虹の樹物語

藤井 樹

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〜14章〜

古代遺跡 ラールー

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 森を抜け小さな山を一つ超えただろうか。

 目の前にはだだっ広い高原がどこまでも続いている。

 ソルとルーナは今、『アパルト』と呼ばれる高原を目の前に、適当な小岩に腰を下ろし休憩していた。

「だいぶ歩いたわね」

 爽やかな風が吹き抜け、ルーナの髪を撫でる。

 ちぎれた雲がところどころに漂い、大きな鳥が弧を描いて大空を飛んでいる。

 果てしない高原には、大小さまざまな岩が無数に転がっており、どこか神秘的な空気を感じさせる光景だ。

「どこまで続いているの?」

 そうルーナに尋ねると、「すごく長くてすごく短いのよ」と悪戯そうに笑った。

 また始まった。ソルは苦笑いを噛み殺し、「どういうこと?」と尋ねた。

「疑ってるでしょ?ほんとなんだから」

 と口を尖らせながらもどこか楽しそうだ。ルーナ曰く、谷底のテムという村に住む魔女はとても用心深く、周辺一体に結界を張っているのだそうだ。

 敵意のあるものがその谷に近づこうとすると迷子になり、また、幻に惑わされ気が付けば、高原の麓に立ち戻っていたりと、さまざまな魔法によって守られているとのことだった。

 ソルにとって、魔法というものは非科学的で胡散臭いものであったが、それをわざわざ口にすることはせず、黙ってルーナの話を聞いていた。

「まぁそういうわけで、どのくらいで辿り着けるかはソル、あなた次第よ」

 おどろおどろしい雰囲気を保ちながらソルを見据えた。が、すぐに破顔しいつものいたずらっ子の笑顔へと戻った。

(敵意かー。それはないけど、そもそもソルマルク人って時点で警戒されそうなもんだけど。)

 うーん、と考え込むソルを見てルーナは気楽に笑う。

「大丈夫。大丈夫。テムの魔女たちはとってもいい人たちだから」

 そろそろ行きましょう、と立ち上がり思いっきり背伸びをした。

 その様子が、太陽に向かって健やかに伸びる新芽のようで、ソルは心の中でクスッと笑った。

 大地に転がる岩たちを避けつつ歩みを進める二人。

 どれくらい歩いただろうか。歩けど歩けど景色は変わらない。

 やはりソルマルク人は歓迎されないのだろうか。

 そんなことを一人思いながら、とぼとぼとひたすら歩みを進める。

 ルーナの様子を伺うと、特段気にしている様子はなく、いつものようにルンルンと何か鼻歌を歌っていた。

 そんな様子に少しだけ励まされたソルは、気を取り直して前を向いた。

 それからまたしばらく進んだ頃、前方により一層大きな岩が多数転がっているのを発見した。

「あ、遺跡だ」

 あそこで休憩しましょう、と言うとソルの手を引き駆け出した。

 綺麗に切り出された巨大な岩が無数に詰まれている。

 それはまるで何かの儀式を行った後のような、それでいて何処か神聖なものの住処のようにも見えた。

 この一帯だけは気温がグッと下がり、ひんやりとした空気が流れているように思える。

「ここは?」手話で尋ねる。

「古代遺跡ラールー。神様たちのお家なの」

 その神様とやらの家にずかずかと侵入していくと、適当な岩陰に腰を下ろし手招きをした。

「神様、怒らない?」とおどけて尋ねると、「あはは、そんな小さなこと気にする神様がどこにいるのよ」とケラケラ笑った。

「いいから座って」と地面をパンパンと大袈裟に叩く。

 ソルも大袈裟にどかっと座り、背中を預ける。ひんやりとした岩肌が心地よい。

 肩を並べ座り込む二人の間にすぅっと微風が迷い込んだ。

「ここはね、まだ神様がこの星にいた頃、私たちの祖先が神様とお話するときに使っていた場所なの」

 ソルは足元の雑草を指で弾きながら話を聞いていた。

「困ったことがあったりすると、みんなでここに来て神様にお祈りするの。そうすると神様が少しだけ手を貸してくれる。そんな神聖な場所だったのよ」

 神様ってどんな見た目をしているんだろう。

 心の中で村長のフィーニの顔が思い浮かび、思わず笑った。

「どうしたの?一人でニヤニヤして」

 なんでもない、と首を振り、「それで?」と先を促した。

「んー、昔の戦争で神様がいなくなっちゃったから、もうここは使われることがなくなりましたとさ」

 はるか昔の話だけどね。と付け足しそっと笑った。

「ルーナ、神様を信じてる?」

 そう尋ねるとルーナはソルの方に向き直り、「もちろん!」と力強く言った。

「だって、その方が素敵じゃない」

 その方が素敵、か。

 ルーナらしい回答にソルは心に爽やかな風が吹くのを感じた。

 ソルが「そういえば」と質問をしようとした瞬間、ルーナは「あっ」と声を上げ立ち上がり、向かいの岩陰へと走り出していった。

(なんだ?)

 岩陰にしゃがみ込み何やら地面をいじっているルーナ。

 すると程なく満面の笑みを讃え、ルーナが何やら手にして戻ってきた。

「見て!綺麗でしょ」

 ルーナの小さな手にはキラキラと輝く宝石の欠片が転がっていた。

 ソルはそれを手に取り、陽光へと透かす。

 その輝きは確かに美しいが、やはり色味はわからなかった。

 以前にも、漁師のタタリアから宝石を譲り受けたルーナだったが、その時もソルにはその色味がわからなかった。

 自然界のものは共通した色味のはずなのに。

 なぜかルーナの集めている宝石はどれも無色であり、毎回ルーナはそれを眩しそうに見つめるのであった。

「綺麗よね」

 うっとりと天に掲げた宝石を見つめるルーナ。

 今までなんとなくだが、その色味についてルーナに確認することはしなかったが、どうしても気になったソルは思い切ってルーナに尋ねてみることにした。

「この宝石、何色?」

 ソルの問いにルーナは首を傾げた。

「ん?なに?ごめん、わからないわ。葉枯紙に書いて」

 手話が間違っていたのだろうか。色ってどうやって表現するんだっけ?

 仕方なくソルは葉枯紙を取り出し、同じように質問をした。

 それを覗き込んだルーナは綺麗な目をまん丸とし、不思議な表情でこう言った。

「色って何?」

 えっ、とソルは驚く。またふざけているのだろうか。

 ルーナの顔を見ると、申し訳なさそうに微笑みながらソルの顔を窺っている。

「この宝石は多分トルマリンよ」

 ソルの手から宝石を受け取り、腰に下げた小袋へと大切そうにしまい込む。

(色を知らない⁉︎)

 慌ててもう一枚葉枯紙を引っ張り出す。

 少しだけ考えて次のように書き殴った。

「空、何色?」

 それを見たルーナはまたしても困ったように眉を寄せた。

「ソル、色がなんなのかわからないわ」

 ふざけているようではないそうだ。

 ルーナの表情は本当に困惑している様子だ。

(僕たちソルマルク人が色を識別できなくなったのと同じように、ルナシリス人は色っていう概念を失ったのか。)

 それならば、とソルは先ほどの質問の下に、「虹って知ってる?」と書いた。

 それを見たルーナは、「あぁ」とすっきりした様子で笑った。

「それは知ってる。いつも集めてるじゃない」

 と、先ほど拾った宝石の欠片を取り出してソルに差し出した。

 無言でそれを受け取ると、ルーナは微笑みながら言った。

「虹の欠片よ」

 ソルはますます混乱した。

 宝石は虹なのか。

 ってことはやはりルーナにはこの宝石の、なんと言ったっけ、あぁそうだトルマリンだ。トルマリンって宝石の色を認識していることになる、のか?

 でも、それだけで色を認識しているとは限らないよな。

 じっとトルマリンの欠片を見つめ、考え込む様子のソルを見てルーナが恐る恐る声をかけてきた。

「ソル、大丈夫?どうしたの?」

 ハッと気がついたソルは曖昧に笑顔を返し、そっとトルマリンの欠片をルーナへと返した。

 それを受け取り、怪訝な表情でソルの顔を覗き込む。

 ソルはひと言(正確にはひと書き)「なんでもない」と告げ、笑った。

「そう」と腑に落ちない様子なルーナだったが、それ以上は何も聞いてはこなかった。

「それなら、そろそろ行きましょうか」

 そう言って二人は再び歩き出そうとした。

 すると、いつの間にか二人のそばに一匹の獣が忍び寄っていた。

 オオカミだろうか。それにしても何処か様子がおかしい。

 しゅんわりと煙のようなものを纏っているように見える。

 それはまるで、亡霊だ。

「あら、何かしら」

 ソルが止める間も無く、ルーナがゆっくりと近づいていく。

 突如その亡霊は大きな声で鳴いた。その鳴き声はこの世のものとは思えないような鳴き声であった。

 ビクッと後ずさったルーナの足先にその亡霊が飛びかかってくる。思わず尻餅をついたルーナは恐怖に動けないでいるようだ。

 ソルは慌てて飛び出すと、その亡霊を蹴りつける。

 ぐにゃっとした感覚と共に、足がめり込む。その亡霊は警戒しほんの少しだけ後ずさって唸り声を上げた。その口元からは霧のようなものが荒い息づかいに合わせて流れ出ている。

 ソルは恐怖に悲鳴をあげそうになったが、そこは乙女の前だ。なんとかその恐怖を飲み込むと、ルーナを立たせ手を引き走り出した。

「なんなのあれ。見たことないわ」

 全速力で走りながらチラチラと後ろを振り返る。

 すぐに気を取り直した様子で、その不可解な亡霊は後を追いかけてきている。

 このままではすぐにでも追いつかれてしまうだろう。

 どうしよう、と辺りを見回すと大きな鹿に乗った植物人間が走っているのが見えた。

 声が出せないソルは、その人を指差しルーナへと知らせた。

「おーい!」

 ルーナがすぐに大声を上げ、その植物人間へと助けを求める。

 すぐにルーナの声が届いたのか、その植物人間は踵を返しこちらへと突進してきた。

 二人をまっすぐに飛び越し、背後に迫っていた謎の亡霊へと勇敢に立ち向かっていく。

「コーモスだわ!」

 ルーナは背後を振り返りながらそう叫ぶ。

 コーモス。あの村の若者か。

 初めてコーモスと出会ったときのことを思い出し、顔をしかめた。

 その時の彼の不信感を、嫌というほど思い出したからだ。

 後ろを振り返ると、コーモスは謎の亡霊と対峙していた。

 手に持っていた細長い棍棒でひと叩き、が空振りに終わる。

 さっと飛び退いた獣の亡霊は牙を剥き出し唸り声をあげ、今にも飛びかかろうとしている。

 二人は岩陰へと身を潜め、その様子を見守る。

「大丈夫かな?」

 心の恐怖を見透かされないよう慎重にそう尋ねる。

「大丈夫よ。フロンスマーレの男は勇敢だもの。コーモスなら尚更よ」

 不安げながらもキッパリとそう言い切ったルーナ、「コーモス、頑張ってー!」と声を張り上げた。

 ソルはコーモスと亡霊との攻防を息を潜め見守った。

 亡霊はコーモスの乗る大鹿の足に食らいついてきた。が、それを察知していたのか、悠々と身を交わし反撃に転じる。

 コーモスは手に持っていた棍棒をその亡霊めがけて思いっきり投げつけた。

 それは見事首元へ、ぐにゃりと突き刺さった。

「やったぁ!」と岩陰から飛び出すルーナ。ソルも思わず歓声をあげそれに続く。

「止まれ!」

 コーモスはこちらを振り向くことなく、大きな声で二人を制した。

 ビクンビクンとその獣の亡霊は脈打つように震えている。その足元からは最初に見た時よりも多くの煙のようなものが溢れ出している。

「呪われている」

 コーモスは慎重に近づいていくと、脇差から小刀を抜いた。

 シュッと空を切る音と共に、その獣の亡霊の首が地面に転がる。

 首を落とされた亡霊は、シューと音を立てながら煙となって消えていった。

「コーモス!ありがとう、助かったわ」

 怒った肩の力がやっと抜け、二人を振り返るコーモス。

「ルーナ。それと、ソル」

 コーモスはなるべくソルの方を見ないようにしているように思える。

「森が騒がしいって村長が言うから、様子を見に来たんだ。そしたらなんだあれは。あんなものは見たことがない」

 コーモスはサッと小刀についた血を払うと、それをまた脇差へと戻した。

「わからないわ。山犬のように見えたけど」

「何か良くないことが起こる前兆だって村長は言ってたが。まぁどうであれ無事でよかった」

「助かったわ」とルーナが微笑む。

 ソルも勇気を出して、「ありがとう」と手話を送った。

 それを見たコーモスは黙って頷き、「ここで何してるんだ?」とルーナに尋ねた。

「テムに行くの。ソルの体の不調について、何かわからないか、って」

「あの魔女たちにわざわざ会いに行くのか」

 怪訝そうに眉をひそめたコーモスは、ソルに向かって「体調が良くないのか?」とぶっきらぼうに尋ねてきた。

 ほとんど初めてといっていいコーモスからの呼びかけに、少しだけ嬉しくなったソルは静かに頷いた。

 冗談のつもりで自分のこめかみを指差し、くるくると回して見せた。

 果たしてコーモスに通じるだろうか。

 コーモスは顔をしかめたままソルのその様子を見ていたが、やがてふっと苦笑いをこぼし、「気をつけてな」と言った。

 今度は確かに笑った。ように思える。

 ソルは嬉しさを隠すことなくにやっと笑顔を投げかけた。

 コーモスに別れを告げた二人は再び歩き出した。

 ラールーまで辿り着けば、あとの道のりはわずか、とのことだ。

 ソルはコーモスと多少なりとも通じ合えたことを嬉しく思い、その足取りはより一層軽やかなものになっていた。

 それからしばらく歩いていくと、やがて谷底の入り口へと辿り着いた。

 顔を見合わせる二人。

「さぁ、行くわよ」

 ソルは静かに頷き、目の前に細長く伸びる谷底の道を見据えた。
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