上 下
1 / 1

あなたはカレーうどんを素直に注文できますか?

しおりを挟む
「本日はお集まりいただいてありがとうございます。このたび、中小飲食店向けの経営講座を担当させていただきます」

 壮年男性の講師が壇に上がって自己紹介をすると、会場は拍手で迎え入れた。

「さて、ここにお集まりいただいた皆さまは現在お店を経営しているか、あるいは起業しようとされている方々だと思いますが、どうでしょう。皆さまのお店で実際に、カレーうどんというメニューを提供している、あるいは提供を検討している方はどのくらいいらっしゃいますか。ちょっと手を挙げてみてください」

 会場からはまばらに手が挙がる。

「ありがとうございます。なるほど、ざっと2割弱といったところですね。思ったより多いかな。本講座のタイトルは『カレーうどんのマーケティング学』ですが、あくまでもカレーうどんというのは例の一つに過ぎないことをご理解いただけているようで何よりです」

 講師はうなずきながら会場を見渡す。

「さて、本題のカレーうどんの件です。皆さま、カレーうどんはお好きですか。好きだという方は手を上げてみて下さい」

 聴衆のほとんどが手を上げた。講師はにこにことしながら言葉を紡いだ。

「でしょう!私も大好きです。日本人はみんなカレーうどんが大好きなんですよね。きっと皆さまの奥様や旦那様、お子様もお好きでしょうね」

 会場が和やかな雰囲気に包まれる。

「私はしがないコンサルタントで、口を出すしか能がない人間なのですが、以前とあるうどん店の経営でアドバイスを求められましてね」

 講師は身振りを交えながら、はきはきとした声で続ける。

「そのお店は、まず駅の近くのオフィス街で立地に恵まれていました。建物も新しく内装も清潔。もちろん味も悪くない。しかし売れ行きが今ひとつなので、何かアドバイスを伺いたいということでした」

「このときは2人でお邪魔したのですが、試食にあたって私はカレーうどん、連れは天ぷらうどんを注文したんですね。カレーうどんが美味しいお店にハズレはありませんからね。さらに天ぷらがあまりにも美味しそうだったので追加でトッピングをお願いしたくらいです。絶品でしたよ、さっくさくでね」

「私は言いました。メニューも内装も変える必要はありません!ただ看板だけ少し変えて、『カレーうどん専門店』にしてみたらどうでしょうか、ってね」

「もちろん店主は抵抗感を示しましたが、私は言いました。カレーうどん専門というのはあくまでも看板で、従来どおりのうどんも提供して構わない、むしろやめてはいけません。あくまで看板を変えるのが重要です、と」

 首を傾げる聴衆に向かって、講師は問いかける。

「はい、皆さまどういうことかピンときておられないようですね。では……そちらのお嬢さん」

 講師は、前列にいた若い女性の前に歩いていき、質問をした。

「例えば、付き合ったばかりの彼氏とのデートでうどん屋さんに行きました。あなたはカレーうどんを注文できますか?」
「えっと、ちょっと無理……ですかね」
「そうでしょう。服が汚れるとか、はしたない感じがするとかで、あまり男性の前では食べたくない料理ですよね」

 次に講師は、同じように恰幅のいい中年男性の前に歩いて行く。

「今度はこちらのお父さんに質問します。例えば会社の新入社員をうどん屋に連れて行って、あなたはカレーうどんを注文できますか?」
「なるほど。確かに、難しいね」
「ですよね。カレーうどんといえば、どちらかといえば子供が食べるものという印象ですからね。上司としての威厳を考えると微妙な選択ですよね」

 2つの回答に、聴衆たちはうんうんと頷く。

「このように、カレーうどんという料理はみんな大好きであるにも関わらず、意外と注文するのが難しいメニューなんですね。そこで本題です。もしカレーうどん専門店だとどうでしょう、皆さん、誰がご一緒でも気兼ねなく注文できるのではないですか?」

 会場からは、なるほど納得した、と言わんばかりに「おお」と声が上がる。

「先ほども申し上げましたように、カレーうどん専門と銘打っても普通のうどんも用意します。苦手な方もいらっしゃるでしょうし、カレーじゃないうどんが食べたくなるときもある。特に夏場などはさっぱりした冷やしうどんを食べたい方も多いでしょうからね」

「件のお店は、私のアドバイスどおりに看板を変えましたが、お店の中身はそのままです。あ、汚れ防止の紙ナプキンを用意するようにしたのと、あとメニューに天ぷらカレーうどんや月見カレーうどんを追加するくらいはしたかな。今までもトッピングで対応できたものを一つのメニューにしただけですけどね。するとどうでしょう、売上は目に見えて向上し、今ではネットでも評判の有名店という話ですよ」

「このカレーうどんのように、ニーズは存在するにも関わらず心理的な抵抗感によって注文されにくい商品やサービスというものは、意外と身近にあふれているのではないでしょうか」

 カレーうどんの話を枕にして、マーケティングの話が続く。

 **

「では、本日はここまでと致しましょう。皆さま、ご静聴ありがとうございました!」

 講座が終了すると、満足した聴衆に講師は拍手で見送られた。
 控室に戻った講師は携帯電話を取り出し、ある人物に電話をかけた。

「お疲れさん、今日もうまくいったよ。もうすぐカレーうどんの腹になった人達が駅に向かう頃だと思う。今は休憩中だっけか?臨時開店してもいいと思うぞ。……いいって、俺とお前の仲じゃないか」

 そう、話に出したカレーうどん専門店とは、会場となったビルから駅に向かう通り道に存在するのであった。
 とはいえ、売上が増えた理由は客を誘導しているからだけではもちろん無い。看板メニューのカレーうどんの完成度がそれだけ高かったということである。

 ひと仕事終えた彼は、今日もまた飲食店を救うためのアイディアを考えるのであった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

徹夜でレポート間に合わせて寝落ちしたら……

紫藤百零
大衆娯楽
トイレに間に合いませんでしたorz 徹夜で書き上げたレポートを提出し、そのまま眠りについた澪理。目覚めた時には尿意が限界ギリギリに。少しでも動けば漏らしてしまう大ピンチ! 望む場所はすぐ側なのになかなか辿り着けないジレンマ。 刻一刻と高まる尿意と戦う澪理の結末はいかに。

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

大阪・関西万博 イン ドリームアイランド

山瀬滝吉
経済・企業
**2025年、大阪万博。それは、輝かしい未来への希望か、それとも経済発展の影に隠れた闇か?** 経済学者、安本丹は、大阪万博の取材を通して、この巨大イベントがもたらす経済効果と社会への影響を鋭く分析する。万博がもたらす観光客誘致、雇用創出、そして新たな産業の創出。しかし、その裏には、再開発による地域社会の変容、格差の拡大、そしてギャンブル依存症や治安悪化といった負の側面も存在する。 安本は、万博後の大阪の未来を見据え、統合型リゾート(IR)誘致の是非についても深く考察する。IRは、さらなる経済成長の起爆剤となるのか、それとも社会問題を増幅させるリスクを孕むのか。安本は、経済学者の視点から、IRが大阪にもたらす光と影を冷静に分析し、その未来を占う。 さらに、安本は、万博の跡地利用や宇宙開発といった未来への展望にも目を向ける。万博がもたらした遺産をどのように活用し、持続可能な社会を構築していくのか。人類は、宇宙という新たなフロンティアにどのような希望を見出すのか。安本は、これらのテーマについても鋭い洞察を展開し、読者を未来への思考へと誘う。 本書は、単なる万博のルポルタージュではない。それは、経済発展と社会の調和、そして人類の未来への挑戦を描いた、壮大な経済ドラマである。経済学者の視点から見た大阪万博の光と影、そしてその先に広がる未来への展望。あなたは、この物語を読み終えた時、経済成長とは何か、そして私たちが目指すべき未来社会とは何かを、深く考えさせられるだろう。

校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話

赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)

処理中です...