73 / 74
73.侵入者
しおりを挟む
テオドールとガンザー伯爵は帰って行った。というより、いつまで入り浸っているんですかと看護師に叱られて追い出された。
この病院が特別なのか、病院というもの全般がそうなのかは分からないが、上位貴族でも容赦なく叱責されているのが新鮮だ。
そして気づけばすでに夕暮れ時で、私は病室の窓からぼんやりと外を眺めていた。
私は平凡で、卑怯で、俗な人間だ。
旧ユリシーズ領で今も苦しむ民を放っておいて、テオドールの元へ走ることも考えたぐらいには。
ガンザー伯爵夫妻に全て丸投げしちゃおうかなとも思ったし、王妃殿下のお望みを叶えるという形でしばらく首席侍女を務め、いつか結婚が決まれば退職して家庭に入るのも良いなと思った。
自分の幸せのためにそうしてしまおうかと本気で考えたが、やはりそれは出来なかった。
なぜなら、自分のことばかりを優先したところで幸せにはなれないと悟ってしまったからだ。
自分の望みや幸せのためなら他人が苦しんでも良い、大きな目的の為に犠牲が出るのは仕方ない、そう考えた人たちの末路がどうなるか。
人を傷つけ、不幸にした人は、自分もその十字架を背負うことになる。現にアンジェリッテは、私に襲いかかったことで自分の人生を大きく狂わせた。あの子があれほど自己中心的でなく、身の丈にあった生活に満足できるような子だったら、きっと幸せに暮らせたのに。
悪いことはするものではない。私は身に染みてそう感じた。仮に法で裁かれるようなことはでなくても、人の道に背くような行為をしたらいつかバチが当たりそうな気がするし、もしそれがなくても後ろ暗い気持ちで生きていくのは嫌だ。
私はいつだってお天道様に堂々と顔を向けられる自分でありたい。自分のことも、周囲の人のことも、どちらも大切にできる人間でありたい。せっかく一命を取り留めたのだから、今後の人生を今まで以上に大切に生きたい。
そう考えると、ガンザー家の養女になり、両親がしでかしたことの後始末をつけるべきだと思った。私の責任ではないのかもしれないが、逃げるのは民に顔向けができないし、自分だって後味が悪い。ある程度復興が進んだら、その時はまた自分の幸せを追求しよう。
この選択は正しいと思える。その自信はある。でも。
「テオドールと一緒にいたいよー…」
しかし、現実問題それは不可能だった。せめてガンザー領と辺境がもう少し近ければ、遠距離恋愛を提案したかもしれない。しかし、移動だけで数日かかってしまうほどの距離はさすがに遠すぎる。第一、結婚という未来が見えないのにお付き合いするのは気が進まない。
もちろん結婚が全てではないのは分かる。だが、今更テオドールと気軽なお付き合いなどできない。そうするには私はあの人を愛しすぎている。出来ることなら独占したいし、死ぬまで添い遂げたい。我ながら非常に重い愛情を抱えているのだ。
そんなことを考えているうちに陽はとっぷりと暮れ、夕食が運ばれてきた。と言っても、今日はまだ体の負担にならないよう、とろりとしたポタージュのようなものだけだ。しかしそれすらもほとんど食べられない。胃がすっかり縮んでしまっている上に胸もいっぱいで、全然入っていかないのだ。
「大丈夫ですよ、少しずつ食べられるようになれば良いんですから」
看護師さんは慰めるように優しくそう言ってくれ、食後に飲む薬と痛み止めの薬を渡してくれた。
「明日は色々と検査を受けていただくことになります。もし夜の間に気分が悪くなったりなどありましたら、このベルを鳴らして呼んでくださいね」
私はありがたくベルを受け取った。こうして医療が受けられるというのはありがたい。入院費がどれくらいの額になるのかというのが心配だったが、給金はそれほど使わずに貯めてあるのできっと大丈夫だろう。
そして私はまた部屋に一人になった。そして明かりが消された後も、全然寝られなかった。ずっと寝ていたので当然と言えば当然ではあるが、考え事をやめようとしても全然やめられない。水面に浮かぶ泡のように、消えたと思っても次から次へと生まれては浮かび上がってくる。
考えすぎて息苦しくなってきたため、私は外の空気を吸いたくなった。怪我している左腕を動かすと激しく痛むので、そろりそろりとベットから降りる。キャスターのついた点滴スタンドを注意して押しながら、私は窓際まで移動した。
窓を少し開け、ひんやりとした空気を吸い込む。何気なく下を向いた時、私はびっくりして思わず息を呑んだ。
何者かがヤモリのように壁を登って来ていた。
この病院が特別なのか、病院というもの全般がそうなのかは分からないが、上位貴族でも容赦なく叱責されているのが新鮮だ。
そして気づけばすでに夕暮れ時で、私は病室の窓からぼんやりと外を眺めていた。
私は平凡で、卑怯で、俗な人間だ。
旧ユリシーズ領で今も苦しむ民を放っておいて、テオドールの元へ走ることも考えたぐらいには。
ガンザー伯爵夫妻に全て丸投げしちゃおうかなとも思ったし、王妃殿下のお望みを叶えるという形でしばらく首席侍女を務め、いつか結婚が決まれば退職して家庭に入るのも良いなと思った。
自分の幸せのためにそうしてしまおうかと本気で考えたが、やはりそれは出来なかった。
なぜなら、自分のことばかりを優先したところで幸せにはなれないと悟ってしまったからだ。
自分の望みや幸せのためなら他人が苦しんでも良い、大きな目的の為に犠牲が出るのは仕方ない、そう考えた人たちの末路がどうなるか。
人を傷つけ、不幸にした人は、自分もその十字架を背負うことになる。現にアンジェリッテは、私に襲いかかったことで自分の人生を大きく狂わせた。あの子があれほど自己中心的でなく、身の丈にあった生活に満足できるような子だったら、きっと幸せに暮らせたのに。
悪いことはするものではない。私は身に染みてそう感じた。仮に法で裁かれるようなことはでなくても、人の道に背くような行為をしたらいつかバチが当たりそうな気がするし、もしそれがなくても後ろ暗い気持ちで生きていくのは嫌だ。
私はいつだってお天道様に堂々と顔を向けられる自分でありたい。自分のことも、周囲の人のことも、どちらも大切にできる人間でありたい。せっかく一命を取り留めたのだから、今後の人生を今まで以上に大切に生きたい。
そう考えると、ガンザー家の養女になり、両親がしでかしたことの後始末をつけるべきだと思った。私の責任ではないのかもしれないが、逃げるのは民に顔向けができないし、自分だって後味が悪い。ある程度復興が進んだら、その時はまた自分の幸せを追求しよう。
この選択は正しいと思える。その自信はある。でも。
「テオドールと一緒にいたいよー…」
しかし、現実問題それは不可能だった。せめてガンザー領と辺境がもう少し近ければ、遠距離恋愛を提案したかもしれない。しかし、移動だけで数日かかってしまうほどの距離はさすがに遠すぎる。第一、結婚という未来が見えないのにお付き合いするのは気が進まない。
もちろん結婚が全てではないのは分かる。だが、今更テオドールと気軽なお付き合いなどできない。そうするには私はあの人を愛しすぎている。出来ることなら独占したいし、死ぬまで添い遂げたい。我ながら非常に重い愛情を抱えているのだ。
そんなことを考えているうちに陽はとっぷりと暮れ、夕食が運ばれてきた。と言っても、今日はまだ体の負担にならないよう、とろりとしたポタージュのようなものだけだ。しかしそれすらもほとんど食べられない。胃がすっかり縮んでしまっている上に胸もいっぱいで、全然入っていかないのだ。
「大丈夫ですよ、少しずつ食べられるようになれば良いんですから」
看護師さんは慰めるように優しくそう言ってくれ、食後に飲む薬と痛み止めの薬を渡してくれた。
「明日は色々と検査を受けていただくことになります。もし夜の間に気分が悪くなったりなどありましたら、このベルを鳴らして呼んでくださいね」
私はありがたくベルを受け取った。こうして医療が受けられるというのはありがたい。入院費がどれくらいの額になるのかというのが心配だったが、給金はそれほど使わずに貯めてあるのできっと大丈夫だろう。
そして私はまた部屋に一人になった。そして明かりが消された後も、全然寝られなかった。ずっと寝ていたので当然と言えば当然ではあるが、考え事をやめようとしても全然やめられない。水面に浮かぶ泡のように、消えたと思っても次から次へと生まれては浮かび上がってくる。
考えすぎて息苦しくなってきたため、私は外の空気を吸いたくなった。怪我している左腕を動かすと激しく痛むので、そろりそろりとベットから降りる。キャスターのついた点滴スタンドを注意して押しながら、私は窓際まで移動した。
窓を少し開け、ひんやりとした空気を吸い込む。何気なく下を向いた時、私はびっくりして思わず息を呑んだ。
何者かがヤモリのように壁を登って来ていた。
471
あなたにおすすめの小説
夫に相手にされない侯爵夫人ですが、記憶を失ったので人生やり直します。
MIRICO
恋愛
第二章【記憶を失った侯爵夫人ですが、夫と人生やり直します。】完結です。
記憶を失った私は侯爵夫人だった。しかし、旦那様とは不仲でほとんど話すこともなく、パーティに連れて行かれたのは結婚して数回ほど。それを聞いても何も思い出せないので、とりあえず記憶を失ったことは旦那様に内緒にしておいた。
旦那様は美形で凛とした顔の見目の良い方。けれどお城に泊まってばかりで、お屋敷にいてもほとんど顔を合わせない。いいんですよ、その間私は自由にできますから。
屋敷の生活は楽しく旦那様がいなくても何の問題もなかったけれど、ある日突然パーティに同伴することに。
旦那様が「わたし」をどう思っているのか、記憶を失った私にはどうでもいい。けれど、旦那様のお相手たちがやけに私に噛み付いてくる。
記憶がないのだから、私は旦那様のことはどうでもいいのよ?
それなのに、旦那様までもが私にかまってくる。旦那様は一体何がしたいのかしら…?
小説家になろう様に掲載済みです。
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです
MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。
しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。
フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。
クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。
ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。
番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。
ご感想ありがとうございます!!
誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。
小説家になろう様に掲載済みです。
悪役令嬢は推し活中〜殿下。貴方には興味がございませんのでご自由に〜
みおな
恋愛
公爵家令嬢のルーナ・フィオレンサは、輝く銀色の髪に、夜空に浮かぶ月のような金色を帯びた銀の瞳をした美しい少女だ。
当然のことながら王族との婚約が打診されるが、ルーナは首を縦に振らない。
どうやら彼女には、別に想い人がいるようで・・・
【完結済】破棄とか面倒じゃないですか、ですので婚約拒否でお願いします
紫
恋愛
水不足に喘ぐ貧困侯爵家の次女エリルシアは、父親からの手紙で王都に向かう。
王子の婚約者選定に関して、白羽の矢が立ったのだが、どうやらその王子には恋人がいる…らしい?
つまりエリルシアが悪役令嬢ポジなのか!?
そんな役どころなんて御免被りたいが、王サマからの提案が魅力的過ぎて、王宮滞在を了承してしまう。
報酬に目が眩んだエリルシアだが、無事王宮を脱出出来るのか。
王子サマと恋人(もしかしてヒロイン?)の未来はどうなるのか。
2025年10月06日、初HOTランキング入りです! 本当にありがとうございます!!(2位だなんて……いやいや、ありえないと言うか…本気で夢でも見ているのではないでしょーか……)
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
※小説家になろう様にも掲載させていただいています。
※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。
※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。
※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。
※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。
※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。
※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。
※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。
ねーさん
恋愛
あ、私、悪役令嬢だ。
クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。
気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…
悪役令嬢?いま忙しいので後でやります
みおな
恋愛
転生したその世界は、かつて自分がゲームクリエーターとして作成した乙女ゲームの世界だった!
しかも、すべての愛を詰め込んだヒロインではなく、悪役令嬢?
私はヒロイン推しなんです。悪役令嬢?忙しいので、後にしてください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる