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〜7章〜
熱帯夜
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「それじゃ、行ってきます」
大きな犬を引き連れ、少女が家を出る。今日も日差しは強く、照りつける陽光により、蜃気楼が発生していた。そっと吹く潮風はほんの少しの慰めにしかならない。それでも、その少女は颯爽とその髪をなびかせ歩いている。愛犬の方はというと、行ったり来たり、思うままに散策をしながらも、決してその少女から大きく離れることはなかった。
歩き慣れた道を少し行くとやがて地面が真っ白な砂に変わり、すぐに前方に見慣れた集落が見えてきた。
そこは『フロンスマーレ』と呼ばれる村であり、人々は巨大な珊瑚礁の上で独自の生活を営んでいる。
村の入り口あたりでは火が焚かれ、モクモクと煙が立ち上っている。その火を囲むように何人かの男たちが居座り談笑していた。その中の一人の老人が少女のことを見つけると、
「おー、ルーナ。今日は何を言い渡されたんじゃ?」と優しく声をかけた。
ルーナと呼ばれたその少女は、愛犬と共にその老人へと駆け寄り、笑顔で答えた。
「フィーニおじさん、元気?母さんから木の実を集めてくるように言われたの」
そうかそうか、と嬉しそうに微笑みながら、フィーニと呼ばれた老人はルーナの愛犬の頭を撫でた。
「お前たち、気をつけて行くんだよ」
「大丈夫、もう慣れっこ。それにジェインもいるしね」
ジェインと呼ばれた犬は、誇らしげに一声上げ、静かにルーナの横に座った。
「そういえば、ロキエッタが探してたぞ」
「あら、ロキーが?何だろう。後で寄ってみる」
フィーニに別れを告げ、広場の方へと向かう。広場には、ルーナの家と同じく、大きな広葉樹を用いた家が立ち並んでいる。決して大きな集落ではないが、漁業に林業、それに農業が盛んで、小さいながらも活気に溢れていた。
「ダルア、ロキー知らない?」
長さの整えられた木を磨いている男に声を掛ける。ダルアと呼ばれた男は顔を上げ答えた。
「やぁルーナ。ロキエッタか。さっき見かけたけど、今はどこかわからんな」
「わかった、ありがとう」
「多分その辺にいるはずだよ」
ダルアはそう言うと、手元に視線を戻し再び木を磨き始めた。ルーナはひとまずロキエッタの家まで行くことにした。
勝手口から顔を覗かせ、家の中へ声を投げかける。
「おばさん、こんにちは。ルーナよ。ロキーはいるかしら?」
調理場で何やら作業をしていたロキエッタの母親が顔を上げる。
「あら、ルーナ」
声をかけられた彼女は嬉しそうに手を拭い、ルーナの方へと歩いてきた。
「ロキー?さぁどこかしらねぇ。多分その辺をぶらぶらしてるでしょ」
ロキエッタの母親はそう言うと、ちょっとお待ち、と何やらガサガサと戸棚を漁り始めた。やがて、お目当てのものを見つけると、ルーナを手招きしその手に包みを手渡した。
「これからまた家の手伝いだろう?これ、途中でお食べ」
手渡された包みの中を除くとそこには『ジョイア』で作られた焼き菓子が詰まっていた。
「まぁ、ありがとう。おばさんのお菓子、いつも絶品よ」
ロキエッタの母親は満足げに頷き、気をつけてね、と微笑んだ。
ルーナは、またね、と手を振り再び村中を回ることにした。が、結局、その後も何軒か回ったが、ロキエッタを見つけることができず、ルーナは仕方なく母親に頼まれた木の実の収集を先に済ませることにした。
村をひとたび離れると、先ほどまでの活気は消え失せ代わりに風の音が優しく響く。森へ入ると、大きな木々に陽光は遮られ、ひんやりと心地の良い風が頬をくすぐる。ジェインは尻尾をブンブン振りながら、あちらこちらに鼻を擦り寄せている。
獣道を少し行くと、ふわふわと蝶々が飛んでいた。
「まぁ可愛い」
ジェインがその蝶々をはたき落とそうとするのをいなし、ルーナはその蝶々に導かれるままに歩いた。
そのまま少し行くと、開けた場所に出た。そこには二匹の鹿がおり、地面の草を食んでいる。体の大きさから見て、親子のようだ。
「鹿がいるってことは、近いわね」
その鹿はすぐにルーナたちに気がつき、ゆっくりと近づいてくる。ルーナはそっとお辞儀をし、ゆっくりと手を差し出す。親鹿がルーナの目の前まで来ると、静かにルーナの掌に鼻を寄せ、匂いを嗅いだ。害はないと判断したのだろう、鹿は自身の頭を差し出された手に押し付け、撫でさせた。
「綺麗ね、あなた」
うっとりと鹿の頭を撫で呟く。ジェインは子鹿と匂いを嗅ぎ合っている。
「喧嘩しちゃダメよ」
ジェインは不思議そうにルーナを見上げたが、すぐに子鹿へと視線を戻し戯れていた。
やがて、撫でられることに飽きたのか、鹿たちはゆっくりと森の奥へと消えていった。
「さて、そろそろ私たちも行かなきゃ」
ルーナはそう言うと、鹿たちの行った道とは別の獣道を選び進んだ。そして、すぐにお目当ての『ルパの実』のなる木を見つけた。
「ジェイン。ここ。手伝って」
ソロリルと呼ばれる木の枝を加えていたジェインは、ルーナの方を振り返るとその枝を食いちぎりルーナの方へと持ってきた。
「それは後でね。今はいいから。ほら早く離して」
ルーナはそう言うと、ルパの木の根元に近づき枝を揺する。すると、パラパラと木の実が降ってきた。降り注ぐ木の実に興奮したのか、くるくると回りながら吠えるジェイン。
「もうジェインったら。あなたの方が力があるんだから少しは手伝ってよね」
彼女は地面に落ちた『ルパの実』を集め、ジェインの背中に取り付けた鞍袋へと収める。その後も何本かの木を揺すり、『ルパの実』でパンパンになった鞍袋を満足げに眺めたルーナは、
「少しだけ寄り道に付き合ってね」とジェインに言った。
ジェインは嬉しそうに吠え、背中の荷物の重さは何のその、颯爽と歩き始めた。
ルーナには、木の実の収集を終えた後に立ち寄る、お気に入りの場所があるのだ。
森を歩くこと数分、すぐに地面が岩肌に変わり、また段々と湿気が濃くなっていく。また、遠くの方から轟々と水が流れ落ちる音が聞こえてくる。ルーナたちは一気に獣道を駆け上がり、目的の場所へと出た。
そこには、岩壁から流れ落ちる滝があった。滝壺の水は澄んでおり、底の方まで見通せるぐらいだ。底には巨大な珊瑚礁があり、魚たちが泳いでいるのが見える。
ルーナはその滝壺の周りを散策し、地面に落ちている珊瑚や貝殻の欠片を拾い集める。
その中にはうっすらと輝く宝石の欠片も混じっていた。
「今日はついてるわ。ほら見て、こんなに綺麗なのがたくさん」
両手一杯に広げた成果物を嬉しそうに見せるルーナ。ジェインは匂いを嗅ぎ、自分には関係ない、といった様子で辺りの散策へと興味を戻していった。
「花より団子ね」
ルーナは笑いながらジェインを追いかけ、鞍袋へと成果物を押し込めた。そんなルーナをジェインが不満そうに見上げる。
ジェインの頭を撫で優しく撫でると、「あと少し!」と言って、滝の脇の坂道を駆け出した。
ジェインも歓喜の声を上げ、走り出す。
急な坂道を一気に駆け上ると滝の上に出た。そこは開けた小高い丘のようになっており、海から村まで一望できる、ルーナのお気に入りの場所だ。
二人は地面に座り、ゆっくりと海を眺めた。陽光を遮る木々はないので多少暑いが、海から吹く潮風が心地よく、ゆったりとした時間が流れる。
ロキエッタの母親からもらった『ジョイア』の焼き菓子を取り出し、ジェインへと差し出す。ジェインは嬉しそうにかぶりつき、ものの数秒で平らげてしまった。
「ちゃんと味わって食べなきゃだめよ」笑いながらもう一つ差し出した。
ルーナもひと齧り。甘じょっぱく香ばしいその焼き菓子は、ささやかな労働の疲れを癒すのに十分であった。
一通り平らげると、二人はぼーっと景色を眺めた。
澄み渡る遠くの空で、鳥たちが空を泳いでいる。
しばらくその鳥たちを眺めていると、水平線の先に一つの小さな影が現れた。
「あ、帰ってきた!」
ルーナは目を輝かせ、その小さな影を見つめた。『フロンスマーレ』の漁船だ。
「ジェイン、帰ろう!」
ルーナは立ち上がり、颯爽と駆け出した。ルーナの後を追うようにジェインも駆け出す。
「今日はどんなお宝が引っかかってるのかしら。楽しみだわ」
漁船は食糧用の魚を主に引き揚げてくるが、その中には時折、宝石が混じることがある。ルーナはそれを少しだけ分けてもらう代わりに、荷下ろしの手伝いをするのだ。
「急がなきゃ」
期待を胸に、ルーナは歩みを早めた。
「はぁはぁ」
森から一思いに走ってきたルーナの肺は、酸素を求め喘いでいた。ルーナを心配してか、ジェインはルーナの手を舐めている。
「ルーナ、そんなに息を切らしてどうしたんだ」
村の青年コーモスが通りがかり、膝に手をつきうなだれているルーナに声をかけた。
彼は村の戦士隊の一人で、歳はルーナの三つほど上だ。頼り甲斐のある性格で村の人たちからの信頼も厚い若人だ。
「あぁ、コーモス。船が、着いたから、早く、手伝わないと」
息も絶え絶えかろうじてそう伝えると、最後の力を振り絞ってルーナは再び走り出した。
「お、おい」
背後のコーモスの声が遠ざかっていく。
桟橋の船を目指し一目散に駆けて行った。
「ルーナ、どうしたんだ、そんなに慌てて」
恰幅の良い漁師が近づいてきて、ルーナの背中をさすりながら笑った。
村の浜辺にかかる桟橋には、大きな漁船が停泊していた。漁を終えた漁船だ。何人もの男たちが、木箱を抱えて船を降りていく。いつもの通り今日も大漁のようだ。
「はぁはぁ。まだ、全部、終わってないでしょ?手伝わせて」
ルーナは整わない息を何とか押し込め、背中をさする漁師を見つめた。
「いつものアレだろ。ちゃんと取っといてあるから安心しな」
漁師は笑いながら船へと入っていく。ルーナは、息も絶え絶えその漁師の後に続く。
甲板に登ると、ほら、と漁師が小さな木箱を差し出してきた。その小さな木箱を覗くと、中には貝のかけらやら小さな真珠などが入っていた。量はさして多くないが、今日のはどれも綺麗で上質に思えた。
「わぁ、ありがとう、タタリアおじさん」
ルーナはそう言うと、その漁師に抱きついた。
お目当ての宝石の欠片はなかったが、立派な真珠を手にしたルーナは大満足であった。
タタリアと呼ばれたその漁師はにこやかに頷き、「今日は手伝いは不要だ」と付け足した。後を着いてきたジェインは、何段にも積まれた木箱の匂いを嗅いでいる。
「せっかくこんなにたくさんくれたのに、なんだか申し訳ないわ」
何かできることはないか、とタタリアに尋ねたが、彼は手を振ってやんわりと断った。船上を練り歩くジェインを視界の端に捕らえ、邪魔だからこっちに来なさい、と呼びつける。
「そういえば、今朝家を出るときのことだが、ロキーがお前さんに会いたがってたぞ」
タタリアは船員に指示を出しながらも、ルーナにそう伝えた。
「フィーニおじさんにも言われたわ。村中探したけど、見当たらなかったのよね」
んー、っと考え込む様子のルーナにタタリアは、
「また浜辺でも散歩してるんじゃないか?全くうちの娘はふらふらとしてばっかりだ」
娘のことでボヤくその様は、何だかんだ言って子煩悩を思わせる。その微笑ましい様子を見て、ルーナは微笑んだ。
「今日もありがとう。家に帰る前に少し浜辺を歩いてみるわね」
「あぁ、気をつけて行けよ。・・・そういえば、最近この辺りで海賊を見たって噂を聞いたから、怪しげな船が沖に見えたらすぐに家に帰ること、いいな?」
『海賊』という言葉にルーナの目は一瞬にして輝いた。
「海賊?もしかして、あの『ヴィヴィリアン』?」
好奇心溢れるまだ幼い瞳を見てタタリアは深いため息をついた。
「あのなぁ。そんな悪党に興味を持つなんて関心しないな。海賊は女子供だろうと容赦はしないんだ。それがあの残忍なヴィヴィリアン海賊ならなおのこと。最近じゃ陸の上でも盗賊行為を行ってるって話だ。それにヴィヴィリアンは腕っぷしもさることながら魔法の方も達者で、変な妖術や魔獣を自ら作り出してるって噂だ。・・・とにかく変なのとは関わらないことに限る。いいな、変に興味なんて持たないで、よくよく気をつけること!」
そう言うと、彼は船員へと激しく檄を飛ばし、仕事へと戻っていった。
ルーナたちは船から降り、(もらった貝殻たちはもちろんジェインの鞍袋へ。ジェインはまたもや不満げにルーナを見上げた。)浜辺を散策することにした。
(海賊かー。一度でいいからこの目で見てみたいものだわ。)
タタリアの忠告なんてなんのその。
ルーナはそんなことを思いながらトボトボと海岸沿いを歩いていく。
しかし、歩けど歩けど人っ子一人おらず、代わり映えのない景色が続くのみだった。
「あと少しだけ歩いてみて、帰ろっか」
ジェインは軽く唸ったが、それでもゆっくりとルーナの後を着いてくる。
それからしばらく歩いた頃、浜辺に小さな黒い影が佇むのを見つけた。どうみてもロキエッタではないが、好奇心をくすぐられたルーナは小走りにその黒い影に近づいていった。
ジェインは疲れたのか、とぼとぼと歩くのみだ。
段々とその黒い影が大きくなるにつれ、自身の鼓動の高鳴りが強くなっていく。
「海藻かしら?それにしては大きい」
独り言を言いながら、ルーナはその打ち上げられた黒い影へと辿り着いた。
「えっ、何だろう。これ」
大きな犬を引き連れ、少女が家を出る。今日も日差しは強く、照りつける陽光により、蜃気楼が発生していた。そっと吹く潮風はほんの少しの慰めにしかならない。それでも、その少女は颯爽とその髪をなびかせ歩いている。愛犬の方はというと、行ったり来たり、思うままに散策をしながらも、決してその少女から大きく離れることはなかった。
歩き慣れた道を少し行くとやがて地面が真っ白な砂に変わり、すぐに前方に見慣れた集落が見えてきた。
そこは『フロンスマーレ』と呼ばれる村であり、人々は巨大な珊瑚礁の上で独自の生活を営んでいる。
村の入り口あたりでは火が焚かれ、モクモクと煙が立ち上っている。その火を囲むように何人かの男たちが居座り談笑していた。その中の一人の老人が少女のことを見つけると、
「おー、ルーナ。今日は何を言い渡されたんじゃ?」と優しく声をかけた。
ルーナと呼ばれたその少女は、愛犬と共にその老人へと駆け寄り、笑顔で答えた。
「フィーニおじさん、元気?母さんから木の実を集めてくるように言われたの」
そうかそうか、と嬉しそうに微笑みながら、フィーニと呼ばれた老人はルーナの愛犬の頭を撫でた。
「お前たち、気をつけて行くんだよ」
「大丈夫、もう慣れっこ。それにジェインもいるしね」
ジェインと呼ばれた犬は、誇らしげに一声上げ、静かにルーナの横に座った。
「そういえば、ロキエッタが探してたぞ」
「あら、ロキーが?何だろう。後で寄ってみる」
フィーニに別れを告げ、広場の方へと向かう。広場には、ルーナの家と同じく、大きな広葉樹を用いた家が立ち並んでいる。決して大きな集落ではないが、漁業に林業、それに農業が盛んで、小さいながらも活気に溢れていた。
「ダルア、ロキー知らない?」
長さの整えられた木を磨いている男に声を掛ける。ダルアと呼ばれた男は顔を上げ答えた。
「やぁルーナ。ロキエッタか。さっき見かけたけど、今はどこかわからんな」
「わかった、ありがとう」
「多分その辺にいるはずだよ」
ダルアはそう言うと、手元に視線を戻し再び木を磨き始めた。ルーナはひとまずロキエッタの家まで行くことにした。
勝手口から顔を覗かせ、家の中へ声を投げかける。
「おばさん、こんにちは。ルーナよ。ロキーはいるかしら?」
調理場で何やら作業をしていたロキエッタの母親が顔を上げる。
「あら、ルーナ」
声をかけられた彼女は嬉しそうに手を拭い、ルーナの方へと歩いてきた。
「ロキー?さぁどこかしらねぇ。多分その辺をぶらぶらしてるでしょ」
ロキエッタの母親はそう言うと、ちょっとお待ち、と何やらガサガサと戸棚を漁り始めた。やがて、お目当てのものを見つけると、ルーナを手招きしその手に包みを手渡した。
「これからまた家の手伝いだろう?これ、途中でお食べ」
手渡された包みの中を除くとそこには『ジョイア』で作られた焼き菓子が詰まっていた。
「まぁ、ありがとう。おばさんのお菓子、いつも絶品よ」
ロキエッタの母親は満足げに頷き、気をつけてね、と微笑んだ。
ルーナは、またね、と手を振り再び村中を回ることにした。が、結局、その後も何軒か回ったが、ロキエッタを見つけることができず、ルーナは仕方なく母親に頼まれた木の実の収集を先に済ませることにした。
村をひとたび離れると、先ほどまでの活気は消え失せ代わりに風の音が優しく響く。森へ入ると、大きな木々に陽光は遮られ、ひんやりと心地の良い風が頬をくすぐる。ジェインは尻尾をブンブン振りながら、あちらこちらに鼻を擦り寄せている。
獣道を少し行くと、ふわふわと蝶々が飛んでいた。
「まぁ可愛い」
ジェインがその蝶々をはたき落とそうとするのをいなし、ルーナはその蝶々に導かれるままに歩いた。
そのまま少し行くと、開けた場所に出た。そこには二匹の鹿がおり、地面の草を食んでいる。体の大きさから見て、親子のようだ。
「鹿がいるってことは、近いわね」
その鹿はすぐにルーナたちに気がつき、ゆっくりと近づいてくる。ルーナはそっとお辞儀をし、ゆっくりと手を差し出す。親鹿がルーナの目の前まで来ると、静かにルーナの掌に鼻を寄せ、匂いを嗅いだ。害はないと判断したのだろう、鹿は自身の頭を差し出された手に押し付け、撫でさせた。
「綺麗ね、あなた」
うっとりと鹿の頭を撫で呟く。ジェインは子鹿と匂いを嗅ぎ合っている。
「喧嘩しちゃダメよ」
ジェインは不思議そうにルーナを見上げたが、すぐに子鹿へと視線を戻し戯れていた。
やがて、撫でられることに飽きたのか、鹿たちはゆっくりと森の奥へと消えていった。
「さて、そろそろ私たちも行かなきゃ」
ルーナはそう言うと、鹿たちの行った道とは別の獣道を選び進んだ。そして、すぐにお目当ての『ルパの実』のなる木を見つけた。
「ジェイン。ここ。手伝って」
ソロリルと呼ばれる木の枝を加えていたジェインは、ルーナの方を振り返るとその枝を食いちぎりルーナの方へと持ってきた。
「それは後でね。今はいいから。ほら早く離して」
ルーナはそう言うと、ルパの木の根元に近づき枝を揺する。すると、パラパラと木の実が降ってきた。降り注ぐ木の実に興奮したのか、くるくると回りながら吠えるジェイン。
「もうジェインったら。あなたの方が力があるんだから少しは手伝ってよね」
彼女は地面に落ちた『ルパの実』を集め、ジェインの背中に取り付けた鞍袋へと収める。その後も何本かの木を揺すり、『ルパの実』でパンパンになった鞍袋を満足げに眺めたルーナは、
「少しだけ寄り道に付き合ってね」とジェインに言った。
ジェインは嬉しそうに吠え、背中の荷物の重さは何のその、颯爽と歩き始めた。
ルーナには、木の実の収集を終えた後に立ち寄る、お気に入りの場所があるのだ。
森を歩くこと数分、すぐに地面が岩肌に変わり、また段々と湿気が濃くなっていく。また、遠くの方から轟々と水が流れ落ちる音が聞こえてくる。ルーナたちは一気に獣道を駆け上がり、目的の場所へと出た。
そこには、岩壁から流れ落ちる滝があった。滝壺の水は澄んでおり、底の方まで見通せるぐらいだ。底には巨大な珊瑚礁があり、魚たちが泳いでいるのが見える。
ルーナはその滝壺の周りを散策し、地面に落ちている珊瑚や貝殻の欠片を拾い集める。
その中にはうっすらと輝く宝石の欠片も混じっていた。
「今日はついてるわ。ほら見て、こんなに綺麗なのがたくさん」
両手一杯に広げた成果物を嬉しそうに見せるルーナ。ジェインは匂いを嗅ぎ、自分には関係ない、といった様子で辺りの散策へと興味を戻していった。
「花より団子ね」
ルーナは笑いながらジェインを追いかけ、鞍袋へと成果物を押し込めた。そんなルーナをジェインが不満そうに見上げる。
ジェインの頭を撫で優しく撫でると、「あと少し!」と言って、滝の脇の坂道を駆け出した。
ジェインも歓喜の声を上げ、走り出す。
急な坂道を一気に駆け上ると滝の上に出た。そこは開けた小高い丘のようになっており、海から村まで一望できる、ルーナのお気に入りの場所だ。
二人は地面に座り、ゆっくりと海を眺めた。陽光を遮る木々はないので多少暑いが、海から吹く潮風が心地よく、ゆったりとした時間が流れる。
ロキエッタの母親からもらった『ジョイア』の焼き菓子を取り出し、ジェインへと差し出す。ジェインは嬉しそうにかぶりつき、ものの数秒で平らげてしまった。
「ちゃんと味わって食べなきゃだめよ」笑いながらもう一つ差し出した。
ルーナもひと齧り。甘じょっぱく香ばしいその焼き菓子は、ささやかな労働の疲れを癒すのに十分であった。
一通り平らげると、二人はぼーっと景色を眺めた。
澄み渡る遠くの空で、鳥たちが空を泳いでいる。
しばらくその鳥たちを眺めていると、水平線の先に一つの小さな影が現れた。
「あ、帰ってきた!」
ルーナは目を輝かせ、その小さな影を見つめた。『フロンスマーレ』の漁船だ。
「ジェイン、帰ろう!」
ルーナは立ち上がり、颯爽と駆け出した。ルーナの後を追うようにジェインも駆け出す。
「今日はどんなお宝が引っかかってるのかしら。楽しみだわ」
漁船は食糧用の魚を主に引き揚げてくるが、その中には時折、宝石が混じることがある。ルーナはそれを少しだけ分けてもらう代わりに、荷下ろしの手伝いをするのだ。
「急がなきゃ」
期待を胸に、ルーナは歩みを早めた。
「はぁはぁ」
森から一思いに走ってきたルーナの肺は、酸素を求め喘いでいた。ルーナを心配してか、ジェインはルーナの手を舐めている。
「ルーナ、そんなに息を切らしてどうしたんだ」
村の青年コーモスが通りがかり、膝に手をつきうなだれているルーナに声をかけた。
彼は村の戦士隊の一人で、歳はルーナの三つほど上だ。頼り甲斐のある性格で村の人たちからの信頼も厚い若人だ。
「あぁ、コーモス。船が、着いたから、早く、手伝わないと」
息も絶え絶えかろうじてそう伝えると、最後の力を振り絞ってルーナは再び走り出した。
「お、おい」
背後のコーモスの声が遠ざかっていく。
桟橋の船を目指し一目散に駆けて行った。
「ルーナ、どうしたんだ、そんなに慌てて」
恰幅の良い漁師が近づいてきて、ルーナの背中をさすりながら笑った。
村の浜辺にかかる桟橋には、大きな漁船が停泊していた。漁を終えた漁船だ。何人もの男たちが、木箱を抱えて船を降りていく。いつもの通り今日も大漁のようだ。
「はぁはぁ。まだ、全部、終わってないでしょ?手伝わせて」
ルーナは整わない息を何とか押し込め、背中をさする漁師を見つめた。
「いつものアレだろ。ちゃんと取っといてあるから安心しな」
漁師は笑いながら船へと入っていく。ルーナは、息も絶え絶えその漁師の後に続く。
甲板に登ると、ほら、と漁師が小さな木箱を差し出してきた。その小さな木箱を覗くと、中には貝のかけらやら小さな真珠などが入っていた。量はさして多くないが、今日のはどれも綺麗で上質に思えた。
「わぁ、ありがとう、タタリアおじさん」
ルーナはそう言うと、その漁師に抱きついた。
お目当ての宝石の欠片はなかったが、立派な真珠を手にしたルーナは大満足であった。
タタリアと呼ばれたその漁師はにこやかに頷き、「今日は手伝いは不要だ」と付け足した。後を着いてきたジェインは、何段にも積まれた木箱の匂いを嗅いでいる。
「せっかくこんなにたくさんくれたのに、なんだか申し訳ないわ」
何かできることはないか、とタタリアに尋ねたが、彼は手を振ってやんわりと断った。船上を練り歩くジェインを視界の端に捕らえ、邪魔だからこっちに来なさい、と呼びつける。
「そういえば、今朝家を出るときのことだが、ロキーがお前さんに会いたがってたぞ」
タタリアは船員に指示を出しながらも、ルーナにそう伝えた。
「フィーニおじさんにも言われたわ。村中探したけど、見当たらなかったのよね」
んー、っと考え込む様子のルーナにタタリアは、
「また浜辺でも散歩してるんじゃないか?全くうちの娘はふらふらとしてばっかりだ」
娘のことでボヤくその様は、何だかんだ言って子煩悩を思わせる。その微笑ましい様子を見て、ルーナは微笑んだ。
「今日もありがとう。家に帰る前に少し浜辺を歩いてみるわね」
「あぁ、気をつけて行けよ。・・・そういえば、最近この辺りで海賊を見たって噂を聞いたから、怪しげな船が沖に見えたらすぐに家に帰ること、いいな?」
『海賊』という言葉にルーナの目は一瞬にして輝いた。
「海賊?もしかして、あの『ヴィヴィリアン』?」
好奇心溢れるまだ幼い瞳を見てタタリアは深いため息をついた。
「あのなぁ。そんな悪党に興味を持つなんて関心しないな。海賊は女子供だろうと容赦はしないんだ。それがあの残忍なヴィヴィリアン海賊ならなおのこと。最近じゃ陸の上でも盗賊行為を行ってるって話だ。それにヴィヴィリアンは腕っぷしもさることながら魔法の方も達者で、変な妖術や魔獣を自ら作り出してるって噂だ。・・・とにかく変なのとは関わらないことに限る。いいな、変に興味なんて持たないで、よくよく気をつけること!」
そう言うと、彼は船員へと激しく檄を飛ばし、仕事へと戻っていった。
ルーナたちは船から降り、(もらった貝殻たちはもちろんジェインの鞍袋へ。ジェインはまたもや不満げにルーナを見上げた。)浜辺を散策することにした。
(海賊かー。一度でいいからこの目で見てみたいものだわ。)
タタリアの忠告なんてなんのその。
ルーナはそんなことを思いながらトボトボと海岸沿いを歩いていく。
しかし、歩けど歩けど人っ子一人おらず、代わり映えのない景色が続くのみだった。
「あと少しだけ歩いてみて、帰ろっか」
ジェインは軽く唸ったが、それでもゆっくりとルーナの後を着いてくる。
それからしばらく歩いた頃、浜辺に小さな黒い影が佇むのを見つけた。どうみてもロキエッタではないが、好奇心をくすぐられたルーナは小走りにその黒い影に近づいていった。
ジェインは疲れたのか、とぼとぼと歩くのみだ。
段々とその黒い影が大きくなるにつれ、自身の鼓動の高鳴りが強くなっていく。
「海藻かしら?それにしては大きい」
独り言を言いながら、ルーナはその打ち上げられた黒い影へと辿り着いた。
「えっ、何だろう。これ」
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悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」 第一部
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と言うことで書き始めましたが、どうしようかなあ。
まだ書き始めたばかりで、この先どうなるかわかりません。
私が書くと、どうしてもホラーっぽくなっちゃうんですよね。
なんとかなりませんか?
題名とかいろいろ模索中です。
なかなかしっくりした題名を思いつきません。
気分次第でやめちゃうかもです。
その時はごめんなさい。
更新、不定期です。
悪役令嬢エリザベート物語
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⭐️第16回 ファンタジー小説大賞参加中です。応援してくれると嬉しいです

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。
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※エブリスタさんでも投稿しています
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