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先輩への恩返し

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 高校に入ってから、しばらくの間は部活にも入らずにだらだら過ごしていた。特に運動をやっていたわけでもなく、また同じ中学から進学した友達もいない。日々を過ごしながらも、青春を持て余す日々を送っていた。

 この学校に少し変わった美術部があるらしいという話を聞いたのは夏休みの前ごろだっただろうか。入学当初の部活紹介では見た覚えがない。気になって調べてみると、美術部と言っても、部員は一年上の女子の先輩一人しかいないようだった。顧問もいないので実質愛好会のようなものだ。むしろ、一人だけなので「会」ですらないのかも知れない。

 どうやら放課後の美術室は誰も使わないので、黙認のような形で成り立っているとのことだ。少し興味を持ったので、僕はドアを叩いてみることにした。

「いらっしゃい。入部希望なの?」
「え……?」

 美術室に入るやいなや、スケッチブックを手にした女子に声をかけられた。切りそろえられたショートヘアで、長い前髪が目にかからないようにヘアピンで額を出していたのが印象的だ。上履きの色からすると二年生の先輩のようだ。彼女は僕を一瞬だけ見ると、再びモデルの石膏像に目を移して、僕と目線を合わせることなく話しかけてきた。

「君はどうして美術部に入ろうと思ったの?」

 困惑する僕を気にすることなく質問を浴びせてくる。まるで、僕が入部するのが確定事項であるかのように。

「えーと、漫画とかアニメが好きで、自分でも描ければ楽しいだろうって思ったんですよね」

 とりあえず正直に答えることにした。美術部に興味を持った理由としては本音である。

「いいわね。私も漫画は大好きよ。でも漫画風のイラストを描く場合でも基礎ができていないとね」

 そういうわけで、なし崩し的に入部することになってしまった。それからというもの、美術の基礎がまるでできていなかった僕に、先輩は厳しくも親身になって教えてくれた。デッサンの基本、パースの取り方、色の重ね方など、様々なことを教わった。

 内容自体は中学の美術で習った覚えのあるものも多いのだが、ろくに身についていなかったようだ。やる気のなさそうな美術教師と、直接指導してくれる先輩とでは身につき方が段違いである。

 ***

「先輩、僕の指導だけじゃなくて描きたいものを描いてもいいんですよ」
「いいの。こうやって人に教えることで自分の基本も見つめ直すことができるしね」

 放課後の美術室に二人きりで、僕のために指導してくれる先輩。恋心を抱くのは当然だったが、関係性が変わるのが嫌で口には出せなかった。

「静物には慣れたみたいね。次は人物を描いてみましょうか」
「人物っていいますと、モデルは?」
「お互いに、絵を描いている姿をモデルにするのよ」

 そうして、僕たちは向かい合って座り、お互いを描き始めた。絵のモデルのためとはいえ、先輩をまじまじと見ることが許されるのは嬉しい。

 ただ、先輩は絵を描く時に前屈みになる癖があり、そのたびにセーラー服の胸元から下着が見えてしまう。しかし、それを絵にしてしまうのは恥ずかしかったし、先輩に怒られるかも知れないので、曖昧に黒塗りで誤魔化してしまった。

「ねえ、服の中が黒く塗られているのはなぜかしら」

 出来上がった絵を見た先輩は僕の誤魔化しに目敏く気づいた。

「えーと、何かまずかったですか」
「とぼけないで。君から見た場合、服の中にも光が差して中は見えるはずよね」
「さすがにそれを描くのはまずいかと思いまして……」
「これは真面目な美術なのよ。ちゃんと見えたまま描きなさい」

 それからというもの、僕は先輩の下着を気兼ねなく描くようになった。今回のように屈んだポーズをわざわざ描くことは滅多にないとはいえ、夏服になってからは半袖の脇から見えることが多くなった。

 ***

「今日は天気がいいから外で描くわよ」

 学校の裏手には川があり、そこの土手は絶好の写生場所だった。

「私はここに決めたわ」

 先輩は川向いにある工場が見えるポイントに狙いを定め、鞄を椅子代わりにして土手の斜面に腰掛けた。下側にいる僕からはスカートの中が丸見えなのだが、まったく気にしていない。

 ここで先輩を意識して移動したりするとまた何かを言われそうなので、僕は一度決めたポイントに腰を据えることにした。僕も土手を背にしているので、先輩の方を見ることはないはずだ。

「ねえ、緑の絵の具を切らしちゃったんだけど分けてくれる?」
「あ、はい!」

 振り返るたびに先輩のスカートの中が嫌でも目に入ってしまう。普段は黙って絵を描くことが多い先輩だが、今日は妙に声をかけてくる気がする。もしかしてスカートの中身を僕に見せつけたいのかな、と思ったが、考え過ぎだろう。

 思わせぶりな先輩の行動に振り回されつつも、僕たちの関係は変わらなかった。真面目に絵を書き続けたので、月日を重ねるごとに次第に画力が上達していくのを感じる。

 ***

 そして、矢のように時は流れ、二年生の三学期が訪れた。この春で先輩は卒業する。

「しばらくぶりの部室ねえ」
「お久しぶりです。受験お疲れ様でした」

 受験勉強のため、秋頃から部活にほとんど顔を出さなくなっていた先輩が久しぶりに帰ってきた。

「結局、最後まで部員は二人だけだったわね」
「いいんですよ、先輩と二人で絵を描くの楽しかったですし」

 何度か友達を誘おうと思ったこともあったが、二人だけの関係が崩れてしまうのが嫌で、結局声をかけることはなかった。もしかすると先輩も同じ気持ちだったのかも知れない。

「ふふ、ありがと」

部屋の壁には先輩や僕が描いた絵が何枚も飾られている。どの一枚にも思い出があった。

「久しぶりに先輩を描かせてもらっていいですか」
「ええ、私も君を描きたいわ」

 先輩は普通の大学に進学する。絵はあくまでも趣味で、進学後も続けるかはわからないという。こうやって先輩と向き合って絵を描くのはこれが最後になるかも知れない。

 一段落つくと、先輩は一冊のスケッチブックを僕に手渡した。

「これは君が来る前に卒業した、私の2つ上の先輩が描いたものなんだけどね」
「へえ、上手ですねえ」

 スケッチブックには知らない女子の名前が書かれていた。失礼だが、中の絵は先輩よりも格段に上手だった。

「この前久しぶりに会ったんだけど、今年短大を卒業したらプロのイラストレーターになるという話よ」
「すごいじゃないですか! 先輩も目指してみたらどうですか?」
「無理よ私には。それより、もっとページめくってみて」

 先輩に促されて、スケッチブックのページをめくる。

「あ、これが高一のころの先輩なんですね」

 今とは違うロングヘアのお下げ髪をしている。かわいい。当時の先輩の姿がもっと見たくて、僕はさらにページをめくる。

「先輩、これって……!」

 僕は言葉を失った。そこに描かれていたのは後ろ向きとは言え裸の上半身だった。

「女同士だったからね。本当は人物デッサンはヌードから始めるのが一番なのよ。体の構造もわかるし」
「そりゃそうかも知れませんけれど……」

 先輩の背中に僕は釘付けになっていた。分けられた髪の間から覗くうなじ、肩甲骨、そしてうっすらと浮き出た背筋……。

「他の絵も御覧なさい」

 背中が描かれたということは、次にあるのは……僕は震える手でページをめくる。期待通り、今度は胸がはっきり見える角度からだった。

「綺麗でしょ?」

 恥ずかしげもなく先輩は言い放つ。さらにページをめくると、今度は正面からの全身図。しっかりとアンダーヘアも描かれている。大好きな先輩の裸を立て続けに見せられて、僕は頭の中が真っ白になっていた。

「これを君に渡したってことは、わかるわよね?」
「……」

 僕は言葉を返せなかった。

「君にも私のヌードを描いてほしいの。嫌とは言わせないわよ」
「は、はい。むしろ喜んで描きます! 未熟な僕の腕で良ければ!!」

 改めて先輩の口からそう言われたので、僕は全力で答えた。

「とりあえず今日はもう遅いから、月曜からはじめましょうか。そのスケッチブックは参考として貸してあげるわ」

 つまり、家で好きなだけ先輩の裸を見ることが許されるのか!

「私はこれから大学について先生と相談することがあるから、先に帰っていいわよ」

 興奮する僕を察したのか、先輩はそう言って美術室を後にした。

 僕は全力疾走で家に帰ると、先輩のヌードデッサンを使って精が枯れ果てるまで自慰に耽った。大先輩が真面目に描いた絵を、そして先輩をこんな目で見ることは強い背徳感があったが、余計に興奮させる要因でもあった。

 さすがに土日になると落ち着いて、冷静に絵を見られるようになった。そして練習と保存を兼ねて、ヌードデッサンの模写を始めた。今までは漫画のタッチで裸のイラストを描いたことはあったが、それとはまったく違うものだと感じた。そして性的関心だけでなく、純粋に絵の題材として先輩のヌードを描けるということに関心を持った。

 ***

「準備はできたかしら」

 月曜の放課後、僕たちは先輩の部屋にいた。家には誰もいないようだ。僕はここに来るのも初めてなのにも関わらず、今からここで先輩が裸になる。覚悟を決めてきたとはいえ、未だに現実感が薄かった。

「はい、僕の方はいつでも」

 画板とスケッチブック、鉛筆を構えて僕は答えた。

「それじゃ、始めるわよ」

 その言葉とともに、先輩は制服を脱ぎ始めた。まずはセーラー服の上着から。正面のジッパーを下ろして袖を抜き取ると、制汗スプレーの甘い香りがふわっと漂う。ブラは付けていないようだ。僕の目の前でキャミソールを脱ぐと、2年前のスケッチとあまり変わらない2つの膨らみが露わになった。

「全部脱いで構わないわよね?」

 胸に見とれている僕に向かって平気でそう言い放った。最初は上半身のみかと思ったが、いきなりオールヌードになってくれるようだ。

「は、はい、お願いします」

 靴下を脱ぎ、スカートを下ろすと、その下にあったショーツは意外にも白くて飾り気のないものだった。その下着も躊躇せずに脱いで、文字通りの一糸まとわぬ姿になった。

「どうかしら?」

 先輩は腰に手を当てて、全身を見せつけるように僕に尋ねた。2年前のスケッチではうっすらとしていたヘアはすっかり濃くなり、秘密の場所を覆い隠していた。

「き、綺麗です」

 それしか言葉にできなかった。大好きな先輩が僕の前で裸になっている。一番無防備な姿を見せてくれている。それだけで死んでもいい。しかし、ここからが本番だ。真面目に絵を書かなければならない。

「ポーズはどうしようかしら」
「……あ、それなら正座してもらっていいですか?」

 模写したスケッチの中でも、正座した姿が美しいと思ったのだ。背筋がまっすぐに伸び、腰のラインも強調される。まさに日本女性の美しさを最も際立たせる姿勢ではないかと思う。

「わかったわ。向きはどうする?」
「僕から見て少し斜めに……はい、そこでお願いします」

 先輩が僕の指示通りにポーズをとってくれる。改めて斜めから見ると、二年前と比べて腰回りに肉が付いて、より女らしい体になっていることがわかる。抱き心地がよさそうだな、という邪念を振り払い、僕はデッサンを始めた。

「本当はね、君が入部したときからヌードを描いてもらいたいなって思ったの」

 モデルを続けながらも先輩は僕に衝撃の事実を語る。

「そうなんですか?!」
「私は先輩に描いてもらったんだけど、やっぱり女の子と男の子では裸を描く意味が全然違うと思うのよ」

 確かにそのとおりだ。まして思春期の異性に、真面目に描かせるという体験はそうそうできるものではない。

「それに、君なら絶対に私のことを好きになってくれるって思ったしね」
「へえ……って先輩、何言ってるんですか?」
「ふふ、気づいていないとでも思ったのかしら。私も好きよ。そうじゃなければ裸なんて見せられないもの」

 そう口にした先輩の顔に、少しだけ恥じらいの色が見えた気がした。

「君に絵を教えたのも、好きになってもらえるようにしたのも、全部この時のためなんだから」
「先輩……」

 僕は今すぐ、絵なんか放り出して先輩に抱きつきたくなった。

「駄目よ、今は絵に集中しなさい」

 しかし、そんな僕の行動を見通すかのように釘を差された。先輩には逆らえない。

「できました!」

 先輩はデッサンを手に取ると、真剣に見定めた。

「うーん、悪くないんだけど、質感が見えてこないわね」
「質感、ですか?」
「そう。これじゃまるで石膏像をデッサンしたのと変わらないじゃない」
「なるほど。確かに言われてみるとそうだと思います」

 同じ構図を描いた大先輩の絵と比べて、何か物足りない部分があるとすればそこだというのは僕にも薄々わかっていた。

「君、女性の体を触ったことがないでしょう?」
「えっと……はい」

 僕は正直に答えるしかなかった。

「ほら、私の体を触ってごらんなさい?」

 そう言って彼女は僕の手を取って引き寄せた。

「……いいんですか?」
「もちろん。芸術のためよ」

 彼女はためらう僕の手を取ると胸に押し当ててきた。

「あっ……」

 思わず声が出てしまった。初めて触れる女体の感触に、頭がクラリとする。

「もっとしっかり触りなさい」

 言われるままに両手に力を込めて、その柔らかさを味わう。興奮して息遣いが荒くなるのが自分でもわかる。

「どう?少しは伝わってくるでしょ?」

 少しは感じたかな、などと思ってしまったが、先輩はあくまで真面目だ。

「ほら、胸だけじゃなくて全身を触ってみなさい」
「はい……」

 僕はゆっくりと手を下ろしていく。腰に触れ、背中に触れ、お尻に触れる。今度は下から。足首からふくらはぎ、太ももに手を這わせる。そして、ついに一番大事なところに指を入れようとしたら、ぴしゃりと手を叩かれてしまった。

「そこは絵とは関係ないでしょう。真面目にやりなさい」
「すみません……」

 先輩なりに僕を誘ったのかと思ったが、芸術のためというのは本音のようだ。

「さあ、もういいでしょう。デッサンに戻るわよ」

 再び、同じ構図で描き始める。

「よし、できました!」

 鉛筆を置き、僕は大きく伸びをした。

「んー、さっきよりはだいぶ良くなったわね。ヌードデッサン初日でここまで描けるのは割と上出来かも」
「ありがとうございます。先輩が本気で教えてくれたからですよ」

 体を張ってヌードになっている今はもちろん、2年間かけて基礎を叩き込んでくれたおかげだ。

「先輩、僕からもお願いがあるんですけど」
「何かしら?」
「もし先輩が納得する絵を描けたら、僕と付き合ってくれませんか」

 僕の言葉を聞くと、先輩は戸惑い、やがて吹き出してしまった。

「何言ってるのよ、もうお互い好きだって言ったから付き合ってるようなものじゃない」
「そういうことじゃないんです。もし正式に付き合ったということになれば、裸の先輩の前で我慢できなくなります」

 僕は言葉を続けた。

「先輩の体が綺麗なうちに納得してもらえる絵が描きたいんです……あ、セックスが汚いとかそういうわけじゃなくて」

 慌てて失言を取り繕う。そもそも先輩が処女であるかどうかも知らないのに。

「ふふ、わかったわ。男の子にとって"初めて"は大切だものね。私は待ってるから大丈夫よ」

 先輩は優しい笑顔を浮かべながらそう答えた。

 ***

 次の日も、その次の日も、僕は先輩を描き続けた。卒業するまでは平日が暇なので付き合ってくれるという。

「先輩、今日の絵はどうですか?」
「よく描けているわ。でもここがちょっと……」

 今日も駄目出しをされてしまった。もしかすると本当は認めているのに、僕を焦らして楽しんでいるのかと疑ってしまう。そして、我慢できなくなった僕に襲われるのを先輩は期待しているのではないだろうか……。

「さあ、まだ時間があるからもう一枚よ」
「はい、今度こそ先輩を納得させてみせます!」

 しかしまだ時間は残されている。せめて卒業式の日までは真面目に挑戦したい。それが、美術部での二年間を僕のために捧げてくれた先輩への恩返しなのだから。
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