虹の樹物語

藤井 樹

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〜51章〜

魔女の憂鬱 その五

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「まったく。嫌になるわ」

 魔女シニコローレは古代遺跡ラールーにいた。

 綺麗に切り揃えられたかのよう美しい岩に背中を預け、遠くの空をぼんやりと眺めている。

 その傍では黒猫のシェズが退屈そうに体を丸め小さな欠伸を繰り返していた。

「意地悪よね、ほんと」

 シニコローレは砂埃にまみれた髪を払い除け、深いため息をつく。

 懐からタバコを一本取り出し口に咥えた魔女であったが、火をつけることはなくただただぼんやりとしている。

〔黄昏ているのか〕

 黒猫がそっと顔を上げ魔女の様子を伺う。

 ふぅっと深いため息をついた魔女はタバコの先にそっと手をかざし火をつけた。

 ふぅっと美味しそうに煙を吹かした魔女は笑った。

「別に。・・・せっかくお節介を焼いてやったっていうのに、砂をかけられてちょっとイラッとしただけ」

 クックックと喉を鳴らし黒猫は笑った。

〔あれは愉快だった〕と、シェズが心の中に語りかけてくる。

 薄めで黒猫を睨みつけた魔女は再び深いため息をつく。

 今日は風が弱い。空に漂う雲は先ほどから同じところに留まり続けている。

 まるで時が止まってしまったかのように、その場所はひんやりと静まり返っていた。

 風がないので吐き出した煙が自身の周りに滞留している。

 魔女はその煙をかき集め鬱陶しそうに空へと放った。

「ニャー」

 黒猫のシェズが何かを見つけたようだ。

 魔女は黒猫の見ている方へと視線を向ける。すると、岩陰からうっすらと人影が浮かび上がった。

 その人影をじっと見つめた魔女は、見覚えのあるその姿に声を上げた。

「あぁ、なんだ。・・・てっきりラールーの亡霊かと思ったわ」

 あはは、と高らかに笑った魔女は咥えていたタバコを丸呑みにし、ゆっくりと立ち上がった。

「久しぶりね、モルぺウス。元気だった?」

 モルぺウスと呼ばれたその男は、真っ白な長い髭をたくわえた口元を微かに動かし、そっと微笑んだ。

 それはまるで今にも顔が崩れ落ちるのを恐れているかのように、ほんの微かな動きに過ぎなかった。

 その老人は目の前でゆっくりと手を動かし静かに頷いた。

「やーね、手話なんて破廉恥な。・・・セクハラよ」

 フンッとつっけんどんにそう言い放ったシニコローレはどかっと大地に腰を下ろしタバコを咥えた。

 静かにその傍に腰を下ろしたモルぺウスは、魔女の咥えるタバコにそっと火をつけた。

 シニコローレは「あら、どうも」と軽く驚いた様子でそう呟き、美味しそうに煙を吹かす。

 モルぺウスはというと、膝に飛び乗ってきた黒猫を無表情で撫でている。

 黒猫はゴロゴロと満足げに喉を鳴らす。

「そう、あなたも。なるほどね・・・お互い大変だったわね。でも、助かったわ。おかげで砂埃を被るだけで済んだんだもの」

 シニコローレはクスクスと乙女のような笑い声を上げ、嬉しそうにタバコを咥える。

 ふぅ、とたっぷりと吐き出されたタバコの煙は二人の目の前をゆっくりと漂う。

「ウル・ファルシ・ジト・ヒゲルジャ」

 ゆらゆらと手を振りながらシニコローレがそう呟くと、滞留するタバコの煙がジリジリと光り始め、すぐに大空の映像が浮かび上がる。

 大空をゆっくりと漂う雲が突如激しく光り始めたかと思うと、地響きのような轟音と共に二つの影が飛び交った。

 その二つの影はまるで磁石のように付いては離れを繰り返し、その度に火花が散り金色の光の粒が辺りに飛散していく。

「まったく。嫌になるわ」

 その光景を眺めていた魔女と老人は互いに深いため息をつき項垂れた。

 イライラとした様子でヒラヒラと手を振りその煙をかき消したシニコローレはすっと立ち上がり、凝り固まった体をほぐすかのように四肢を伸ばした。

 モルぺウスはその様子をじっと座って見つめている。

「ま、もうこれ以上私たちにできることは何もないわ。・・・私はもうほんとに疲れたからさっさと帰って寝るわ」

 じゃあね、とモルペウスに手を振ると振り返ることはせずにゆっくりと歩き始めた。

 老人の膝の上でウトウトと微睡んでいた黒猫はゆっくりと欠伸をすると、仕方なしといった様子でトボトボとその後を追う。

 一人取り残された老人は少しばかり吹き始めた風に髭を靡かせ、ぼんやりと空を見上げていた。

 見上げた空には離れ雲がポツリと一人寂しそうに、それでいてどこか飄々と佇んでいた。
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