虹の樹物語

藤井 樹

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〜42章〜

巨大な影

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「うわぁ、綺麗」

 ルーナは気球の中から顔を覗かせ、眼下に広がる大地を見て感嘆の声を上げていた。

 気球の近くを列を成して漂う鳥の群れが不思議そうにこちらを見ている。

 その隣ではロキエッタが恐る恐ると言った様子で、大地を覗き込んでいた。

 ソルたちを乗せた気球は雲一つない空の中を優雅に漂っていた。

「二人とも無事でよかったよ」

 コーモスが遠くの海の方を見ながらそう呟いた。

「もう少し早く来てくれてもよかったんだけどね」

 バッサリと切られた髪をいじりながらロキエッタが皮肉混じりに返す。

「まぁ、ロキー。あなた似合ってるわよ、短いのも」

 ルーナは特に気にした様子もなく短く切られてしまった髪を風になびかせている。

 切られた直後はさすがにショックが強かったのか、口数が少なく項垂れていたルーナであったが、ソルとの再会にそんなことはどうでも良くなったようだ。

 ロキエッタはふん、と鼻を鳴らしルーナに言った。

「羨ましいわ。乙女の芽が取られちゃったのよ。いいじゃない、恨み節の一つぐらい」

 ロキエッタはしゃがみ込み、はぁっと深いため息をついた。

「それで、フォスニアンってのは?聞いたこともない言葉だけど、結局なんなの?」

 ルーナも思い出したかのようにソルたちを振り返り、期待に満ちた目で覗き込んでくる。

 よっこいしょ、と座り込んだコーモスはソルに目配せした。

 ソルは何かを思い出したかのようにニヤニヤと頷き、それを確認したコーモスもニヤつきながら頷く。そんな二人をロキエッタは不審げに睨みつけた。

 フォスナに連れていかれてから、ルーナたちの救出までに起きた話をかいつまんで説明していくコーモス。

 途中、ルーナたちは「まさか~」とか「ほんとー?」とか疑念の相槌を打ちながらも楽しそうに耳を傾けていた。

「まぁ、ざっとこんなもんだ」

 ゆっくりと立ち上がり外の様子を眺めるコーモス。「おっ!もうこんな来たのか!」と驚きの声を上げている。

「フォスニアンねぇ。夢でも見てたんじゃないの?って言いたいところだけど、モケちゃんに乗ってる時点で、夢ではなさそうね」

 ロキエッタはどこか嬉しそうなそれでいて気難しそうな顔を決め込んでいる。

 ソルは少しだけ気まずそうにロキエッタの方を伺っていた。何か言いたそうな顔をしているが、すぐにそれを飲み込んだようだ。

 すっと立ち上がりコーモスの横へ並び、自分達がどのあたりにいるのかを確認し始めた。

 不器用だなぁソルって。

 ソルのわざとらしい動きに微笑ましくなったルーナは隣にいるロキエッタにそっと耳打ちした。

「おもてなし、楽しみにしてるからね」

 ニヤニヤとするルーナの頬を両手で挟みロキエッタは呆れたように口を開いた。

「私が嘘ついたことある?」

 その言葉に思わず吹き出してしまうルーナ。

「うわ、ちょっと汚い!」

 慌ててルーナの顔を離し、自らの顔を拭うロキエッタ。ルーナはというと「ごめんごめん」と謝りながらも笑いが止まらないようだ。

「もう」と言いながらもロキエッタもだんだんと笑いが止まらなくなる。

 爆笑している二人の少女を尻目にソルはコーモスに尋ねる。

「今更なんだけど、村に戻ったら怒られるよね、きっと」

 ソルのその質問にコーモスはふん、と鼻で笑いあしらうかのように手を振った。

「無事さっさと助けたんだ。文句言われる筋合いはねーよ。それがわからないほど頭の硬い人たちでもないしな。・・・多分だけど」

 困ったように眉根を寄せたコーモスは爆笑を続けるルーナたちを振り返った。

「いつまで笑ってるんだ。まったく、女ってのは笑ってばかりだな」

 ロキエッタと戯れながら笑うルーナはまるで天使のようだ。

 そんなことを思いながら微笑ましく二人を見つめるソル。

 と、突如ルーナが体をガクッと折り、咳き込み始めた。

 慌てて駆け寄ったソルはルーナの背中を優しくさする。

「ルーナ。大丈夫?」

 ゴホゴホっと咳を繰り返すルーナ。前にもこんなことがあった。とソルは思い出す。

 が、長いこと暗闇の中に囚われていたのだ。そもそも体調が良い訳がない。

「牢の中では元気だったんだけど。安心して緊張の糸が切れちゃったのかもね」

 ロキエッタはしっかりとソルの方を見据えそう呟いた。

 彼女の問いかけにソルは曖昧に微笑み、ルーナをゆっくりと横たわらせた。

 身に纏っていた陽光除けの羽織を脱ぎとると、クルクルと丸めあげ枕代わりにルーナの頭の下へと滑り込ませる。

「ありがとう。ちょっと疲れちゃったみたい」

 ルーナは弱々しくそう呟くとすぐに眠りについてしまった。

 その様子を心配そうに見守っていたソルであったが、すぐにロキエッタの方を振り返り遠慮がちに口を開いた。

「君も少し休んだ方がいいよ・・・酷い目にあったんだから」

 ソルは腰に下げた巾着袋を取り外しおずおずと彼女へ差し出す。

「ちょっと硬いかもしれないけど、これ使って」

 ロキエッタは眉根を上げ、ソルのことを凝視した。

 ソルは居心地悪そうにその巾着袋をロキエッタへ押しつけると「お、おやすみ」とさっさと身を翻してしまう。

 不器用な男ね。

 ロキエッタは手渡された巾着袋を床に置き、大人しく横になった。

 静かに目を閉じてみるが、眠気はなく頭の片隅で何かが引っかかっている。その何かが何なのか皆目見当はつかないのだが。

「はぁ」っと近くでソルが溜息を吐くのが聞こえた。

「どうしたんだ?」

 コーモスはコーモスで何か別のことを考えているようだ。そう尋ねる声はどこか上の空だ。

 ソルは再びため息をつき、んんーと体を伸ばした。ボキボキッと関節が鳴る音がする。

「いや、疲れたなぁって」

 ははは、と弱々しく笑ったソルは「あとどれぐらいかな」と呟いた。確かに声に元気がないようだ。

 突如、突風に煽られた気球はガクンっと高度を下げた。

「うわぁっ」

 先ほどよりも風が強くなってきている。山風が吹き付けているのだろうか。

 コーモスは「驚きすぎ」と笑いながらソルをからかう。

「もうジョレスパオラ近くだろ。あのあたりの平原には見覚えがある」

 ・・・もう、うるさいわね。

 ちょっと驚かせてやろうと、ロキエッタはノロノロと起き上がり二人の間に割って入っていった。

「ほんとだ。確かにジョレスパオラね、あのあたり」

 ビクッと体を軽く避けたソルを尻目に、ロキエッタは涼しい顔で遠くを眺めた。

「ね、寝てなくて大丈夫なの?」

 恐る恐ると言った様子でそう尋ねるソルに、ロキエッタは思わず吹き出した。

「あはは、そんなに怖がらないでよ。・・・感謝してるわ、助けてくれて」

 ロキエッタは笑顔でそう伝え、友愛の証を見せてみせた。

 ソルは驚いた様子で目を見開き口をぱくぱくしている。

「あ、ありがとう」

 何とかそう言ったソルは何とも不思議そうな顔をして、遠くの方へと視線を戻した。

「まだ、もう少しかかるぞ。ゆっくりしてたらどうだ?」

 コーモスがさして心配してなさそうな調子で声をかけてくる。

「眠たくないの。それにお二人さんがうるさくてとても寝ていられないわ」

 ソルがすぐに気にしたそぶりを見せる。ロキエッタは「冗談よ」と呆れた様子でそう付け足した。

 何だかおかしいな。とロキエッタは心の中で思わず微笑む。

 隣にいる機械人間はとてもまっすぐで驚くぐらいに生真面目だ。何より、いい人だ。

 ・・・酷いこと言っちゃったな。

 微妙な表情で遠くの方を見つめるソルをそっと盗み見るロキエッタ。

 ソルが村に流れ着いた際にルーナと口論になったロキエッタであったが、きっと自身の放った言葉はこの機械人間にも届いていたことだろう。

 どこかのタイミングでしっかりと謝罪しなくちゃ。

 ロキエッタはひとまず心の中でそっと謝り、ソルに倣って遠くの空を眺めた。

 ん?・・・なにあれ?

 ぼんやりと遠くを見つめていたロキエッタであったが、遠くの方で、恐らくドゥロルパ近郊で黒い煙が立っているのを発見した。

「ねぇ、あれ」

 ソルたちもすぐに気がついたのだろう。身を乗り出さんばかりにその煙の立ち昇る方を覗き込んでいる。

「何だ・・・あれ」

 慌てて双眼鏡を覗き込んだソルは思わずそう漏らした。

 地平線にわずかばかりに登る煙であったが、すぐにその煙は勢いをぐんぐんと増していき、巨大なきのこ雲のように大きくなっていく。

 ソルたちを運んでいるモケが突如巨大な咆哮を上げた。思わず耳を塞ぎ、身をすくませる

ソルたち。

 何が起きているのだろうか。

 穏やかだった空がだんだんと薄暗くかげり、突如突風が吹きつけた。

「きゃあ」

 激しく揺れる気球の縁に何とかしがみつくが、荒れ狂う突風は勢い良く吹き荒れている。

「なにが起きてるんだ」

 ロキエッタの腕をしっかりと掴みながら、コーモスは誰に問うわけでもなくそう叫んだ。 

 轟々と吹き付ける風に、今にも吹き飛ばされてしまいそうだ。

〔しっかり捕まってなさい!〕

 緊張感をはらんだ老々とした声がソルの心の中へと流れ込んでくる。

「みんな伏せて。しっかり捕まって」

 ソルはそう大声で言うと、すぐさまルーナの方へと駆け寄りじっと身を寄せた。

「おい、早く伏せろ」と、コーモスがロキエッタの腕を引っ張る。が、ロキエッタはその場に根が生えたかのように動かない。

「ねぇ。あれ」と、ロキエッタが静かに遠くの方を指差す。

 不審げに眉を顰めたコーモスは双眼鏡を取り出し、ロキエッタの指す方向へと視線を走らせる。

「何だ・・・あれは・・・巨影神・・・?」

 双眼鏡を持った手をだらりと下ろし、呆然とした様子でそう呟くコーモス。

 コーモスの生気を失った声に何かを感じ取ったソルは慌てて気球の縁へと駆け寄った。

 巨大な煙の中で何かが蠢いている。

 ソルは慌てて双眼鏡を取り出し覗き込む。

「えっ!」

 この世のものとは思えない光景に言葉を失った。

 ソルたちが見つめる地平線の彼方には、巨大な煙を切り裂くかのようにして立ち上がった巨大な影がいた。

 二本足で仁王立ちするその巨大な影は、この世のものとは思えぬ幾重にも重なり合った不快な声を発し空気を割った。

「『アイアス』だ・・・」
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