虹の樹物語

藤井 樹

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〜3章〜

無垢の夢

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「ソル、お前『虹』って知ってるか?」

 ん~、と伸びをしながらトットは訪ねた。

 授業が終わり、教室内の生徒たちは各々帰り支度を始めている。

「いや、聞いたことない」

 トットは意地の悪い笑顔を浮かべながら、そうか、と呟いた。

 一人、また一人と教室内から生徒が帰っていく。

「何なの、その『虹』って?」

 ぼんやりする頭を振り、ソルは鞄を背負った。窓の外へ目を向けると、先ほどと変わらず、満点の星空と三日月が、窓という名の額縁を飾っている。

 ソルたちは放課後の喧騒鳴り響く教室を後にした。

「伝説とか、ファンタジーものが好きな割に、肝心なことは知らないんだな」

「そんなこと言われても、知らないものは知らないさ」

 ガヤガヤと何人もの生徒たちが、ソルたちの脇を行き交う。

「おぉ、お疲れ!」

 友達の多いトットはすれ違った生徒に声をかけた。肩を叩き合ったりなんかしている。

 そして、友達の少ないソルはその都度首をすくめる。

 で、何なの?と尋ねるとトットは、

「何ていうか、色の集合体?みたいなもんだな」と、珍しく曖昧に答えた。

 トットもあまり詳しくはないんだろう。微妙な表情が張り付いていた。
「集合体ってどんなものなの?」
「いや、ただ聞いたことがあるだけ。お前なら詳しいんじゃないかなって思ったんだけど」
 ここ寄ろうぜ、と学校のすぐ目の前にある、昔ながらの喫茶店に立ち寄る二人。トタン張りのその店は、放課後の生徒たちの憩いの場となっている。
 答えのない物事に対し、あーでもないこーでもない、と議論を行うのが好きな二人もまた、よくこの喫茶店を利用するのだ。
「コーヒー、二つ、『黒電』で」
 席に着くなりトットが言った。はいよ。と小太りのマスターが無表情で答えた。
 マスターがカウンターの奥に入るのを見届けると、トットは教員の声色を真似、
「さて、それでは君に、これを授けよう」
 と得意げな顔で言った。そこには古めかしい本があった。

「お待たせしました」

 無表情のマスターが配膳を済ませ、再びカウンターの奥へと引っ込む。

 目の前置かれた黒い液体はピリピリと流電している。

 ソルが机に視線を戻すと、そこには随分と年季の入った本が置かれていた。

 どうぞご覧あれ、と言わんばかりにトットはその本を両手で差した。

「神々と人を繋ぐ虹橋」

 本を手に取り題名を口にする。トットは満足げに、面白そうだろ、と目を輝かせた。

「なるほど、これは今日の宿題にも役立ちそうだぞ」

 パラパラと、しかし本が古いため、慎重にその本をめくる。

 その本には、ソルマルク、ルナシリス、そして神々。その三つ巴の争いについての記述から始まり、おおよそ本日の授業で教員が話した伝説の話と同じようなことが書いてあった。

「これ、読んだの?」と、ソルが尋ねる。

「ん、読んだ。で、『虹』ってやつに興味を持ったわけだ」

 コーヒーを啜りながらトットは、貸せ、とソルの手から本を取り上げ、付箋の挟まったページをいくつかめくった。勉強熱心なトットは気になる点がたくさんあったのだろう。お目当てのページに辿り着くまでに、少し時間がかかった。

「あぁ、あった。これね、『虹』。あと、ここにも」

 と、『虹』と表記される表現が集中しているページをソルへと差し出した。ソルはそのページにささっと目を通す。

「んー、なるほど。タイトルに繋がってるわけだね。『神々は虹を渡る』って書いてある」

 ソルの返答に、トットは最もらしく頷き、こう続けた。

「つまり、俺たち人類が共通の色の認識ができなくなったのは、こういうことだと思う」

 人差し指をピンと立ち上げた。トットが真剣に議論を行うときの癖だ。

 この仕草を見ると、ソルはいつもワクワクする。

「怒った神様が放った『無の光』によって、色彩にバグが発生した。そして、『虹』ってやつが発生することがなくなってしまった。で、『神々は虹を渡る』ってあるから、これは『虹』がない世界には、神様は来られないってことだと思う。『虹橋』っていうくらいだし」

 なるほどねー、とソルはコーヒーを啜った。

「で、どう思う?」とトットは期待に目を輝かせて訪ねる。

「まぁつまり僕達は、神様に見放された民ってことだね」

 静かにコーヒーカップを机に置き、ソルは再度パラパラとページをめくった。

「ここにある、『神々は慈悲ゆえ人々に罰を与え、光を奪った。』っていうのは、これは『無の光』ってやつで、僕たちは色彩の共有ができなくなったって理屈なんだろうね」

「そういうことだろうな。この本が言うには、だけど」

 トットはコーヒーを飲もうとして、すでに飲み切ったことを察し、そっと机に戻した。

「まぁ今日先生が言ってたおとぎ話と、ほとんど書いてあることは同じだから、先生もこれから引用したんだろうけどな」

 窓の外に目を移しながら、トットは一言、虹、見てみたいな、と呟いた。

「どんな感じなんだろうね。『大空に浮かぶ七色に輝く大きな橋の如く』だって」

 ソルもぼんやりと窓の外に目を向け、はたと気がついた。

「『虹』ってさ、陽光が大気中の水分に反射して現れるってあったよね?」

「そうらしいな」

 トットが怪訝そうに頷く。

「ってことはさ、つまりソルマルクだと暗すぎて見えないんじゃない?あるのは月の光だけじゃん?ほら、ここってずっと夜だし」

 ソルは外へと視線を移し、ネオンに輝く街並みを指差した。

「随分明るく見えるけどな」と、トット。

「それは全て人工光だからだよ。先生が言ってたじゃん。人工物に関しては色彩のばらつきがあるって」

 ソルは自身のアイデアに興奮し、身を乗り出した。

「つまり、自然光が強い環境下にあれば、『虹』の確認ができるんじゃないかな?」

 んんー、とトットが唸る。しばらく考えた後、こう答えた。

「試してみるか?」


 その日の夜、ソルとトットは身の回りにある反射性のあるものを片っ端からかき集め、郊外にある大地を埋め尽くす氷がまだ剥き出しの小高い丘へと集合した。

 そこは『時の止まる丘』と呼ばれている。

 なぜ『時が止まる』のかというと、それはカップルたちが星空をキラキラと反射させる氷の大地にいつまでも見惚れてしまう、ということからそう呼ばれるようになったらしい。

 ソルにとってはひとまずのところ、縁のないことである。

「持ってきたな」

 雲一つない星空の下、二人の若人が野心に燃え、集った。

 星の煌めきを反射した氷の大地が二人のシルエットをぼんやりと浮かび上がらせる。

「どのくらいの光を集めたら良いのかわからないけど、とりあえず早速やってみようぜ」

 トットはウキウキしながら、持ってきた反射物を足元へ広げた。家の壁から剥がしてきたトタンや、小型の手鏡など、いわゆるガラクタのようなものばかりだ。

 二人の真上に大きな三日月が輝き、二人の足元に影を落としている。二人の試みのはおあつらえ向きの天候であった。

 二人は光を一箇所に集めるために、家から持ち出したガラクタを並べ始めた。

「ここに反射させよう」

 トットの方を見ると、彼は真っ白なカンバスを立てていた。

 二人は黙々と光の反射角を確認しながら、反射物を設置していく。

 星の悪戯か、設置した反射物が風に揺られ、いくつかが崩れた。

「あぁ、ちくしょう」トットがぶつくさと文句を垂れている。

「我慢我慢」

 ソルは笑いながら、崩れた足元のガラクタたちを再度並べる。

 一時間ほど経った頃、ようやく全てのガラクタが歪ながらも地面に設置された。

 強い光を反射するカンバスは、まるで魔法陣を描くかのように大きな丸い光を放っている。

「さて、準備は整った」

 トットが大袈裟に両手を広げ、演説を始めるかのようにその魔法陣の中へと足を踏み入れた。

「神様に会ったら、何話すか決めておけよ」

 ニヤニヤと、興奮を隠しきれないトットはゴソゴソと自身の鞄を漁っている。

「なんか緊張するなぁ」

「興奮、の間違いだろ?」

 さぁ、始めよう。とトットが水の入った小瓶をソルへと投げやった。

 魔法陣の中に立ち向かい合う二人は、静かに頷き合う。

「せーの!」

 天に打ち上げられた水が、月明かりに照らされキラキラと降り注いでくる。

 興奮のあまり、二人にはその光景がスローモーションに見えた。

 二人は、ついに虹が見える、と期待を胸にじっとその時を待った。

 だだっ広い丘の上に風がそっと吹き付ける。

 しばしの沈黙。

「何も起きないね」

 二人の築いた魔法陣には何の変化もないようだ。

「いや、まだだ。そう簡単には出ないことはわかってるさ」

 トットは、まだあと三本ある、と言い小瓶をもう一本取り出した。

「もう一回やってみよう」

 再度、トットは水を大空へと振り上げた。

 結局、最後の一本を放っても何も起きず、やがて風に吹かれたガラクタたちは、徐々にその牙城を崩していった。
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