虹の樹物語

藤井 樹

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〜44章〜

仮初めの光

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 城は崩落した。

 大地にポッカリと開いた巨大な口に飲み込まれるかのように、その周辺にあった例の鉄の塊も次々と流れ落ちていった。

 そして、復活した。

 轟々と立ち昇る煙と共にゆっくりと起き上がったその巨大な影は、ギシギシと不気味な音を発している。

「もういい。行くぞ」

 フランマはそう言うと不機嫌な様子で歩き出した。

 周りにいる兵士たちにも同じように避難するよう指示をしているようだ。

 その巨大な影はまるで、この世の全ての不幸を見に纏い、己の運命を憂いているかのように鈍くうめき声を上げながら侵攻を始めていた。

 人工神が一歩踏み出すたびに、踏み締められた大地は焼かれ、真っ黒な煙が立ち昇る。

 これが・・・人工神『アイアス』。

 トットはゆっくりと歩き出した人工神の背中を呆然と見つめていた。

 これからこの国の人たちは、遠くから段々と大きくなっていく足音に目を覚ますのだろう。

 そして、気がついた時には巨大な影のその眼に睨まれて、自身の最期を悟るのだろう。

 なんて、残酷なことなのだろうか。

 そして、俺はそれをただ安全なところから見ている。ただ、それだけだ。

「トット!」

 ハッとして振り返ると、兄のフランマが顔を怒らせて自分のことを呼んでいる。

「ここもいつ崩れるのかわかったもんじゃない。早く行くぞ」

 その声に慌ててその場から逃げ出すトット。

 フランマのいるところまで辿り着くと、トットは困ったように声を荒げた。

「に、兄さん。あんなの、まずいんじゃないか?」

 真っ黒な煙を立ち昇らせながら歩く人工神の背中を思い浮かべ、顔を顰めたトットは弱々しくその場にへたり込んでしまった。

 その傍に静かにしゃがむとフランマは労わるようの弟の背中をさすった。

「この星のためだ。お前も知ってるだろう」

「で、でも・・・」

 ふと誰かの気配を感じ、ハッと振り返る二人。

 そこには将軍のディラエが凛とした表情で立っていた。

 こんな前線になぜ、将軍が?

 慌てて立ち上がったトットとフランマは背筋を伸ばし敬礼をする。

「フランマクス・クレド。それに、ウェンティトット・クレド。それはいい、楽にしろ」

 ビシッと敬礼をする二人にうんざりとした様子でそう言ったディラエは、気だるそうに遠くの空を見上げた。

 その目線の先には人工神の恐ろしい背中があった。

「クレド兄弟よ。あれは恐ろしい。お前たちの心に生まれた恐怖や罪悪感、それは間違ったものではない。正直なところ私自身、罪の意識に押し潰されそうだからな」

 ディラエはそう言うと木に背中を預けゆっくりとタバコを咥えた。

 慌てて火をつけようとするフランマをめんどくさそうに手を上げて制したディラエは、ふぅっと真っ白な煙を吐き出し話を続けた。

「あの影はこれからたくさんの植物人間たちを焼き殺すだろう。抵抗する術なんてあるはずもない。残酷な話だ。そして、それを実行したのは我々ソルマルク帝国だ。我々は罪を犯した」

 フランマとトットは口を挟めるわけもなく、ただただディラエの話に耳を傾けている。

 その間にも人工神は着実に悪魔の業火でルナシリスを焼き尽くしている。

 将軍は何を言いたいんだろう。

 トットはごくりと生唾を飲み込んだが、その質問が口を衝くことはなかった。

 その思いを知ってか知らずか、ディラエは次のように続けた。

「しかし、もう二度と争いのない世界を創造するためには仕方のないことだ。我々の犯したこの罪が人類にとっての最後の罪だ」

 ディラエはそう言うと吸い終えたタバコを放り投げ、二人の方へと向き直る。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、二人は身を凍らせた。

 恐ろしく澄んだ、凛とした瞳であった。

「我々人類はいつまで経っても愚かだ。だからこそ、神の支配の下、慎ましく生きるべきであった。しかし、我々は驕り高ぶり神の逆鱗に触れた、見放された民の末裔だ。もう神々が帰ることもないだろう。それならば、仮初めの神であったとしても、あの人工神『アイアス』の下に、慎ましく生きるべきなのであろう」

 さぁ、もう行こう。とまるで弟たちに語りかけるかのように優しい表情を浮かべたディラエは二人の背を押した。

 ぎこちない足取りで船へと引き上げるトットたち。

 背後ではゆっくりと遠ざかっていく巨大な足音が鳴り響き、時折咆哮のようのなものが聞こえてくる。

 トットはグッと歯を食いしばり、何だかよくわからない感情でいっぱいになっていた。

 ようやく船へと辿り着く。フランマはディラエ将軍からたくさんの指示を受け取ったようで、慌ただしく駆け出していった。

 トットは船のデッキにて一人、ただぼんやりと煙混じりの空を見上げていた。

「ウェンティトット」

 ふと、ディラエ将軍がトットの名前を呼んだ。

「は、はい」

 声が上ずりそうになるのを必死に抑えながら、敬礼をするトット。

 そんなトットにディラエはゆっくりと近づくと、優しく肩に手を置いた。

「私も、虹が見てみたかったよ」

 ディラエはそう言って困ったように微笑むと、すぐにいつもの厳しい表情に戻り足早にその場を去っていった。

 一人取り残されたトットは溢れ出る感情に身を任せ、いつまでも動けずにいた。

 夜の存在しない国にゆっくりと影が落ち始める。

 見えるはずのない星に、トットは密かに願いを込めた。
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