錆の嫌な匂いに包まれ、ギシギシと軋み続ける音を聞きながらロキエッタは静かにソルの体を支え続けていた。

 やっとの思いでルーナの目の前まで辿り着いた二人。

「ソル」

 ロキエッタはソルの手を取りルーナの樹の幹に添えさせた。

「・・・ルーナよ」

 ソルはルーナの樹の幹に触れて、何かを悟ったかのように静かに膝をついた。

 小刻みに震えながら嗚咽を堪えているようだ。

 まるで抱きしめるかのように優しく、そしてぎこちなく幹に腕を回したソル。

 ロキエッタはその光景をただただ見守ることしかできなかった。

 背後で子供たちの笑い声がこだましている。

 その笑い声は、寂しげな風が吹く森にそっと差し込む木漏れ日のように、暖かかった。
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