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あなたはカレーうどんを素直に注文できますか?
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「本日はお集まりいただいてありがとうございます。このたび、中小飲食店向けの経営講座を担当させていただきます」
壮年男性の講師が壇に上がって自己紹介をすると、会場は拍手で迎え入れた。
「さて、ここにお集まりいただいた皆さまは現在お店を経営しているか、あるいは起業しようとされている方々だと思いますが、どうでしょう。皆さまのお店で実際に、カレーうどんというメニューを提供している、あるいは提供を検討している方はどのくらいいらっしゃいますか。ちょっと手を挙げてみてください」
会場からはまばらに手が挙がる。
「ありがとうございます。なるほど、ざっと2割弱といったところですね。思ったより多いかな。本講座のタイトルは『カレーうどんのマーケティング学』ですが、あくまでもカレーうどんというのは例の一つに過ぎないことをご理解いただけているようで何よりです」
講師はうなずきながら会場を見渡す。
「さて、本題のカレーうどんの件です。皆さま、カレーうどんはお好きですか。好きだという方は手を上げてみて下さい」
聴衆のほとんどが手を上げた。講師はにこにことしながら言葉を紡いだ。
「でしょう!私も大好きです。日本人はみんなカレーうどんが大好きなんですよね。きっと皆さまの奥様や旦那様、お子様もお好きでしょうね」
会場が和やかな雰囲気に包まれる。
「私はしがないコンサルタントで、口を出すしか能がない人間なのですが、以前とあるうどん店の経営でアドバイスを求められましてね」
講師は身振りを交えながら、はきはきとした声で続ける。
「そのお店は、まず駅の近くのオフィス街で立地に恵まれていました。建物も新しく内装も清潔。もちろん味も悪くない。しかし売れ行きが今ひとつなので、何かアドバイスを伺いたいということでした」
「このときは2人でお邪魔したのですが、試食にあたって私はカレーうどん、連れは天ぷらうどんを注文したんですね。カレーうどんが美味しいお店にハズレはありませんからね。さらに天ぷらがあまりにも美味しそうだったので追加でトッピングをお願いしたくらいです。絶品でしたよ、さっくさくでね」
「私は言いました。メニューも内装も変える必要はありません!ただ看板だけ少し変えて、『カレーうどん専門店』にしてみたらどうでしょうか、ってね」
「もちろん店主は抵抗感を示しましたが、私は言いました。カレーうどん専門というのはあくまでも看板で、従来どおりのうどんも提供して構わない、むしろやめてはいけません。あくまで看板を変えるのが重要です、と」
首を傾げる聴衆に向かって、講師は問いかける。
「はい、皆さまどういうことかピンときておられないようですね。では……そちらのお嬢さん」
講師は、前列にいた若い女性の前に歩いていき、質問をした。
「例えば、付き合ったばかりの彼氏とのデートでうどん屋さんに行きました。あなたはカレーうどんを注文できますか?」
「えっと、ちょっと無理……ですかね」
「そうでしょう。服が汚れるとか、はしたない感じがするとかで、あまり男性の前では食べたくない料理ですよね」
次に講師は、同じように恰幅のいい中年男性の前に歩いて行く。
「今度はこちらのお父さんに質問します。例えば会社の新入社員をうどん屋に連れて行って、あなたはカレーうどんを注文できますか?」
「なるほど。確かに、難しいね」
「ですよね。カレーうどんといえば、どちらかといえば子供が食べるものという印象ですからね。上司としての威厳を考えると微妙な選択ですよね」
2つの回答に、聴衆たちはうんうんと頷く。
「このように、カレーうどんという料理はみんな大好きであるにも関わらず、意外と注文するのが難しいメニューなんですね。そこで本題です。もしカレーうどん専門店だとどうでしょう、皆さん、誰がご一緒でも気兼ねなく注文できるのではないですか?」
会場からは、なるほど納得した、と言わんばかりに「おお」と声が上がる。
「先ほども申し上げましたように、カレーうどん専門と銘打っても普通のうどんも用意します。苦手な方もいらっしゃるでしょうし、カレーじゃないうどんが食べたくなるときもある。特に夏場などはさっぱりした冷やしうどんを食べたい方も多いでしょうからね」
「件のお店は、私のアドバイスどおりに看板を変えましたが、お店の中身はそのままです。あ、汚れ防止の紙ナプキンを用意するようにしたのと、あとメニューに天ぷらカレーうどんや月見カレーうどんを追加するくらいはしたかな。今までもトッピングで対応できたものを一つのメニューにしただけですけどね。するとどうでしょう、売上は目に見えて向上し、今ではネットでも評判の有名店という話ですよ」
「このカレーうどんのように、ニーズは存在するにも関わらず心理的な抵抗感によって注文されにくい商品やサービスというものは、意外と身近にあふれているのではないでしょうか」
カレーうどんの話を枕にして、マーケティングの話が続く。
**
「では、本日はここまでと致しましょう。皆さま、ご静聴ありがとうございました!」
講座が終了すると、満足した聴衆に講師は拍手で見送られた。
控室に戻った講師は携帯電話を取り出し、ある人物に電話をかけた。
「お疲れさん、今日もうまくいったよ。もうすぐカレーうどんの腹になった人達が駅に向かう頃だと思う。今は休憩中だっけか?臨時開店してもいいと思うぞ。……いいって、俺とお前の仲じゃないか」
そう、話に出したカレーうどん専門店とは、会場となったビルから駅に向かう通り道に存在するのであった。
とはいえ、売上が増えた理由は客を誘導しているからだけではもちろん無い。看板メニューのカレーうどんの完成度がそれだけ高かったということである。
ひと仕事終えた彼は、今日もまた飲食店を救うためのアイディアを考えるのであった。
壮年男性の講師が壇に上がって自己紹介をすると、会場は拍手で迎え入れた。
「さて、ここにお集まりいただいた皆さまは現在お店を経営しているか、あるいは起業しようとされている方々だと思いますが、どうでしょう。皆さまのお店で実際に、カレーうどんというメニューを提供している、あるいは提供を検討している方はどのくらいいらっしゃいますか。ちょっと手を挙げてみてください」
会場からはまばらに手が挙がる。
「ありがとうございます。なるほど、ざっと2割弱といったところですね。思ったより多いかな。本講座のタイトルは『カレーうどんのマーケティング学』ですが、あくまでもカレーうどんというのは例の一つに過ぎないことをご理解いただけているようで何よりです」
講師はうなずきながら会場を見渡す。
「さて、本題のカレーうどんの件です。皆さま、カレーうどんはお好きですか。好きだという方は手を上げてみて下さい」
聴衆のほとんどが手を上げた。講師はにこにことしながら言葉を紡いだ。
「でしょう!私も大好きです。日本人はみんなカレーうどんが大好きなんですよね。きっと皆さまの奥様や旦那様、お子様もお好きでしょうね」
会場が和やかな雰囲気に包まれる。
「私はしがないコンサルタントで、口を出すしか能がない人間なのですが、以前とあるうどん店の経営でアドバイスを求められましてね」
講師は身振りを交えながら、はきはきとした声で続ける。
「そのお店は、まず駅の近くのオフィス街で立地に恵まれていました。建物も新しく内装も清潔。もちろん味も悪くない。しかし売れ行きが今ひとつなので、何かアドバイスを伺いたいということでした」
「このときは2人でお邪魔したのですが、試食にあたって私はカレーうどん、連れは天ぷらうどんを注文したんですね。カレーうどんが美味しいお店にハズレはありませんからね。さらに天ぷらがあまりにも美味しそうだったので追加でトッピングをお願いしたくらいです。絶品でしたよ、さっくさくでね」
「私は言いました。メニューも内装も変える必要はありません!ただ看板だけ少し変えて、『カレーうどん専門店』にしてみたらどうでしょうか、ってね」
「もちろん店主は抵抗感を示しましたが、私は言いました。カレーうどん専門というのはあくまでも看板で、従来どおりのうどんも提供して構わない、むしろやめてはいけません。あくまで看板を変えるのが重要です、と」
首を傾げる聴衆に向かって、講師は問いかける。
「はい、皆さまどういうことかピンときておられないようですね。では……そちらのお嬢さん」
講師は、前列にいた若い女性の前に歩いていき、質問をした。
「例えば、付き合ったばかりの彼氏とのデートでうどん屋さんに行きました。あなたはカレーうどんを注文できますか?」
「えっと、ちょっと無理……ですかね」
「そうでしょう。服が汚れるとか、はしたない感じがするとかで、あまり男性の前では食べたくない料理ですよね」
次に講師は、同じように恰幅のいい中年男性の前に歩いて行く。
「今度はこちらのお父さんに質問します。例えば会社の新入社員をうどん屋に連れて行って、あなたはカレーうどんを注文できますか?」
「なるほど。確かに、難しいね」
「ですよね。カレーうどんといえば、どちらかといえば子供が食べるものという印象ですからね。上司としての威厳を考えると微妙な選択ですよね」
2つの回答に、聴衆たちはうんうんと頷く。
「このように、カレーうどんという料理はみんな大好きであるにも関わらず、意外と注文するのが難しいメニューなんですね。そこで本題です。もしカレーうどん専門店だとどうでしょう、皆さん、誰がご一緒でも気兼ねなく注文できるのではないですか?」
会場からは、なるほど納得した、と言わんばかりに「おお」と声が上がる。
「先ほども申し上げましたように、カレーうどん専門と銘打っても普通のうどんも用意します。苦手な方もいらっしゃるでしょうし、カレーじゃないうどんが食べたくなるときもある。特に夏場などはさっぱりした冷やしうどんを食べたい方も多いでしょうからね」
「件のお店は、私のアドバイスどおりに看板を変えましたが、お店の中身はそのままです。あ、汚れ防止の紙ナプキンを用意するようにしたのと、あとメニューに天ぷらカレーうどんや月見カレーうどんを追加するくらいはしたかな。今までもトッピングで対応できたものを一つのメニューにしただけですけどね。するとどうでしょう、売上は目に見えて向上し、今ではネットでも評判の有名店という話ですよ」
「このカレーうどんのように、ニーズは存在するにも関わらず心理的な抵抗感によって注文されにくい商品やサービスというものは、意外と身近にあふれているのではないでしょうか」
カレーうどんの話を枕にして、マーケティングの話が続く。
**
「では、本日はここまでと致しましょう。皆さま、ご静聴ありがとうございました!」
講座が終了すると、満足した聴衆に講師は拍手で見送られた。
控室に戻った講師は携帯電話を取り出し、ある人物に電話をかけた。
「お疲れさん、今日もうまくいったよ。もうすぐカレーうどんの腹になった人達が駅に向かう頃だと思う。今は休憩中だっけか?臨時開店してもいいと思うぞ。……いいって、俺とお前の仲じゃないか」
そう、話に出したカレーうどん専門店とは、会場となったビルから駅に向かう通り道に存在するのであった。
とはいえ、売上が増えた理由は客を誘導しているからだけではもちろん無い。看板メニューのカレーうどんの完成度がそれだけ高かったということである。
ひと仕事終えた彼は、今日もまた飲食店を救うためのアイディアを考えるのであった。
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